dimanche 27 mars 2011

考えるということ、あるいは一人になること




Voltaire
(21 novembre 1694 - 30 mai 1778)


そのことをはっきり意識したのは、もう15-6年前のテレビ討論だった。それは 「患者よ、がんと闘うな」 を出したばかりの近藤誠氏とどちらかのがん病院の臨床家との間で行われていた。終始落ち着いていた近藤氏に対し、外科か放射線科の先生は時に感情的になり反論していたが、まともな反論にはなっていなかった印象が残っている。なぜそうなるのかを考えてみると、一つのことに思い至った。それは近藤氏が自らの中から出た疑問をもとに実際の記録に当たり、それを自らの責任において判断したのに対し、臨床家の先生はその領域で是とされていることを如何にうまくやるのかにだけ注意が集中していたのではないか。さらに言うと、自らの属する社会(学会)の空気の中にいて、その中から発言していたからではないのか。この場合、無意識に行われているよりは意識的である可能性が高いと想像できる。一人で考えない場合には、同じ意見を共有する人がたくさんいるということで自らの責任についての意識が弱くなるか、全く失われてしまう。つまり、後者の場合には自らの行いを外から見るという視点が欠落していて、ここの定義で言えば考えていないのである。この臨床家だけではなく、専門化の著しい今日においてはほとんどの人が考えていないと言ってよいだろう。考えるためには 「そこ」 から出て、一人になければならないのである。そうしなければ、事の重大さを何も感じることができないだろう。自らが学ぶということもないだろう。

このことを思い出したのは、今回の地震・津波・原発災害においても同じような対比が認められたからである。癌の根治治療を原発に置き換えれば、状況がよく見えてくる。原発の危険性を考え、訴え続けてきた人たちがいる。彼らの姿を見ていると、実に落ち着いている。自らの中から出た疑問をもとに調べ、自らの責任において判断した考えを語っているからだろう。原発を推進してきた人たちの話を見聞きするところまで行っていないが、文字で見る限り皆さんが学会や多数の空間にいると感じており、その中に身を委ねているように見える。そのような状況では結論が先に来ていて、最悪の場合にはそれに合わせる論理を組み立てるという技術の問題にしかならない。一人になると迫ってくるであろう問題が自らの中に反射しないだろう。したがって、その問をどう解決しようとしたのかという思索の跡が見えてこない。考えていないのである。これから今回の災害の検証が行われるだろうが、その時にこのような精神運動が伴わなければわれわれは何も学ぶことなく、また同じことを繰り返すだろう。

これは 「専門と責任の関連を考える」 (2010-05-16)で触れた問題とも繋がる。今の世界を取り巻く問題の根にこれがあるように見える。しばしば使われる思索の結果としての哲学ではなく、その過程を意味する哲学がこれから必須になる。それは個別の問題に入る前の態度をわれわれに教えてくれるからである。それなくして生き生きとした国の再生は難しいように思える。




lundi 28 février 2011

「出来事」 に忠実であること、それが人間になる道


« La musique n'est rien si on ne peut pas l'entendre. »

(音楽はそれを聞くことができなければ何ものでもない)


先日取り上げたばかりのアラン・バディウさん(1937年生まれ)についての文章に出会う。この部分、どこかでこの場のテーマとも繋がっているように見えるので、振り返っておきたい。

1988年に大著 「存在と出来事」 (L’Être et l’Événement)を発表したが、英訳されたのが2005年とのこと。主流からの距離を感じる。バディウさんの言う 「出来事」 とは、それによって主体を実行や真理との和解に至らしめるもの。全なるものを超え、揺さぶり、全ならしめないようにするもの。それは新しい可能性の創造であり、この可能性こそ真理である。主体にとって真理と出会うとは、「出来事」 に忠実に向き合うことなのである。バディウさんによる人間とは、すべての人間が共有する条件で規定される死や有限性から脱した時にしか実現しないもの。つまり、われわれはプログラムされていないし、無限、絶対、あるいは考えられている人間の性質を超えたものにも到達できるのである。そして、これこそが唯一の生の徴である。

ところで、ペーター・スローターダイクさん(1947年生まれ)はこんなことを言っている。ヘーゲルは哲学は日曜にやる贅沢な活動なのだと言った。しかし、その後の哲学者はそれを昼夜を問わない強制収容所の労働に変えてしまった。神が創造に一日の休息を必要としたのだから、人間は二日は休む必要がある。哲学は歴史を瞑想することなしには成立しないのである。

スローターダイクさんの言葉に従ったわけではないが、午後から瞑想のため散策に出ることにした。すでに解釈されているバディウさんのお話をさらにパラフレーズできないか探るため。その結果、このようなものが出てきた。

「われわれが日々の生活で出会うことの中に、存在に楔を入れる 『出来事』 が混じっているはずである。それに気付き、それに忠実に向き合うことから新しい可能性が生れる。その可能性を見出すことこそ真理の発見なのである。また、自らをプログラムされた存在と見る決定論を超え、人間として一般に想定されていることを超える視点を手に入れた時にしかわれわれは人間に成り得ない。全なるものとして存在しているかに見えるわれわれは、実はこの 『出来事』 が加わることによって初めて全なるものに近づくのである。『出来事』 を積み重ねる中で、われわれの生の証でもある無限や絶対に到達できるのである」

