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vendredi 14 juin 2013

ピエール・ゴルシュタインさんの科学研究


昨日、マルセイユの免疫学者ピエール・ゴルシュタインさんのセミナーを聴く

Pierre Golstein (Centre d'Immunologie de Marseille-Luminy)

T細胞による殺傷機構や細胞死について長い間研究されている

研究領域が違うこともあり、直接お話を聴くのは初めてになる

タマホコリカビ Dictyostelium discoideum)を使って、発生、細胞死、免疫などについて解析していた


イントロでは、研究を始めることだけではなく、研究所を創る過程についても話をされていた

マルセイユの研究所の創設に関わっただけではなく、今はインドの研究所の立ち上げにも関わっているからだろう

それから、研究のモデルを選ぶということについて話題にされた

まさに、モデルを選ぶということを哲学する、という風情であった

この地上には真核生物だけでも1000万に及ぶ種が存在しているという

それにもかかわらず、主要な研究対象は10種程度である

つまり、研究者が研究対象を選ぶ時に、考えていないという主張である

あるいは、そもそも研究モデルを選ぶという発想自体が頭にないということである

研究を始めた研究室で偶然に使われていた動植物をモデルにしているだけではないかというのである

わたしが言うとすれば、ヒラリー卿よろしく、「そこに・・・があったから」 に過ぎないことになる

研究者が意識的にモデルを選ぶとすれば独立した時であるが、モデルを変えることはほどんどない

モデルの選択ということを考えていないこともあるが、変えることには危険が伴うと直観的に感じていることもあるだろう

ご自身は、長い間マウスを使っていたが、考えて今のモデルに切り替えたという

細胞死にはアポトーシスネクローシス以外にもいろいろな型があるはずだと考えているからだろう


お話を聴きながら感じていたこと

まず、言葉を正確に使おうとしていること

それは、思考を正確にしようということである

事実を語るだけではなく、常に考えるためのクッションが置かれているとでも言うべき精神の状態を観ることができる

こちらに来た当時の身で聴いたと想像してみると、日本では見たことがない科学者だという感想を抱いただろう

「フランス的な」 科学者などと言うことには問題があるのだろうが、そう言いたくなる衝動に駆られる

哲学的だ、とは言えそうだが

上滑りなところは微塵もなく、どこまでも落ち着いている

別の言い方をすれば、大人に見えるのである

フランス、あるいはヨーロッパの科学の歴史が滲み込んでいることを感じさせる

普段は1時間半のセミナーだがこの日は3時間にも及び、流石のフランス人も終わりの時間を確認していた

研究成果そのものよりも研究や科学をどのように考えるのかについて、多くのことを考えさせられる時間となった





dimanche 18 mars 2012

ジュリアン・バーバーという科学者、あるいは時間とは

Lunatique neonly no 1 (1997)
François Morellet (1926-)



わたしの理想とする研究生活を送って来られた科学者がいることを知る
その名はジュリアン・バーバーさん(Julian Barbour, 1937-)
今年75歳になる理論物理学者だ(ホームページはこちらから)
1999年のインタビュー "The End of Time" を読んでみる

バーバーさん独特の世界観と人生観が見えてくる
インタビューの時点で35年の研究成果は、この世界には今考えられているような過去も未来もなく、あるのは現在だけというもの
リー・スモーリンさん(Lee Smolin, 1955-)は、彼こそ真の科学者にして哲学者だと言っている

研究スタイルもユニークである
大学をイギリス、大学院をケルンで終えた後、インディペンデントな立場で研究を続けて来られた
アカデミアに入り、コンスタントに論文を書くというタイプではなかったことが理由とのこと
自分の中から出てくるアイディアについて、どこからのプレッシャーも感じることなく研究をしたかったのだという
同じくイギリス人のダーウィンが30代にしてケント州ダウンに引き籠り、研究に打ち込んだ姿を思い出す
ダーウィンには財産があったが、バーバーさんの場合はロシア語の翻訳で生計を立ててきた
一人で研究できる領域にいたならば、わたしもそういう道を模索したかもしれない

彼の興味は、宇宙とは何であり、それはどのように動いているのかという根源的な問である
古典的物理学と量子力学との関連を探る中から辿り着いたという
その中で、特に時間について考えることにしたようだ

