dimanche 20 juillet 2008

C.P. スノー 「二つの文化」 を読む


今日は届いたばかりの CP Snow の名著 "The two cultures and a second look" (Cambridge University Press, 1987)の第一部 "The Rede Lecture, 1959" を読む。学生時代に買ったような気もするが、どこか遠くの出来事のように感じていたのか読んだ記憶はない。今回は興味津々で、いつものようにバルコンに出て彼 の言葉を追う。 "The two cultures" の発表は1959年だが、その3年前に雑誌 New Statesman にスケッチを発表している。またこの本のタイトルにもあるように、初版の4年後の1963年に新たな見解を発表している。

著者 Snow は科学のトレーニングをケンブリッジ大学で受け、職業として物書きになったためにこのような視点が得られただけで、同様のキャリアがあれば同じようなことを考えただろうと述懐している。若き日に物理学が花開くのを傍から見ていたことや1939年の寒い朝にケタリング駅で WL Bragg に会ったことも大きな印象を残していて、その後科学から目を離すことはなかったようである。その間、文学と科学(文理:literary vs scientific)の間を行き来するうちに "two cultures" と彼が名づけた現象に気付くようになる。それは大洋を隔てたほどのもの、あるいはそれ以上のものがある。大西洋を渡ればそこでは英語が話されていて話は通じるが、文理の隔たりは行き着いたところでチベット語が話されているようなものだと喩えている。

科学者は未来が骨の髄まで染み付いている(Scientists have the future in their bones)が、文系は本質的に反科学的(anti-scientific)であり、彼らにとって未来は存在しない(The future does not exist)。この傾向は理から文へ移行する過程で、そのニュアンスがわかってくるようである。自らを振り返っても、科学の未来信仰、楽天性は益々明らかになってくるし、文系はむしろ過去にまず目が向かうように感じている。むしろ、そこにしか確実なものはないという哲学があるかに見える。これは科学者個人のレベルでは必ずしもそうではないにせよ、科学という営みを見た場合に否定しようがない。

ここで取り上げられている逸話も興味深い。例えば、話好きのオックスフォード大学の学長がケンブリッジ大学での食事会で会話を楽しんでいる時、その話はさっぱりわからないという声を聞き驚く。そこで助け舟を出したケンブリッジ大学の学長の言葉は、「彼らは数学者ですから」 というもの。また、文系の人が考えている "intellectuals" の中には、Rutherford も Eddington も Dirac も Adrian も入っていないらしいという話を聞いたというエピソードもある。それから、彼の観察によると文理の乖離は特に若い層で大きく、時には敵意にも近いものを感じると書いてある。理の方に勢いがあり、文に比して就職率もよい。当時は物理学が理を代表していたのかもしれないが、それが今は生物学に置き換わっただけで、その本質はほとんど変わっていないかに見える。いや、むしろ程度が激しくなっているかもしれない。文系の人に熱力学の第二法則は?と聞くといやな顔をされるが、同様のことは理系の人にシェークスピアを読んだことはありますかと聞くのと同じことだろう。

このような文理の分離がなぜ問題なのか。それは単に残念なこと(a pity)というだけではなく、もっと酷いものだと彼は考えている。それは二つの異なるもの、異なる原理、異なる文化がぶつかり合うところにしばしば創造の機会が訪れるからだ。しかし、その二つが出会う機会がそもそもないのである。これは双方にとって、われわれにとって大きなものを失っていることになる。この点は自らを振り返っても痛いほどわかる。もし科学哲学における厳密な思考方法について少しでも知っていたら、過去の科学者がどのように問題と対峙していたのかを知っていたら、仕事の進め方があるいは変わったかもしれないという具体的な影響を想像できるからだ。

このような二つの文化の問題はイギリスに限らず西洋すべてに行き渡っているとしているが、東洋でも例外ではないだろう。その意味では人間の頭の働き方の普遍性を示していると言える。半世紀を経ても傾聴に値する声である。しかし、話はそこで終らない。このような国内、あるいはある文化圏の二つの文化の乖離はあくまでもローカルな問題で、それ以上に重要なことがあると考えていることがわかる。それは工業化した国とそうでない国との乖離である。もし西側が非工業国に金銭的、人的な支援をしなければ、共産主義がいずれそこに入っていくことになるという危惧を抱いている。現実的な人は、人間の本性を考えた場合に自らのキャリアを犠牲にしてそのような計画にどれだけの人が参加するのか疑問だと反論するが、それでも引き下がらない。西側に残された時間はないとこの講演を結んでいる。1959年のことである。

過去の東西問題はある程度片付いているが、南北の格差拡大はさらに広がっているかに見える。これから求められるのは、依然存在している文理という二つの文化間の真空地帯に分け入り、そこに外気を入れることだけではなく、世界を取り巻く文化の乖離にも目をやって行かなければならないだろう。途轍もなく大きな21世紀の課題である。





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