vendredi 6 novembre 2009

Daniel Dennett talks about religion, free will,,



Daniel C. Dennett is Austin B. Fletcher Professor of Philosophy, and co-Director of the Center for Cognitive Studies at Tufts University, Medford, USA.

mardi 3 novembre 2009

ミシェル・セールさんの 「地球の第三革命、あるいは世界の語られないこと」


ミシェル・セールさんの科学に関するエッセイを読む。それは当然のように、われわれを取り巻く広い世界との関係に繋がってゆく。わたしが感じ、考えていたことと余りにもよく響き合う。21世紀の大きな課題になるだろう。以下に、その概略を紹介したい。


 Michel Serres " La troisième révolution sur la Terre ou le non dit du Monde "

科学と社会との最初の緊張関係はガリレオ裁判になる。物理学者は 「世界」 について代数学の言語で語っていたが、教会の伝統は宗教的、神秘的、神学的なものである。ここで忘れがちなのは、この 「世界」 というものである。当時は、誰ひとりとしてガリレオの言うところを理解できなかった。古代ギリシャでも同様の裁判があり人は死んでいるが、中世のような考え方の対立ではなく、市民の義務を果たさなかったり、観察する態度によってさえ、死が宣告された。そこでは 「世界」 は対象になっていなかった。

よく言われることに科学と社会の二項対立がある。そこでは、賢者と軍人との緊張関係、生物学者・医学者と法律家・宗教家の衝突、創造論、倫理委員会の必要性、代理母の悲痛、、、などが強調されて語られる。少なくとも純粋科学は 「世界」 を対象にし、社会の側は社会や政治を扱う。古代ギリシャにおけるシテ(polis に由来)の管理・運営は都市が対象であり、「世界」 の問題ではなかった。

われわれと同様の国においては、この数十年で農民が70%から2%に減少した。社会に影響力を及ぼす哲学者、インテリ、政治家、ジャーナリストは若い時から人文社会科学にだけ接し、「世界」 のものを語る科学に出会っているだろうか。古代ギリシャやガリレオの時代から科学は自らを分割して、それぞれが世界を眺めてきた。しかし最近になり、グローバル・パートナーとして 「世界」 ということを言うようになってきた。諸科学を統合して、「世界」 を発見し、緊急のメッセージを社会に発している。

西洋文明や歴史は、少しずつ 「世界」 の問題から離れている。われわれの文化は都市で生まれ、その中でナルシストの行為をしてきた。田舎や素朴さや純粋科学や 「世界」 の外で生きてきた。それがここに来て急に 「世界」 が出現し、全体を見る視点が必要になってきた。現在の環境問題、自然災害、感染症などは、この視点なしには解決できない問題である。従来の二項対立では解決できないだろう。

ここで必要になるのが、「科学と社会と世界」 のトライアングルである。三者の立体的な関係である。現在のインターナショナルな機関は、結局のところそれぞれの国の利害の対立処理に追われていて、そこでは 「世界」 が除外されている。最近、空気、水、エネルギー、地球、生物種などを扱う国際的ではなく(non international) 「世界的な」 (mondial) な機関を提唱した。そこで 「世界」 を全的な対象として捉えると、それが新たな主体となり、新しい社会を形成することになる。これまでは受け身で存在していた 「世界」 が、決定的な要因となりわれわれの前に顔を出してきた。

科学にも変化が現れ、例えば地球生命科学(SciViTe ; la science de la Vie et de la Terre)という学際的な分野が新たな視点でこの問題を研究している。プトレマイオスは世界の中心に地球を置き、太陽はその周りを回っているとした。コペルニクスはその見方を180度転換し、主客を逆転させた。今起こっていることは新たに見方の転換を迫るもので、第三革命と言えるだろう。現在の危機は、「世界」 をその視野に入れない文化であり、政策ではないか。この問題解決には歴史はあまり役立たないだろう。全く新しい見方や行動が必要になる。

dimanche 1 novembre 2009

Freeman Dyson talks about universe, science, religion,,,



Freeman Dyson is professor emeritus of physics at Institute for Advanced Study, Princeton, USA.