醒めて眺めると、すでに決められたジェネティクスだけではなく精神の(?)エピジェネティクスが重要になるとでも言えそうに見える。ただ、エピジェネティクスと言う場合、生活の中で起こる変化の結果を離れて見ている印象が強い。バディウさんの哲学は、外から刺激を受け入れるその時にわれわれがどう向き合うのか、その結果をどう処理するのかという態度に影響を与えそうである。それからこういうバージョンも浮かんできた。

「眼に見える変化(例えば、病気など)の場合もそうかもしれないが、気持ちの上でどうもしっくりこないと感じる瞬間に出会うことがある。それは、この状態 は自分ではない、自分が活かされるところは違うのではないかという違和感のようなものを感じる時である。その時は実は自分の中にある新たな可能性に繋がる 創造のチャンスなのではないか。そうなるかどうかは、ひとえにその変化にどう向き合うのかに懸かっている。その時に重要になるのが、自らの歴史に踏み込 み、考え、瞑想することなのではないだろうか。これは個人のレベルに限らず、社会や国についても当て嵌まるだろう。それを意識的にやるのか、やり過ごすの か。それがその社会の未来を決める。その社会の持っている新たな可能性を発見できるかどうかを決めることになる」


バディウさんは難しい形而上学を展開していると言われる。
その実物に触れる日が来るのか、そしてその日が 「出来事」 になるのか。
これから注意深く観察していきたい。


政治と哲学の不可思議な関係: アラン・バディウさんの見方 (2011-02-19)
創造を完成させる瞑想 (2010-11-12)


mercredi 23 février 2011

« Philosophie et Immunologie » で科学知から一般知への変換を考える


"The first thing we have to consider is how to convert the vast amount of
information
that we are accumulating into knowledge."

Sydney Brenner (2008)


二年ほど前、「哲学と免疫学」と称するグループがパリにできた。月に一度、免疫学者を主とした生物学者や哲学者の話を聞きディスカッションするという、いかにもフランスらしい(?)会になっている。世話人はコレージュ・ド・フランスのレイラ・ペリエ(Leïla Périé)、コーシャン研究所のフランソワ・アスペルティ・ブルサン(François Asperti-Boursin)、パリ第4大学ソルボンヌのトマ・プラドゥー(Thomas Pradeu)の3名の若き免疫研究者と哲学者である。

参加者はパスツール研究所、コーシャン研究所、ネッケル病院、ピティエ・サルペトリエール病院などの研究者、どこからともなく現れる哲学者や哲学科の学生、それに極普通の好事家も混じっているのではないかと想像している。参加者の数はその時で異なるが、大体10-20名くらいだろうか。これまでに取り上げられたテーマは、免疫理論、細菌と免疫、dangerという概念、免疫学的ホムンクルス、機能と統合レベル、自己と非自己、昆虫の免疫、異種認識、免疫応答の系統発生、プログラム細胞死の起源などで、科学者の演者は、Gérard Eberl(パスツール研)、Mireille Viguier(コーシャン病院)、Irun Cohen(ワイズマン研)、Anne Marie Moulin(CNRS)、Carla Saleh(パスツール研)、Anthony De Tomaso(カリフォルニア大学サンタバーバラ校)、Jules Hoffmann(ストラスブール大学)、Eric Vivier(マルセイユ免疫学センター)の各氏が含まれている。



2011年1月、Jules Hoffmann 博士の講演前

前列右からHoffmann、Périé、Marc Daëron(パスツール研)、Pradeu、
後列右から2人目はEberl、3人目はJean Davoust(ネッケル病院)の各氏


会は彼らの話を聞いた後に意見を交わすという普通のセミナー形式の他、演者が20分程度発表した後に若手の哲学者がディスカサントとして哲学から見た問題点を指摘するという形式の時もある。科学のセミナーの場合には、科学者の皆さんが忙しいためか、空論を嫌う性なのか、討論はせいぜい10分程度でそれを超えるようであれば別の場所で、というようなやり方を採っていたように記憶しているが、哲学のセミナーになると講演時間と同じくらいかそれ以上の時間が討論に費やされることもある。それがフランスのせいなのか哲学のせいなのかわからないが、最初は驚いた。そこでの討論の特徴は科学の発見を上から見るということ、実験の細かい内容ではなく、そこで見つかってきたことに含まれている意味について考えるという姿勢ではないかと思う。つまり、異なる科学の領域、さらに科学以外の領域にいる人にとっては、それぞれの枠組みの中に発見のエッセンスを入れ直して考えることになる。そこに科学の成果が日常の考え方の中に入り込む可能性があるのではないかと感じるようになってきた。

