samedi 16 janvier 2016

新しい場所へ



新年が明け、新しい場所に引っ越しをすることに致しました

新しいサイトは 「二つの文化の間から」 です

今後ともよろしくお願いいたします





dimanche 10 janvier 2016

パリから見えるこの世界 (36) 記憶の中の探索、あるいは 「考える」 という精神運動




雑誌「医学のあゆみ」に連載中のエッセイ『パリから見えるこの世界』第36回を紹介いたします
 
 
 
医学のあゆみ (2015.1.10) 252 (2): 209-213, 2015
 
 
ご一読、ご批判をいただければ幸いです
 
 
 
 
 
 
 

samedi 2 janvier 2016

如何に新しい未来を構築するのか?



ジョエル・ド・ロネ、エティエンヌ・クライン、ジャック・アタリ @UNESCO

Joël de Rosnay (1937- ) 有機化学
Etienne Klein (1958- ) 物理学
Jacques Attali (1943- ) 経済学

司会: Eric Jouan (1964- ) ジャーナリスト





dimanche 27 décembre 2015

人生の時間割に関する哲学



以前、人生の時間についてのエッセイを書いたことがある

今の状況では大学、大学院まで行けば、教育に20年ほど費やす

それから60歳定年とすれば、35年ほど働くことになる

平均寿命が80歳だとすれば、それから20年ほどの時間が残っている

 その時間をどう過ごすのかが、問題になり始めている

これからさらに寿命が延びるとすれば、その時間の過ごし方については今以上に問題になるだろう


わたしは想定する必要がないだろうが、仮に寿命が120歳まで延びたとする

そして、これも仮に70歳まで仕事をすることになったとする

その場合、半世紀の時間が残されることになる

その時間をどう過ごすのかという問題である

仕事人間にとっては、この時間が視野に入っていないことが多い

 世界的に見ても、人生の時間割に関する哲学は弱いようである


今日なぜこの問題が浮かんできたのか

それは、期せずして第二の教育期間になったほぼ10年に区切りを付ける時が来ているからだろう 

妙に真面目になっているようである

大袈裟に言えば、教育を受けた者の責任のようなものをどこかに感じ始めているからではないか

もし教育の区切りを付けずにいたとしたならば、このような問いが浮かんできたかどうか分からない

今よりはずっと自由な感覚で居られた可能性もある

今年に入ってから、何かに縛られるような感覚が付いて回っているのである


平均寿命は分かっても、自分の寿命は分からない

しかし、ここでは仮に120歳までの時間が与えられているとする

その残りの時間をどう使うのかについて考えてみたい

いろいろなオプションが浮かんでくる


一つは、最初のサイクルと同じように、教育の後の時間を社会的な活動に使ってみること

今のところ、最初のサイクルと同じような活動の幅は社会に用意されていない

人それぞれが活動の様態を考える必要があるだろう

 活動の期間も人それぞれだろうが、これを続けるとすれば半世紀にもなる

学びに興味のある人は、適当なところで第三の教育に向かっても良いだろう

 つまり、教育と社会的活動、あるいは静的生活と動的生活を周期的に繰り返すのである

周期の長さにより、多様なライフスタイルが生まれるだろう


第二には、仕事や社会活動の後、静的な生活に入ることが考えられる

この時間の使い方も人それぞれになるだろう

 ただ、半世紀を退屈せずに過ごすには、それ相当の工夫が求められるだろう

第三、第四の可能性もあり得るだろう

しかし、社会に定型を提供するだけの哲学がない現状では、次のようなことしか言えないだろう

人生は、仕事が終わってからも続く

死ぬまで続く

死ぬまでの人生のプログラムをどうするのか

それは、結局のところ、それぞれの創造性に委ねられているのではないか

つまり、それぞれが自らの哲学を生み出す必要があるということである





dimanche 20 décembre 2015

スートゥナンスという時間、あるいはロゴスと批判精神




スートゥナンスが終わってから2週間が経過しようとしている

まだ2週間だったのかと思うほど、もう遠い出来事のように感じられる

少し離れて見ることができるようになったので、ここで簡単に振り返っておきたい


テーズの時もそうだったが、スートゥナンスに対する準備も十分だったとは到底思えない

