jeudi 25 août 2011

「学問的哲学」 と 「生き方としての哲学」 との調和



科学と哲学が対比される。それぞれの特徴を明らかにし、両者の関係を考えるのは 大変な作業だ。それはそれとして、同様の対立が哲学の中にもあると気付く。大学で教えられる学問的とでも言うべき哲学と自らの存在に照らした省察を主とする哲学との対比。それは、頭の中だけと体全身、専門職と日常生活、個別と全体と言い換えることができるような対比に見える。

この乖離に最初に気付いたのは、こちらの大学に来てすぐのことである。形而上学なるものが一体どういうものなのかに興味を持ち、自分の存在そのものに跳ね返ってくるような哲学が語られることを期待して講義を受けていた。もちろん、これまでの経験と照らしながら話を聞くことにより、省察や瞑想の世界に入ることはできた。しかし、講義そのものの中にその要素を見つけることは稀であった。大学における哲学というものが生き方としての哲学から大きく離れて いるためだろう。全体への視線が薄れ、科学者同様に哲学者と雖も小さな領域の専門家にならざるを得ない状況があるのだろう。それは哲学が大学で教えられるようになってからの宿命かもしれない。

わたしがこれまで哲学をやる中で感じていたアンビバレントな精神状態は、この対比をどう調和させるのかについて曖昧にやり過ごしていたことに原因があることに気付く。そして、われわれの生を全なるものにするためにはどちらか一方を諦めるのではなく、この二つとも思う存分打ち込めばよいだけなのだと決めることができたのだ。

そんなことを考えている時、こちらに来る前にパリを訪ねた折に出遭ったピエール・アドーさんの 「生き方としての哲学」 のことを思い出す。早速、関連本を読んでみたが、こちらに来る前の感覚が蘇ってくる。そこにわたしの求めていたことがある。自らの専門としての、謂わば頭だけの哲学に加え、実践に結び付く哲学、自らの全存在に跳ね返ってくる哲学がそこで語られている。哲学書を読み、それを華麗な言い回しで解説することで満足するのではなく、生きることを考え、生き方やものの見方を変えるために選択し、心を決めることが行われているかどうかがそこでは問われるのだ。このエピソードは、科学と哲学の関係についても改めて考えさせてくれる。

ピエール・アドー PIERRE HADOT " LA PHILOSOPHIE COMME MANIERE DE VIVRE " (2007-01-03)





ところで、今日読んでいた本の中にアトピー atopie という言葉が出てくる。アレルギー疾患の中で遺伝的素因のあるものに使われるが、この語源になっているギリシャ語の atopos (場所 topos がない、場所を超えて) について触れている。この言葉はソクラテスの特徴を記述するためにプラトンが使っているという。場所がないという原意から、奇妙な、変わっている、常軌を逸した、非常識な、型に分けられない、度を越した、などなどいろいろに翻訳が可能な言葉でもある。

過去の哲学者はこの言葉をどのように解釈していたのだろうか。モンテーニュはすべての生の形の普遍性や自由闊達さ、キェルケゴールは宇宙や個人の実存の表現、ニーチェは時代精神に対抗する哲学者の態度、ルソーは奇行や狂気などを考えていたという。atopos を 「場所を超えて」 の意味に解釈すると、わたしの考える哲学者の基本的な態度にも繋がっている。と同時に、哲学が正規に教えられている場所から離れたところから、新しいものを産み出すもとになる時代精神に抗する姿勢や自由闊達さなどが生れる可能性が高いのかもしれない。


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vendredi 26 août 2011

昨日の本には、プラトンがソクラテスのことを atopos と言っていると記されている。その一例として、「饗宴」 (Le Banquet ; Symposium) がある。宴の最後の方に登場するアルキビアデスがこんなことを言っている。手元にあるバージョンと拙訳を。
"But this man here is so out of the ordinary that however hard you look you'll never find anyone from any period who remotely resembles him, and the way he speaks is just as unique as well."

