jeudi 24 mai 2012

世界を記述する新しい言葉、そして自然と文化を結ぶ橋

 Ninguen (2000)
Tominaga Atsuya / 冨長敦也 (1961-)


午前中曇っていたが、午後から晴れ渡ってくれた
この朝はデンマークの方とやり取りしたり、日本からのメールに対応したり
資料を読まなければならないので、結構時間がかかる

それとは別に、以前にいただいたメールを読み直している時、発見をする
この世界に大きな変化は起こっていないだろうなどという思い込みがあると、見過ごすことになる
これは結構大きなことだったので周辺を調べる
わたしが知らなかっただけの話なのだが、、

ただ、そう言ってしまうと、すべてがそうなる
わたしとは別に、すべてはそこにあるのだから
あるいは、わたしが気付かないものは存在しないのか
そうかもしれないが、その立場を今は採っていない


午後から近くのカフェでスローターダイクさん(Peter Sloterdijk, 1947-)を読む
調べてみると、もう3年近い時間が経っている
巡り巡ってという印象だ
その本はハイデルベルグの免疫学者ブルーノ・キュースキさん(Bruno Kyewski)に紹介されたもの
丁度、パリにセミナーに来られた時のことである
その日の経過は以下の記事にある


本の原題は、Du mußt dein Leben ändern (2009)
昨年出た仏訳は、Tu dois changer ta vie (2011)
日本ではまだ訳されていないようだ


この世界を変えるのではなく、あなた自身の生活、人生を変えなければならないと言っている
世界の改良ではなく、自己改良を目指しなさいということだろう
今日はイントロを読んだが、彼の中の世界、頭の使い方、言い回しがなかなか馴染まない
30ページほどを3時間かかって読む
印象に残ったところを少しだけ



Ninguen (1999)
Tominaga Atsuya / 冨長敦也 (1961-)


最早太陽のもとには新しいものなどないように見える
しかし、認識の面からいうとあるのだという
つまり、見方を変えるということ、新しい見方を獲得すること
それは、分かっているように見えることに纏わり付いた衣を剥ぐことができるか否か、
これまでと異なる言葉で 「こと」 を記述できるかどうかにかかってくる
精神性とか道徳とか倫理などと言われるものに、全く新しい言葉を与えることができるのか

それを彼は "explicitation" という言葉で説明している
折り畳まれるようにされている "implicite" な状態に対して風呂敷を広げるようにするこの行為
「こと」 を明白にするという営みを表現するのには適切な選択に見える 
この過程がうまく行くと、意表突くような、しかし無視できないような効果が出ると言っている
そして、それこそが太陽のもとの新しいものになるのだろう


それからオーガニズム、社会、文化を包括する知として免疫学の成果を挙げている
おそらく、これがキュースキさんが私にこの本を薦めた理由になるのだろう
スローターダイクさんは免疫システムが世界をよく説明するのだと言いたいようだ
生物学的世界、文化的・社会的・軍事的世界、精神運動の過程

そして、これまで何度も取り上げられている生物学的世界と文化的世界の乖離を指摘している
自然と行動、自然科学と人文科学
この間には直接の移行はない
そこに橋を架ける必要があるのだ
橋の中央を繋ぐためには、教育、訓練、運動が欠かせない
この橋の建設なしに人間になることはできない
この運動を常にし続けなければならないのが、われわれの存在の本質なのかもしれない


この中で 「人間の園」 (le jardin de l'humain) という言葉が紹介されている
物理学者のカール・フリードリヒ・フォン・ヴァイツゼッカーさん(C F. von Weizsäcker, 1912-2007)の言葉だという
そこでは植物(自然)と芸術が出会い、上に挙げた対立が昇華される
そこに入ると、内的・外的な運動が最高のレベルに達する
Le jardin と聞くと、すぐにエピクロスの園を思い出す
それらが新しい文化を創造する空間、人間に近づく空間であるとすれば、
その建設はすべての人に求められているのかもしれない



mardi 8 mai 2012

クロディーヌ・ティエルスランさん再び、「哲学は科学的でなければなりません」

Pr. Claudine Tiercelin (Collège de France)


今年初めにコレージュ・ド・フランスの 「知の形而上学と哲学」 教授クロディーヌ・ティエルスランさんのインタビュー記事 (Le Point) を紹介した。
クロディーヌ・ティエルスランさんの目指す科学的形而上学 (2012-1-12) 