そういう感想を持つのは、そこに全力をぶつけているのかどうか確信が持てなかったからである

その時が迫るまでやる気にならず、最後に慌てるという結果になったからである

この点については、それが自分のやり方なのだという具合に今では理解できるようになった

つまり、形が自分の中で熟するまで待つという姿勢があることを知ったということである

これが分かったことで、変に苦しむ必要がないことが分かった

途中はいつも形が見えていない

だから、そのことは当然のこととして受け止めればよいと考えられるようになったという意味である

この一年、形がすぐに見えてこないので、諦めて何もしないで終わるという日々の連続であった

そのことに苦しみ、何もしないのではなく、対象に向けて何らかの働きかけをすること

丁度、彫刻家が少しずつ木に鑿を入れるように

それができそうな予感が生まれている


さて、スートゥナンスの審査員はイギリス人が一人とフランス人四人から構成されていた

スートゥナンスの時間を纏めるとすれば、ロゴスとエスプリ・クリティークという言葉が浮かんでくる
 
彼らの精神には、対象に迫る批判精神が組み込まれているように見える

文化の中にそれがあり、教育によって育てられるのだろう

その精神は日常的に作動しているが、特にこのような会では強調されて見える

その背後にはロゴスの世界がある

どこまでも明快に言葉を使おうとする精神がある

その表現型が英仏では違うという印象を持っていたが、今回もそれを感じた

イギリス人の方にその特徴がさらに明確に表れているように感じた

まさに、スートゥナンスが言葉の交換、さらに言えば、言葉を介した闘いであることが分かる

自らの主張を言葉で防衛するのである

英語の「ディフェンス」という言葉がそのことをはっきりと表している


質疑応答では、実に多様で思索を刺激する指摘があった

わたしの方法論に関するもの、わたしの考えを確かめるもの、言葉の使い方に関するもの、

言葉が持つ歴史についての配慮、内容の上で欠けているもの、他の考え方の可能性など

 これから思索を深める上で多くの示唆をいただいたと感じている

これらのクリティークはテーズを書いていなければ聞けなかったものである

わたしの文章を読み、そのことに反応して彼らの世界を開陳してくれたことになる

つまり、テーズを書いたことで新しい世界がわたしの前に広がったのである

それは、見たこともない景色を味わうための旅であり冒険だったと言うことができるだろう

そして、そこから新たな冒険が始まるとも言える

わたしがこちらで体験していた教育の本質とは、これだったのかもしれない



審査員の諸先生
(右から) Prof. Geoff Butcher (UK), Prof. Anne Marie Moulin, 
Prof. Alain Leplège, Prof. Anne Fagot-Largeault, Dr. Thomas Pradeu







dimanche 13 décembre 2015

パリから見えるこの世界 (35) 国立自然史博物館で、「生命を定義する」ということを考える


雑誌「医学のあゆみ」に連載中のエッセイ『パリから見えるこの世界』を紹介いたします

医学のあゆみ (2014.12.13) 251 (11): 1099-1103, 2014

 ご一読、ご批判をいただければ幸いです








mardi 8 décembre 2015

スートゥナンス後に見えてきた変化



昨日、スートゥナンスが終わった

ジュリーから本質を突く多くの質問が出され、これまでにない密な時間を経験した 

その世界で生きている人の声を聴く貴重な時間でもあった
 
長い庵の生活を送る中で、学会の動向とは関係なく進めることになった

それは、そもそも自分なりに広く考える時間を取るためにこちらに来たこととも関係がありそうだ

所謂科学哲学という一つの枠の中で考えることをしてこなかったように見えるからだ

たた、今回一つの区切りを迎えたことで、気持ちの変化が見えてきたようである

それは、これまでの焦点のない思考から少し専門的に考えてもよいのではないかというものである

これまで独自に(それは独善的にも通じるが)考えてきたところから出るということでもある

他との関連で考えを進めるということである
 
長い間に習い性になったものを改めることができるのか
 
長いスパンで観察していきたい
 
 
 


vendredi 20 novembre 2015

スートゥナンスのご案内

La Danse
Charles Gumery (18272-1871) 



