jeudi 30 avril 2009

豚インフルエンザ (Grippe porcine; swine flu)


今日の Le Monde、New York Times から。

WHOの発表によると、ウイルスの伝搬は収まりを見せておらず、警告レベルを4から5へ上げた。最高が6で、世界的流行 (パンデミック)の状態を指すので、その前段階ということになる。各国に早急な対処を求めている。世界的に感染が確認されたのは148例で、死者は>10。症状は普通のインフルエンザと変わりないらしい。感染様式は呼吸器を介して人から人で、いずれの例も豚からの感染は確認されていない。しかし、ロシア、中国では豚の輸入を中止、エジプトでは当局が家畜の豚を殺す決定をしたため、当事者との間で悶着が起こっているようだ。WHOはまだ移動の禁止には踏み込んでいないが、フランスはメキシコへの飛行を中止するようにEUに要求している。

2500人ほどが感染(内、99例は感染確認)、168人の死者(8例は感染確認)を出しているメキシコでは、集会、商業活動の禁止、学校、美術館、ジム、映画館、レストランの閉鎖、サッカーゲーム観戦の禁止を打ち出し、これから始まる祝日には家に留まるよう求めている。ただ、警察署、銀行、空港、バス、地下鉄はそのままとのこと。

アメリカ(ヒューストン)では、23か月のメキシコからの子供が初めてこの病気で亡くなった。現在、10州で91例の感染が確認されている。火曜には5州64例だったので確実に増えている。大統領もテレビ演説で注意を呼び掛けたようだ。専門家はウイルスが新しいのでほとんどの人は免疫がないため、感染がこれからさらに広がると予想している。現段階の感染者の2/3は18歳以下で、学校は感染者がいる場合にだけ閉鎖するように指示されているが、これからより厳しい方策が取られるかも知れない。国境は感染防止効果が明らかでないとの理由で閉鎖されていないが、これに関してはマケイン、リーバーマン両上院議員が疑問を投げかけている。

カナダでは19例の感染。スイスでも初めての例が報告され、ドイツ、スペイン、イギリス、オーストリアに続いた。

mercredi 22 avril 2009

哲学する時間としてのフランス留学



2007年秋からパリにおいて科学哲学を学びながら考える生活をしています。仕事を終えた後でのこのような経験も何かのお役に立つのではないかと考え、執筆を引き受けることにしました。

2007 年春までは、自分の仕事は永遠に続くものだと無意識のうちに思いながら自然科学の分野で研究生活を送っていました。ところが定年が目の前に見えた時に初めて、この世には自らの力ではどうしようもないものがあることを感じ、そこから自らの終りにも想いが向かっていました。同時に、仕事で使われている頭の領域が極めて狭いことにも気づくことになり、すべてが終わる前の時間をできるだけ広く頭を使うように過ごしたいと思うようになっていました。大げさに言うと、それまでは仕事に追われて手がつけられなかった人類がこれまで積み上げてきた遺産に触れることなくこの世を去ることが耐え難いことのように思えたということになります。学生時代に聞いたリベラル・アーツという懐かしい響きも蘇っていました。

もう一つ、今から思うと重要だったことに、実に不思議なフランス語との出会いがありました。未だになぜかわからないのですが、2001年春にフランス語がわたしの前に突然現れたのです。それ以来、何かのためではなく、ただその言葉に触れることで感じる無垢なる悦びがそこにあるというだけでフランス語を続けてきました。目的なしにそのもののためだけにやるということは、わたしの人生で初めての経験かもしれません。

このような背景のもと、最初に思い描いていたことは、フランスで哲学関係の研究室に出入りしながら、自分の持っているすべての時間を自由に使って人類の遺産を発掘し、自らの思索を深めたいという漠然としたものでした。しかし、どのような具体的な方法があるのかわからずに試行錯誤を繰り返していたようです。結局、希望を満たすような形でこちらに滞在するには学生になる以外に方法はないというところに落ち着きました。何と入学手続き締切ぎりぎりのこちらに来る数か月前というタイミングでした。

留学先としては科学哲学関係のところを探していたのですが、メールでは埒が開かず二度ほどこちらに足を運んでいます。学生になることなど考えてもいなかったこともあり、こちらの大学の状況は何も知りませんでしたので、実際にこちらに来ることで得られた情報は計り知れないものがありました。もしこちらに来ていなければ事は進んでいなかったのではないでしょうか。この間、フランスの大学の状況を知るために日仏学院内のCampusFranceを訪問したことがあり、そこでフランク・ミシュランさんから伺ったご意見には大いに勇気づけられたことを思い出します。結果的には、パリ第1大学、第4大学、第7大学、それにエコール・ノルマルが参加しているLOPHISS(Logique, philosophie, histoire, sociologie des sciences:科学の論理学、哲学、歴史学、社会学)というコースがあることがわかり、第一大学のJean Gayon 教授にコンタクトを取ったのが始まりになります。

