スートゥナンスが終わってから2週間が経過しようとしている
まだ2週間だったのかと思うほど、もう遠い出来事のように感じられる
少し離れて見ることができるようになったので、ここで簡単に振り返っておきたい
テーズの時もそうだったが、スートゥナンスに対する準備も十分だったとは到底思えない
そういう感想を持つのは、そこに全力をぶつけているのかどうか確信が持てなかったからである
その時が迫るまでやる気にならず、最後に慌てるという結果になったからである
この点については、それが自分のやり方なのだという具合に今では理解できるようになった
つまり、形が自分の中で熟するまで待つという姿勢があることを知ったということである
これが分かったことで、変に苦しむ必要がないことが分かった
途中はいつも形が見えていない
だから、そのことは当然のこととして受け止めればよいと考えられるようになったという意味である
この一年、形がすぐに見えてこないので、諦めて何もしないで終わるという日々の連続であった
そのことに苦しみ、何もしないのではなく、対象に向けて何らかの働きかけをすること
丁度、彫刻家が少しずつ木に鑿を入れるように
それができそうな予感が生まれている
さて、スートゥナンスの審査員はイギリス人が一人とフランス人四人から構成されていた
スートゥナンスの時間を纏めるとすれば、ロゴスとエスプリ・クリティークという言葉が浮かんでくる
彼らの精神には、対象に迫る批判精神が組み込まれているように見える
文化の中にそれがあり、教育によって育てられるのだろう
その精神は日常的に作動しているが、特にこのような会では強調されて見える
その背後にはロゴスの世界がある
どこまでも明快に言葉を使おうとする精神がある
その表現型が英仏では違うという印象を持っていたが、今回もそれを感じた
イギリス人の方にその特徴がさらに明確に表れているように感じた
まさに、スートゥナンスが言葉の交換、さらに言えば、言葉を介した闘いであることが分かる
自らの主張を言葉で防衛するのである
英語の「ディフェンス」という言葉がそのことをはっきりと表している
質疑応答では、実に多様で思索を刺激する指摘があった
わたしの方法論に関するもの、わたしの考えを確かめるもの、言葉の使い方に関するもの、
言葉が持つ歴史についての配慮、内容の上で欠けているもの、他の考え方の可能性など
これから思索を深める上で多くの示唆をいただいたと感じている
これらのクリティークはテーズを書いていなければ聞けなかったものである
わたしの文章を読み、そのことに反応して彼らの世界を開陳してくれたことになる
つまり、テーズを書いたことで新しい世界がわたしの前に広がったのである
それは、見たこともない景色を味わうための旅であり冒険だったと言うことができるだろう
そして、そこから新たな冒険が始まるとも言える
わたしがこちらで体験していた教育の本質とは、これだったのかもしれない
審査員の諸先生
(右から) Prof. Geoff Butcher (UK), Prof. Anne Marie Moulin,
Prof. Alain Leplège, Prof. Anne Fagot-Largeault, Dr. Thomas Pradeu