スートゥナンスの詳細が決まりましたのでお知らせいたします

日時: 12月7日(月)、9:30~

 
テーマ

 「免疫学が問い掛ける哲学的・形而上学的諸問題」

Philosophical and Metaphysical Problems Posed by Immunology
Problématiques philosophiques et métaphysiques posées par l’immunologie


MEMBRES DU JURY 

Pr Alain Leplège, Directeur de thèse, Professeur, Université Paris Diderot  
Pr Geoffrey Butcher, Chef de groupe, Institut Babraham, Cambridge, U.K.  
Pr Anne Marie Moulin, Directeur de recherche CNRS, UMR SPHERE CNRS/Université de Paris   
Pr Anne Fagot-Largeault, Professeur, Collège de France 
Dr Thomas Pradeu, Chargé de recherche au CNRS, UMRD5164


場所: 264 E 号室, Halle aux Farines

Université Paris Diderot 
16 rue Françoise Dolto 75013 Paris 

大学の地図はこちらです

アクセス: Métro 14, Bibliothèque François-Mitterrand



終了後に簡単な懇親会(pot)が予定されています

興味をお持ちの方のご参加をお待ちしております





dimanche 8 novembre 2015

パリから見えるこの世界 (34) ジョルジュ・カンギレムの考えた治癒、あるいはこの生への信頼



雑誌「医学のあゆみ」に連載中のエッセイ『パリから見えるこの世界』を紹介いたします

第34回 ジョルジュ・カンギレムの考えた治癒、あるいはこの生への信頼

医学のあゆみ (2014.11.8) 251 (6): 525-529, 2014

ご一読いただければ幸いです






lundi 2 novembre 2015

フランソワーズ・バレ・シヌシ博士のインタビューで科学について考える

Dr. Françoise Barré-Sinoussi, Prix Nobel 2008


もう7年前になる。
フランソワーズ・バレ・シヌシ博士のインタビューを目の前で聴くという幸運に巡り合った。
その時に書いた二つの記事と7年後の感想を書いてみたい。

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2008年10月29日

ノマドが巡り会う道行きの神の仕業だろうか。二日続けての嬉しい出会いとなった。

今日も午後からパスツール研究所に出かける。しばらくするとビブリオテクの人が数人を連れて現れた。お連れの方に聞いてみると、ノーベル財団の仕事で受賞者のインタビューを制作しているアメリカの3人組。1時間後に私の目の前で今年のノーベル賞を受賞したバレ・シヌシさんのインタビューが始まるという。彼らの仕事振りを見ていると、熟達の人たちという印象で気持ちがよい。貴重な経験なので今日も予定を変更せざるを得なくなった。

インタビューが始まる前、バレ・シヌシさんはまだ新人なので "very nervous" であると言っていた。インタビューで出ていた質問は次のようなことである。

● ウイルスとは何か
● レトロウイルスとは何か
● ウィルス学を定義するとどうなるか
● ウイルスの研究のどこが面白いのか
● 30年の研究生活は楽しいものだったのか
● どのようなきっかけでエイズの研究に入ることになったのか
● これがエイズの原因だとわかった時の興奮とはどんなものだったのか
● 当初世界的に感染が広がると予想していたか
● エイズウイルス発見から20年以上経つがまだ有効なワクチンも開発されていないが何が問題なのか
● アフリカやカンボジア、ベトナムではどのようなことをされているのか
● モンタニエ博士との共同研究はどのようなものだったのか
● ノーベル賞受賞はどのような状況で聞いたのか
● あなたの研究は基礎から臨床へと進んでいった点で満たされるものがあるのではないか
● 人を助けていることの喜びとはどのようなものなのか

