samedi 24 septembre 2011

頂点と地獄を見た二人の科学者: フリッツ・ハーバーとロバート・オッペンハイマー


「化学兵器の父」 と言わるフリッツ・ハーバー (1868–1934) という化学者がいた。非常に野心的だったようで、ユダヤ人だったが後に改宗している。第一次世界大戦で使われた毒ガスの開発に関与。同じく科学者であった妻のクララはその方向に同意せず、1915年銃で自殺。息子も自殺している。1917年に再婚。1918年にはアンモニアの合成などの業績でノーベル化学賞を受賞。後にナチがガス室で用いることになるツィクロンBのもとになったツィクロンAを作る。ベルリンではアインシュタインとも親交があったが、ヨーロッパの将来の捉え方が全く異なっていた。ドイツに忠誠を誓い、社会に受け入れられるために努めてきたハーバーだったが、ナチの台頭で国外に逃れざるを得なくなる。最終的にはスイスで亡くなり、最初の妻と一緒に葬られている。アインシュタインはハーバーの人生をドイツのユダヤ人の悲劇であると語っている。

彼の人生が語られているBBCのサイトがある。 The Chemist of Life and Death





ハーバーと重なるロバート・オッペンハイマー (1904-1967) の複雑な人生も眺める。この映画では証言がふんだんに取り入れられていて、実像が浮かび上がる。若き日の彼は感情面での発達にバランスを欠き、未熟な人間として映ったという。ハーバード大学を3年で卒業後、ケンブリッジ大学で実験物理学を始めるが科学者としての才能に疑いを持つ。しかし、ドイツで理論物理学をやるようになり、自分の進むべき道を見つける。25歳にして世界的な研究者としてアメリカに戻り、カリフォルニアで教え始める。講義は難解を極めた。彼の言葉は常に計算されていて、心から出ているようには見えなかった。それは高慢さからなのか、優越性を示すためだったのか。いつもステージに上がっているようで、同僚としての付き合いは難しかったようだ。

常に科学だけに興味を持っていたが、1936年から社会の動きにも興味を示すようになる。最初の恋人になる医学生が共産党員だったこと、妻になる女性も元共産党員だったことも関係しているようだ。彼自身が党員だったという証拠は残っていないようだが、妻だけでなく彼の弟も弟の妻も共産党員だったことからシンパシーは感じていた。国家の機密を知り過ぎた男として厳しい監視下に置かれる。原爆の後、冷戦期に入ると国への忠誠が問われることになった。

科学者としての最高の栄光に辿り着き、それがために地獄をも味わうことになった二人の科学者。第一次大戦に関わったフリッツ・ハーバーと第二次大戦に関わったロバート・オッペンハイマー。いずれも複雑な人間だった。科学者としても優秀だった。科学を進める魔力的な力をこの二人は内に秘めていた。今は単純に裁くのではなく、それぞれの中をもっと知りたいという気持ちが湧いている。





jeudi 1 septembre 2011

この世界に身を晒し、その反応を観察する


L'Age d'Or
(vers 1938-1946)
André Derain (1880-1954)


もう9月に入った。数字だけ見ていると、時の経つのは驚くべき速さだ。今年は一体何をやっていたのだろう。すぐに答えが出てこない。


昨日、この1年を振り返るためにメモを読み返していた。丁度そのノートは10月にカナダであった会議の様子から始まっていた。内容は結構詰まっている。読みながら、こちらに来てからのわたしの存在はこの世界に開いた受容体としてあったのではないか、と改めて思う。これまで閉じていた受容体を働かせ、その前を通り過ぎるもの・ことを受け入れ、処理し、記載していた。そこにはこれまで見えなかったこの世界の像がある。これまでに見ていた世界を補完する新たな視線がある。

もし、もの・ことを選ばずに記載されたそのメモがなければ、これまでに触れたものは何もなかったかのように風の中に消え去っていただろう。わたしの記憶容量を遥かに超える情報を目の前にし、確かに生きていたことに驚く。しかし、それは思い出の記録として残したものではないはずだ。そこから何かを引き出し、経験にするためだったのではないか。

これまでは日々現れる新らたなものに触れることに費やされ、何かを生み出す可能性を孕んだ原体験に戻る時間が取れなかった。どうだろうか。これからの1年くらい、受容体を休ませ、情報を処理し直すことに当ててみては。そんな考えが浮かぶ。どうなるのか。それはいつものようにわからない。




Promeneurs dans un parc
(1900-1910)
Henri Julien Félix Rousseau (1844-1910)


ところで、まだオランジュリーの残り香を味わっている。写真を見ながら感じるのは、実物に触れた時に生れた自分の中の反応を再現するのは難しいということ。そしてそれ以上に、日頃画集などを見ている時には予想もできないような反応がその場では起こるということだ。よもや睡蓮の部屋で浮遊感を味わうなどと、誰が想像しただろうか。もう一つ今回感じたのは、味わうのはその絵一枚ではないということ。もし、シャイム・スーティンの絵が一枚だけだったなら、あれほどのエネルギーを感じただろうか。また、その絵が置かれた部屋の空気、光や色も大きな要素だ。その周辺に何が置かれているのかでも印象はガラッと変わってしまう。アンドレ・ドランの絵は、それまでの流れとの差として目に飛び込んできたからだ。


やはり日常を抜け出し、異なる場に身を置くこと、実物のある空気に触れることが大切になるのだろう。そこでは何が起こるのかわからない。その面白さを味わわない手はない。その時に生れる反応を注意深く観察し、それを経験にまでできると新たなところに繋がるのかもしれない。