昨日の散策で入ったプレスで手に取った科学雑誌 La Recherche の5月号に彼女のインタビュー記事が載っていたので早速カフェで読んでみた。前回と重複しない範囲で紹介してみたい。

彼女の言う科学的とは、自然科学の研究者や実験者が持っている精神で研究を進めるもので、誤りに注意しながら実証可能な命題を提出することだという。その過程で科学の声を聴くことが重要だと考えている。

このインタビューでも科学と哲学のどちらが知における優位性を持っているのかは重要ではないと繰り返している。両者は明らかに対象も方法も異なっているからだ。哲学の仕事は言語を用いてできるだけ実体に近い概念を作ることである。そこでは、言語と概念と実体の三者関係に常に注意しながら進めることが不可欠になる。実体に至るためには、物理的な実験だけではなく、非物理的な認知科学の領域の実験をも含めている。さらに、想像できるものと可能性のあるもの、可能性のあるものと実際にあるもの、言葉の違いと概念の違い、概念の違いと実体の違いを混同しないようにすることも強調している。

科学哲学と知の哲学(philosophie de la connaissance)との違いを次のように説明している。科学哲学は、科学の方法、理論と観察との関係、特定の科学の変遷などを扱うのに対して、知の哲学は対象を科学知に限らず、知の概念そのものやその基盤、論理、推論、証明の本質、信じることとが知とされる条件などの問題にも興味を示す。

形而上学をどう定義するのかと聞かれて、彼女はこう答えている。形而上学とは実在についての科学で、存在、自由、時間、心身問題、法則の本質、物理的・心理的因果関係などの問題を扱うものである。つまり、実在の最も深い構造について研究する科学になる。同様に、世界の成り立ちの深い構造を研究する物理学との違いは、物理学者の存在論は必然的に物理主義になるのに対して、形而上学者はこの世界を理解するためにはそれだけでは不十分だと考え、生物学、心理学、社会科学などの多様な学問から存在論を研究する。その背後に、自然は物質からできているのか、あるいは関係やプロセスなのか、アイデンティティを構成する条件とは何か、というような科学者の範囲を超える重要な問題が控えている。

形而上学とは知に関する論理的な営みであり、科学と同じ原理に基づいている。世界の最も根源的な要素を求めている点で、科学と同じ目的を持っている。形而上学者はよく議論すると言われるが、それは学問の基準がないからではなく、見かけに囚われたり、錯覚に陥ることを避けることや目の前のものを虚心坦懐に観ることが難しいからである。この議論も科学精神の下で行わなければならず、科学がすべてを説明すると主張する科学主義や形而上学者が最終決定するという体系に囚われたドグマから自由でなければならない。。形而上学者は実験室には行かずオフィスに留まっているが、椅子に座っているだけではない。ある意味で数学者に近い存在である。






dimanche 6 mai 2012

第3回 「科学から人間を考える」 試みのお知らせ (1)



9月に東京で予定している第3回 「科学から人間を考える」 試みのテーマを 「正常と病理」 とすることにいたしました。

 われわれの人生において避けて通ることのできない病気と関連するテーマになります。

日程、場所などの詳細が決まり次第、この場の他、専用サイト、「パリの哲学的生活」 などに発表する予定です。

興味をお持ちの方の参加をお待ちしております。

よろしくお願いいたします。



lundi 23 avril 2012

大阪大学で現代科学を考え、大阪医大で過去と戯れる



今日は午前中、大阪大学微生物病研究所で講演する。主な対象は大学院生だが、オープンな講演会であった。会場に詰めかけた方が予想以上に多く、追加の椅子を準備するため開始時間が遅れる。話し始めて会場を見回すと昨年よりも多く、嬉しい驚きであった。

話は1時間ほどで終え、質疑に入る。出足は悪かったが、予定の30分に達する。終わった後にも何人かの方が話を聞くために来られた。個人的な質問としてよくあるのは、なぜ科学から哲学だったのか。そして、英米ではなく、なぜフランスだったのかだが、今回これになぜ日本でなかったのかが加わった。この説明には最近書いた 「医学のあゆみ」 2月11日号がよいのだが、紹介するのを忘れていた。