彼の話を聴いてみたい




このビデオで言われていることのすべてを理解できたとは思わない
ただ、ぼんやりと見えてくるその主張にはそれほどの違和感は抱かなかった
そして何よりも、ジュリアン・バーバーという存在の明晰さ、快活さ、軽快さに目を開かされた
時間には、直線的に周囲とは関係なく過去から未来に向かって規則正しく流れるニュートンの絶対的時間とアインシュタインの相対性理論が唱える時間と空間が一体となり、空間の影響を受ける相対的時間があり、量子力学の世界ではニュートン的な時間が流れているという。ミクロの世界で有効な量子力学の理論とマ クロの世界で有効なアインシュタインの相対性理論を統合する理論を求める営みがされているが、そこで問題になるのが時間で、時間の消失が統合の一つの解決になる。バーバーさんも時間は存在しないという立場を採っている。

今という時間を捉えることができるのかという疑問を出している。マクロの世界では、ある一瞬に大きな変化は見えないので今を捉えているように感じるが、ミクロの世界に入ると原子や分子、細胞に至るまで何一つ留まっているものはない。つまり、今という一瞬を捉えることが極めて難しい。一瞬たりとも同じわたしであることはないのである。今という一瞬は一瞬であると同時に、そこでは何も変わらないという意味で永遠でもある。

一瞬一瞬はそれ自体で完結した世界であるという見方は、どこかに向けて進むモメンタムのないエネルゲイアに繋がるようにも見える(エネルゲイアをわれわれの生に取り込む 、2010-1-2)。一瞬のすべてが同時に存在 しているという点で、量子力学の統計的にしか決めることができない世界、さらに言うと、すべての可能性が同時に起こっている世界とも共通点があるようにも見える。

これを日常の感覚で理解することは大変である。しかし、この地球が自転し、さらに太陽の周りを回っていることを日常感覚で捉えることができますか、と問われれば、ミクロの世界で起こっているとされるものを真っ向から否定することもできない。一瞬一瞬が閉じ込められた多くのスナップショットを示しながら、これらすべてがわたしの宇宙だと説明しているのを聞くと、全く考えられない世界とも思えなかった。

このインタビューからかなり時間が経っている。その後の進展を知りたいものである。


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lundi 19 mars 2012


一夜明け、なぜバーバーさんの時間の考えにあまり違和感を感じなかったのかがわかる記事を書いていたことを思い出す

ひとつは、過去にあったすべての自分を現在に引き上げ、そのすべてとともに生きるというものだ
そこではいわゆる古典的な時間の流れは考えているようだが、それを超えて生きようとする姿がある
丁度、これまでのスナップショットを現在のスナップショットとと一緒にその辺りに並べている印象がある

過去の自分を現在に引き戻す VIVRE AVEC LE MOI DU PASSE (2007-01-30)

これは過去と現在の関係だが、現在と未来との関係についてもこんなことを書いていた
ある日、写真を撮るのは今というよりは未来の自分に向けてのメッセージとしての意味合いがあると気付くことになった
つまり、未来が現在になった時、上のお話と同じように今撮ったスナップショットが並べられることになる

時空を超えたやり取り ECHANGE AVEC MOI DU PASSE OU FUTUR MOI (2006-10-14)

バーバーさんのビデオが写真を撮っているところから始まった時に不思議な感じがしていた
それは、彼の話がそれほど違和感のないものになるのではないかという予感のようなものだろうか
こうしてわたしの過去を現在に引き戻してみると、益々彼の時間の考えに近いことがわかってくる
これまでにも書いてきたが、このように過去が今に蘇る時、微風が頭の中を吹き抜けるのである





mercredi 1 février 2012

トーマス・セデルキストさんによる伝記の描き方、あるいは科学者の生き方


Offenbach (1968)
Robert Pourvoyeur
(1924-2007)


昨年、今の領域に入ってから初めてエッセイを書いた(BioEssays 33: 552-554, 2011)。それを目にしたカナダのドナルド・フォースダイクさん(Donald Forsdyke)から、ご自身の論文とともに挨拶メールが届いた。免疫学の実験的な研究をやりながら、理論免疫学や免疫学の歴史を研究されている方である。言ってみれば、わたしの大先輩に当たる方と言えるかもしれない。そのフォースダイクさんから新年の挨拶が届き、いくつか論文が紹介されていた。本日、その中の一つ、トーマス・セデルキストさん(Thomas Söderqvist)の論文に目を通してみた。