リチャード・ファインマン博士はほぼ半世紀前の講演(『科学は不確かだ!』)で、現代科学の状況をこう分析しているが、現在でもそのまま当て嵌まるだろう。

「科学が芸術や文学、人間の精神的姿勢や理解などに大きな役割を果たしていないという点では、僕は現代を科学的時代だとは思いません」

また、ジャワ文化では詩として謳いあげることができるところまで行かなければ知識とは言えないという。科学の営みから生まれた膨大なデータが横たわったまま歴史の闇に消えるのを待っているだけだとすれば人類にとって大きな損失だろう。われわれの時代を科学時代とするためには、冒頭の引用でシドニー・ブレナー博士が指摘しているように、科学知をわれわれの日常レベルにまで下ろして一般知に転換する作業が求められるのではないだろうか。現段階ではこのプロセスの必要性はほとんど理解されておらず、財政的支援もない状態にある。科学者と科学の周辺領域の人たちとの共同作業はシーシュポスの歩みのようにも見える。しかし、それこそ科学を十全に生かす上で欠かせない、しかも面白さを秘めたことになる。「哲学と免疫学」という小さな集まりの意図とは別に、このような営みの中に科学を日常に下ろす上でのヒントが隠されているように感じている。われわれが今すぐできることの一つは、このところ失われつつある態度、すなわち自らの専門から出て「領域を超えて・・・について語り合う」という態度を取り戻すことではないだろうか。そこから何かが動き出す予感がしている。

最後に、科学と周辺世界との関係を考える上で示唆に富むリチャード・ドーキンス博士の言葉を引用して終わりたい。

「科学者ができるもっとも重要な貢献は、新しい学説を提唱したり、新しい事実を発掘したりすることよりも、古い学説や事実を見る新しい見方を発見することにある場合が多い。・・・わたしは科学とその『普及』とを明確に分離しないほうがよいと思っている。これまでは専門的な文献の中にしかでてこなかったアイディアを、くわしく解説するのは、むずかしい仕事である。それには洞察にあふれた新しいことばのひねりとか、啓示に富んだたとえを必要とする。もし、ことばやたとえの新奇さを十分に追求するならば、ついには新しい見方に到達するだろう。そして、新しい見方というものは、わたしが今さっき論じたように、それ自体として科学に対する独創的な貢献となりうる」

(「利己的な遺伝子」1989年版へのまえがき)


lundi 21 février 2011

科学と哲学の将来について



先日の日本滞在中にお話した先生から科学と哲学についての質問が届いていたので、現在の考えを以下のようにまとめて送った。

----------------------------------

興味深いお話をありがとうございます。

先生のお話は科学と哲学の関係を考える上で重要な問題を含んでいると思います。結論からになりますが、科学という大きな営みの中における科学者と哲学者の役割は別ものだというのが現在のわたしの考えになります。科学者は具体的な実験データなどから科学的事実(一時的真理)と言われるものを引き出し、科学の論理の中で整合性を取りながら次の疑問を出して前に進みます。そして、その発見が広く社会に影響を及ぼすことになれば評価されるというのが現状だと思います。したがって、普通の科学者は現在の評価基準に合わせて研究しているのだと思います。

この過程における哲学の関与についてですが、ノーベル賞学者の中にも、所謂哲学は科学の現場には不要であるばかりか有害であるとさえ言っている人がいます。わたしの現役時代もこれに近い立場を採っていたと思います。大部分の科学者も日常の科学を進める上で哲学は必要ないと考えているのではないでしょうか。どれだけの一流の科学者が哲学を勉強しているでしょうか。科学的成果と哲学の間に相関があるようには見えません。

それでは哲学は何をするのか、ということになりますが、これは哲学者の数だけの役割が考えられているのだと思います。わたしの印象では、古代ギリシャからの伝統として哲学には全体に対する視線があり、部分を知る人よりは全体を知る人の方を賢いと考えるところがあるように思います。それから哲学による知は反省による知だという考えがあります。つまり、哲学者は科学者が出す知(先生の言葉では真理になるでしょうか)と同じものを出すのではなく、科学者の出した知について考え、ある領域の中に留まらず、異なった領域での知とも関連付けながら科学知に新しい次元を見出すこと、科学者の頭にある科学知を超えたより広い枠組みに入れ直された新しい見方、新しい知を提供することではないかと考えています。

科学の役割として人類の幸福や福祉に役立つものを生み出すことが第一に挙げられますが、そこで考えられているのは多くの場合物質的なものの提供ではないかと思います。その考えが広まると、科学の外にいる人は科学を打ち出の小槌と見て、そのような結果を要求することになります。わたしは、それ以上に重要なこととして人間や社会における自由との関連を考えたいと思っています。歴史を見れば明らかですが、真っ当な科学が成立するためには自由な社会が必要になります。同時に、自由な社会を維持するためには科学精神が不可欠になると思います。

証拠に基づく議論が展開せず、論理に合わないことが蔓延っている社会では、理に叶わないことを指摘できる空気が失われることになります。自由な議論が損なわれる社会がその行き先をしばしば誤ることを考えると、自由な科学精神を培うために科学が必要なのだという視点で科学を捉えることが重要ではないかと考えております。そして、その視点から科学の教育や普及がされなければならないと思っています。そうすることにより、科学精神が一般の人の日常の考えや行いの中に入り、科学に何かを求めるのではなく、科学精神を使おうとする視点が得られるのではないかと考えています。ただ、日本では自由に対する感度が鈍いようにも見えますので、少々楽観的かもしれませんが。この点を強調するのは、こちらに来てから文系の教育を受けていますが、そこでは今言ったような意味での科学精神は身に付かないのではないかという印象を持っているからになります。

