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mercredi 9 juin 2010
フィリップ・クリルスキーさんとのランデブー L'entretien avec Pr. Philippe Kourilsky
今朝はコレージュ・ド・フランスの教授であるフィリップ・クリルスキーさんとのランデブーのため出掛ける。今回はこちらのメールにすぐに返答していただき、秘書さんからも確認の電話が届くなど恐縮と感激が入り混じった状態でいた。少し早目に着いたのでカフェで考えをまとめる。正面玄関まで向かいに来ていただけるとのことで待っている時、昨日ENSでお会いしたばかりのD教授と再会。こちらでは自然に握手となる。しばらくするとクリルスキーさんが現れ、これまで入ったことのなかった奥の研究棟まで案内される。彼のところは外からは想像できない全く新しい内装になっていた。
オフィスに入ると、今回はどういうことを話し合いたいのかとの質問があり、これまでの経過と合わせて説明をする。特に興味があったのは、ここでも触れている現在の科学のあり方になる。一言で言うと、その方向性があまりにも有効であったため部分にしか興味がなくなり、全体をどのように捉えるのかという視点がどこかに行ってしまった科学についてである。全体に至る研究の趨勢とこの問題についてのお考えを知りたい旨を伝える。と言うのは、彼が全体に至る道を模索しているシンガポールの研究所の責任者にもなっているからである。
細かいことは省くが、全体をどこにするかで判断は変わってくるだろう。現段階では全体を細胞とした場合にはある程度のことが言える可能性があるかもしれない。しかし、生物個体になるとまだ道は遠いという印象を持った。この領域では数学モデルを作ることになるので、生物学に身を置いているとなかなか具体的なイメージが湧かない。今の政治は応用数学になってきたというのはスローターダイクさんの言だが、生物学もいずれ数学モデルの学問になるのだろうか。しかし忘れてならないのは、モデルを作る基になるのはあくまでもこれまで通りの個々の現象になる。これまでのやり方が失われることはないだろう。その上で、そこから抜け出た視点を持つことができるのかどうかが問われることになる。
1時間の対話の中で、多くの貴重な情報を得ることができた。情報という言葉に含まれる無機質なものを超えた何かを感じることができたのは幸いであった。その何かが何であるのかはこれから解きほぐしていくことになる。ご本人は哲学者ではないとのことであったが、最後に科学を取り巻く倫理の問題にも話が及んだ。上の写真でも机の上に写っている最近ここでも取り上げたばかりの本の内容にも話が及んだのは予想外の嬉しい出来事であった。
Le Temps de l'altruisme de Philippe Kourilsky
フィリップ・クリルスキー著 「利他主義のとき」 (2010年5月20日)
専門性と責任の関連を考える (2010年5月16日)
こちらの問をじっくり咀嚼して言葉を選びながら答えを返す姿を見ていると、最近失われているものを改めて確認するような思いであった。やはり伝統のなせる技なのだろうか。科学が哲学と密に絡み合い、それぞれの科学者の中に生きているのを感じることができ、充実した時間となった。彼の言葉の中に、「人間は常に考え続けなければなりませんからね」というのがあったが、私がフランス語に接した当初反応した réfléchir という言葉で表現していた。この言葉は確かに私の体を動かす力を持っている。またお話する機会が訪れるような予感とともにシャンポリオンの横を通り過ぎていた。
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samedi 30 janvier 2010
システムとしての解析は可能か (III) シドニー・ブレナーさんの場合 (2)
分子生物学とシステム生物学の違いについて
分子生物学が還元主義に過ぎるのではないかという点に関しては、こう答えたい。われわれが何者であり、何をするのか、そしてどのように成長し、行動し、死ぬのかは、分子レベルで決められている。したがって、分子生物学の問題は遺伝子に書かれていることの意味を正確に理解することである。そこからひとつずつレベルを変えて解析を進めることで全体の理解に至るというやり方を取る。一気にレベルを飛び越えることは難しい。
システム生物学からは、分子生物学など必要はなく、アウトプットを測定し、そこから箱の中身を演繹すると言われるが、それは不可能だと思う。第一に、逆問題の解決は非常に難しい。第二には、彼らの測定は生物現象の限られた点を捉える静的なもので、本態に至ることはできない。時間の無駄だ。さらに、その測定から得られるデータの信憑性は非常に低い。例えば、同一サンプルについて、3人が3通りの方法で3つのchip arrayを行った場合、合致する確率はわずか10%しかない。つまり、大部分が無用の結果になる。データは私が言うところの CAP (complete, accurate and permanent) の原則を満たすものでなければならない。これを満たすのは、遺伝子配列だけである。