もう一つ印象に残った質問があった。それはオーギュスト・コント(Auguste Comte, 1798-1857)の3段階法則について。コントの唱える三段階とは、幼児期ともいえる虚構的な神学的段階、それから青年期の抽象的な形而上学的段階を経て、最終的に成熟期に当たる科学的な実証的段階に至るというもの。科学的な段階をその前段階のネガティブな状態に対してポジティブと称し、形而上学的な省察や直感から得られる知を拒否する実証主義 positivisme である。

質問は、わたしの立場はこの実証主義に前段階の形而上学的要素を加えているように見えるので、実証的段階の先に成熟期の上に当たるき融合の段階とでも言うべきものがあるのでは ないか、あるいはそうわたしが考えているのではないかという鋭いものであった。話を聞いていてそう理解していたとすれば、わたしの意図はよく伝わっている。その問いを聞きながら、実は神学的段階までも含めて、コントの言う3段階をひとつの平面に置くように意識しているのではないかと考えていた。

この質問に関連して、現代科学の状況を憂うるコメントが続いた。それは、実証主義が行き過ぎて、論文のディスカッション・セクションにおいてさえ、想像を含んだ議論を許さない窮屈な空気があり、中堅の研究者に見えたコメントの主は、この状態を変えるように働きかけてほしいというニュアンスのことまで言われ た。現状に息苦しさを感じているのである。

現代科学はアングロ・サクソンのどこかから出される「世界基準」に従う形で行われている(と想像される)。日本は他の国と同じように、その基準に従い、そこをクリアすることで満足しているように見える。基準そのものに自分の考えを向け、議論するということをしない。哲学的ではないのである。ひょっとすると、例の最初から諦めて考えないという無意識の選択をしているのかもしれない。

現状を変えるひとつの方向性として、日本が考える科学としてあるべき内容、公表の様式などについて、アングロ・サクソンとは違う哲学の確立があるだろう。 それは固定化されたものではなく、常に検証し、変容するダイナミックなものであることが求められる。そして、日本の科学のやり方を現実のものにするために、それぞれの学会が持っているジャーナルを新しい科学の発信基地にするのである。その実現を生存に追われている現場の科学者だけに委ねるのは相当に難しそうである。その成功は、このような営みを支えるエネルギーと意志がどれだけあるかにかかっている。コメントを聞きながら、そんな妄想が浮かんでいた。


 科学と哲学などというテーマにこれほど興味を示す人がいることは驚きである。
現代科学の中にどこか満たされないものを感じている証なのだろうか。
出された発言から見えてくるものは、それを否定できるものではない。

今の科学が完全な姿であるはずはない。
もしそうだとすれば、これからも検証し、改良し続けていかなければならないだろう。
その過程で、わたしの言う哲学的な視点が有効なものになると確認していた。
 
このような思索の機会を与えていただいたホストの菊谷仁氏に改めて感謝したい。




午後からは、2月の発見の検証に大阪医科大学歴史資料館に出かける。
その詳細は以下の記事にある。

 
わたしの持っている本に書かれてある志賀貴洋史という署名が、赤痢菌発見者の志賀潔博士(1871-1957) のものであるのか。資料館に入り、係の方に2階の資料室に案内していただく。そこに至るまでの雰囲気が実に素晴らしいのだ。写真でその雰囲気が出ているかどうかわからないが、清楚な佇まいと懐かしさがそこにある。伺うと、ウィリアム・メレル・ヴォーリズ(1880-1964)というアメリカ人建築家の作だという。日本人女性と結婚し、1961年には帰化している。


 
 


そして、目的の資料室に入るとこの額が現れた。持参した本と見比べる。係の方に見ていただいたが、専門ではないとのことで言を濁される。わたしには酷似して見えた。いずれどなたかに鑑定をしていただきたいものである。

わたしがこの建物を気に入っていることを知った係の方は、さらに案内を続けてくれた。ひとつは講堂。ただ、高いドーム状の天井はエアコンと蛍光灯が付けられた低い天井で隠されていた。係の方は、時代ですかね、とのことだったが、わたしはオリジナルの天井を見てみたいと思っていた。

