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vendredi 16 mai 2014

人文・社会科学は医学教育にどう関わるのか

(左から) Vinh-Kim Nguyen (Paris & Montréal), François Villa (Paris),
Céline Lefève (Paris), Orkideh Behrouzan (Londres)の各氏


 昨日は朝から国立東洋言語文化研究所INALCO) へ

Institut national des langues et civilisations orientales

初めての場所で医学教育における人文・社会科学(SHS)をどう考えるかの一日とするために

Sicneces Humaines et Sociales

現代医学は統計学に基づく「真理」に寄りかかり、集団に当て嵌まる真理を基に個人に対処する

しかし、病気が一つひとつ違うように、病人も一人一人違う

医療の現場は、科学としての医学と社会の中にある人間が交わる場所であることは今でも変わらない

それを統計的な知を基に対処して良いのか


Former les professionnels de santé à la responsabilité et à la décision

このコロックの問題意識は、そこにSHSの役割があるのではないか

もしあるとすれば、それはどのようなものなのか、ということになるだろうか


Dr. Dick Willems (Amsterdam), Dr. Carine Vassy (Paris)


まず、アムステルダム大学で医学倫理について研究されているDick Willems さんのお話を紹介したい
 
Dick さんのテーマは、証拠に基づいた医療の時代における人文科学教育について

EBM:  Evidence-based Medicine

まず、オランダにおけるSHS教育の内容を4つに分けて紹介していた

一つは、医学が置かれている哲学的コンテクスト

その中には、意味を与える主体としての個人、個人差、自律とアイデンティティ、因果性、診断、予防などがある

二つ目は医学倫理の基礎で、安楽死、遺伝子治療、移植、新技術の導入などに関わる問題が扱われる:

三つ目は、科学と非科学の知について

そこでは、量的科学と質的科学、代替医療とその評価、実証的哲学と科学の社会学などが論じられる

特に、盲目の実証主義の危険性について注意を促しているという

そして第四は、医学、科学の歴史で、重要な発見や健康と病気の定義の変遷などが扱われる


その上で、医学にSHSを導入することにより良い医者が生まれるのかという問いを出し、検討していた

結論から言うと、次のような理解を助けるのでイエスであった

人間という存在の状況、文化的、社会的な相違や多様性、医学知を補完する知を理解するようになる

そのことにより、医療に携わる者としての責任を理解できるようになるという理由であった


こんなことを言った人がいるという

「科学に凝り固まった医者は、想像力を欠く詰まらない人間になる

一方、科学を無視して芸術家を気取る医者は、無駄におしゃべりをする人間にしかならない」

 つまり、良い医者になるためには、科学と芸術の両方が必要になる


SHSでは「意味」に重点が置かれるので、物語、映画、芸術作品などを教育に採用する

小グループでのディスカッションも有効になる

現象の背後にある意味やコンテクストについての洞察、理解が求められる

それは科学では避けられる曖昧さや複雑さを伴うものである


EBMの優れた点は認めた上で、Dickさんは価値に基づく医療(VBM: Value-based Medicine)への変換を訴えていた

ところで、Dickさんは何語で話しますか、オランダ語でもいいですよ、と冗談を言ってから話し始めていた

結局、何の不自由さも感じさせないフランス語でやっていた

羨ましい限りだが、もう驚かなくなっている








samedi 29 juin 2013

「医学の哲学」 国際セミナーで思考の違いを考える


医学の哲学を研究している若手のための国際会議がパリで開かれた


6月20日から22日までの3日間、パンテオン・センターが会場だった

わたし自身の研究テーマとは直接の関係がないこともあり、会があることは知らなかった

その中に3つのワークショップがあり、シニアとジュニアの二人で座長をすることになっていた

そして、なぜかわたしがジュニアの座長に指名されたのである

専門ではないのでお断りしたが認められず、参加を余儀なくされた

テーマは 「医学における知識と実践」

どんなことになるのかその場で観察するといういつもの危うい考えで、「こと」に臨んだ

それ以外には方法がなかったからでもある


アメリカ、カナダ、イタリア、フランスの若手が参加した会では多くのことを学んだ

まず、大雑把な印象から

アメリカ大陸の方は皆さん声がよく通り、話すのが速い

深く留まるように考えるところはなく、流してどんどん先にいく

そして、情報量が多い

一方、フランスの若手は考えながら言葉を紡ぎ出しているのが手に取るようにわかる話振りであった

知識の量よりは、一つの問題を掘り下げて考えるところがあるように感じた

イタリアの若手は何の衒いもなく、小気味よい論理の展開でどんどん前に進み、好感を持った


少し引いて彼らの話を見直してみると、次のような考えが浮かんできた

第一に、彼らの思考様式がわれわれのもとのかけ離れているように見えること

 また、思考が行われているレベルも違うように感じる

これは、抽象的概念を用いて論理的に考えることをわれわれが苦手としていることと関係がありそうである

その訓練を若い時からやっているのかどうかが、大きな違いとなって表れているのだろう

同年代の日本人の中に、彼らと同じレベルで話ができる人が一体どれだけいるだろうか

そんな疑問が頭を過った


もう一つ感じたことは、言語と思考の関係である

それは、フランスの若手が英語で言う muse しながら語っているような話振りを観ている時に浮かんできた

つまり、言葉が思索の道具として使われているのが見えるように感じたからである

言葉を発する時に単なる記号と堕しているのではなく、それが思考と密に繋がっているような関係が見えたのである

このように言葉を発する人は意外に少ないことに気付く

それは、時間をたっぷり取り、ゆっくり考えるという習慣が生み出すものではないだろうか

今、暇の只中にいる身であればこそ、そのように感じたのかもしれない

 忙しく仕事をしている時には全く逆の印象を持ったのではないか、と想像されるからである



ところで、会が終わった後、オーガナイザーからワークショップのサマリーを求めるメールが届いた

会の前に言ってもらえれば、もう少ししっかりと聴いていたのに、と恨み言でも言いたくなる心境だった

しかし、ここはフランスである

こちらに来てからは苛立つことはなくなっている

乏しいメモをもとに纏めて提出したところである
 
当日討論された内容に興味をお持ちの方は、以下をご覧いただければ幸いです