lundi 13 octobre 2014

パリから見えるこの世界 (21) 17世紀の科学から豊穣と悦びのオランダの旅へ

Hans Lodeizen (1924-1950)
 @Leyde 2012


雑誌 「医学のあゆみ」 に連載中の 「パリから見えるこの世界」 第21回エッセイを紹介いたします


« Un regard de Paris sur ce monde »

 医学のあゆみ (2013.10.12) 247 (2): 213-217, 2013


 ご一読、ご批判いただければ幸いです



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写真の詩のグーグル訳です

we will deal with life in a big way
as we treat a murderer among us. 

I do not like art that dies
in the mouth of the beloved poet
Now Nyjinski dead, we have to
put flowers at all windows, because
that just keeps beauty remain alive
we want a handful of children, wine, and
a playground quite trounced by the sun.

ハンス・ローダイゼン:

ローザンヌのサナトリウムで白血病のため26歳で亡くなったオランダの詩人




パリから見えるこの世界 (20) ネガティブ・ケイパビリティ、あるいは不確実さの中に居続ける力

Vincent
@Lens 2014


雑誌 「医学のあゆみ」 に連載中の 「パリから見えるこの世界」 第20回エッセイを紹介いたします

医学のあゆみ (2013.9.14) 246 (11): 989-993, 2013


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vendredi 3 octobre 2014

エピジェネティークの後はメタフィジーク

Dr Vincent Colot
Institut de Biologie de l’Ecole Normale Supérieure (IBENS)


