mardi 16 août 2011

映画 「夢」、あるいは黒澤監督の叱咤



ブログを始める時期に一致して写真を毎日撮るようになったと記憶しているので、写真との付き合いはもう6-7年なる。何はともあれ三文カメラをポケットに入れてから外出するのが常になった。今では面白そうな対象が向こうから寄ってくるような気がしている。すべてが偶然であり、必然でもあるという不思議な感覚である。対象を選ぶ時の決め手は色と形の配置が自分の好みに合うかどうかで、カメラを覗き、構図を決めてシャッターを押す。一瞬のことだ。


この夏の日本で仕入れた黒澤明監督の 「」 (1990年) の DVD を観る。映画が始まってすぐに画面の色と構図がわたしの好みに合っていることに気付く。と同時に、監督もそこに相当の神経を使っていることを想像させる。いろいろな夢が出てくるが、日本(人)の歩み、文明そのもの、あるいは科学信仰に対する批判が時に静かに、時に激しく語られている。こんな叱咤を受けているような気分になる映画である。

 「日本人、いや人間よ。目を覚ませ。そして、もっと考え、もっと賢くなれ」

仕事を離れ、こちらでたっぷりと考える時間が生れている今だからこそ、黒澤監督の感受性がごく自然に入ってくる。しかし、仕事をしている時にこれらの夢を観て、どれだけ体の芯から理解できただろうか。言葉面だけに終わっていたのではないかと甚だ心許ない。多くの重要な問題は歴史や哲学の助けを借りなければ正解に辿り着かないだろう。しかもその助けを受け入れるためには時間が必要になるのだ。この前提を理解し、実践することが、忙しく仕事をしている人にとって極めて難しい理由がここにある。事がなかなか動かない理由がここにある。

3・11以降有名になった 「赤富士」 のエピソードは知っていたが、同根の批判精神に溢れる作品だとは想像していなかった。



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