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mardi 24 septembre 2013

やはり、科学は哲学に行き着くのではないか


昨日、NHK特集 「神の数式」 の2日分(第1回第2回)を見る

ミクロの世界とマクロの世界を理解するための数式を発見しようとしてきた科学者の物語である

 それを観ながら再び浮かび上がってきたのが、昨年雑誌 「医学のあゆみ」 で問い掛けた言葉だった


ミクロの世界の完全な理解が可能になり、この宇宙がどこから来たのかが明らかになったとする

その時、われわれを取り巻く世界やわれわれの存在に対する科学的な理解は得られるだろう

それがこの世界はわれわれの直観を超えたものであることを教えてくれるだろう

その成果をもとに、この世界の新しい見方を構築できるだろう

しかし、科学的理解により人間が問うべき問題に対する解は得られるだろうか

例えば、この生は生きるに値するのか 、われわれは如何に生きるべきなのかというような問いに対して

そこに至るには、科学的な理解を元にしながらも、そこから別の次元へと思索を羽ばたかせなければならなくなる

それこそが、哲学的思考と言えるのではないだろうか

それは、科学の出発点にあった哲学が、科学の行く先にもなければならないことを意味している

わたしが昨年書いた 「科学は哲学に行き着くのか」 という問い掛けは、次第に確信に変わりつつある

それは、わたしの唱える 「デカルトの 『哲学の樹』 の逆転」の世界が待たれることをも意味している




mercredi 23 janvier 2013

Freeman Dyson "Living Through Four Revolutions"


フリーマン・ダイソン(Freeman Dyson, 1923-)