それから階段教室が現れた。
 我が学生時代を思い出させる実に懐かしい空間だ。
暫し教室内を歩き回り、過去を現在に引き戻しながら想像を羽ばたかせていた。



想像さえしていなかった空想の時間と空間が隠れている資料館であった。
突然の訪問にも拘らず、案内の労をとっていただいた係の方に感謝したい。


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jeudi 26 avril 2012

本日、大阪大学の講演会でお世話になった事務局の堀田様からメールが届いた。
いつも丁寧に対応していただいているが、今回も当日の様子が書かれてあった。

今回の会場は定員が50名。
そこに立ち見を入れて90名以上の方が聴講され、内2/3が学生だったという。
多くの方が参加されているとは思っていたが、これ程だとは思わなかった。
しかも、若い方が多かったことは何かを物語っているのかもしれない。

ホストの菊谷氏からは、もし次回があればディスカッションの時間を増やしたいとのこと。
そうなれば、パリの哲学セミナーの雰囲気にも近くなる。
ひょっとすると、哲学の再興は科学の現場から起こってくるのかもしれない。
いずれにせよ、多くのことを考えさせてくれる時間であった。




vendredi 20 avril 2012

日本の現状が垣間見え、決定論漂う徳島の一日



朝9時の便で徳島に飛ぶ。午後1時から徳島大学医学部で科学・医学における哲学についてお話をするためである。主な対象は大学に入って2年目の学生で、「医学概論」 としての講義だが、学生以外の方にもオープンな講演会の形を採るとのことであった。

「医学概論」 の枠で講義を、というお話を受けた時、すぐに思い出したのが学生時代のことである。大阪大学の澤瀉久敬氏 (1904-1995)が 「医学概論」 という学問を進めていることは知っていたが、広く理解されるところまで行っておらず、専門家などいなかったのではないかと思う。事実、講義は年配の教授が 受け持っていたように記憶しているが、どんな内容だったのか全く覚えていない。おそらく、医学の哲学とは似て非なるものではなかったかと想像している。その講義をこの自分がする時が来るなどと一体誰が想像しただろうか。数字だけを見ると年配の教授を凌いでいるが、人生は数字ではない。

今回、学生時代の本棚から澤瀉氏の 「医学概論 第一部科学について」 を取り出し目を通してみた。半分くらいまで読んだ形跡はあるが、おそらく挫折したのだろう。「第二部 生命について」、「第三部 医学について」 まで読もうという気にはならなかったようだ。改めて第一部を読むと科学の哲学の考え方がわかりやすく語られていて、ここ数年の経験のためかよく理解できる 内容であった。

学生に話すのは久しぶりで、どのような内容にするのか最後まで手探りの状態であったが、結局一般の方に話す内容と同じにして、哲学をどう見たらよいのかと いう点が伝わるように、個人的な経験を含めながら話すことにした。つまり、哲学というよりも哲学的態度はわれわれの日常にとって必要不可欠なものであり、 楽しいものであることを伝えようとした。わたしの考えている哲学の姿を伝えることをベースに据えたのである。その意味では、「科学から人間を考える」 試みの考え方と共通する。

会場の講義室に入ると、若さがあたり一面に充満している。久しぶりの感覚だ。最初に驚いたことは、学生さんがカードを壁に押し付けていることだった。学務課の方に伺うと、欠席防止のために出欠を電子管理しているという。哲学してもよさそうなテーマであると感じた。

講義には2時間超の時間が用意されていた。1時間超の準備しかしていなかったので、急遽スライドを追加したり、個人的な経験を膨らませて、できるだけ丁寧 に説明することで何とか責任を果たすことができた。 おそらく、多くの学生さんは心地よい?眠りに入っていたのではないかと想像しているが、中には目を輝かせている人もいた。講義後に届いたメールで、後半に なるとどんどん面白くなり話に惹きこまれ、普段よく考えていないことに気付かされた人もいることがわかった。このような心の変化が起こっていることを表情 から探ることは極めてむずかしい。今回、化学反応が起こっていた人がいることは、拙いながらも話し続けなければならないことを教えてくれる。また、若い時にこのような領域、このような考え方があることに触れておくと、将来何らかの意味を持つ時が来るかもしれない。教育とは、即効性がないものに対しても開かれていなければならないものだろう。