jeudi 15 octobre 2009

マルセル・サンドライユさんと遭遇 Marcel Sendrail



ネットサーフの途中、トゥールーズで活躍した医者にして作家のこの方と遭遇。

Marcel Sendrail (né à Toulouse le 31 août 1900 et mort à Toulouse le 4 juin 1976)

サイトの紹介によると、患者さんの全存在に対するのが医学という信念を持っていたことが伝わってくる。病気についても同じ視点を持っていたのではないだろうか。いずれのリストに入れておきたい。
Histoire culturelle de la maladie (Privat, 1980) が「病気の文化史」と題して日本語に訳されている。

mardi 13 octobre 2009

ホメオパシーを見直す




以前に「『水の記憶』の科学者たち」と題して別ブログで触れたことがある(2008-4-14)。日本ではほとんど気にかけていなかったが、こちらでは日常的に見られるので不思議に思っていた。この分野を最初から敬遠するのではなく、なぜそれほどまでにこの療法が使われているのかという視点で見直してみようという気になる。以前に触れたベンベニスト博士の話を詳しく扱って有名な BBC の Horizon という番組を見てみた。

彼の発見は Nature 誌に発表されたが、その後の検討から根拠のないものであることになった。しかし、ホメオパシーはいまだに使われ、効果があると言う人がいる。プラシーボ効果の可能性もあるが、子供でも動物でも効果があるとすると心理的な影響では説明ができない。アレルギーに対しても有効だという結果を出しても、それに対する科学的説明がないということで医学の中心からは受け入れられない。

そこにジェームズ・ランディという奇術師がホメオパシーを証明した人に100万ドル出すと言い出し、ロイヤル・ソサエティの同意のもとイギリスの科学者による公開実験が始まる。どのような結果になるのか。














最後に、リチャード・ドーキンス博士によるホメオパシー批判を。途中、ホメオパシー専門医(特に資格はいらないようだ)との興味深いディスカッションがある。2005年の段階で Lancet 誌に発表された論文のデータを解析したところでは、ホメオパシーに効果は見られないという。

vendredi 9 octobre 2009

エドワード・ウイルソンさんの講演を聞く


昨日の就寝前、Edward O. Wilson さんによる進化と地球の未来についての講演を聞く。

  "Evolution and the Future of the Earth"


どこにいても先端のユーモアに溢れるお話を味わうことができる。
講演は今年4月にワシントンDCで行われたもの。
ウィルソンさんは1929年のお生まれなので、御歳80。
まだまだしっかりしておられる。

jeudi 8 octobre 2009

"Open System Science" のシンポジウムへ、やはり還元主義の克服か

Institut océanographique

今日は朝から海洋学研究所へ。ソニー研究所主催の "Open System Science" に関するコロックを聞くためである。以前からこの前は通っていたが、特に注意していなかったため海洋学の研究所とは思いもしなかった。大講堂の壁には海の絵が一面に描かれていて、これまでには感じたことのないゆったりした気分になる。

コロックのテーマとなっている 「オープンシステムサイエンス」 という言葉にはあまり接したことがない。こちらにその概要がある。方法論に関する知識はないが、これからの方向性はそうなるのではないだろうか。還元主義では時を止めた、限られた範囲の問題について解析するが、「オープンシステムサイエンス」 では偶然に溢れた歴史的な(時間軸のある)現象を解析する。そのために別の解析方法が必要になる。それから、これまでの外から見る視点ではなく、内に入ってそこから見る視点が求められるとのこと。扱う問題が複雑になっているのでその解決には還元主義の克服が必須になる。これまでの原理の追求の科学の中に逃げ込むのではなく (というような表現を所真理雄さんは使っていたと思ったが)、そこから問題解決の科学へ進むことを唱えている。そのため、科学の中に新らたにマネジメントという概念を加えている。還元主義者としてやってきた目を思い出して聞いたと仮定すると抵抗があるお話だろうが、今では全く違和感を感じなくなっている。

