jeudi 11 juillet 2013

科学における哲学教育をどう考えるのか


今朝、科学から哲学に入り、そのインターフェースにいる者としての素直な気持ちとともに目覚める

その目覚めには、前回の記事での問題提起が関係しているはずである

それと、この領域での議論をこれだけのスケールで初めて聴いたことである
 
その結果、次第に固まりつつある考えは、あくまでもインターフェースに留まるということ

専門家になることを避けること

狭い領域での語りに終わることを避けることである

その上で、科学あるいは科学の外に向けて、哲学の有用性、有効性を語ること

その方が自分のような立場の人間には向いているのではないか

そんな決意とも思える考えとともに、朝はいた


Prof. Michael Ruse (1940-; Florida State Univ.)


午前中のセッションは、朝の気分にぴったりの「生物学の哲学と教育」であった


この本の出版に合わせて、執筆者が語るラウンド・テーブルである

序を書いた生物学の哲学の領域では大御所になるマイケル・ルース教授がどっしりと控えている

 大部分の方が、哲学の中の何を教えるべきなのかを議論していた

やや専門的なのである

ひとつ面白いと思った意見があった

それは、科学における細かい考え方を教えるより、3人の科学者について語ると科学の営みが分かるというもの

その3人とは、ダーウィンアインシュタインチョムスキーであった


科学の教師からは、何をではなく、どのように教えるべきかの議論が有用ではないかとの指摘があった

 ミネソタ大学のアラン・ラヴ(Alan Love)さんからは、次のようなコメントがあった

大学の早い時期に科学の中での統合だけではなく、人文科学、哲学などを絡めたプログラムが必要になる

 しかし、明確な意識がなければこのようなプログラムをカリキュラムに入れる余地がないほど厳しい状態である

おそらく、日本の状況も変わらないと想像される

昔は医学の専門教育が始まる前の2年間は教養課程であったが、今は専門の講義が侵食していると聞いている

一つの意識を持つに至るまでの省察の時間がないためだろう

そのため、大きな流れに身を任せるしかなかった結果なのだろう


 このような状況を変えるには、どうすればよいのだろうか

大前提として、なぜこのような教養課程や統合プログラムが必要になるのかについての考えを深めることだろう

その上で、そのような理解が拡がり、コンセンサスになる必要がある

どれだけ説得力のある考えが出てくるのかにもよるだろうが、相当に時間がかかりそうである



 わたしは、この領域に入ってから気になっていることについて皆さんのご意見を訊いてみた

 その根底には、哲学・歴史の蓄積に触れていれば、もっと豊かな研究者生活になったのではないかとの思いがある

そのため、科学者に哲学を語ることの重要性を認識しているつもりである

そこで知りたかったのは、科学者の教育をどう考えるのか、そのための妙案はあるのか、である

この点に関して、哲学者の方々は意外と諦めムードの印象があった

より正確には、自らの専門に忙しく、学生の教育の方が喫緊の問題であるのか、あまり考えていないようであった

ラヴさんは、将来を見越して、科学者になる前の若い世代の教育を充実すべきとのお考えであった

 終了後、ラヴさんとお話した結論は、自らが考えて妙案を捻り出すしかないというところに落ち着いた


今日の印象は、以下のようになるだろう

科学者への語り掛けは、意外に哲学の盲点になっているのではないか

哲学とのインターフェースから科学に向けて働きかけることは、わたしにとって最も自然で適切な道なのかもしれない


そんな感触とともに会場を後にした



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