Plato, Symposium (translated by Robin Waterfield)

「しかし、ここにいるこの男 (ソクラテスのこと) はあまりにも常軌を逸しているのでどんなに厳しく見たとしても彼に少しでも似ている男を見つけ出すことは時代を超えて難しいでしょう。そして、彼の話し方もまたどこにも見られないものなのです」 (強調と註は訳者)



vendredi 19 août 2011

ミシェル・ペトルチアーニさんに触れる Michel Petrucciani, pianiste français



久し振りにジャズチャネルへ。
詩情溢れる澄み切った音が流れてくる。
自然に心に響いてくるのでしばらく聞き入っていると、
このピアニストの名前が続いた。
Michel Petrucciani, 1962年12月28日 - 1999年1月6日)


名前は知っていたが、こんな音楽を奏でるピアニストだとは知らなかった。
彼がフランス人だったことも。
名前は聞いたことがあるが、中身を何も知らない。
これまでこんなことばかりだ。
このままでは何も理解しないうちにこの世から去っていくことになるだろう。
そう気付いた時、何かに出遭ったその時に直ちに摩擦の痕を残しておくことにした。

今回も素晴らしいドキュメンタリーと演奏を味わい、記憶に傷を付ける。


















ニューヨークがもう懐かしく感じられる。
第二の故郷になるのだろうか。
遠くにありて思う方がよいのかもしれない。






 ステファン・グラッペリ
Stéphane Grappelli, 1908年1月26日-1997年12月1日)


ほとんど90歳で亡くなっているが、最後までとろけるような音を出している。






これはお暇のある方でなければ駄目だろうが、彼の世界を満喫できる。



mercredi 17 août 2011

「科学から人間を考える」 試みのお知らせ

科学に対する理解不足のために起こる不利益や不都合が多くなっています。その背景には科学を歴史、哲学などの広い視野から考える習慣の欠如があるように見えます。このような認識のもとに、今回、科学を歴史的、哲学的な視点から考え直す場として 「科学から人間を考える」 を設けることにしました。最初の会を以下の要領で開催いたします。

このような考え方に興味をお持ちの方、忙しい日常を離れて 「もの・こと」 を見直してみたいと思われている方、また高校生・大学生など社会に出る前の方など、お気軽にご参加いただければ幸いです。よろしくお願いいたします。
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日時: 2011年11月24日(木)
午後6時半~8時

定員: 約20名

会場: カルフール会議室Carrefour
東京都渋谷区恵比寿4-6-1
恵比寿MFビルB1



今回の会場では飲み物の注文が義務付けられておりますので

参加費を下記のように変更いたしました。
学生の方の負担が増えますが、ご了承いただければ幸いです。
(2011年9月30日)

参加費
高校生・大学生: 無料
一般 : 1,000円
この他、会場で飲み物1杯の注文をお願いします。


会の詳細は下記のサイトをご覧ください。


参加のご希望、お問合せは、以下のアドレスへお願いいたします。
hide.yakura@orange.fr

mardi 16 août 2011

映画 「夢」、あるいは黒澤監督の叱咤



ブログを始める時期に一致して写真を毎日撮るようになったと記憶しているので、写真との付き合いはもう6-7年なる。何はともあれ三文カメラをポケットに入れてから外出するのが常になった。今では面白そうな対象が向こうから寄ってくるような気がしている。すべてが偶然であり、必然でもあるという不思議な感覚である。対象を選ぶ時の決め手は色と形の配置が自分の好みに合うかどうかで、カメラを覗き、構図を決めてシャッターを押す。一瞬のことだ。


この夏の日本で仕入れた黒澤明監督の 「」 (1990年) の DVD を観る。映画が始まってすぐに画面の色と構図がわたしの好みに合っていることに気付く。と同時に、監督もそこに相当の神経を使っていることを想像させる。いろいろな夢が出てくるが、日本(人)の歩み、文明そのもの、あるいは科学信仰に対する批判が時に静かに、時に激しく語られている。こんな叱咤を受けているような気分になる映画である。

 「日本人、いや人間よ。目を覚ませ。そして、もっと考え、もっと賢くなれ」

仕事を離れ、こちらでたっぷりと考える時間が生れている今だからこそ、黒澤監督の感受性がごく自然に入ってくる。しかし、仕事をしている時にこれらの夢を観て、どれだけ体の芯から理解できただろうか。言葉面だけに終わっていたのではないかと甚だ心許ない。多くの重要な問題は歴史や哲学の助けを借りなければ正解に辿り着かないだろう。しかもその助けを受け入れるためには時間が必要になるのだ。この前提を理解し、実践することが、忙しく仕事をしている人にとって極めて難しい理由がここにある。事がなかなか動かない理由がここにある。

3・11以降有名になった 「赤富士」 のエピソードは知っていたが、同根の批判精神に溢れる作品だとは想像していなかった。