科学と哲学の今後ですが、哲学の側はこれまで科学を対象として膨大な仕事を残しています。一方、科学の側は哲学が科学の現場に役立つかどうかという視点から哲学に対して否定的な見方を採っていたように思います。しかし、科学と哲学の目指すところは大きな意味での科学知の確立という共通のもので、そこに至る道が異なっているに過ぎないことを科学の側が理解する必要があるのではないかと思います。その理解の上で科学と哲学が積極的に交流することは、より深い自然の理解に繋がるだけではなく、上で言った意味での科学の普及にもよい影響が出るような気がしています。

日本には一色に染まりやすく(自分なりに考えて、その考えを表明することをせず)、批判や論争が起こりにくい状況があり、その意味では科学精神溢れる自由な社会とは言えないかもしれません。ただ、今回の滞在で強く感じたことは、今の日本の科学者は哲学的思考や深く考えることに飢えているのではないか、ということです。日本は哲学の未開地ですが、将来へ期待を抱かせる何かがあるような印象をもって帰ってきました。

少し長くなりましたが、現在の大雑把な考えになります。
ご意見をいただければ幸いです。


samedi 19 février 2011

政治と哲学の不可思議な関係: アラン・バディウさんの見方



先日、アラン・バディウAlain Badiou ; né à Rabat, Maroc, le 17 janvier 1937)さんのこの本に出会う。

La relation énigmatique entre politique et philosophie (Germina, 2011)

久しぶりにパリの時間が流れる中、バディウさんの議論に集中できているのに驚きながら、その場で本のタイトルにもなっている最初のエッセイを読み終える。以下に思いつくまま綴ってみたい。

------------------------------------------------------------

哲学が生まれるためには哲学ではない事実が必要になるが、それはしばしば科学である。例えば、プラトンデカルトライプニッツにとっての数学、カントホワイトヘッドポパーの物理学、ニーチェベルグソンドゥルーズの生物学など。これらはバディウさんが言うところの哲学の 「条件」 となるが、ご本人は科学の他に政治、芸術、愛を哲学の条件としている。具体的には、「無限」 についての新しい概念、革命的政治の新しい形式、マラルメランボーフェルナンド・ペソアオシップ・マンデリシュタームウォレス・スティーヴンスの詩やサミュエル・ベケットの文体、そして新しい愛の形を彼は哲学している。

哲学は常に非哲学的なもの(すなわち 「条件」)の後を追っている。ヘーゲルがなぜミネルヴァのフクロウは黄昏時に飛び立つという話を持ち出したのかがよくわかる。知識、経験、実生活が進行する明るい時間が終わった後に初めて哲学が現れるからである。ドゥルーズも科学が出した知を統合することが哲学の役割であるとしている。したがって、哲学の未来はその条件にいかに適応するかにかかっている。哲学が動き出すのは、新しい知が生まれてくる時、あるいは文明が疲弊し、未来が見え難くなる時である。バディウさんの師であるアルチュセールは、哲学は科学に依存する、哲学には歴史はなく常に同じものである、したがって哲学の未来は過去であり、同じことの繰り返しだ、と言っているという。

哲学の歴史を一瞥すると、デカルトの後の形而上学は科学を必要とし、カントの後には古典的な形而上学が不可能になり、ウィトゲンシュタインの後には言語の哲学を無視できなくなるという不可逆的な流れに見える。しかし、それは絶対的なものではなく、過去と現在が繋がることもある。例えば、ドゥルーズの中にライプニッツやスピノザを、サルトルの中にデカルト、ヘーゲルを、メルロ・ポンティの中にプラトン、ヘーゲルを、そしてスラヴォイ・ジジェクの中にカント、シェリングを見るのである。

それでは、アルチュセールの言う同じこととは何だろうか。ひとつは哲学が反省による知であるとする立場で、真理に関する理論的な知と価値に関する実践的な知を求めるもの。ここでは教授による学校教育による学習や伝達が必要になり、このことは古代ギリシャからよく理解されている。第二の立場は、哲学とは理論的・実践的知ではなく、個人の変容、根源的な改宗、存在の動転、あるいは芸術的創造性などで、方法は合理的だが宗教、愛、政治的アンガジュマンに近く、行動と結び付くものである。こちらは学校での学習には馴染まず、人から人へ個人レベルで自由に語られるものである。丁度、ソクラテスがアテネの街角で若者に語りかけたように。

ソクラテスはそのため若者を堕落させた罪で死刑を言い渡される。この堕落の罪とは、すでに確立されていることに盲目的に従うことを拒絶できること、社会の規範に対する考えを変える手段があること、模倣や承認に代わり討論や合理的批判を取り入れること、そして事が原理原則に関わることであれば服従ではなく反抗を選択できることを教えたことである。ここでの反抗は野放図で過激なものではなく、アルチュール・ランボーの言う "révoltes logiques" (論理的反抗)である。

マルクス主義者アルチュセールにとって、唯物論こそ革命的であり、観念論は観察者に留まるもので悪であった。このように哲学的行動には規範が伴い、知識と意見、正しい意見と間違った意見、真と偽、智慧と愚行、肯定的立場と批判的立場の分離と識別がある。また、哲学にはすべての理論的・実戦的な経験を再構成する性質があり、既存の秩序を転覆する可能性が潜んでいる。反逆することに理があれば、ヒエラルキーの逆転が起こり得るのである。