質疑応答で出た一人の学生の発言が気になった。それはある哲学者の 「人ははじめは規範とともに集団にいるが、哲学者になるためには理性を解き放ち、その集団を離れ、固有の存在にならなければならない」 という言葉に対するものであった。社会の規範に沿って生きなければ潰されるという日本社会の圧力を感じている彼は、独自の生き方、考え方を持ちたいのだ が、そうすることにより自分の中で葛藤が生まれるのではないか、もしそうであるならば、そのような希望を最初からないものとして歩んだ方がよいのではない か、という迷いを抱えていたのだ。

日本には個人がないとか、人間の多様性が殺されているということが言われるが、そのことを一番感じ、悩んでいるのは若い世代なのかもしれない。若い時から 自分の中を覗き込み、そこから聞こえる声に従って生きるようとする意欲を削いでしまう環境。その環境における防衛反応として現在の表現型が現れているとす れば、社会の閉塞感の根元にはこの問題があるようにも見える。多くの人間の精神の躍動が抑えられている社会から真の活力が生まれてくるはずはない。そろそろ真面目に考えてもよい一大テーマではないだろうか。

夕食会に参加された小迫英尊、笠井道之、高浜洋介の各氏
(小迫氏の高性能カメラにより撮影)


ところで、今回の 「科学から人間を考える」 試みのテーマは、この世界の出来事は前もって決められているのか、もしそうだとすれば人間に自由はあるのか、という問題だった。講義終了後、演壇に一人の教員が来られた。その方は偶然に講演会のポスターを見て、演者の名前がご自分の下の名前と同じであること(漢字は違う)に気付き、参加されたという。写真 左の小迫英尊氏である。彼の口からお話の決定論に関係しているかもしれませんね、というような言葉が漏れていたように記憶している。ただ、この席でお話し たことは写真中央の品のせいか、今はほとんど思い出せない。将来、何かの切っ掛けでその一部が蘇ることがあるかもしれない。その時、この時間が原因だった ことがわかるだろう。


演奏会パンフレットを配布中の徳島大学交響楽団メンバー


翌朝、大阪に向かうべく徳島駅に向かった。 駅前で自らの楽団が5月に行う演奏会のパンフットを配布中の若者と出会う。しばらく話をしているうちに、写真左の学生が、ここで出会ったことが将来何かの意味を持つことがあるかもしれませんね、というようなことを言い出す。今週は徳島に来てまで決定論の世界が広がっている。不思議と驚きの一週間である。本 当にそうなるかもしれないので、記録としてここに残しておくことにした。


このような時間を提供していただいたホストの高浜氏には改めて感謝したい。




dimanche 1 avril 2012

第2回 「科学から人間を考える」 試みのお知らせ (2)

Le Voyage (1958)
Yves Elléouët (1932-1975)


再びのお知らせになります
4月17日(火)、18日(水)の両日、第2回 「科学から人間を考える」 試みを開く予定です
今回は、「決定論と自由」をテーマに取り上げることにしました
詳細はこちらをご覧ください

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この世界はある法則により決定されているのか、カオティックなのか
決定論の世界に人間の自由意志は存在するのか
もし存在しないとすれば、人間は責任を取ることができるのか
最近の科学の成果はこの問題にどのような示唆を与えるのだろうか
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科学と哲学が交差するこの問題の背景を紹介した後、1時間ほど自由討論をする予定です
更なる意見交換のための懇親会も準備しています
このテーマに興味をお持ちの方の参加をお待ちしております


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mardi 24 avril 2012


会の趣旨に賛同いただいた皆様の参加を得て、好評のうちに終了いたしました
会のまとめはこちらになります。

参加申し込みされ、叶わなかった皆様には改めてお詫び申し上げます
これからもこの営みは変容を続けながら継続していく予定です
ご理解、ご批判をいただければ幸いです
 よろしくお願いいたします