昨日と今日はエピジェネティックスについてのワークショップへ


若い哲学研究者が中心で、数名の最先端の生物学者が加わっていた

哲学者の興味は言葉の中身、定義へと向かいがちである

それは重要なのだが、科学は定義なしに「こと」を進めることができる

どれだけの科学者がこの作業に興味を持つだろうか


エピジェネティックスはラマルク的か、という問いがある

今明らかにされていることをラマルクが言っていたわけではないという意味で、答えはNOだろう

現象面では類似しているのだが、、

ラマルクという言葉が出てくるように、科学の成果を歴史に照らして検討することの意味は大きい


エピジェネティックスはパラダイム・シフトを起こしているのか、という問いもある

さらに、「遺伝子なき遺伝」という言葉も踊っている

遺伝子はタンパクをコードするDNAの断片と定義されてきた

DNAの配列に依存しない遺伝も明らかになる

しかし、それは遺伝子があってのことである

「遺伝子なき遺伝」はありえないし、パラダイム・シフトを起こしているということもない

ただ、メンデルの遺伝学を豊かにしていることは確かである

そんなところが現状認識になるだろうか


遺伝子産物の発現に関与するすべての要素を含めて遺伝子と定義したいとする意見があった

ジャン・ドイチュ博士の提唱で、博士はそれを「パンゲン」と名付けていた

この名称について疑義を差し挟んだことは以前に触れた


偶然にも博士が横になったので、その後の経過を訊いてみた

そうすると、新しい「パンゲン」のアイディはなかなか受け入れてもらえないとの返答であった


今日のデジュネはMD氏と一緒だった

話題は、新しく出たエッセイのテーマと同じ科学と形而上学

なかなか良い話ができたと思う

わたしは科学の成果から出発して形而上学の世界に飛び出したいと思っている


一方のMD氏は、科学から形而上学を一掃したいと考えている

彼の言う形而上学とは、自然界には実体がないもので、言葉だけの世界を指している

もしそうだとすると、科学で使われている言葉のかなりの部分は形而上学の世界に属することになる

それを一掃することなどできるのだろうか

おそらく無理だろうと彼も思っている

その場合は、そういう曖昧なものを扱っていることを科学者が意識する必要があるという

ご本人は、それを科学者に意識させるようにすることが大切だと考えている


わたしの形而上学は科学の成果の先にある想像の世界になる

科学から離れることなく、その世界に新しい光を当てることができないだろうか

そうすることによって、「もの・こと」をより深く理解できるような光の当て方ができないだろうか

そんな問題意識を持っている


今日意見の一致を見たのは、次の点だった

哲学が自らの中に籠もり、そこでの満足を求めるところに留まるのを止めること

そして、多くの科学者が納得する形で科学にフィードバックができるようなやり方を模索すること

今の状態では科学者は哲学の言うことを聞くことはないだろう

もったいない話である

科学が気付いていないのだから、哲学の側からの働きかけが問われることになる

Philosophy of scienceではなく、Philosophy for scienceの視点を採ることができるかどうか

そこが問われるだろう

そう言っている哲学者もいる


このような考えになるのは、お互い科学から出発して哲学に入ったからだろう

科学への働きかけが常に意識にあるからだろう





dimanche 17 août 2014

パリから見えるこの世界 (19) リチャード・ロバーツ卿の考える科学、そして黒澤和教授のこと

Cordonnier figurant la vie active
@Chartres



雑誌 「医学のあゆみ」 に連載中の 「パリから見えるこの世界」 第19回エッセイを紹介いたします

医学のあゆみ (2013.8.17) 246 (6,7): 522-526, 2013


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dimanche 13 juillet 2014

パリから見えるこの世界 (18) ペスト菌発見者アレクサンドル・イェルサンという人生と北里柴三郎



雑誌 「医学のあゆみ」 に連載中の 「パリから見えるこの世界」 の第18回エッセイを紹介いたします

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 « Un regard de Paris sur ce monde »  

医学のあゆみ (2013.7.13) 246 (2): 201-205, 2013







mercredi 2 juillet 2014

哲学者とは

Saint Bonaventure
Peter Paul Rubens (1577-1640)


