mardi 18 février 2014

マルセル・コンシュさんによるエピクロスの哲学



哲学雑誌に、マルセル・コンシュ(Marcel Conche, 1922-)さんのインタビューが出ていた

もうすぐ92歳になるところである

わたしがフランス語を始めておそらく初めて触れた哲学者で、印象深いものがある

最初のブログに84歳のコンシュさんの記事がある

マルセル・コンシュ(I) (2006-09-25)


コンシュさんの母親は彼が生まれた時に亡くなっている

祖母とまだ未婚だった二人の叔母に引き取られる

母と呼ぶべき人がいないこの経験が大きな傷として残った

子供時代は自然との触れ合いの中で育つ

しかし、当時はそこに価値があることに気付かなかった

彼の父親は農民だった

省察の生活とは正反対の土を相手にした仕事をしていた

モットーは「土は常に人間を育む」であった

父親の唯一の野心は、家族に食事を与え、無事に育てることであった


コンシュさん ご自身は土との仕事の中で、理性と哲学に目覚める

キリスト教徒として育ったが、悲惨な目に遭っている子供たちを見て、神の存在に疑いを持つ

1956年のことであった

そして、1963年にモンテーニュ(Michel Eyquem de Montaigne, 1533-1592)を発見する

これが哲学人生において重要だったのは、自然な哲学と人工的な哲学との違いに気付いたことだという

 そして、神を中心に回る近代の人工的な哲学ではなく、古代ギリシャの自然な哲学に回帰することを決意する

モンテーニュがルクレティウスエピクロスピュロン、そしてヘラクレイトスへと導いてくれたようだ



エピクロスにとっての自然は、われわれの目に触れるものを超えた世界の全体を意味していた

エピクロスの物理学は、自然は原子と空虚からなるとする

分割不能な原子が無限の空間を飛び回っている

そして、原子が突然その軌跡を変え、それによって新しい世界が生まれるのである

後に、ルクレティウスが clinamen と名付けた原理である

この世界には、創造主も、インテリジェント・デザインも、必然性も、神の摂理も存在しない

エピクロスの世界観である


善く生きるには、衣食住のための自然で必然的な欲求を満たすだけでよい、とエピクロスは言う

食はパンと水だけで良いとも言う

隠遁や禁欲を薦めるものではないが、過度の欲を求める快楽主義とも違う

食べることではなく、食べたことを愉しむという立場になる

この微妙に見える差は、よく考えると途方もなく大きい

それにより、体の苦痛がなくなり(aponie)、精神の安定(アタラクシアataraxie)が生まれるとする

さらに、精神だけに関わる喜びがあるとエピクロスは主張する

それは哲学することで、人間の自然で必然的な欲求に分類されている


現代の大きな問題は、自然を忘れ、すべてを計りに掛けることと関係している

そこから、自然でも必然でもない欲求が生まれているからである

金、物質的な快適さ、名誉や栄光の追及

都会では出世主義者(arriviste)が富や権力を求める

それをエピクロスは常軌を逸したことと呼ぶ

それに挑戦し、そこから離れるのがエピキュリアンである

ストア派と違い、政治への参加も拒否する

しかし、友情は大切にする

世界と断絶しているわけではなく、パーティに誘われれば参加する

しかし、ダンスに興じることはない

重要になるのは苦痛の除去、それが幸福の規準となる


エピクロスの愛についての考えには教えられるところがあるという

愛、肉欲は、自然な欲求だが必然ではないとされる

それがなくとも、散歩したり、走ったり、、、、他の活動で遣り過ごせる、と考える

ただし、憑りつかれたら節度を以って当たること

愛は人生の多くの時間を奪い、重要なことから遠ざけるからだ

  コンシュさんの人生にとって重要なことは、哲学することだという


パソコンについても触れている

目をやられ、人生を複雑にするだけなのでもう止めたという

これには同意したい今日この頃である





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