ダイソンさん特有の皮肉たっぷりのユーモアが溢れた語りになっている

それは彼のものとも言えるが、イギリス人のもののようにも見える

Living とタイトルにあるように、20世紀の生きたエピソードに溢れている

その中には日本の歴史に関することも含まれている

原子力のところで、安全性とは子供が手に持って遊んでも問題ないことと語っている

対象との関係がドライに見えるが、それは冷静さにも繋がり、科学の元にこの視点がありそうだ

このような対象との関係を日本人に見ることは少ない印象がある

空から大局を眺める鳥と地べたの小さい範囲を動き回る蛙の二つに科学者を分けている

 ご自身は蛙だと言って笑いを誘っている

 久しぶりにダイソンさんの語りを満喫した




vendredi 18 janvier 2013

Stephen Hawking: The Power of Ideas




ホーキングさんは、人間は話すこと、聞くことが大切だと言っているという

コミュニケートすること

そこに人類の未来がかかっているということだろうか





dimanche 6 janvier 2013

宇宙論にとって神の存在とは


年末に読んだ哲学雑誌の特集は「神」

そこでの問題提起は次のようなことになる

これまでの長い間、信者と無神論者が引き裂かれてきた

ここで問題の転換が必要になるのではないか

神が存在するか否かの問いから、神を考えることが有益なのか有害なのかの問いへの転換である

その方がより豊かな議論になるのではないのか

 神を信じることで悲しみや死に対した時、善悪の判断が迫られる時に救いが得られる

物質以外の豊かさを齎す可能性がある

その一方で暴力、不寛容などの悪用も行われている

大学に創造論者や神学者が入り、科学との誤った対話が行われる


例えば、ヴォルテール(Voltaire, 1694-1778)はこう考えた

神は理性では到達できない

存在が証明されているのならば、「信じる」必要は出てこない

「知る」だけでよいのだ

人々がその存在を必要としているがその存在を証明できないならば、見方を変える必要がある

「もし神が存在しないならば、創り出す必要がある」 


ウィリアム・ジェームズ(William James, 1842-1910)の考えはこうだ

神が存在するかどうかは問題ではない

その存在がより善く幸せに生きる上で有益か否かというプラグマティックな立場から考え直す必要がある

仮説が無効であれば5分で論駁されるが、神に関しては未だ結論が出されていない


 ハンス・ヨナス(Hans Jonas, 1903-1993)はその著書『アウシュヴィッツ以後の神』でこう結論した

神には親切、全知、全能という3つの特性がある

アウシュヴィッツを見ると、神には創造にお ける全能性はなかった


以前にも取り上げたが、同様の視点からマルセル・コンシュ(Marcel Conche, 1922-)もこう書いている

広島・長崎も含めた子供の惨状に見る絶対悪を前にすると、神の存在は信じられない


Longue traversée gris bleu de Loire à la tache verte (1976) 
Olivier Debré (1920-1999)


この雑誌では、道徳、政治、宇宙論における神の意味について対論を載せている

ここでは科学と神との関連について、宇宙論における意見の対立から見てみたい


まず、神を考えることに意味があるとする哲学者のポール・クラヴィエ氏(Paul Clavier, 1963-)の主張から

この宇宙は137億年前にビッグバンで始まったとされている

カトリック司祭ジョルジュ・ルメートル(Georges-Henri Lemaître, 1894-1966)の説である

しかし、この説は宇宙が無から生まれた(creatio ex nihilo)メカニズムを語っていない

宇宙の始まりは超高温度・超高密度であったというが、それ以前の状態についての説明がない

ルメートルはローマ教皇ピウス12世(1876-1958)に自分の説が聖書の教えを否定も肯定もしないと伝えているという

クラヴィエ氏が考える本質的な問題は、それ自身で存在していること(self-existence)である

超自然的な力の関与がなくても宇宙は存在するのかという問題である

宇宙がそれ自身で存在しているとすれば、そこはカオスにしかならないであろう

それは無駄が多く、因果関係も見られず、予測も不可能である

しかし、宇宙には規則性や調和がある


一般に、信者は自然について省察するよりは内的生活やスピリチュアリティに重点を置く

しかし、それは残念なことである

科学(宇宙論)は、信じることと知ることの間にある適合性を示す可能性を持っているからだ

また、科学と宗教を混同しなければ、宇宙論にとっても神は有益なはずである

電磁気学の創始者であるジェームズ・マックスウェル(James Clerk Maxwell, 1831-1879)は言っている

「科学は無からの創造について説明する能力を持っていない」 

Ocre léger à la tache violette Touraine-Loire (1981)
Olivier Debré (1920-1999)


一方、神は宇宙論にとって害になると結論するのが天体物理学者マーク・ラシエズ・レイ氏(Marc Lachièze-Rey, 1950-)

物理学の成果と形而上学的問いに対する宗教の回答を混同することは危険でさえある

16世紀、教会は聖書の教えに反する結果を出す科学に敵意を示し、ガリレオなどを異端審問にかけた

しかし、今は状況が逆転し、教会は宇宙論に関する科学の進展に興味を持つようになっている

ルメートルが後にビッグバンと呼ばれる説を出した時、信者たちはそこに「神の手」があったはずだと考えた

 ピウス12世も科学が聖書の教えを支持するとの声明を出したのである

それはガリレオに対するものよりもさらに悪い一撃をルメートルに加えた

科学界における彼の仕事の評価を落とす危険に晒したからである

それ以来、教会は科学の成果と教義が合致すると認めるconcordisme という毒饅頭を科学者に贈り付けることになった

宇宙の規則性が神や超越的存在の証明であるかのように言う人がいる

しかし、科学では数学の言葉で宇宙から素粒子の現象に至るまで解明できるという立場が賭けに勝ったのである

言葉であり道具に過ぎない数学を神が創ったとするならば、神を創ったのは誰かを説明しなければならない

宇宙の始まりを神に委ねるとすれば、それ以上の科学的探索を抑えることになってしまう


最後にラシエズ・レイ氏が言いたいことは、この世界の素晴らしさ、美しさを味わうためには数式は必要ないということ

そこに神の存在を見たとしても、科学の発展にとって障害にはならないだろう



mardi 25 décembre 2012

レオナルド・サスキンドさんの 「ホログラムとしての世界」 を聴く



レオナルド・サスキンド (Leonard Susskind, 1940-)さんの話を聴く

聞こえてきた言葉:

ブラックホール

エントロピー

情報

ヤコブ・ベッケンシュタイン
Jacob Bekenstein, 1947-)

ひも理論

ピクセル

ボクセル

ホログラフィー

一つの現実の二つの表現

宇宙論


明快な言葉で語られた内容だったが、理解したとはとても言えない

ただ、理論物理学という領域のお話、どこか哲学のセミナーを聴くような印象がある

物理学が哲学から飛び立った当時を想像させるお話であった




samedi 22 décembre 2012

ブライアン・グリーンさんのダイナミックな対談を愉しむ


The Hidden Reality: Parallel Universes and the Deep Laws of the Cosmos (2011)


初めてブライアン・グリーンBrian Greene, 1963-) さんの話を聴く

お互いを持ち上げる対談ではなく、アイディアがぶつかり合うダイナミックな対談だった

ミクロの世界だけではなく、ここで出ていたマクロの世界も日常感覚では理解できないところがある

グリーンさんも指摘していたが、日常感覚がこのような話を理解できるようには進化してこなかったのかもしれない

われわれの生存には必要なかったからである

これから進化しないとも言えないが、それを待つこともできない

そんな世界にお構いなしに生きることも可能だが、理解したいという気持ちは湧いてくる


文化の違いがはっきり見えるテンポの良い、刺激的な対談であった


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関連記事

Stephen Hawking さんの "The Grand Design"、あるいは量子論的存在論 (2010-10-02)




mardi 11 janvier 2011

ジョルダーノ・ブルーノという修道僧にして哲学者 Giordano Bruno

Giordano Bruno (janvier 1548, Nola — 17 février 1600, Rome)


昨年末、アヴィニョンに向かう前のリヨン駅で見つけたジャック・アタリさん(Jacques Attali, né le 1er novembre 1943 à Alger)のこの本。混迷の時代の航路を照らす灯台の役割をすると彼が考えた24人(日本人では明治天皇が含まれている)が取り上げられている。

Phares. 24 destins (Jacques Attali)

この中に、これまで気になっていたガリレオ(15 février 1564 ― 8 janvier 1642)ともよく比較されるジョルダーノ・ブルーノGirodano Bruno)という修道僧にして哲学者の人生が描かれていた。アヴィニョンまでの車中、じっくり読む。ここで改めて、この人物の人生を振り返ってみたい。

ジャック・アタリさんの嗜好はかなりはっきりしている。余りにも慎重で、余りにも打算的で、勇気も自尊心もないガリレオへの尊敬を強く感じたことはない。それに比べ、ブルーノの身体的な勇気、知的な大胆不敵さ、多岐にわたる天才、そしてその驚くべき運命の方を好むという。それと、シェークスピアの「テンペスト」のプロスペロ(Prospero)のモデルになっていること、NASA に先立つこと4世紀、宇宙における生命の探索という野心的な研究に打ち込んでいたことも彼にとっては重要のようだ。

ルネッサンス末期のイタリアでは教会が反動の極致にあった。宗教改革や科学、特に天文学に反対の立場を採り、焚書のみならず、写本の禁止、グーテンベルグによる印刷物の検閲を行っていた。将来の科学の基になる営み、例えば知識の体系化、概念の研究、記憶の研究、実験的な方法、自然の観察、物質の変換などを取り締まっていた。16世紀の教会はそれは厳しいもので、少しでも疑いがあると幽閉し、拷問し、火炙りにしていた。このような時代にブルーノは大胆にもこう言い放つ。