Söderqvist, T. 2011. The seven sisters: Subgenres of Bioi of contemporary life scientists. J. Hist. Biol. 44:633-650

この論文ではご自身の経験を交えながら伝記のジャンルを分析している。ご自身の経験とは、以前に取り上げた免疫学者ニールス・イェルネさん(Niels Jerne, 1911-1994)の伝記執筆である。ブログの記事を見たセデルキストさんから連絡が入り、何度かやり取りがあったことを思い出す。



現代の科学者の伝記を書く中で、なぜ書くのか、それは何かのためになるのか、という疑問が生れ、そこから伝記のジャンルを分析し、これからの方向性を提唱している。まず、執筆の動機から以下の7つのジャンルを挙げ、それぞれについて解説している。

1) 科学史の一つの方法として
2) 科学知の成立過程を理解する方法として
3) 科学という営みの理解を増進するために
4) 一つの文学作品として
5) 偉大な科学者への讃歌として
6) 個人的な尊敬や愛の表現として
7) 科学者の生活を倫理的側面から分析し、科学の中でいかに善く生きるのかを考えるために

あくまでも恣意的な分類になると断っているが、最初の6つは理解できる。最後のジャンルは彼が執筆の過程で気付いたものだという。お国の哲学者セーレン・キェルケゴールさんは 「学者の場合、私生活と研究生活が別物であることが多い。重要なのは研究生活である」と言っている。しかし、セデルキストさんは考える。個人の私生活が公的な研究生活にどのように反映しているのか。個人の内面の表現としての研究生活という視点で科学者を描けないか。その解析が研究の倫理を考える上で参考になることはないか。アリストテレスの倫理でも行われている人生のあゆみや人間性をどのように形作るのかという省察をすることにより、科学の世界でどのように生きるのがより良い科学者人生となるのかという問に解を与えるような伝記が可能ではないか。

そこで嬉しいことに、このブログではおなじみのピエール・アドーさん(Pierre Hadot, 1922-2010)が登場する。哲学には大きく二つの流れがある。一つは、体系や概念、理論に重点を置く哲学で世界の成り立ちや知の体系を考える。もう一つは、生き方を観想する哲学で真理や徳を実際に生きる実践の哲学である。アドーさんは後者の道を重視すべきとの考えだった。セデルキストさんはこの二つの考え方を科学の営みにも応用することを提唱する。つまり、自然界を理解するためにどのように科学を進めたのかということと一人の人間として自己とどのような向き合い、科学者としての自己を形作って行ったのかという両面から描くことである。そうすることにより、科学者だけではなく一般の方の生き方を考える上での示唆を与えることができるのではないかという思いがあるようだ。




科学者の立場から見ても、キェルケゴールさんが言うように、専門の部分でどれだけの貢献があったのかだけが問題になるのがこれまでの流れであり、これからもその傾向は強まることはあるにせよ、弱まることはなさそうである。この現象は、一人の人間の全体が消え、その人間の専門家としての部分だけが評価の対象として浮かび上がるという現代を象徴するものと言えるだろう。それで本当によいのだろうか。この状態が続くと、人間が本来持っているかなりの部分が間違いなく死んでいくのではないだろうか。そのことに気付くかどうかは別にして。もちろん、これは科学者だけの問題ではないはずである。




jeudi 3 novembre 2011

ジュール・ボルデの言葉


ジュール・ボルデ Jules Bordet
(Soignies le 13 juin 1870 - Bruxelles le 6 avril 1961)


« On dit souvent que la vie est belle : elle l'est pour ceux qui en jouissent, elle l'est davantage encore pour ceux qui cherchent à la comprendre. » (Jules Bordet)

  「人生は美しいとよく言われる。人生を堪能している人にとってはその通りである。さらにそれを理解しようとしている人にとっては尚更である。」 (ジュール・ボルデ)


