lundi 3 janvier 2011

科学と自由について


「芸術、科学、自由な生活」
・・・ おお友よ、君たちとわれわれの間に
一体何があるのか

ポール・クローデル

  
今年の正月、ティモシー・フェリス(Timothy Ferrris)さんのこの本に目を通した。

  The Science of Liberty: Democracy, Reason, and the Laws of Nature

  「自由の科学: デモクラシー、理性、自然の法則」

科学の歴史が多くの科学者・哲学者の紹介とともに語られている。そこでのテーマは、デモクラシーの成熟度と科学の発展との関連だろうか。この場でのテーマにもなっている科学精神を自由の視点から見たものとも言えるだろう。人間に自由がなければ、十全な科学は望めない。いろいろな試みができなければ、科学が成り立たないからだ。逆に言うと、科学は人間の自由を要求する。

リベラリズムデモクラシー。リベラリズムは哲学的な概念で、原理原則であり、理想である。それは変化を歓迎し、個人の創造性を大切にする。すべての人間が同じ権利を持つと考える。人間が無知であることを理解し、学び続ける自由を求める。あらかじめ遠い未来の計画などできないことを知っている。科学の精神と極めて近いのだ。一方、デモクラシーは社会的な要請による権力が内包された現実的な対応である。リベラリズムに対してデモクラシーの評判がよくない訳がわかる。

科学が生まれる前、ある考えの評価には二つの方法しかなかった。論理による批判と他の考えとの比較である。科学はそこに実験による検証を加えた。科学には金と時間が必要になるのだ。したがって、社会に余裕や変化を歓迎する空気がなければ科学は行えない。科学が交易により富を蓄え、進取の気性に溢れた地で生まれたのは必然であった。人々が見知らぬ国の香りや見慣れないものに対する興味を自然に抱いていたからだ。



人は壁を造り過ぎ、充分な橋を造らないのだ

アイザック・ニュートン


科学は二つの流れに沿って発展してきた。一つは、フランシス・ベーコンが強調した観察から出発し、仮説を導く帰納。もう一方は、ルネ・デカルトが強調した原則から出発する理性的な思考で、演繹に当たるもの。前者が実験的で、後者は理論的に見えるが、実際にはその両者が必要になる。政治的にみると、前者はリベラリズム、後者は社会主義の背景に見られるという。

ベーコンはケンブリッジ大学で学んだ哲学が無意味な論理学に終始し、科学には向かないと考える。その代わり、観察、実験、帰納による議論を新しい方法として提唱する。一方、どこまでも数学的な精神の持ち主デカルトは、理性に基づく演繹により哲学を再構築する。すべては彼の頭蓋骨の中で行われるのだ。

ニュートンはデカルトをよく研究していた。デカルトが一つの疑う余地のない仮説から全宇宙を構築できると考えたのに対し、ニュートンは知らないことがあることを認める立場を取り、すべてを知っていると装うのではなく、真理の一部分を明らかにするだけで由とする。そして、"hypotheses non fingo" (私は仮説を立てない)という言葉を残す。デカルトの "cogito ergo sum" (我思う 故に我あり)とは対極に位置するかもしれない。

  デカルトの人生 La vie de Descartes

この二つの流れは科学を超えて社会の転換期にも大きな役割を果たしているとフェリスさんは見ている。例えば、フランス革命。あれだけ科学に力を入れていたはずのフランスで、なぜあのような血の海に至る野蛮に陥ったのか。フリーメーソンイルミナティなどによる陰謀説もあるようだが、彼は実験した結果に則って先に進むという科学やリベラリズムの基本的な教えを無視し、ある哲学をそこに押し付けようとしたためであり、しかもその哲学が間違っていたと考えている。デカルトの伝統があるフランスでは先ず原則から始める傾向があり、ベーコン流の実験と帰納は低く見られていたのではないかと考えている。つまり、フランス革命を導いたのは科学ではなく、哲学だったと言いたいようだ。平等という理想が教条的になり、状況に合わせて手法を変える柔軟性がなくなる。そのため、とにかく手段を選ばず突き進む。さらに悪いことにロマンティシズムと結び付き、熱狂が燃え上がることになった。社会主義や全体主義に見られる狂信的な頑なさがそこにある。絶対的なもののない科学とは対照的な経過をとることになったのだ。



仲介者としての使命しか持たない人たちがいる
われわれは橋として彼らを乗り越え
そしてさらに遠くまで行くのだ

ギュスターヴ・フローベール


一般向けに科学の本を書くのは優れた研究者のやるものではないと暗に考えられている日本とは対照的に、フランスでは科学の普及を一流の研究者が積極的にやるという印象を持っている。科学の普及が重要であり、評価されているからではないかと思っていた。その起源になるのかどうかわからないが、18世紀に科学の驚異を一般大衆に普及するために工夫された多くの本が出版され、その世紀の終わりには出版数が4倍に跳ね上がったという。

また、アメリカの思想家は哲学に対して懐疑的で、よく知らなかったというところもある。例えば、ジェファーソンやフランクリンは論理的な推論は数学に限局されるもので、デカルトの合理主義哲学には慎重であったという。


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