「宇宙には無数の太陽が存在する。
その周りには無数の地球が回っている。
そこには生物が住んでいるのだ」

そのためローマ教皇クレメンス8世の命により、ローマの街中で火刑に処せられる。1600年2月17日のことであった。

紀元前250年頃にはすでに太陽が中心にあるという説がアリスタルコスAristarque de Samos, env. 310 – 230 av. J.-C.)により出されていたが、自然は聖書の言葉に従って動くとされていた当時、容認された学問は神学だけであった。しかし、それと並行してヨーロッパも開かれつつあった。フランスでは、エティエンヌ・ド・ラ・ボエシー(1530-1563)が専制を告発し、自由を謳い上げる本を書いたり、フランソワ・ラブレー(1483? - 1553)が「第四之書」を出版。イタリアでは、フィレンツェを避難場所としていたユダヤやイスラムのインテリが人類の遺産を写し、訳し、広めていた。

そんな時代にフィリッポ・ブルーノ(Filippo Bruno)は、イタリアのノーラに生れる。1548年のことである。陽気で記憶力に優れた少年だったが、その無礼さは際立っていた。1562年、両親は当時の人間学(論理学、弁証法、神学)を学ばせるため14歳の彼をナポリに送り出す。

1565年、17歳でナポリにあったドミニコ会に入り、そこで出会った形而上学の師ジョルダーノ・クリスポ(Giordano Crispo)に肖ってジョルダーノと名乗るようになる。ここでは修辞学、形而上学、神学の他に、フランス語、ドイツ語、ラテン語、ギリシャ語を学びながら、芸術を発見し、記憶力に磨きをかける。当時は個人の書斎など望むべくもなかったので、記憶力は知的活動には不可欠であった。そこで彼が読んだプラトン、アリストテレス、ピタゴラス、聖書、さらに危険なエラスムスモーシェ・ベン・マイモーン、コペルニクスなどのすべてを記憶に留めた。そして、すぐに教授連中に飽き足りなくなる。1568年終わりには教皇ピウス5世に自らの記憶術を訴えるため、ローマを訪れている。

1573年、25歳で司祭になるが、精神をより高いところに向かわせるのではなく、自由な人間を鎖に繋ぎ、不可解な体系に奉仕させる奴隷にしようとする教授に対する反抗は留まるところを知らず。2年後には神学の講師になり、教会の大学の教授を目指すが、三位一体の批判、読書内容(特にエラスムス)が異端の扱いになり、教会が支配していたヨーロッパの大学への道は最終的に閉ざされることになる。

ローマ、ジェノヴァ(Gênes)、さらにパドヴァブレシアベルガモでポジションを探るもうまくいかず、1579年、31歳の時ジュネーヴに旅立つ。それからトゥルーズを訪問。彼の悪評が届いていなかったのか、そこで神学の学位をもらい、宇宙論と哲学を教えていた。翌1580年にはパリに落ち着き、アンリ3世の計らいでコレージュ・ド・フランスの前身である王立教授団に職を得て、トマス・アクイナス、天文学、神学、記憶の講義をする。

記憶の研究は、彼の精神運動を思考の構造、発見の過程、さらに人間の性質、宇宙の特殊性へと向かわせることになる。そして、ライプニッツやスピノザに先駆けて、人間は宇宙における偶然の存在でしかないこと、現実とは人間の精神により創り出されるものであること、そして観念とは真実の天体であることを説くのである。1582年、34歳の時、神学者の欺瞞、性的妄想をからかう「カンデライオ」(Le Chandelier)を出版する。それ以来、舞台が彼の表現の場となる。

それからロンドンにも行き、エリザベス1世の庇護を受けている。そこで、いくつかの著書を物し、コペルニクスや魂の不滅や再来について講義をしている。また、ストラトフォード・アポン・エイヴォンとロンドンの間を行き来していたシェークスピアと会っていたかもしれない。「恋の骨折り損」(Love's Labour's Lost)のビローンは三年の間寝食と女性を忘れ研究に没頭する人物で、ブルーノに霊感を受けた可能性がある。そして、シェークスピア最後の作品に出てくる精神と空気をコントロールする明晰な魔術師プロスペロ。この人物は作者の自画像であり、ブルーノにもよく当てはまると言われている。

