Affichage des articles dont le libellé est art. Afficher tous les articles
Affichage des articles dont le libellé est art. Afficher tous les articles

samedi 17 mai 2014

人文・社会科学は医学教育にどう関わるのか (2)


ディドロ大学、ジョルジュ・カンギレムセンター責任者のセリーヌ・ルフェーヴさんのお話から

まず、なぜ SHS を教えなければならないのかという問いとともに、フランスの状況を説明していた

 医学教育が記憶中心になるのは世界共通で、フランスでも考え、省察する時間がないことに変わりはない

科学に基づく技術と実践が中心になる医療においては、暴力的なことも行われている

しかし、その場から離れた視点がなければそのことに気付かない

その意味でも、歴史的、倫理的、哲学的、科学的な省察の時間が必須になる


そのために映画を用いたコースを持っているという

学部3年目で20時間

患者さんを手当することの意味と難しさ、する方とされる側の体験、両者の関係とその限界など

定義し、記載し、検討する

そこでの最終目的は、「患者を聴く」 ということになる


そのためになぜ映画やフィクションが必要になるのか

それは病人が生きているということの複雑さを再現していること

そのため、病気を前にした病人の生と価値観の特殊性を掴むのに向いていること

 患者を取り巻く倫理的な問題を具体的に扱うことができることなどの理由が挙げられる

それらすべてが、視点の中心を医療の側から患者の側へ移すことに繋がる

治療という行為が双方向のものであり、そこでの選択が社会の規範や倫理に叶うものであることを学ぶことになる


 用いている映画の紹介があったが、その中に黒澤明監督の 『生きる』と『赤ひげ』 が入っていた

それぞれ、死の宣告と苦しみの経験と治療することを学ぶということの意味を描いた作品として

その他には、以下の映画が取り上げられていた

People Will Talk、Bringing out the Dead、N'oublie que tu vas mourir、Gattaca、Les maîtres fou 













lundi 11 juillet 2011

ポール・ジャクレー、あるいは西と東の交わるところ


La Danse d'Okesa, Sado, Japon
(1952)


Bnf の会員には年に4回ほどパンフレットが送られてくる。
最近のものにこの方の展覧会の案内が出ていた。

ポール・ジャクレー Paul Jacoulet (1902–1960)
落款は、「若礼」

作品を見た第一印象。
色が抜けるように明るい。
そして形に古さを感じない。
一体どんな人間が創ったのか。

彼はパリ生まれのフランス人浮世絵師。
子供の頃に日本に来て、一生日本で暮らした。
日、英、仏の言葉を自由に操るルネサンスマン。
能、歌舞伎、義太夫、バイオリンに三味線、そして蝶の蒐集家。
作品の色の鮮やかさ、多彩さは蝶を見ていた影響では、との指摘もある。

英語は家が近かった野口米次郎のアメリカ人妻レオニー・ギルモアさんに習った。
イサム・ノグチさんの母親に当たる。
不思議な繋がりだ。

日本国内を隈なく旅し、あらゆる階層の人間を描いた。
特にアイヌなどの民族のマイノリティに興味を抱いていた。
民間で伝承されている風俗、習慣などを探し、残しておこうとした。
南洋にも旅し作品を残している。
ミクロネシア、インドネシア、フィリピン。
そして、韓国、満州、モンゴルへも。

第二次世界大戦中も日本に留まる。
軽井沢に疎開し、野菜や鶏などを市に出して生活していたという。

パンフレットによると、彼の作品は東洋と西洋の宇宙の完璧な統合であり、
浮世絵の作法を踏襲しながらも、この分野に新風を吹き込んだものである。

糖尿病のため、58歳の若さで亡くなっている。




Les Graines de camélia Oshima, Izu
(1957)


2003年に横浜美術館で彼の展覧会が開かれている。
「虹色の夢をつむいだフランス人浮世絵師」

わたしは今回初めて知ったが、日本での認知度もあまり高そうに見えない。
もっと知られてもよい芸術家ではないだろうか。

彼の家族から贈与された作品のすべてが9月初めまで展示されている。
いずれこの目で観てみたいものである。
彼の作品はこちらでも鑑賞できる。