彼女がエイズにレトロウイルスが関係していることを明らかにした時の状態は、興奮というより如何にして世界を納得させるのかが問題だったので、やることが山のようにあったとのこと。彼女の研究はどこにでもある(ルティーンの)手法で行われたものであること、それから多くの専門の異なる人たちの智慧の結集であること、したがって今回の受賞も二人だけのものではないということを強調していた。

彼女は以前からアフリカやカンボジア、ベトナムで共同研究や研究指導などを行っている。受賞の知らせを聞いたのは、そのカンボジアでのミーティングで発表している時。フランスのラジオ局の人からの電話で知ったそうだが、全く信じられなかったとのこと。エイズウイルスの研究がノーベル賞を貰うとしても自分がその中に入るとは思っていなかったようである。その後カンボジアの病院を訪ねた時に、若い女性のエイズ患者が彼女にキスをしてこう言ったという。「あなたは本当に素晴らしいことをしてくれました、あなたのお陰で私はこのように治療を受けていますが、まだその恩恵に与っていない人がたくさんいます」。そして、お互い抱き合いながら泣いたらしいが、素晴らしい瞬間だったと数週間前の出来事を語っていた。これは常に病める人のいるところに出かけて行って研究を考えるというパスツールの基本姿勢を実践していることになるのだろう。こういうところにもパスツールの伝統が息づいているという印象を強く持った。


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jeudi 29 octobre 2015

このような場面に単独で出会うことができるということは、日本では想像ができない。
 
先日のアンジェ美術館でもすべてを独り占めにするという経験をした。
 
美術館での同様の経験は、こちらでは稀ではない。
 
対象との垣根の低さを感じる経験と言っても良いのだろうが、有難いことである。






2008年10月30日

昨日のインタビューは調べ物をしながら本を読んでいる人が周りにいる中で行われた。この様子を見ながら、日本ではノーベル賞受賞者のインタビューをこのような状況ではしないだろうという思いでいた。大仰にならず、何気なく事を進めてしまう彼らのやり方や事に対する感じ方はやはりよい。

ところでフランソワーズ・バレ・シヌシさんの話を聞きながら、余り感動しなくなっている自分を確認していた。確かに一つの病気の原因に迫る研究成果は素晴らしいものがある。しかし、体全体が震えないのだ。現役の研究者から確実に退きつつあることを感じていた。そして、インタビューの受け答えを聞きながら、この感覚はおそらく彼女も共有しているのではないかという印象を持った。確かに賞を貰い、一つの満足は得られたかもしれないが、それで死んでもよいというほどのものではないだろう。今の私から見ると20-30年というのはそれほど前には感じないのだが、彼女にとってはかなり昔のような話し振りで、当時の感触(感激)を今のものとすることが難しくなっているように感じた。さらにエイズの問題は全く解決していないということもあるだろう。彼女の場合には患者さんのもとに下りて社会とのつながりを意識したような研究や社会的活動により深い満足を求めようとしているのではないかと想像していた。結局、人は人間全体を使うようなところでしか満たされないのではないだろうか。そして科学は一つの大きな入り口ではあるだろうが、人間活動のほんの一部にしかなりえないような印象がある。ただ、科学の世界がすべてだと思える人は幸せなのかもしれないという思いでもいた。


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vendredi 30 octobre 2015


この記事では、かなり本質的な指摘がされている。
 

それは現在のわたしの認識にも近いものがある。
 

当時の観察が7年の間に確信に近いものに変容してきたとも言えるだろう。

それは、科学だけで人はどれだけ満足を得られるのか、という問題である。
 

ノーベル賞と言えども一つの賞にしか過ぎない。
 

それで人類の問題を解決することなど不可能だろう。
 

一見解決したかに見える発見でもその後に新たな問題を生み出している。
 

例えば、ペニシリンの発見などはその中に入るだろう。
 

エイズウイルスの発見にしても入口に立ったにしか過ぎないことが明らかになっている。
 

同様の例がいくつも浮かんでくる。

 

それでは何が人間に幸福を与えるのか。
 

その解はあるのだろうか。
 

今は分からない。
 

ただ、科学だけで人間が幸福になるとは考え難いという感触だけは確かなものになりつつある。