ベルギーに生れた彼は、1892年にブリュッセル自由大学 (Université Libre de Bruxelles) で医学を修める。1894年からはパリのパスツール研究所、イリヤ・メチニコフ Ilya Metchnikov (1908年、免疫研究によりノーベル賞受賞) の研究室で研究した後、ブリュッセルにパスツール研究所を設立。1906年には百日咳菌を発見。学名を Bordetella pertussis と言い、彼の名前が付けられている。補体結合反応という免疫反応の原理も発見。免疫研究の功績により1919年にノーベル賞受賞。パスツール研究所の免疫研究棟 (メチニコフ・ビル) のセミナー室に彼の写真が飾られていたように記憶しているが、、。



mercredi 12 octobre 2011

クリスチャン・ド・デューブさんの人生と世界観

Christian de Duve


クリスチャン・ド・デューブChristian René de Duve, né le 2 octobre 1917, en Angleterre)

著者はイギリス生まれのベルギー人で、細胞内小器官であるリソソームペルオキシソームの発見により1974年にノーベル医学生理学賞を受賞している。ベルギーのルーヴェン・カトリック大学Katholieke Universiteit Leuven) で研究の後、ニューヨークのロックフェラー大学でも研究室を持ち、大西洋を跨いで活躍された。1917年生まれなので、御歳94。


この本は簡素な自伝で、若き日の教育環境や研究生活を振り返り、いくつかの分岐点があったことを指摘している。そこにジャック・モノの言う偶然と必然の組み合せを見ている。細胞の生化学、細胞生物学に集中した後は次第に大きな絵に興味が移り、生命の起源、人類の歩み、脳機能、さらには 「意味」 についての思索へと進んで行く。

ド・デューブさんはわれわれの遺伝子の中には 「集団のエゴイズム」 が生き残っていると見ている。異なる者に対する攻撃性が潜んでいて、「遺伝子の原罪」 の虜になっているという。ド・デューブさんのお国も言語による対立が表面化している。また、「核ホロコースト」 という言葉を使って最近の日本の状況にも触れている。この状態を変える希望は、遺伝子の機能を後天的に変えるエピジェネティックな作用の中にあるのではないかと言っている。それは教育で、そのためには教育者が必要になる。教育者を求めるには師や賢者が必要になる。たとえそのような人が稀に見つかったとしても、その声に耳を傾ける人たちがいなければならない。

ド・ デューブさんは子供の頃、イエズス会で教育を受けている。それから科学の道に入り、後年ダーウィンの進化論を研究することになる。そして、80年の歳月を経て、教育者となるべき人が二千年前にすでにいたことを悟ることになる。それがキリストだと気付いたという。その教えが遺伝子の重荷からわれわれを救うと考えており、東洋にも例えば仏陀や孔子などの師がいるはずであると語っている。




現代にはいろいろな対立がある。両者の差異をなくそうとするのではなく (それは不可能だろう)、対立を認め、それを乗り越える方向性を探ることがこれからやらなければならないことだろう。そのためには、できるだけ多くの哲学者、道徳家、科学者、他の領域の思想家が 「知的誠実さ」 (l'honnêteté intellectuelle) を以って両者が合意できるところを探さなければならないと考えている。そして、ド・デューブさんにとって基本になるのはキリストの言葉である。この本では l'honnêteté intellectuelle という言葉が何度か使われており、その度に自らの心に問い掛けていた。

デカルトの心身二元論についての否定的な考えも語られている。死する身体と永遠の精神、物と心、res extansares cogitans。この異なるものが松果体で相互作用とするとデカルトは考えた。ド・デューブさんは単純に論理的に考えて行く。もし精神と物質が異なる本質を持つとした場合、どのようにして相互作用が可能になるのか、という疑問である。そして、物質と精神は異なるのではなく、一つの現実の別の面が現れたもので、この二元論は一元論にその場を譲らなければならないと結論している。

ド・デューブさんを煩わしたもうひとつの二元論がある。それは創造主 (神) とその作品が別物であるとする二元論である。19世紀初めにウィリアム・ペイリー (William Paley, 1743–1805) が 「自然神学」 の中で、時計の比喩を使って創造主の存在証明をしている。道に転がっている時計を見た時、その複雑な構造物はそれを造った人の存在を考えなければならない。同様に、宇宙の複雑な存在を目にした時、創造主を想定しないわけにはいかないと考えた。そこで出てくるのが、一体その創造主を誰が創造したのかという疑問だ。幹細胞のように、創造主が自分自身をも創造したのか。神学者が言うように、創造主は創造されるものではなく、そこにあるものなのか。あるいは、スピノザ (1632-1677) が唱える汎神論pantheism) のように、自然そのものが神なのか。物理学者の中には創造主を考えることなく、物理的な原理の想像を絶する偶然の成果として生命と知性が生れたとする新たな自然神学も生れている。ド・デューブさんは信仰やこれらの推測から距離を取り、上に述べた一元論で行きたいと考えている。