 こちらに来る年の初め、御茶ノ水駅に差し掛かった時、以下のテーゼが頭に浮かび、控えた


 これは個人の生のレベルの問題である

こちらに来てからもう一つのレベルが加わっている

それは、人類の遺産の総体とともに生きるという感覚である

もちろん、その全体に迫ることは不可能だろう

しかし、意識の上では二千数百年の人類の遺産を自分の横に携えて生きようとしている


今日、アルチュセールの『非哲学者に向けた哲学入門』という本に同じような一節を発見した

より正確には、その一節を読み、過去が蘇ったのである


科学者は一度何かが分かったら、そのことは捨て去ってどんどん先に行く

しかし、哲学者は過去の哲学者をいつも読み直すという

一度読んだからといって終わることはなく、何度も何度も読み返すのが哲学者だという


こちらに来て出遭った言葉に、「哲学とは解決済みの問題についての科学である」というのがある

レオン・ブランシュヴィックの言葉で、読んですぐにピンときた

科学は解決したものに戻ることはなく、その先に何かを組み立てていくからである

一方の哲学は、いかに偉大な哲学者が挑んだ問題だとしても、その問題は依然としてそこにある

なぜか勇気が湧いてくる言葉でもあった

アルチュセールの「哲学者の人生は人類の遺産の中に生きること」という言葉がよく分かるようになっている

それは過去に生きることだが、その中にいる時には時間や歴史が消えているという逆説もある

そこに、遺産が時を超えて一つの平面に並べられているというイメージを見る

こちらでの時間の中で、この感覚もよく分かるようになった

ただ、過去の哲学者の書を読み、そして読み返すということをはっきりと意識してはいなかったように思う
 
これから先の一つの道標になりそうである




dimanche 22 juin 2014

留学を哲学する



昨年3月末、東京で三重大学の島岡要先生と留学に関する対談をしました

シリーズ対談 ”教養”としての研究留学

第5回 矢倉英隆、島岡要

医学のあゆみ (2013.6.22) 245(12): 1043-1053, 2013

参考になることがあるとすれば幸いです

全文はこちらから






mardi 10 juin 2014

「ディオゲネスという生き方」 について


去る3月28日(金)、東京恵比寿でカフェフィロ PAWL なる会を開いた

PAWL とは Philosophy As a Way of  Life (生き方としての哲学)の略で、初めての試みであった

テーマを 「ディオゲネスという生き方」 として、古代ギリシャの異質な哲学者の生き方を取り上げた

今回、その時に発表した内容を纏めたので紹介したい

内容はこちらから

お目通しの上、ご批判をいただければ幸いです






lundi 9 juin 2014

パリから見えるこの世界 (17) アリストテレスのエネルゲイア、あるいはジュリアン・バーバーの時間


雑誌 「医学のあゆみ」 に連載中の 「パリから見えるこの世界」 の第17回エッセイを紹介いたします

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 « Un regard de Paris sur ce monde »  


医学のあゆみ (2013.6.8) 245 (10): 895-899, 2013






jeudi 5 juin 2014

「ヘルシンキ宣言50年」 のシンポジウムにて



 今週の火曜日、6月3日は朝からコロックを聴くために厚生省にいた

1947年のニュルンベルク綱領を経て、1964年に出されたヘルシンキ宣言の50周年を記念した会である


この宣言は、世界医師会WMA)が人間を対象とする研究に対して採択した倫理に関する文書になる

対象は人間だけではなく、人間に由来する資料やデータも含まれる

また、医師だけではなく、医学研究に関与する人にも勧めている  

ヘルシンキ宣言の全文は、こちらから


午前中はインフォームド・コンセントが取り上げられていた

フランス語では、Consentement (libre et) éclairé という

弱い立場にいる人に、説明して同意を得るとはどういうことなのか

そもそも「説明する」のexpliquer は、風呂敷を広げるようにするという意味のラテン語に由来する

「もの・こと」を包み隠さず見せ、伝えることである

ある方は、「忠実に、正確に、適切に」と形容していた

その上で同意となるが、consentement (同意)と sentiment (感情)は別である

同意には事務的な含みがあり、その人間の感情にまで達している保証はない

相手の感情が満たされるところまで行かなければ信頼(confiance)は得られないと経験者は語っていた

Dr Xavier Deau


一日こちらの医学倫理に関わる人たちの話を聴いた印象は、相当に充実しているというもの

残念ながら日本の状況はわからないので、比較するのは難しいのだが、、、

しかし、最後のまとめのセッションで興味深い指摘があった

世界医師会の次期会長ザヴィエル・ドー(Xavier Deau)さんの次のような発言である

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世界の医学倫理におけるフランスの存在感は、欧米の他の国に比べると薄い

アフリカのフランコフォンの国に行ってもその傾向に変わりはない

(フランス語を使うスイス、ベルギーなどが入っているのか、はたまた英語の侵入なのか)

これまで世界で通用する原理的な考えを広める上でフランスは重要な役割を担ってきた

しかし、その力が弱まっているのではないか


新興国においてフランス的な精神を広める上で忘れてはならないこと

それは、援助するという考え方を捨てること

助けるとか考えを押しつけるのではなく、相手の話を聴き、理解し、寄り添う姿勢が必要になる

この原則に基づいて、フランスの倫理の考え方を広めていきましょう

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世界医師会会長というよりは、フランス人としての発言であった

世界にフランス的価値観を広めようとする意識はまだ健在のようだ

翻って日本の状況はどうなのだろうか

別ブログでも触れたが、日本の「物」ではなく「思想」を広めるという考えが生まれることはあるのだろうか

鈴木孝夫博士の講演を聴く (2013-05-07)

国内の狭い枠の中で忙しくしているところからは広めるべき思想そのものが生まれてこない可能性がある

外に開かれた視点を持つことができるのかどうか

素人目にはそのあたりが決め手になるのではないかと思うのだが、、、

いずれにせよ、日本発の骨太の思想が生まれ出ることを期待したいものである