ここで哲学と政治の関係を眺めてみたい。哲学が自由な思考、民主的な営みを条件にしているのに対して、政治は必ずしも民主的ではない。古代ギリシャにおいて、哲学の前提は民主制であり、哲学にとっての政治は省察の対象であった。民主制が自由を求めるのに対して、哲学は真理を求める。もし政治に真理があるとすれば、そこには義務が含まれ、自由が制限される。それでは、なぜ民主制が哲学の前提になるのだろうか。哲学では語る人の出自は一切関係がなく、語る中身が問われるからである。真理の探究がすべての人に分け隔てなく開かれているからである。ただ、この精神は平等だが、すべての意見が同等に扱われるわけではない。哲学では意見と真理を区別する。多数の意見と真理の普遍性とを区別する。一方、政治においては平等と普遍性が求められるが、それが正義になる。正義においては自由よりも平等が重要になる。普遍性が個別性より重視される。つまり、正義と自由は必ずしも相容れず、民主制を個人の自由の表現だと定義すると問題が生じるのである。

以前に別ブログで少しだけ触れたフランス革命の1792年から94年に及ぶロベスピエールを中心とするジャコバンによる恐怖政治を見てみよう。ここには個別性と普遍性の対立があった。サン・ジュストは徳が失われたところには恐怖が不可避で、それを正統化するのが大衆の意志だとした。その結果、個人の自由の上に平等を、個々の利益の上に普遍性を据え、その目的のために頑ななまでに恐怖政治を遂行することになった。

そこでバディウさんは言う。現代社会には多くの不平等が罷り通っていて正義はない。その意味ではジャコバンが言った徳をわれわれは持っていないのである。サン・ジュストの問い掛け、徳も恐怖も望まない人は何を望むのか、に対する答えは 「腐敗」 だったのだ。この腐敗をバディウさんは精神的なものと理解している。すべての原理に照らしておかしなことが行われているにもかかわらず、そこで利益を得ている多数の人たちはあたかも最良の世界にいるかのように、反抗する者や外から入ってきた適応できない者が迫害されるのを見過ごすのである。

 民主制 ⇒ 哲学 → 政治(正義)

民主制は哲学の上流にある。一方、正義は民主制と直接の関係はなく、政治の領域の真理に付けられた哲学的名称である。それ故、哲学と政治と民主制の関係が曖昧になるのである。

数学では先ず公理を選ぶ自由が与えられるが、一旦選ぶとそれから先は論理に基づいて決定され、その結果を受け入れなければならない。ある意味では、そこに普遍的な平等が見られる。最初に革命か保守か、個人か集団かの選択があり、その後の結果がどんなものであれ受け入れることになる。その過程では、意見の表明や個人の生活の自由を犠牲にして原理の達成に務めるが、最後に辿り着くのは民主的な体制ではなく、敵を粛正する独裁制になるのである。つまり、民主制にはレーニンの言う最終的な形態としての民主制と集会やデモなどの集団で行動する手段としての民主制の二つの形がある。皮肉なことに、前者には革命的な要素も正義も見られなくなる。一方、後者は規範や目的を持たず、あくまでも政治的真理を見出すための一つの手段にしか過ぎないのである。


mercredi 16 février 2011

解るということは自分が変わること、あるいは科学の普及



阿部謹也著 「自分のなかに歴史をよむ」 (ちくま文庫、2007年、初版1988年)

散策途中、この本を立読みする。その中に著者の師である上原専禄氏の言葉を発見。手に入れることにした。反応した言葉とは、

 「解るということはそれによって自分が変わることでしょう」

この言葉はよくわかる。単に知識の羅列では駄目であることは明らかだが、知識の間のつながりを見つけるだけでも十分ではないだろう。そこから引き出されたことを自らが生きるところまでいかなければならないはずだ。阿部氏の場合には学生時代からこの問題を問い続けてきたとあるが、私がこのことに気付いたのは、フランスに渡るわずか数年前で、今から5-6年前のことではないかと思う。その時は、自分の体が反応し、動き出すような感覚を伴っていた。そして、実際に体が動くことになり、今に繋がっているような気がしている。

それでは科学で扱う現象を理解するとはどういうことになるだろうか。自然科学の理解は社会科学における解ることと同じなのだろうか。一見すると、科学における事実は理論の中にあり、人を動かす性質はないように見える。もちろん、科学者が研究に打ち込み、その中で科学者の内側が変わることは容易に推測がつくが、そこで見つかってきたことを理解した時にどれだけの人が変わる経験をするだろうか。極めて少ないような気がする。

そこで考えなければならないのは、科学の分野における知を科学の言葉のままにしておくのではなく、そのエッセンスを日常の言葉に置き換える必要があるのではないか、ということ。その過程で、人文科学や社会科学、さらには小説や哲学などの知が有効になるのではないかと考えている。それは科学の成果をわかりやすく説明するだけでは不十分であることを意味している。そのレベルを超えて、科学の知見にいろいろな角度から光を当て、そのエッセンスを抽出するところまで持っていくことが重要になるだろう。具体的には、専門用語で記述されている科学の成果を知的レベルを落とさずに別の概念や言葉に置き換える作業から始まり、それを日常の言葉に転換することではないだろうか。