広い範囲を対象にする場合には、科学者をより哲学的にするのかもしれない。科学的態度としてはよいが、方法論を提供しないという批判を受けることがあると所さんが話していた。しかし、アームチェア・サイエンティストとしては、このような領域の方に魅力を感じるようになっている。実験データを出すことができないし、出す必要がない場合には科学を違う視点から楽しむことができるようだ。


dimanche 4 octobre 2009

エリー・ウォルマン記念シンポジウムより ― 「ウイルスは生きている」


昨年亡くなったエリー・ウォルマン(Elie Wollman, 1917-2008)を記念するシンポジウムに先週参加した。パトリック・フォルテールさんPatrick Forterre; パスツール研究所、パリ第11大学)がウイルスの定義、生命の起源に関係するお話をしていた。

彼の視点はいつもできるだけ広くものを見ようとするところが特徴だろう。今回の講演の前に、1961年に Scientific American (204:93-107)に発表されたフランソワ・ジャコブとエリー・ウォルマンのエッセイ "Viruses and genes" を読んでみたという。彼らの精神の中にも、自らの細菌遺伝学の成果を他の領域、特に癌の発生と結びつけるという統合的な視点が見られることを指摘している。現在の傾向はこれに逆行するもので、本来は一緒に考えなければならないウイルス、プラスミド、ファージなどの研究がそれぞれの分野に固まってしまい、ミーティングもどんどん細分化していると警告を発している。そんなこともあってか、来年6月には細菌とウイルスをまとめて考えるシンポジウムを計画しているようだ。



人の遺伝子の40%(~80%)はレトロウイルス由来であることが明らかになっている。ウイルスが人から遺伝子を盗んでいると考えられていたが、実は人の方がウイルスから遺伝子を盗んでいることになる。ウイルスやプラスミドが新しい遺伝子や機能の貯蔵庫の役割を担っており、細胞に創造性を与える元になっている。最近、真核細胞の核、細胞壁、ミトコンドリアの複製、転写などはウイルス由来で、胎盤、合胞体 (syncytium)などはレトロウイルス由来とする報告が出され、哺乳類の起源にも関与している可能性が高い。

また、人間とチンパンジーはおよそ600万年前に共通の祖先から分かれて進化したが、その遺伝子は96%~99%共有されている。両者に差があるのはレトロウイルスの組み込みの程度だという。ある意味ではウイルスが人間らしさを生み出していると言えなくもない。

フォルテールさんが強調したかったのは、ウイルスをどう捉えるかという点にある。ウイルスとは、という問になる。第一の問題(ドグマと言ってもよいだろう)は、ウイルスをウイルス粒子 (virion)と考えていることである。ウイルスをその生活環の中で見ると、細胞内にある時期は細胞をウイルス生産工場に変えることができる。しかし、これはウイルスは細胞をウイルス粒子生産工場に変えると改めなければならないだろう。

前の記事でも取り上げた巨大なミミウイルスを古細菌に感染すると、宿主の遺伝子は変性し、そこにあるのはウイルス・ゲノムだけになるという観察をしている。つまり、この古細菌はウイルスの遺伝子を持った細胞になる。彼は、ウイルスとは感染した細胞である、ウイルスは細胞生物であると提唱したいようだ。つまり、ウイルスは細胞であるので生きているとの結論になる。



さらに、生物の世界をリボソームとカプシドを持つ二つに分けるように提唱している。つまり、生命の世界は細胞とウイルスの二つに分かれるというものだ。興味深いお話である。最後にこう付け加えていた。この二つの世界(細胞とウイルス)は進化の過程で大戦争をしてきた。その戦争が進化のモーターであった。最近、この両者は相互に折り合いをつけるように進化してきたという、謂わば甘い考えも出されているが、彼は理由ははっきり語っていなかったがその立場は取らない。大部分の科学者は戦争を嫌うので、細胞とウイルスの戦争を過小評価する傾向があるのではないかと推測している。政治的には正しくないかもしれないが、戦争こそ新しいものを生み出す大きな力があると考えている。ジャコブとウォルマンのエッセイにも 「ウイルス感染の全過程は、一国が他国を占領するのに比することができる」 と書いている、と結んでいた。