システム生物学の第三の問題は、因果性(causality)という視点がないことである。技術優先のやり方のため、仮説を立てて進めるということはない。興味のある病気や組織について大量に測定し、その結果をコンピュータ解析にかけるだけで、考える必要がなくなる。今や、生物学のトレーニングを受けていないシステム生物学者が増えているため、生物学においてどのように物事を証明して行くのかを教えなければならない状況になっている。
ビッグサイエンスの弊害について
大きなグループが増え、実験室が工場のような構造になってきているため、今の若い人は自分では何もできないと感じるようになっている。同時に、自分のやっていることについての全体的な考えを持ちあわせていない。何についてどのように解決していくのか、それが分からなくなっている。システム生物学が優勢になると、この傾向が増していくので私は発言している。システム生物学は新たな革命だと言っているが、分子生物学こそ革命でそれはまだ完結していない。間違った革命はいらない。
臨床研究について
今やヒトゲノムが明らかにされたので、ヒトを直接研究できるようになった。中間のマウスや他の動物は必要なくなった。これまでトランスレーショナル・リサーチと言って、実験室での基礎的知見を臨床に応用するベンチからベッドサイド(クリニック)が推奨されていた。しかし、私は全く逆の見方を取るべきだと考えている。それは、問題をクリニックで見出し、その問題を最新の科学で解決しようというベッドサイドからベンチという流れである。科学はクリニックから始めなければならないという考え方である。
この場合の問題は、基礎研究室を製薬会社のようにしてしまう危険性である。科学と技術をはっきりと分け、科学の場合には個人を、技術の場合にはプロジェクトを支援することである。しかもその目的に合わせた環境を別々に作る必要がある。基礎研究室で薬の探索をしようとしてもうまく行かないだろう。
これからの大学教育について
大学教育の大改革が必要だろう。第一に、ヒトの生物学のカリキュラムを新たに作ること。第二には、宇宙におけるわれわれの位置(どこから来て、何をやってきたか、など)を学ぶリベラルアーツ教育が必要になる。大学院については、有効な指導者制度の確立が求められる。今は多くの mentor が tormentor になっているとも言われる。
論文やグラントについて
まず考えなければならないのは、大量の情報をどのようにして知識に変換するのかということである。現段階では、膨大なデータを消化吸収するところまで行っていない。データを集めるところにはグラントが出るが、その後のデータの統合のところには金が出ない。今、生物学には理論が求められている。
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jeudi 28 janvier 2010
システムとしての解析は可能か (II) シドニー・ブレナーさんの場合 (1)
先日、この問題について免疫学での考え方を少し紹介した際に、システム生物学に批判的な立場を取る学者としてシドニー・ブレナーさんの名前を出した。彼の考え方を検討する前に、2000年にキーストンで聞いた講演の印象記が残っているので振り返ってみたい。
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Keynote Address に立ったSydney Brenner(Molecular Sciences Institute)は "From Genes to Organisms" と題して、スライドなしで一時間、ゆったりと噛み締めるように、時にはユーモアたっぷりに、また時には若い人への助言も交えながら話した。彼の話を聞いていると、考えることが如何に重要であり、また楽しいことであるのかと言うことがその全身から伝わってくる。そこにはあくせくとした経済至上主義的な科学のやり方とは無縁のものが漂って いて、西洋の科学の歴史と伝統というようなものをどうしても感じてしまう。
彼の話題は、現在ゲノムプロジェクトが花盛りであるが、遺伝子の構造が明らかにされた後の問題、すなわち塩基配列から遺伝子の機能、さらには個体の在り様が予測できるか、genotypeからphenotypeをcomputeできないかという根本的な問題についてであった。その骨子は、最近の論文にも述べられているので参照されたい(The end of the beginning. Science 287: 2173-2174, 2000)。
遺伝子情報から細胞、個体がどのように機能するか、どのような形になるのかをコンピュータで予測することについては、現段階では否定的であった。一つには、 細胞の中は、溶液の中に多数の分子が浮いていて、ランダムにぶつかり合っているようなものであり、あるプログラムで動いているというような代物ではないこと。生物現象はマスターコントロールなどされないランダムな出来事によっており、その中である分子が本来持っている機能を発揮できる相手と特定の場所、時間に出会った場合のみ作用するという程度のものでしかないこと(中心、マスターによる作為がないという意味では、宗教、神の存在とは相容れないもの)。したがって、遺伝子産物を作らせて、試験管や細胞内でそのやるべきことをやらせて、それを測定すること "measurements" によってのみ機能がわかるという。その意味で、これから重要になるのは今忘れられつつある定量的な解析 "quantitative analysis" である。ある分子が何個細胞にあり、その1個がどのような分子と相互作用しているのかということを明らかにすること。また、 "regulation" もこれからのキーワードになってくるだろう。biochemistry は死んだと言われるが、これからその再生が必要であり、事実細胞周期やシグナル伝達の研究などから "information transfer" を扱う新しいbiochemistry が生まれつつある。
