(Centre d'Immunologie Marseille-Luminy)
免疫学の教科書には自然免疫と獲得免疫という二つの異なる機構があると書かれている。獲得免疫はリンパ球(T細胞、B細 胞)によって担われ、一度出会ったことを覚えていて、二度目には初回よりも素早く効果的に反応する「記憶」があり、微生物の細かい特徴を識別する「特異性」がある。一方、自然免疫には記憶も特異性もないとされ、マクロファージ、多核白血球、NK(natural killer: 自然殺傷)細胞などにより担われている。先日の「哲学と免疫学」セミナー・シリーズの演者は、マルセイユで研究しているNK細胞の世界的権威のエリック・ヴィヴィエさん。お話の結論は、自然免疫と獲得免疫という二つの機構を分けている記憶と特異性について考え直さなければならない結果が蓄積してきているということ。つまり、二つの機構の境界が曖昧になってきているということになる。
記憶について見ると、NK細胞の半減期は大体17日だが、ある実験系では1-2ヶ月後でも活性 が見られるという。この場合、記憶をどう捉えるのかが問題になるだろう。つまり、単に寿命が長いだけでよいのか、それともリンパ球の場合のように、機能的にも亢進していなければならないのか。それから特異性について。NK細胞と雖も手当たり次第に細胞を殺すわけではない。感染などのストレスによる変化が出ている細胞や腫瘍性の変化を起こした細胞を選択的に殺傷するので、特異性がないとは言えないとヴィヴィエさん考えている。ただ、その特異性はリンパ球の場合のように認識する対象の個別の違いをすべて識別できるわけではない。その上で、NK細胞にも特異性はあるが、対象を認識するレセプターが作られる遺伝子レベルの機構がリンパ球とは異なっており、特異性に関する両者の違いはそれだけであるというのがヴィヴィエさんの主張であった。NK細胞の場合には、リンパ球のような遺伝子の組み換えに因る多様な特異性を認識するレセプターを持っているわけではないが、特異性はあるということだろう。記憶の場合と同様に、特異性についても言葉の定義が問題になりそうだ。
お話の中に "revisité (revisited)" という言葉が何度か出ていたが、これはある現象がその後の科学の発展に伴い見直しを迫られる場合に使われる常套句である。ある意味では、科学を特徴づける言葉とも言える。今回はNK細胞の研究を通じて、免疫系の見方に修正を加える必要が出ている現状を垣間見る思いであった。講演もそうだったが、その後でお話した時にも感じたのは、ヴィヴィエさんの思考が「滑らない」ということ。論理を一つ一つ積み上げるように話を進める様を眺めながら、科学とは単に結果を出すだけの営みではなく、どのようにしてその結果に至ったのか、その結果は何を意味しているのかを誰もが納得できるように言葉を正確に使い説明すること、その説明は人を選ばずに(権威と言われている人だろうが、そうでなかろうが)求められること、つまり科学とは民主的な営みであることを改めて感じていた。そのことを理解し実践する人たちが集まる空間はわたしの頭の中をすっきりさせてくれる。いつものように気持ちの良い時間となった。
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