1584年の灰の水曜日、オックスフォード大学で彼がイタリア語で出した哲学書「灰の晩餐」を標的にした激しい討論会が開かれる。当時の学問と商業の言語はイタリア語で、フランス語はむしろ政治の言葉、そして英語はまだヨーロッパに広がっていなかった。その中で、ブルーノは古代ギリシャよりはビールに詳しいオックスフォードの教授を馬鹿にして、こう主張する。地球が宇宙の中心でないばかりか、太陽もその中心ではない。この宇宙は無数の宇宙からできている。そして神はこの無限の内にある。変わらないものは何もなく、すべては相対的な存在で常に変化している。したがって、人間が宇宙で特別の価値がある存在ではあり得ない。

何という現代性だろうか。そして、思想の自由への賛歌を謳い上げ、カトリック教会の優位性について疑義を差し挟み、魂の再来について語る。

「一人の人間の魂は神そのもので、体から体へ移行する。
すべての魂は宇宙の魂を構成し、すべての存在は最後には一つになる。
一人ひとりの魂は知の太陽に至るための翼となる炎によって命を与えられている」

「知の太陽」である。



Statue de Giordano Bruno sur la place du
Campo de' Fiori


ロンドンでの状況が再び悪化し、どこかに向かわなければならなくなるが、一体どこにその場はあるのだろうか。イタリアに帰りたい気持ちはやまやまだったが異端審問が厳しく、また自由の国として名高いオランダの状況も捗々しくない。ブルーノは結局パリに戻ることにする。ただ、彼は懐疑だけを信じていたのでソルボンヌの教授職にもありつけず、自らの作品の放棄を要求する教会との和解も無理であった。40歳の彼は一人で、訳し、読み、講義をするが、生活は苦しく、飢えと寒さに苦しむこともあった。迷った挙句、ドイツに移ることにする。

1586年、先ずマールブルグに向かうが歓迎されず、ヴィッテンベルクへ。そこの大学で教授として哲学、宇宙論、芸術、記憶を教える。おそらく、彼の人生で最良の2年間ではなかったのだろうか。彼の考えには、次のようなものがあった。知識には芸術的、魔術的、そして音楽的というような多面的な要素がある。聖書は文字通りに解釈すべきではない。疑いを持つこと、つまり「哲学的自由」が必須になる。

1588年、大学の状況が変化し、どこかに移らなければならなくなる。先ず、ルドルフ2世の治世に入ったばかりのプラハへ。この皇帝は芸術家(バルトロメウス・スプランヘルジュゼッペ・アルチンボルド)や科学者(ティコ・ブラーエヨハネス・ケプラー)を庇護し、占星術師や錬金術師を身近に置いていた。ブルーノはこの皇帝のために1冊献呈している。そして、庇護を求めてヘルムシュテットへ向かうが、その侯爵が暗殺される。彼の人生は一体どうなっているのだろうか。

この頃から錬金術、魔術、カバラに傾斜し、作品が神秘主義的になっていく。1590年、フランクフルトを訪問。1592年にはイタリアのベニスへ。この町ではモチェニゴ家の世話になる。そのホストは彼に魔術を教えるように迫るが、それが罠であることに気付き言い逃れを続ける。パドヴァ、ローマでの職を探るも得ることはできず。そして、フランクフルトに戻ろうとした前日、部屋に閉じ込められ記憶術と幾何学を教えなければ出さないと宣告される。そこからベニスの異端審問刑務所に移される。