mardi 27 mars 2012

ミシェル・フーコーにとってのニーチェとハイデッガー、そして3種類の哲学者


ハイデッガーはいつもわたしにとって主要な哲学者でした。ヘーゲルから読み始め、マルクスに行き、1951年か1952年からハイデッガーを読み始めました。それからもう覚えていませんが、1953年か1952年にニーチェを読みました。ハイデッガーを読んだ時にとった山ほどのノートはまだここにあります。それはヘーゲルやマルクスについてのノートより重要なものです。わたしの哲学的な歩みのすべてはハイデッガーを読んだことによって決定されました。しかし、そこに導いたのはニーチェであることは認識しています。ハイデッガーを十分に知りませんし、「存在と時間」も最近のものについてもほとんど理解していません。ハイデッガーよりはニーチェの方をよく知っています。にもかかわらず、この二人の哲学者との出会いは根源的なものでした。もしハイデッガーを読んでいなかったとすれば、ニーチェを読むようにならなかったかもしれません。50年代にニーチェを読もうとしたのですが、ニーチェ単独では全く興味を引きませんでした。ニーチェとハイデッガーに関する限り、それは哲学的な衝撃でした。しかし、わたしはハイデッガーについて書いたことは一度もありませんし、ニーチェについてもほんの短い一編の論文しか書いていません。しかし、この二人はわたしが最も読んだ著者なのです。共に考え、共に仕事をするけれども彼らについては書かない一握りの著者を持つことは重要だと思っています。いつの日か彼らについて書くことがあるかもしれません。しかし、その時は彼らは最早わたしの思索の道具ではなくなっています。最後になりますが、わたしにとって哲学者は3つに分類されます。わたしが知らない哲学者、知っていて、そのことについて語る哲学者、そして知っているけれでもそれを語らない哲学者です。

Michel Foucault, Le retour de la morale, 1984
(entretien avec G. Barbedette et A. Scala)




dimanche 25 mars 2012

"The Day After Trinity" を観る

Il y a un an Hiroshima (2012)
Hisashi Tôhara


ロバート・オッペンハイマーに関する映画 The Day After Trinity (1980) を観る。西欧の考え方、日米のものの観方の隔たり、科学技術に対する科学者の態度、政治と科学、状況の中の科学者など、考えさせることの多い1時間半だ。

以前に観たものと合わせると、この科学者の立体的な姿も浮かび上がってくる。残念ながら以前のものはすでに期限切れになっている。



もしナチが勝利すれば西洋文明は滅び、千年の暗黒時代を迎えるという危機感。さらに「アメリカの力を全く理解しない狂気の国」によるパール・ハーバーが加わり、アメリカを一つに結びつける。ノーベル賞学者と若者が共に一つの目標に向かったマンハッタン・プロジェクト。彼らはこの計画を楽しみながら進めていた。それを可能にしたのがオッペンハイマーで、彼以外にはできなかっただろうと言われる。


結局、ナチは原爆開発には至らず、1945年5月8日ヨーロッパで勝利を収める(VE Day)。ロバートの弟で物理学者のフランクが指摘するように、ここで計画を止めるのが最善だったのかもしれない。確かに、当初の目的はなくなったのである。それでも計画が進行したのはなぜなのか。


ロバート・ウィルソンさんは言う。論理的には止めるのが当然なのだが、そのことを言う人は一人もいなかった。フリーマン・ダイソンさんは指摘する。膨大なものをつぎ込んだプロジェクトは一度始まると途中で止めることができない。オッペンハイマー自身も国連ができる前に原子爆弾という技術が可能であることを示そうとした。そして1945年7月16日、Trinity で最初の爆弾が爆発する。ロバート・ウィルソンさんは、その日から以前のわたしではなくなったと証言している。


この成功で爆弾の実戦での使用が問題になる。フリーマン・ダイソンさんは繰り返す。行政が準備した流れができ上がり、そこに向かうのは必然であった。その時に "NO!" という勇気を持った人は一人もおらず、オッペンハイマーは実質的了解を与えていたのである。


そして広島で爆発する。彼らの最初の反応はやり遂げたという昂揚感、そして鬱が続くことになる。人間を物として扱ったという罪悪感のためだろうか、精神を病む人が出てくる。ロバート・ウィルソンさんもその一人だ。日本の降伏がなければ、3発目を使う可能性も検討されていたという。


オッペンハイマーは戦後、原爆を国際協力で封じ込めようとする。他の武器と同じように使ってはいけないと考えたからだ。しかし、共産主義の脅威が迫り、安全保障の面から政府はそうは考えない。1952年11月1日、最初の水爆が爆発。マッカーシーによる赤狩りも始まる。