昨日触れた科学が文化として成熟し、われわれの生活の中に落ち着くまでには長い道のりが待っている。科学が打ち出の小槌として便利なものを生み出す手段だと考えられているうちは、科学の普及の目的は達成できていない。科学やその背景にある精神がわれわれの日常に重要であると広く認識された時、新しい時代が始まるはずである。


samedi 29 janvier 2011

江戸の普遍人、平田篤胤




平田篤胤
(1776年10月6日-1843年11月2日)


先日、荒俣宏さんと平田篤胤の末裔で篤胤神道宗家の米田(まいた)勝安さんの対談本に目を通す。

 「よみがえるカリスマ平田篤胤」(2000年、論創社)

平田篤胤は荷田春満、賀茂真淵、本居宣長に連なる国学の四大人に数えられ、戦後は狂信的な国粋主義者として批判された人物。ただ、米田さんは篤胤を国学だけで評価するのは不当であり、その幅広い仕事を常人の守備範囲で理解するのは至難の業だと語っている。確かに、神道・国学に始まり、古伝、神代文字、文学、民俗学、宗教(仏教、儒教、道教、キリスト教、神仙道)、暦学、地理学、医学、蘭学、窮理(物理)学、兵学、易学などについて膨大な書物を残している。科学を学んだ上での文系の学問だったことが特徴になるだろう。彼の最終的な夢は、歪んだ江戸末期の世を改めること。そのためには、権力を倒せ!という政治運動に恃むのではなく、人々の考え方を変えるように教化するのが有効であると捉えていた。具体的には、日本の言葉、神についての考え方、暦、度量衡、そして科学を正すことであった。

子供の時から本を読むのが好きで、書き抜きもしていた。20歳の時、再び帰る道を断ち、秋田を出て江戸に向かう。この途中に猛烈な吹雪に遭い、宗教体験をした。米田さんによると、宗教への入口にはいくつかあるという。

まず、学問(哲学、倫理学、心理学、法学、天文学など)の方法論を通して教学を習得する学習的信仰。
第二に、論理の積み重ねではなく、個人的な神秘体験を通して信仰に至る体験的信仰。
第三に、自然現象から人間の力の及ばぬ世界を感性鋭く自覚して信仰に至る感性的信仰。
第四に、葬儀、お宮参り、初詣などの日常の慣習の中で信仰に至る慣習的信仰、など。

江戸に出て苦労した後、25歳の時に平田家の養子になり、篤胤を名乗る。以後学者の人生を歩むことになる。26歳の時に本居宣長の書に触れ、伊勢に出向き、宣長に入門する。同年、妻綾瀬を娶る。その翌年に長男が生まれるもすぐに亡くなる。32歳で元瑞を名乗り、医者を開業。篤胤37歳の時、31歳の妻が亡くなり悲嘆憔悴する。その経験が「霊能真柱」を書かせる。人間精神を確固にする根本は死後の霊魂の行方を明らかにすること。地獄極楽や天上黄泉の国に行くのではなく、天照大神の指示により大国主神が支配する霊界に行くとしている。そして、その霊界は地上にあり、霊魂はそこで永久に生きるのである。


篤胤は、学問というものは自分一代で完成できるものだけをやるのではなく、数百年、数千年と継承されて行くもので、未完の部分は後の学者に委ねればよいと考えていた。いろいろなものに興味を持ち過ぎて、手が及ばなくなったという批判は当たらないとは米田さんの指摘。篤胤の学問をまとめると、次のようになるだろう。

第一に、東洋医学、西洋医学を研究し、人体解剖までやり、人間とは何かという問に科学的に答えようとした。
第二に、天文・地理・暦学を研究し、時間・空間という基本概念を明らかにしようとした。
第三に、科学的研究ではわからない心、智慧、生前・死後、文化の発祥や未来、さらに人間の力の及ばない超常現象、幽冥、超能力などを解明しようとした。

この3つの柱は、科学、哲学、宗教と対応しているようにも見える。彼はあくまでも根本的な問題に興味を持っており、その方法論の基礎には合理精神、批判精神、科学精神がなければならないと考えていたという。これはディドロとダランベールの百科全書の精神と重なるものである。そこには、人間の精神の向上が伴わない知識だけの学者は失格であるという考え方があるように見える。当時の先端科学のみならず、人知の及ばない世界にも開かれていたその脳の中を、いずれこの目で見てみたいものである。


mardi 18 janvier 2011

瞑想生活のある社会 La société avec la vie contemplative


La vie de l'esprit de Hannah Arendt
(14. Oktober 1906 in Linden - 4. Dezember 1975 in New York)


先日、外出前にハンナ・アーレント(Hannah Arendt)のLa vie de l'esprit (精神の生活)の最初の方を何気なく眺めた。そこに、こちらに来る数年前に初めてはっきり意識した動的生活と静的(瞑想・観想)生活の対比が書かれ、12世紀の神学者サン・ヴィクトルのフーゴーHugues de Saint-Victor, 1096-1141)が引用されている。

  
Duae sunt vitae, activa et contemplativa.
Activa est in labore, contemplativa in requie.
Activa in publico, contemplative in deserto.
Activa in necessitate proximi, contemplativa in visione Dei.

