dimanche 24 mars 2013

カール・ヤスパースによる哲学講座に相応しい人材



「私は、大学の哲学講座はどんな事情のもとでも必要だと思っています。というのは、そうした哲学講座が設けられていて、少なくともその担任者が、将来哲学する人間がその講座を通じて再び広範な影響を及ぼすことができるように、その講座を維持しておくことが必要だからです。しかし講座担任者はどんな種類の人であるか、だれが講座担任者であるか、ということが問題です。これについて私は、今日では、哲学講座への招聘にあたっては、これまで一般的にそうだったように、つまらない経歴、つまり大学卒業試験、哲学の学位、大学教授資格の獲得、大学教授といった経歴に拘泥すべきではないと思います。そうではなくて、哲学するようになった人間が、学問の世界や実人生のどこにいるか、また、いまや偉大な哲学の伝承と結びつきながら、自分が思索したり経験したりしたことを、大学の哲学講座を通じて伝達しようという心がまえをもつようになった人間が、学問の世界や実人生のどこにいるかを探し求めるべきだと思います」  (武藤光朗訳)




dimanche 10 mars 2013

エッセイ 「パリから見えるこの世界」 第2回のご紹介


現在、総合医学誌 「医学のあゆみ」 に 「パリから見えるこの世界」 と題したエッセイを連載しております。キーワードとして、医学、科学、哲学、歴史、フランスなどを考えています。今回は第2回のエッセイを以下にご紹介いたします。ご一読いただければ幸いです。よろしくお願いいたします。






samedi 9 mars 2013

サイエンス・カフェ考、あるいは Gathering から Sci-Phi Cafe へ模様替え



2011年11月から始め、今月末で5回目を迎える

毎回同じ内容で2日間やっている

平均すると、各回2日で25名の方に参加していただいている

参加された皆様には改めて感謝したい


当初、この試みの英語名として何気なく The Gathering を選び、これまで使ってきた

 昨日、この会の特徴を説明するとすればどうなるかを考えていた

この試みを始めた時から一貫した考え方がある

それは、日本の空間に欠けているのではないかと気付いた点を基調に据えようということである

単なる事実で留まるのではなく、その背後にある思想や事実から広がる世界について思いを巡らすことである

科学に当て嵌めると、成果だけではなく、むしろ成果を生み出した精神の働きや成果を取り巻く問題に重点を置くことである

 科学論文で言えば、材料・方法や結果の先にあるディスカッションを充実させることでもある

論文の世界でディスカッションを広げることを制限する傾向が増しているように、現実世界でもその傾向が強い印象がある

事実を知ることで事足れりとして、そこから想像や統合に向かう精神運動が乏しいように見えるのだ

 そこで、この試みでは科学の話題を歴史や哲学の視点から見直そうとしている

現在、国の政策もあってか、サイエンス・カフェが花盛りである

すべてを調べたわけではないが、そこでは科学の成果を紹介することが中心になっている

事実を学ぶことに重点が置かれている

科学の内容を伝えることは大切なことである

ただ、それだけでは不充分に見える

明治期、日本は科学を導入するに当たり、科学の持つ精神には目も呉れず技術だけを取り入れた

当時のお雇い外国人が、そのことに驚いている

同じような状況が今盛んになっている科学の伝達においても見えるように思えてならないのだ

 ふわふわと浮いていて、どこにでも飛んでいきそうな感じとでも言えばよいのだろうか


ところで、われわれの試みはサイエンス・ポータルのサイエンス・カフェに紹介されている

ただ、所謂サイエンス・カフェとは違うように見える

かといって、哲学カフェ / カフェ・フィロというのでもない

敢えて名付けるとすれば、サイファイ・カフェではないか

Science と Philosophy の頭を取り、繋ぎ合わせた Sci-Phi である 

ネットで検索すると、このようなものは世に出回っていないように見受けられる

ということで、今回からこの名を正式に使うことにした

その名に相応しい内容に発展するよう努めていきたい