mercredi 19 mars 2008

フランソワ・ダゴニェさんを聴く (4)


フランス医学の伝統とは

人間中心主義の(humaniste)医学が生まれたのは、フランス革命とルネ・ラエンネック(René Laennec, 1781-1826)のあたりからになる。ラエンネックは聴診器という道具を創ったが、それによって医者が病人から完全に離れることにはならなかった。診察の過程で、病人の直接の声ではないが、肺や心臓の内なる声を聴いていたからである。

フランス革命とともに市民の健康に対する関心が生まれ、病院や施設がそれに続くことになった。1789年以前には不幸の面倒を見るのは聖職者の役割だった。フランス語で病院のことを Hôtel-Dieu というのも病院が教会の周辺に建てられたからである。ミシェル・フーコー(1926-1984) はいろいろな病人と出会う場所という意味で、植物園に準えて「病理の庭」(jardin de la pathologie)と呼ぶことになる。そこで診療の場(clinique)が生まれ、ラエンネックやナポレオンの侍医でもあったジャン・ニコラ・コル ヴィサール(Jean-Nicolas Corvisart, 1755-1821)などの臨床医が生まれたのである。つまり、症状(symptom)を記載する記号論的医学が出現したことになる。ここで注意すべきは 症状と徴候(sign)の違いで、症状が病理的な現象を掴む上で有用になる主観的なものであるのに対し、徴候は生物学的な基盤が考慮されて初めて意味を持 つ客観的なものである。

フランス学派はこの記号論的医学を20世紀に入るまで重視している。例えば、ジャン・マルタン・シャルコー(Jean-Martin Charcot, 1825-1893)、ジョゼフ・ババンスキー(Joseph Babinski, 1857-1932)に至る流れなど。この状況が変化するのは、アングロ・サクソン流の診療ではなく実験室と間接的な検査を重視する思想が圧倒的な力を以って入ってきたからである。

フ ランス学派を定義するとすれば、次のようになるだろう。それは体から発せられる如何なる徴候にも注意を払うこと。それから、臨床で明らかにしたことを死後 の解剖により確認する作業(剖検)を挙げることができる。それは臨床と解剖を結び付けた l'anatomo-clinique と言われる医学である。






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