罪状は、無限の宇宙と無数の太陽系の存在を説き、キリストを批判し、魔術を使い、三位一体を論駁し、宇宙の永遠性の故に創造を否定し、世界の無限を信じ、輪廻転生métempsycose)を信じ、神学を悪し様に言い、異端審問を軽蔑し、聖母マリアの処女性を否定し、女性を誘惑した、、、などで、一つでも証明されれば命を落とすことになる。

拷問を交えた尋問が行われるが、彼はどれも認めない。そこにローマから移送の要求が届くが、ベニスは拒否。しかし、クレメンス8世がブルーノはナポリ人なのでベニスが守る理由はないと主張。最初は抵抗していたベニスだが、最後は教皇の主張を受け入れる。

1593年2月、ブルーノはローマのサン・ピエトロ大聖堂に隣接する異端審問刑務所に移される。クレメンス8世への謁見を要求するも却下。それから拷問を挟んだ審問が始まるが、この間の様子はほとんどわからない。ナポレオンが資料をパリに持ち帰り、それ以後どこかで二束三文で処分された可能性があるからだ。ただ、三位一体や輪廻転生に対する態度は軟化したようだが、世界が多数あること、宇宙の永遠性については意見を曲げなかった。

逮捕されて5年後の1597年、世界の多数性についての審問が再開。拷問にもかかわらず持ちこたえる。1599年9月、21回目の審問でブルーノは哲学的研究が継続できるという条件付きで部分的な自説撤回の交渉を申し出るが、12月に教皇は拒否。判事は全面撤回を迫るが、ブルーノは何も撤回しないし、撤回しなければならないものもないとして交渉を諦める。

1600年1月20日、クレメンス8世はブルーノに40日の考慮期間を与え、異端審問を命じる。2月8日、ブルーノを跪かせ、8日の悔悛期間付きで火刑の審判を言い渡す。彼は叫ぶ。

「それを聞いている私より審判を言い渡すお前たちの方が間違いなく怖がっている」

2月17日夜明け時、自説を否定する最後の機会を拒否したブルーノはカンポ・デ・フィオーリ広場に引き出される。


彼の死後(1603年)、彼のすべての著作は読んだり引用しただけで破門になる禁書扱いにされる。1616年、ガリレオが同じ状況に陥る。しかし、ブルーノほどの勇気や大胆さは持ち合わせていなかった。「聖書はどのようにして天に行くべきかを教えているが、天がどのように行っている(動いている)のかを教えてはくれない」とは言ったが、彼は譲歩し、最終的には在宅の謹慎処分にしかならなかったのだ。

その後、ブルーノの作品の再評価が始まり、19世紀にはイタリア統一運動リソルジメント)のインテリの間のヒーローとなり、放浪する哲学者、勇気、無礼な人間、そして自由な思想家の象徴となる。19世後半から、ブルーノが火炙りにされたその場所に銅像を建てる計画が持ち上がり、1885年にはその計画を検討するための国際委員会(ヴィクトール・ユーゴーハーバート・スペンサーエルネスト・ルナンエルンスト・ヘッケルヘンリック・イプセンなどがメンバー)が開かれる。そして1889年、時のローマ教皇レオ13世の反対を押し切って、その像は立てられた。1979年になり、教皇ヨハネ・パウロ2世によってガリレオとともに審判の不当性が明らかになり、名誉が完全に回復される。


ブルーノは時代を先んじている高価な代償を払わなければならないことを常に知っていた。今日で言うところの認識論意味論相対性理論宇宙論遺伝学などの萌芽を自らの思想の中に含んでいることを本能的に感じ取っていたのではないだろうか。権力に拒否され、無知蒙昧に追われ、長い遍歴の中で書き残したものの中に、一体どんなものが眠っているのだろうか。いつの日かのリストに入れておきたい。


dimanche 1 novembre 2009

Freeman Dyson talks about universe, science, religion,,,



Freeman Dyson is professor emeritus of physics at Institute for Advanced Study, Princeton, USA.