samedi 24 septembre 2011

頂点と地獄を見た二人の科学者: フリッツ・ハーバーとロバート・オッペンハイマー


「化学兵器の父」 と言わるフリッツ・ハーバー (1868–1934) という化学者がいた。非常に野心的だったようで、ユダヤ人だったが後に改宗している。第一次世界大戦で使われた毒ガスの開発に関与。同じく科学者であった妻のクララはその方向に同意せず、1915年銃で自殺。息子も自殺している。1917年に再婚。1918年にはアンモニアの合成などの業績でノーベル化学賞を受賞。後にナチがガス室で用いることになるツィクロンBのもとになったツィクロンAを作る。ベルリンではアインシュタインとも親交があったが、ヨーロッパの将来の捉え方が全く異なっていた。ドイツに忠誠を誓い、社会に受け入れられるために努めてきたハーバーだったが、ナチの台頭で国外に逃れざるを得なくなる。最終的にはスイスで亡くなり、最初の妻と一緒に葬られている。アインシュタインはハーバーの人生をドイツのユダヤ人の悲劇であると語っている。

彼の人生が語られているBBCのサイトがある。 The Chemist of Life and Death





ハーバーと重なるロバート・オッペンハイマー (1904-1967) の複雑な人生も眺める。この映画では証言がふんだんに取り入れられていて、実像が浮かび上がる。若き日の彼は感情面での発達にバランスを欠き、未熟な人間として映ったという。ハーバード大学を3年で卒業後、ケンブリッジ大学で実験物理学を始めるが科学者としての才能に疑いを持つ。しかし、ドイツで理論物理学をやるようになり、自分の進むべき道を見つける。25歳にして世界的な研究者としてアメリカに戻り、カリフォルニアで教え始める。講義は難解を極めた。彼の言葉は常に計算されていて、心から出ているようには見えなかった。それは高慢さからなのか、優越性を示すためだったのか。いつもステージに上がっているようで、同僚としての付き合いは難しかったようだ。

常に科学だけに興味を持っていたが、1936年から社会の動きにも興味を示すようになる。最初の恋人になる医学生が共産党員だったこと、妻になる女性も元共産党員だったことも関係しているようだ。彼自身が党員だったという証拠は残っていないようだが、妻だけでなく彼の弟も弟の妻も共産党員だったことからシンパシーは感じていた。国家の機密を知り過ぎた男として厳しい監視下に置かれる。原爆の後、冷戦期に入ると国への忠誠が問われることになった。

科学者としての最高の栄光に辿り着き、それがために地獄をも味わうことになった二人の科学者。第一次大戦に関わったフリッツ・ハーバーと第二次大戦に関わったロバート・オッペンハイマー。いずれも複雑な人間だった。科学者としても優秀だった。科学を進める魔力的な力をこの二人は内に秘めていた。今は単純に裁くのではなく、それぞれの中をもっと知りたいという気持ちが湧いている。





dimanche 22 mai 2011

新しい世界への道、あるいは Habits of thought との闘い



先週、パスツール研究所でフランソワ・ジャコブFrançois Jacob, 1920- )とジャック・モノー (Jacques Monod, 1910-1976)によるオペロン・モデルの発表から50年を記念した下記のシンポジウムがあり、参加した。考えておくべきことがあったので、書き留めておきたい。

EMBO Workshop on
the Operon Model and Its Impact on Modern Molecular Biology
(May 17-20, 2011; Institut Pasteur)

The review article entitled “Genetic Regulatory Mechanisms in the Synthesis of Proteins“ or in brief the “Operon model” by François Jacob and Jacques Monod was published in the Journal of Molecular Biology on June 1961 (J.Mol.Biol. 3, 318-356, 1961).