動的と瞑想的な二つの生活がある。
動的生活は厄介なことが多いが、瞑想生活は完全な静寂の中で行われる。
動的生活は人に囲まれているが、瞑想生活は人一人いないところで行われる。
動的生活は身近な必要に迫られるものだが、瞑想生活は神の視線に捧げられる。


瞑想生活は精神の最も高いところにあるという認識は、西洋哲学の歴史とともにあった極めて古いものである。プラトンが考えると言う時、静寂の中で行われる自らとの対話を意味し、精神を開くために必須になる。つまり、考えることは瞑想を目指すもので、瞑想とは能動的なものではなく、静的で受動的なものである。精神活動が休息を見出す時でもある。

これを人間が構成する社会や国に当て嵌めるとどうなるだろうか。社会の精神が最高のところに至るためには日常に追われる動的生活だけでは不十分であり、瞑想生活を取り入れなければならないことになる。社会の瞑想生活とは日常を超えた形に見えないものについてわれわれが想いを巡らし、そこで共有された想いがわれわれの上に見えることが必要になる。そして、それとの対比で日常生活を送り、地上と天上の二つの世界を意識して社会の動きを見ることになる。それが瞑想生活のある社会のイメージになる。

それが実現するかどうかは、集団を作っている個人が瞑想生活の重要性に気付き、それぞれが瞑想生活を取り込んでいるかどうかに懸かってくる。そういう個人の生活がなければそれを社会に要求することは難しいだろう。突き詰めると、やはり個人の問題になる。日本の政治指導者の世界観や哲学の欠如という批判がされているが、それはおそらく正しいのだろう。ただ、同時に考えなければならないのは、われわれの精神生活がその批判に耐えるものになっているかどうかではないだろうか。瞑想によりこの世界の根源的な問題について考える時間を持っているかどうかが問題になる。そういう人間が増えなければ、いつまでも選択を誤ることになるだろう。

最高の社会が瞑想生活を取り込んだ社会だとすると、それは教育によるしかないような気がしてくる。科学だけではなく、それと並行して、歴史、哲学、文学などの教養が善く生きるために不可欠であるという教育に。個人の生活に瞑想生活が入るという変化が社会を動かす人の選択に反映され、それがさらに個人の生活に跳ね返ってくるという好循環に至るまでには相当の時間が掛りそうである。それだけにこの問題を考えて形にすることが急がれるように感じている。


ところで、今回ハンナ・アーレントの言葉を聞いている時、こちらに響いてくるものがあることを感じる。この方との付き合いはこれからも続きそうな予感がしている。


dimanche 16 janvier 2011

ジャン・マリー・ブイスーさんによる日本の科学 La condition de la science au Japon selon M. Bouissou



先日、「問われる科学」とでも訳すべきこの本にざっと目を通した。昨年、11月に出たばかりの科学者、哲学者数名によるもの。この中に「日本における近代科学受容の問題点 ― 渡辺正雄さんの見方」(2010年10月27日)で触れた点に関連することが出ていたので振り返ってみたい。近代日本の専門家ジャン・マリー・ブイス―(Jean-Marie Bouissou)さんは日本における科学をこう見ている。

「日本と科学の歴史はトラウマの歴史である。1853年における日本の技術レベルは3世紀前と変わらなかった。例えば、蒸気機関はなかった。日本人はその技術は知っていたが、政府がすぐにその使用を禁止した。文字通り、歴史を止め、社会を停滞させた。しかし、アメリカ船の到来で、すべてが変わった。自らの技術の遅れに気付き、蒸気機関を持っていなかった僅か30年後には驚異的な発展を遂げた。そして1905年にはロシアとの海上戦を制することになり、その数十年後にはアメリカに空中戦を仕掛けることになる。これほどの技術の進歩を見せた国はどこにもなかった。

この点を指摘した上で、日本人が技術の模倣に務めたにもかかわらず、1945年までは科学の本質的なところには特に興味を示さなかった。しかし、広島、長崎の経験で日本は科学に負けたと考えるようになった。そして、ベビーブーマー世代は科学万能、日本復興の旗頭の下で育てられる。ここでは漫画などによる科学の普及も行われた。しかし、80年代にこれが覆る。科学で西欧に追い付いても名声も得られなければ、国際的な尊敬も幸福も手に入らなかったので、科学への熱狂が冷え、特に若者は科学から遠ざかることになる。学生の科学のレベルの国際比較にもそれが表れている。科学がそのオーラを失ったのである。それに気付いた政府はコミュニケーションに力を入れ、公開討論や重要な政策の宣伝に努めている」


これを読んで思い出したのは、昨年参加したアメリカ科学振興協会の総会での日本、中国、韓国の政府関係者の発表である。そこで感じたのは、もちろん国内的なコミュニケーションも大切だが、それ以上に外に向けてのコミュニケーションが重要になるのではないかということだ。そのやり方がいかにも稚拙というか内向きに見えたのである。つまり、西欧と同じレベルの論理構成で話をしたり、特に共通の意識でそこに参加しているという姿勢に乏しい印象を与えるのである。戦後半世紀以上経っても対外的なやり方はあまり進歩していない、あるいは外の視線に対する感度が弱く、外に対する対処法を戦略的に考えていないのではないか、という感想を持った。それは、今のままではいつまでも彼らの枠の外にいる存在としてしか見られない可能性が高いという危惧でもある。しかし同時に、日本はそもそもそんなことはどうでもよいと思っているのではないかという諦めに近い思いも巡っていた。それは科学政策の関係者に限らず、広く政治のレベルにも浸透しているような気がしている。


jeudi 13 janvier 2011

アンリ・アトラン著 「試験管の中の哲学」に見る科学と神話 " La philosophie dans l'éprouvette " de Henri Atlan


La philosophie dans l'éprouvette

de Henri Atlan (né le 27 décembre 1931 en Algérie)