オッペンハイマーは共産主義に共鳴した過去から取り調べられる。この過程は以前の映画に詳しく描かれていた。その結果、危険人物と見做され、13年に亘る監視下に置かれる。そして、彼が再び国の政策に関与することはなかった。国のために全力を尽くして仕事をやり遂げたオッペンハイマーがその国に捨てられたのである。この仕打ちは彼を完全に破壊し、実質的な死の宣告を意味した。計画は Trinity の後に (the day after Trinity) 止めるべきだったと語る晩年のオッペンハイマー。


無限の可能性を秘めた技術を目の前にした時、科学者はそれを使ってみたい誘惑にかられる。フリーマン・ダイソンさんの言う "technical arrogance" (技術に対する傲慢さ) に目を眩まされるのである。現代の問題は多かれ少なかれそこから生まれているのかもしれない。後戻りできない歩みもそこから始まったと言えるだろう。








dimanche 18 mars 2012

ジュリアン・バーバーという科学者、あるいは時間とは

Lunatique neonly no 1 (1997)
François Morellet (1926-)



わたしの理想とする研究生活を送って来られた科学者がいることを知る
その名はジュリアン・バーバーさん(Julian Barbour, 1937-)
今年75歳になる理論物理学者だ(ホームページはこちらから)
1999年のインタビュー "The End of Time" を読んでみる

バーバーさん独特の世界観と人生観が見えてくる
インタビューの時点で35年の研究成果は、この世界には今考えられているような過去も未来もなく、あるのは現在だけというもの
リー・スモーリンさん(Lee Smolin, 1955-)は、彼こそ真の科学者にして哲学者だと言っている

研究スタイルもユニークである
大学をイギリス、大学院をケルンで終えた後、インディペンデントな立場で研究を続けて来られた
アカデミアに入り、コンスタントに論文を書くというタイプではなかったことが理由とのこと
自分の中から出てくるアイディアについて、どこからのプレッシャーも感じることなく研究をしたかったのだという
同じくイギリス人のダーウィンが30代にしてケント州ダウンに引き籠り、研究に打ち込んだ姿を思い出す
ダーウィンには財産があったが、バーバーさんの場合はロシア語の翻訳で生計を立ててきた
一人で研究できる領域にいたならば、わたしもそういう道を模索したかもしれない

彼の興味は、宇宙とは何であり、それはどのように動いているのかという根源的な問である
古典的物理学と量子力学との関連を探る中から辿り着いたという
その中で、特に時間について考えることにしたようだ

彼の話を聴いてみたい




このビデオで言われていることのすべてを理解できたとは思わない
ただ、ぼんやりと見えてくるその主張にはそれほどの違和感は抱かなかった
そして何よりも、ジュリアン・バーバーという存在の明晰さ、快活さ、軽快さに目を開かされた
時間には、直線的に周囲とは関係なく過去から未来に向かって規則正しく流れるニュートンの絶対的時間とアインシュタインの相対性理論が唱える時間と空間が一体となり、空間の影響を受ける相対的時間があり、量子力学の世界ではニュートン的な時間が流れているという。ミクロの世界で有効な量子力学の理論とマ クロの世界で有効なアインシュタインの相対性理論を統合する理論を求める営みがされているが、そこで問題になるのが時間で、時間の消失が統合の一つの解決になる。バーバーさんも時間は存在しないという立場を採っている。

今という時間を捉えることができるのかという疑問を出している。マクロの世界では、ある一瞬に大きな変化は見えないので今を捉えているように感じるが、ミクロの世界に入ると原子や分子、細胞に至るまで何一つ留まっているものはない。つまり、今という一瞬を捉えることが極めて難しい。一瞬たりとも同じわたしであることはないのである。今という一瞬は一瞬であると同時に、そこでは何も変わらないという意味で永遠でもある。

一瞬一瞬はそれ自体で完結した世界であるという見方は、どこかに向けて進むモメンタムのないエネルゲイアに繋がるようにも見える(エネルゲイアをわれわれの生に取り込む 、2010-1-2)。一瞬のすべてが同時に存在 しているという点で、量子力学の統計的にしか決めることができない世界、さらに言うと、すべての可能性が同時に起こっている世界とも共通点があるようにも見える。

これを日常の感覚で理解することは大変である。しかし、この地球が自転し、さらに太陽の周りを回っていることを日常感覚で捉えることができますか、と問われれば、ミクロの世界で起こっているとされるものを真っ向から否定することもできない。一瞬一瞬が閉じ込められた多くのスナップショットを示しながら、これらすべてがわたしの宇宙だと説明しているのを聞くと、全く考えられない世界とも思えなかった。

