病気と病人の乖離について
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世紀に病人を忘れ、病気と客観性に医学の重点が置かれるようになる。病理学、解剖学、生化学、寄生虫学などの個別の学問に頼ることが先端(fer de
lance)になったのである。そのため、病人がどのように生きているのか、その環境や精神状態に注意を払うことがなくなる。
そ
の他の問題として、病院を訪れる人の80%とも言われる人は器質的な原因がわからないことがある。そして、病気と正常との間の境界をどう決めるのかという
ことがある。そのため、深く考えることなく機械的に「こと」を処理する傾向が増すことになる。この問題は現代にも引き継がれている。主観と客観、数字と実
際の症状という対立を社会的要因をも考慮に入れて考える必要があるのではないか。
臨
床を重視する記号論の流れと技術を重視する流れの対立は現代に至るまで続いている。19世紀末のX線の発見以降の技術的発展は医学の視界を広げ続けてい
る。そのため、臨床の本来の姿である病人の床とともにある時間がどんどん減少している。ただ、臨床重視の記号論の流れが消えているわけではない。例えば、
フランスでは以下のように19世紀から20世紀にかけて繋がっている。
内科医のジャン・バティスト・ブイヤール(Jean-Baptiste Bouillaud, 1796-1881)
Essai sur la philosophie médicale et sur les généralités de la clinique médicale, 1836
内科医のアルマン・トゥルソー(Armand Trousseau, 1801–1867)
Clinique médicale de l'Hôtel-Dieu de Paris, 1868
神経学者のエドゥアール・ブラウン・セカール(Charles-Édouard Brown-Séquard, 1817-1894)
外科医のルネ・ルリッシェ(René Leriche, 1879-1955)
La philosophie de la chirurgie, 1951
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