大学院は教授の勧め通りマスターコース1年目から始めました。フランス語を始めて5-6 年、こちらの大学でフランス語を学びましょうなどと考えていた者にとっては大変な学生生活になりました。フランス語はもちろんですが、マスター1年目は幅広く学ぶことが求められていますので全く新しい情報が怒涛の如く浴びせられる講義に圧倒され、最初の半年はこれから先どうしようかと考えていました。コースごとの小論文や学年のメモワールは大変ではあるのですが時間をかけられるので何とか処理できたのですが、筆記試験と口頭試問には苦労させられました。しかし、教授の助言は的確だったと思います。1年目のこの経験がなければ、2年目で求められるインタラクティブなクラスには全く付いていけなかったと容易に想像できるからです。お陰様で最近あったマスター2年目のプロジェクトを発表する会も何とかクリアし、現在は2年目のメモワールに取り掛かっているという状態です。

フランス留学がどのような影響を与えているのか、まだその途中なのではっきりとはわかりません。ただ、若い時にアメリカで研究生活を送り、その影響下で長い間過ごしてきた者にとって、功利主義的な傾向の少ない考え方に目を開かされていることだけははっきり言えると思います。ものを考える時にまず枠組みのないところから始めることの大切さを思う時、今フランス的なものの見方があらゆるところに求められているのではないでしょうか。そういう複眼的な視点が得られたことは今回の留学の大きな贈り物のように感じています。これから先どのようなことになるのかわかりませんが、日本とフランス、あるいは科学と哲学の境界でどのようなことができるのかを模索しながら進みたいと考えているところです。

ポーランドのクラクフにて(2009年4月21日)

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フランス政府留学局(CampusFrance) のホームページ
「フランス留学体験談」 のために



mercredi 1 avril 2009

JBS ホールデンに触れる "What I Require from Life" by J.B.S. Haldane



Near lake Winona, Madison, Wisconsin (1963)
J.B.S. Haldane, FRS (5 November 1892 – 1 December 1964)


今日届いたこの新刊書を摘み読みする。

"What I Require from Life: Writings on Science and Life from J.B.S. Haldane" (Oxford UP)

この科学者との最初の出会いは、わずか数年前でしかない。それは神田の古本屋で彼の伝記(日本語訳)を読み、その激しくも充ちた生き様に接した時である。その本のタイトルはどこかに控えているが、今すぐには思い出さない。おそらく、Ronald Clark 著の "JBS: The Life and Work of J.B.S. Haldane" (1968) ではないかと思う。いずれ触れ直す機会があるだろうと思い、その時は仕入れずに店を出た。そして今回、科学雑誌の書評欄で彼の本が紹介されているのを見て読むことにした。

この本は弟子にあたる方(ヒューストンをベースにしているが、パリ大学の客員教授にもなっている)が師の文章を編んだもので、マルクス主義者の時代(1937-1950)とインド時代(1957-1964)に分けられている。その中から前期の文章をいくつか読んでみた。ひとつは「科学の普及のための文章をいかに書くか」、もう一つはこの本のタイトルにもなっている「この人生に何を求めるのか」というもので、いずれも難しい言い回しを避けながらもスパイスの効いた文章となっていて興味深かった。人生と向き合っている様子が伝わってくる。

前者で印象に残ったのは、遺伝学の文章にダンテの神曲から7つの引用をして批判されたことを挙げ、人間の思想の連続性を示すことの大切さを説いているところである。科学の普及のためには普段教えられていない人間の知や営みの統合を強調することが必要になり、そこに真の価値があるとしている。これは私がここ数年感じてきた、科学をする場合に使う頭の領域が余りにも小さく、それだけで終わることに対する違和感とも共通するものでもある。

それから「人生に何を求めるのか」では、次の4つを挙げている。一つは、仕事。アリストテレスが幸福を喜びの総和ではなく、止むことのない活動と定義していることを引いている。二つ目は、自由。書き、話す自由。三つ目は、健康。そして最後は、友情。同じ平面に立ち、相互に批判できるような関係。これらは誰もが求めることだろう。しかし、彼はこれに冒険を加えている。危険のない人生はマスタードのない牛肉だと言っている。これはこちらに来てわかるようになった比喩になるだろう。

  "Life without danger would be like beef without mustard."

さらに、求めるのではないが望むものとして、本のある部屋、良質の煙草、自動車、毎日の風呂、庭、プール、近くにある海岸か川を挙げている。しかし、これらがなくても十分に満足して生活できるようだ。彼自身は求めるものを得ていると考えているが、仲間も同じように幸福を感じていなければ自分も満足できないという人間のようである。これは口だけではないということが伝わってくる。

最後に、この人生に求めるものとして死の条件について語っている。記録が残っている人間の最後として、次の三つの理由を挙げ、ソクラテスの死を最も羨むべきものと考えている。まず、自らの信念に基づいて死を選んだこと。それから、自らの求めるところをやり遂げ、しかもまだしっかりした状態(おそらく70歳くらい)で亡くなっていること。そして、最後は冗談を言い、笑って死んだことである。彼自身はすべてを満たすことは難しいと考えているが、もし二つを十分にやり遂げることができれば、友人は嘆きこそすれ、憐れむことはないだろうと結んでいる。



Lecturing at University College London in the 1950s