先日、神戸で開かれた免疫学会で 「免疫を説明する」 という演題で話をさせていただいた
免疫学を哲学する、とでもいう内容である
このような話をする時いつも気になるのが、現場の科学者の反応である
科学者や科学という営みに何らかの刺激を与えることができないかという願いがあるからだ
哲学という領域に閉じ籠もっていたくはないということでもある
講演の後にコメントをいただいた武田昭様にお礼のメールを差し上げたところ、以下のような文章が届いた
インターフェースから語りかけたいという考えの持ち主にとって嬉しいメールであった
これからの研究者にとっても有益なメッセージが含まれていると考えたので、以下に転載したい
転載を許可していただいた武田昭様には改めて感謝したい
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矢倉英隆 先生
メール拝受。ありがとうございます。神戸の免疫学会における先生の御講演、大変、感銘いたしました。
私は臨床医ではありますが、長らく、免疫学領域の研究に携わって参りましたので、免疫学の根幹が、いわば哲学的な発想に起源をもつことに、いかばかりかの理解を持つ人間ではあり、このたびの先生のお話に、とても魅了されました。近年の、実利的・物質的な研究が隆盛を極めている日本の免疫学の現状を見ますと、ややもすれば、大局的・俯瞰的な視点が希薄になってしまっているのではないかと、危惧する者の一人です。とくに、今の免疫学会における若い研究者の方々の発表の中には、細かい実験Dataは豊富ながら、しばしば、その研究の座標軸が判然とは見えず、したがって自分たちのおこなっている研究の位置づけに対する意識が(それゆえにパッションが)、なかなか伝わってこない場合も少なくないように感じています。
かつての日本の免疫学を推進してきた多田先生たちの世代、いわば研究者としての品格をもつカリスマ的な先達が、一線から姿を消していることも要因の一つかも知れません。こうした変遷する時間軸の中で、今回、矢倉先生のレクチャーが、本学会で披露されたことは、大変意義深い歴史的イベントであると、実感しております。
私の浅薄な研究生活の中で、恐れながら、免疫学ならびに免疫学研究の、他の分野には見られない醍醐味は、その複雑性・多様性を包含するシステムの普遍性を求めるところにあるのではないかと、感じております。
そこに、人間的な、あるいは形而上学的な、思索というものの入り込む素地が存在するのではないかと思っております。矢倉先生の御講演によって、日本において、さらに多くの若手研究者が、免疫学の、本来の魅力と、その広い影響力に開眼し、これからの本邦の真の免疫学の発展に参画し貢献してくれることを願っております。先生のますますのご活躍を祈念いたします。武田 昭国際医療福祉大学病院 アレルギー膠原病科聖路加国際病院 アレルギー膠原病科*(非常勤)
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