シンポジウム最終日最初のセッションにはポール・ナースさん(1949- )とリズ・ブラックバーンさんという2人のノーベル賞受賞者が登場し、濃密な時間が流れた。ブラックバーンさんは冒頭カバンの中から取り出したフランソワ・ジャコブさんの La Statue intérieure (1987) の英訳本 The Statue Within: An Autobiography (1995年版) の一節を読み上げ、今日のテーマはこれですと言ってから話し始めた。それは研究をする時にしばしば戦わなければならない "habits of thought" (ジャコブさんの言葉では、les habitudes de pensée)。ある枠に嵌った考え方の癖のようなものだろうか。一つの事実が明らかになった時、それまでの固定化された見方・考え方でその事実を説明しようとすると、本当のことを見逃すことがある。その固定観念から自由になることによって初めて発見に繋がるということを言いたかったのではないだろうか。彼女の主張は自分の研究室から出てきたデータを元にして話を進め、しかもそれがいくつも出てくるので説得力がある。2009年に賞を貰ってから時間が経っていないせいだろうか。研究に向けての集中力が一番高い印象を持った。

同じセッションでオックスフォード大学のキム・ナスミスさん (Kim Nasmyth, 1952- ) が話した中にも類似の現象があった。1900年にメンデルの法則が再発見され、1902年にはメンデルが示した遺伝を支配するものは染色体にあるとする染色体説ウォルター・サットン (Walter Sutton、1877-1916) とテオドール・ボヴェリ (Theodor Boveri、1862–1915) により提唱された。しかし、この考え方がすぐに受け入れられることにはならなかった。その説明としていろいろあり得るだろうが、こういう説明をしている人がいる。細胞が違うとその機能も変わってくる。しかし、どんな細胞を見ても染色体は同じ姿をしている。同じ姿をしているものが違うことをやっているはずがない、と考えたのではないかというもの。観察されたものがすべてで観察されていないものが存在する可能性はその精神活動の中にないということだろうか。キムさんはもう一つ興味深いことを言っていた。それは、オペロンの研究はフランスのデカルト的論理とイギリスの経験主義的なやり方 (wet experiment) がうまく調和した極めて稀な例であるというもの。英仏の長い歴史が醸し出すものをそこに感じていた。

この日のトップバッターは細胞周期の専門家ナースさんだった。研究の内容を評価することはできないので何とも言えないが、こんなことを話していた。このデータはわたしが人生を掛けて細胞周期の調節に大切だと言ってきた分子が実は必須ではないことを示すものである。これを2度ほど言っていたのではないだろうか。そして、別のプロジェクトでは調節に必須である可能性のある新しい分子が出てきているというお話も出ていた。

上の御三方のお話を聞いて印象に残った一つは、発せられる言葉が精神活動の状態を示し、しかもそれが体と一体になって活動しているように見えたことだろうか。ブラックバーンさんは強調したい時には爪先立つようにリズムを取りながら体を上下に動かして話していた。また、ナスミスさんが強調する時は、細身の体を折り曲げるようにしながらお腹から大きな声を出していた。それぞれのプレゼンテーションには集中力と緊張感が溢れていて、質疑応答もリズム感があり、聞いていて気持ちがよい。こういうやり取りを見ていると、科学とは単に事実を見つけるだけではなく、その後の処理の仕方が重要になることに気付かせてくれる。そこではここで言うところの 「科学精神」 を十全に発揮しなければならないだろうし、デモクラティックな姿勢も求められるだろう。これらの精神的な側面がわれわれの中に根付くようになるまでには一体どれくらいの時間がかかるのだろうか。




Habits of thought は学問の世界だけの問題ではなく、われわれの営みすべてに当て嵌まるだろう。目の前に現れたことをそれまでの囚われの心から離れて見直すこと、それが新し い未来を生み出す原動力になるはずである。それを可能にするためには、われわれの考え方は最初からある枠に嵌った癖があることを意識していなければなら ず、その上でその考え方と戦わなければならない。そんなに易しいことではないことは、現実をみればよくわかる。Habits of thought からの脱却、あるいはその必要性を多くの人が共有することが閉塞感を解くひとつの有効な方法にならないだろうか。

ところで、日本の書架には The Statue Within 1989年版があるはずだが、じっくり読んだ記憶がない。ビブリオテークの方に聞いたところ、非常に感動的な本だったと言っていた。昨日原著にざっと目を通してみたが、ジャコブさんを取り巻く環境が見え始めたこともあるのか、非常に興味深いお話が次々出てくる。いずれその美しいフランス語の中に身を委ねてみたいものである。