彼は、ヒトの遺伝子を今予想されているよりは少ない5万弱ではないかと推定している。ゲノムの解明が終わった後は、その一つ一つの機能を明らかにしていくことが重要になるが、このことは5万人の生化学の教授を必要としていることを意味しているという。余談であるが、Arabidopsis のゲノムプロジェクトに関与している Elliot Meyerowitz (Cal Tech)によると、yeast は6,000、C. elegans は9,000、Drosophilaは14,000の遺伝子を持つのに対して、彼の扱っている植物は25,000と意外に多くの遺伝子を持っているという。一つには、外界の状況を感知するシステム(例えば、レセプター型セリンスレオニンキナーゼ遺伝子が100くらいはあり、それに伴うシグナル伝達系も発達していると想定される)と同時に、それに対応した毒素や酵素を作るための機構に用いられているようである。
若い人への助言として話していたのは、何かを始めようとする時にこれから扱おうとする対象がどのようなものであるのかについて、論理的な構造(logical structure) を把握しておかなければならない。これが弱くなっているのではないかという。また、教科書にあるようなドグマチックなモデルに囚われることなく(例えば、 細胞の中で、ある分子が線で引かれた道を動くというようなことはない)、実際に起こっていることを想像することが重要だということも指摘していた。心したい点である。
(2000年4月21日)
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このシンポジウムの2年後にブレナーさんはノーベル賞をもらっている。その時からかなりの時間が経過したが、最近の考え方を以下のインタビューで語っている。1927年1月13日生まれの御年83だが、全く衰えを知らず素晴らしいとしか言いようがない。
- An interview with... Sydney Brenner. Interview by Errol C. Friedberg. Nat Rev Mol Cell Biol. 9: 8-9, 2008.
- Interview with Sydney Brenner by Soraya de Chadarevian. Stud Hist Philos Biol Biomed Sci. 40: 65-71, 2009.
なぜシステム生物学は成功しないか
全体を理解しようとするのは大切である。しかし、システム生物学がやろうとしているのはデータを大量に集め、そこからモデルを作ろうとする逆問題(inverse problem)を扱っており、成功しないだろう。マイクロアレイで限られた時点で膨大なサンプルの測定をし、それをまとめてモデルを作り、最終的には理論にもっていくとしている。それは、部屋の中にドラムがあり、それにつながったコードから得られる情報を基にドラムがどういうものかを明らかにしようとするようなもので、ドラムそのものを触ることはしない。そして、正確な測定が難しい。それ以上に、進化の問題を抱えた生物の現象は常に揺れる可能性がある。
私が提唱する分子生物学のやり方は、実際の構成成分を扱い、それがどのように振舞うのかを解析した後に、全体の状態をコンピュータ解析するもので、これをこれからも進めることが重要である。
創発(emergence)について
そこでは 「全体は部分の総和より大きい」 と言われるが、正確には「全体は『分離して解析された』部分の総和より大きい」 となる。部分の総和より大きい全体などあり得ない。全体をcompute するのは部分の相互作用である。2万もの遺伝子をどのように扱って全体を解明するのかは生物学が解決すべき問題になる。しかし、生物学は多くの問題を解決できない。
分子生物学の仕事は、部分が何をしているか、何と相互作用しているかを方程式に入れることである。それは膨大な数の部分が反応し、動き回っているというシステムではない。そんなシステムはナンセンス。もしそうであれば、われわれは存在していないだろう。そこで生物学が見るべき単位は細胞であり、遺伝子や分子ではない。つまり、全体を細胞のネットワークとして見ること、つまりコミュニケーションの分野になる。全体の解明のためにはシステム生物学でも top-down、bottom-up でもない、middle-out とでも言うべきやり方が必要で、それは細胞から出発して生体に行き、細胞から分子に向かうものである。
(つづきます)
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