今日手に取ったのは、昨年10月に出てすぐに手に入れたアンリ・アトランさん(79歳)の「試験管の中の哲学」という対談本。その第一章「神話、過去と未来: タルムードからポストヒューマンへ」をゆっくり読む。生物学・医学だけではなく哲学もやってきた方なので、参考になるところが多い。アトランさんのご意見を拝聴したい。

-----------------------------
まず、生物学者であり、哲学者でもあることについて、それは可能であるし、時に望ましいことでさえある。人によっては哲学をやってから科学に入ったり、逆に科学から哲学に入る場合があるが、私の場合は科学と哲学を同時並行で続けてきた。高校の終わり頃からヘブライ語を始め、伝統的な文章を読むうちに自らの実存に関わる問題を考えるようになった。そこからプラトン、カント、ニーチェ、ベルグソンや現代の哲学者を読むようになり、哲学史において特別の位置を占めるスピノザに出会った。そして、長い時間の後、問の性質と解の性質との間にある違いに気付いた。それは、問が哲学的で理性に訴えるのに対し、解の方はしばしば神話に向かうということである。

高校時代から生物学に興味を持っていたので、医学を学ぶのは自然の流れであった。ただ、医学校が終わって気付いたことは、その知識が如何にも表面的だということ。そこで、物理学、生物学、さらに生物物理学を学ぶことにした。医学部で生物物理学教授をしていた最後の方では、幸いなことに実験研究をやりながら社会科学高等研究院EHESS)で哲学研究の指導を依頼された。

新しい人類、あるいはポストヒューマンの時代を向かえていると言われるが、人類の誕生以来、人類は人類で変わらない。もちろん、これからテロや中近東の紛争に触発された核爆発はあるかもしれないし、進化はするだろう。しかし、私が興味を持っているのは、20世紀という僅か100年で起こった人間の状態の変化である。それは二つしかない。一つは洗濯機で、もう一つは避妊薬。これが人類の半分を占める女性の人生を完全に変え、その結果男性も変わったのである。それでも問題になるのは、同じ人類の問題。100年前の戦争の時代の勇気、連帯、祖国愛などは、今は別の領域で発揮されるようになっている。古代の哲学者を調べても現代に通じる問題が扱われている。そこに古典を学ぶ意味がある。

人間は気候変動、汚染、戦争などの自らの未来に関わる問題について決断をしなければならないと言われる。しかし、ここで言う人間とは一体誰のことになるのか。一人の孤立した個人にはその選択の余地はない。抽象的な人間という概念は歴史的に作られたもので、ミシェル・フーコーが言うように、砂浜の絵が波に洗われるように消えてゆくだろう。

-----------------------------

途中から80年代にコルドバで開かれた現代科学と古代の伝統に関する会議の話に変わり、科学と神話の関係が問題になってくる。その話が面白い。

会に参加した一流の科学者の大部分にとっての唯一の理性は科学的理性で、他のすべては寓話であり妄想であるという状況の中で、量子物理学者の何人かは、科学の理性が変わり、奇跡的に古代の伝統と統合されるという考えに共感していたという。アトランさんは、理性は一つだけではなく、神話の中でも他の理性が存在するが、両者を混同しないこと、科学や神話だけですべてを説明できると考えないことが重要だと考えている。

古代ギリシャの哲学者が神話を用いていたように、中世のユダヤの哲学者も聖書や神話のテキストに当たっていた。ここで言う神話を非理性的と理解しないこと。そして、神話には一つの世界の見方が潜んでいて、それは科学とは全く異なるが、科学を補完する理性とも言えるものでもある。現代医学や生物学が生み出した問題、例えば生命倫理などは医学では解決できず、哲学や人文科学、さらに古代の伝統に委ねられる。彼の場合には、これまで研究してきたタルムード(特に、その法的部分)がこれらの問題を考える上で有用であるという。

聖書やタルムード、ミドラーシュカバラ(la kabbale)の解釈の方法に興味を持ち、最も深い意味に到達するには、文字、単語、文字や単語の数的意味、単語の意味の変化などを研究する必要があることを学ぶ。それは「神の言葉」だと間違って言われている聖書を無神論者の書、すなわち著者がいない書として読まなければならないことを悟ることになる。聖書を「神の言葉」として読むことは、ある意味では冒涜に当たると彼は考えている。

また、宗教的かどうかを聞かれ、信仰が神秘的な経験によるものだとすれば、宗教的ではないと答えている。彼の場合には、ユダヤの伝統との繋がりを古代の哲学者の日常の中に見出しているようである。哲学とはできる限り厳密に考えることであるが、知に開かれていること、そして実行に移すこと、すなわち自分の考えを日常生活の中で形あるものにすることでもある。アトランさんの場合には、その過程で伝統的な書の研究や解釈が霊感を与えているようだ。