The Statue Withinグーグル・ブックスでも読むことができる。
日本語訳は 「内なる肖像―一生物学者のオデュッセイア」 (1989、みすず書房)。


samedi 21 mai 2011

ヴァレリー・ペクレスさんの挨拶 - 最後は哲学と文化の問題か



先週、パスツール研究所でフランソワ・ジャコブFrançois Jacob, né le 17 juin 1920 à Nancy)とジャック・モノー (1910-1976)によるオペロン・モデルの発表から50年を記念した下記のシンポジウムがあった。

EMBO Workshop on
the Operon Model and Its Impact on Modern Molecular Biology
(May 17-20, 2011; Institut Pasteur)

The review article entitled “Genetic Regulatory Mechanisms in the Synthesis of Proteins“ or in brief the “Operon model” by François Jacob and Jacques Monod was published in the Journal of Molecular Biology on June 1961 (J.Mol.Biol. 3, 318-356, 1961).


2日目の夕方。公務の都合になるのだろうか、予期せぬ時間に高等教育・研究大臣のヴァレリー・ペクレスさんの挨拶が入った。挨拶の前にフランソワ・ジャコブさんがゆっくりとした足取りで会場に入ってきた。フランスの大臣の話を聞くのは今回で三度目になる。最初は、生命倫理の会での保健省大臣のロズリン・バシュロー・ナルカンさん。それから世界哲学デーで聞いた国民教育相のリュック・シャテルさん。いずれのお話も感心して聞いていたが、今回も例外ではなかった。

生命倫理とフランス語で暮れる (2010-03-29)
「世界哲学デー」 を発見 (2010-11-18)

ペクレスさんはこちらに来た当時、アメリカ化とも言えるような大学改革を推し進めていて、テレビで見かけたことがある。弁が立ち、押し出しもよく、大学にとっても手強い相手だろうという印象を持った記憶があるが、それ以来だ。4年前の印象では小柄な方かと思っていたが、長身で颯爽としているのに驚く。本当に押し出しがよい。会場の空気が引き締まる。

フランス語で話し始めた冒頭からフランスの医学・生物学の哲学者ジョルジュ・カンギレム(1904-1995)の引用が入り、暫くの間彼の生物学の哲学について語っていた。そして、オペロン・モデルの発表は単に分子生物学の幕を開けただけではなく、われわれの生命に対する考え方を変えた哲学的な革命であり、人類の思想史に深い刻印を残すものでもあったと続けた。さらにジャコブさんに向かい、あなたは自らの発見について深く明晰な省察をし、そこから哲学的、倫理的、政治的な意味を見出し指摘した真の哲学者であると称賛の言葉を贈っていた。政治家がこのような称賛の仕方をする国であることに驚いていた。

途中、フランスの大臣はフランス語で通すことになっているのですが、とほんの少しだけ冗談めかして語った後、英語でも続けていた。これからの課題として、遺伝、遺伝子を超えた機構(エピジェネティックス)、脳すなわち思考、幹細胞、老化、統合生物学などを挙げ、同時に明晰な精神による幅広い思索が人類のために求められることを指摘していた。科学のリズムが変わってきている中、フランスの活力や世界における指導的立場を維持するために研究面での充実を図る決断を数ヶ月前にしたことなどを話してお話は終わった。

今回も日本の政治家からはなかなか出てこないようなお話を聞くことができた。これをどう見ればよいのだろうか。ペクレスさんも忙しい政治家なので、こなしている側面もあるだろう。そうだとしてもそれを支える人の教養の違いになるだけである。思索を刺激することのない当たり障りのない言葉が並べられるだけでは、それでなくても閉塞感が溢れていると言われる国内の空気は淀む一方だろう。正確な言葉、核心を刺激する言葉は世界を拓く力を持っているはずである。言葉ではないと言ってやり過ごす道もある。しかし、結局のところ、まず言葉を磨くところから始めなければ未来は開けないのではないだろうか。幅広く論理的に考え、正確な言葉を使うことは哲学の領域で重要になることである。この点は、昨年の 「世界哲学デー」 においてリュック・シャテル大臣がこれからのリセ教育において強調すべきだとして話していた。科学においても、われわれの日常においても哲学がその根を支えているのでなければ、われわれの文化は底の浅いものにしかならないのではないか。そんな想いとともにペクレスさんの挨拶を聞いていた。