このインタビューからかなり時間が経っている。その後の進展を知りたいものである。


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lundi 19 mars 2012


一夜明け、なぜバーバーさんの時間の考えにあまり違和感を感じなかったのかがわかる記事を書いていたことを思い出す

ひとつは、過去にあったすべての自分を現在に引き上げ、そのすべてとともに生きるというものだ
そこではいわゆる古典的な時間の流れは考えているようだが、それを超えて生きようとする姿がある
丁度、これまでのスナップショットを現在のスナップショットとと一緒にその辺りに並べている印象がある

過去の自分を現在に引き戻す VIVRE AVEC LE MOI DU PASSE (2007-01-30)

これは過去と現在の関係だが、現在と未来との関係についてもこんなことを書いていた
ある日、写真を撮るのは今というよりは未来の自分に向けてのメッセージとしての意味合いがあると気付くことになった
つまり、未来が現在になった時、上のお話と同じように今撮ったスナップショットが並べられることになる

時空を超えたやり取り ECHANGE AVEC MOI DU PASSE OU FUTUR MOI (2006-10-14)

バーバーさんのビデオが写真を撮っているところから始まった時に不思議な感じがしていた
それは、彼の話がそれほど違和感のないものになるのではないかという予感のようなものだろうか
こうしてわたしの過去を現在に引き戻してみると、益々彼の時間の考えに近いことがわかってくる
これまでにも書いてきたが、このように過去が今に蘇る時、微風が頭の中を吹き抜けるのである





vendredi 16 mars 2012

免疫という言葉の意味から考える

今週のセミナーから印象を書いてみたい
演者は米国はニュージャージ州立ラトガース大学のエド・コーエンさん
演題は、If immunity doesn't exist is it still real? or, a vital paradox

お話によると、ご自身が数度の手術、自己免疫病(クローン病)などを経験されている
非科学者が自らの経験から免疫に興味を持ち、今ではそれを専門にしている
科学者としてではなく、あくまでも哲学者の視点から免疫という現象について考えている
最初は免疫という言葉の使われ方から入り、その不思議さに気付いたようだ

免疫(immunity)とは、そもそも生物学的な概念ではない
古代ローマに始まる法的、政治的な概念である
防御・防衛(defense)という言葉も元々は政治的概念である
今から350年ほど前、トマス・ホッブスさん(1588–1679)が自衛を第一の自然権として定義したのが最初になる

「防御としての免疫」(immunity-as-defense)という考え方がある
免疫と言えば、このように一般には受け入れられている
これは19世紀終わりにイリヤ・メチニコフさん(1845-1916)によって導入された
ここで初めて免疫と防御という概念が繋ぎ合わされた上、生物に応用されたことになる

immunity はラテン語の immunitas に由来し、納税などの公的負担や義務の免除を意味した
例えば、古代ローマの運動選手などは市民の義務を免除され、競技に専念できた
immunitas を得ると自動的に外の影響から守られることになる
つまり、defense の必要がなくなるのだ

コーエンさんはご自身の3つの疑問を提示した
ひとつは、なぜ生物現象に免疫という政治的な概念が使われたのか
ふたつ目は、なぜ免疫と防御という相矛盾する言葉が繋ぎ合わされたのか
三つ目は、防御という概念とは何か

これから先の議論は、政治哲学などの背景を知っていなければ付いて行くのが大変である
ご本人は、この研究が科学者のリサーチ・プログラムにも寄与できないかと考えているようであった
しかし、科学者の興味を惹くのはなかなか大変ではないかというのが第一印象である
ここでは出てきた名前を控えるだけにしておきたい
プラトン、ヘーゲル、ジルベール・シモンドン(Gilbert Simondon, 1924-1989)、

トマス・ホッブス、ベルナール・スティグレール(Bernard Stiegler, 1952-)、

アンリ・ベルグソン(1859-1941)、ミシェル・フーコー(1926-1984)、

ロベルト・エスポジト(Roberto Esposito, 1950-)、など


コーエンさんは2009年に A Body Worth Defending (Duke UP)を出版している

今回のお話を理解するには、この本に当たる必要がありそうだ