mardi 8 juillet 2008

絶対的に生きる


変な日本語である

正確には、絶対的なものとともに生きること

あるいは、絶対的なものに向かって生きることになるだろうか

絶対的なものとは何だろうか

それを掴むのは難しそうだ

今のところ、この世の謂わば相対的な価値に囚われることなく、という否定的な記述に留めておきたい

これができれば、素晴らしいだろう

そうすれば、死ぬ前に死ぬことにはならず、本当に生きたことになるだろう

それを支え動かすのが、自らの内なる声、わたしが「内なるモーター」と言うところのものになる

 その存在の重要性に気付いたのは、実はかなり前である

わたしがアメリカに滞在した5-6年目くらいだったので、もう四半世紀前のことになる

その精神状態が今、具体的に顔を出しているような気がする





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