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lundi 3 août 2015

映画 "Examined Life - Philosophy in the Streets" を観る


哲学に関するドキュメンタリー映画 Examined Life (2008)を見つける

出てくる哲学者は以下の通り

コーネル・ウェストCornel West, 1953-)

アヴィタル・ロネル(Avital Ronell,1952-)

ピーター・シンガーPeter Singer, 1946-)

クワメ・アンソニー・アピア(Kwame Anthony Appiah, 1954-)

マーサ・ヌスバウムMartha Nussbaum, 1947-)

マイケル・ハートMichael Hardt, 1960-)

スラヴォイ・ジジェク(Slavoj Žižek, 1949-)

ジュディス・バトラーJudith Butler, 1956-)


それそれの哲学観が語られていて、参考になる

いずれも現代の問題と深く関わっている姿が見えてくる

庵暮らしの今のわたしには少々騒々しく映る

しかし、哲学の生々しい営みを知る上では実に興味深い









jeudi 5 juin 2014

「ヘルシンキ宣言50年」 のシンポジウムにて



 今週の火曜日、6月3日は朝からコロックを聴くために厚生省にいた

1947年のニュルンベルク綱領を経て、1964年に出されたヘルシンキ宣言の50周年を記念した会である


この宣言は、世界医師会WMA)が人間を対象とする研究に対して採択した倫理に関する文書になる

対象は人間だけではなく、人間に由来する資料やデータも含まれる

また、医師だけではなく、医学研究に関与する人にも勧めている  

ヘルシンキ宣言の全文は、こちらから


午前中はインフォームド・コンセントが取り上げられていた

フランス語では、Consentement (libre et) éclairé という

弱い立場にいる人に、説明して同意を得るとはどういうことなのか

そもそも「説明する」のexpliquer は、風呂敷を広げるようにするという意味のラテン語に由来する

「もの・こと」を包み隠さず見せ、伝えることである

ある方は、「忠実に、正確に、適切に」と形容していた

その上で同意となるが、consentement (同意)と sentiment (感情)は別である

同意には事務的な含みがあり、その人間の感情にまで達している保証はない

相手の感情が満たされるところまで行かなければ信頼(confiance)は得られないと経験者は語っていた

Dr Xavier Deau


一日こちらの医学倫理に関わる人たちの話を聴いた印象は、相当に充実しているというもの

残念ながら日本の状況はわからないので、比較するのは難しいのだが、、、

しかし、最後のまとめのセッションで興味深い指摘があった

世界医師会の次期会長ザヴィエル・ドー(Xavier Deau)さんの次のような発言である

******

世界の医学倫理におけるフランスの存在感は、欧米の他の国に比べると薄い

アフリカのフランコフォンの国に行ってもその傾向に変わりはない

(フランス語を使うスイス、ベルギーなどが入っているのか、はたまた英語の侵入なのか)

これまで世界で通用する原理的な考えを広める上でフランスは重要な役割を担ってきた

しかし、その力が弱まっているのではないか


新興国においてフランス的な精神を広める上で忘れてはならないこと

それは、援助するという考え方を捨てること

助けるとか考えを押しつけるのではなく、相手の話を聴き、理解し、寄り添う姿勢が必要になる

この原則に基づいて、フランスの倫理の考え方を広めていきましょう

******

世界医師会会長というよりは、フランス人としての発言であった

世界にフランス的価値観を広めようとする意識はまだ健在のようだ

翻って日本の状況はどうなのだろうか

別ブログでも触れたが、日本の「物」ではなく「思想」を広めるという考えが生まれることはあるのだろうか

鈴木孝夫博士の講演を聴く (2013-05-07)

国内の狭い枠の中で忙しくしているところからは広めるべき思想そのものが生まれてこない可能性がある

外に開かれた視点を持つことができるのかどうか

素人目にはそのあたりが決め手になるのではないかと思うのだが、、、

いずれにせよ、日本発の骨太の思想が生まれ出ることを期待したいものである




mercredi 5 mars 2014

緩和医療の倫理について、レフレシールする

Dr. Pierre Basset
(Centre Hospitalier de Chambéry, Université Paris-Sud)


今朝、緩和医療の倫理学についてのお話を聴くために大学まで出掛けた

 緩和医療の現場の責任者がこの問題をどう考えているのかに興味があったからだ

丁度書き上げたばかりのエッセイのテーマがこの問題と関係があったことがその背景にあるようだ


緩和医療にどう向き合わなければならないのかについて、いくつか

緩和医療は分野横断的な構造を持っていなければならない

単純には片付かない状況でどのように対応するのか

倫理的なリフレクションにおいて注意すべき点がいくつかあった

専門家、非専門家の枠、ヒエラルキーや形式を取り払うこと

その上で、すべての人が同じ地平に立ち、そこにある問題について一緒に考えるようにすること

その結果明らかになったことを、すべての人がわかる簡明な表現で外に開いていくこと

目の前の問題には常に複雑さが伴うが、それを解き解す必要がある

お話の中には「レフレクシオン」や「レフレシール」という言葉がよく出てきた

今起こっていることについて振り返ること、いろいろな規範についての知識や時間を要する営みである


それから、治療のための医療とそれ以外の医療が二分法で語られることが多い

しかし、その間に明らかな境界がない場合もある

治療のための医療だからと言って、緩和医療で問われる問題から逃れることができないことになる

最後に、緩和医療で問題になる倫理的視点を持った医療関係者の育成をどうするのかという問題が出ていた

 日本の状況はどうなのだろうか

質疑応答での印象は、問いの出方が複雑に絡み合いながら繋がっているというる印象があった

 それは問題の複雑さ、ニュアンスがそうさせているのだろう

つい最近までわたしの視野の外にあった医学哲学や生命倫理

 これからも注意して行きたい領域になりつつある




大学界隈も春到来である




samedi 8 juin 2013

ダニエル・デネットさんによる自由意志を聴く




アメリカの哲学者ダニエル・デネット(Daniel Dennett, 1942-)さんの自由意志についての話を聴く

2007年、エディンバラ大学での講演から





samedi 13 avril 2013

新しい 「知のエティック」 とサイファイ・カフェSHE


3月26日、27日、第5回サイファイ・カフェSHEを開きました。その時に話した内容には、このカフェの趣旨だけではなく、これからの知のあり方についての一つのアイディアが含まれていると思い、ここに転載することにしました。ご批判をいただければ幸いです。

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昨年、わたしの中で思考のあり方、知のあり方についての考えがぼんやりと纏まりを作ってきました。こうあるべきではないかという意味を込めて、それを新しい「知のエティック(éthique)」と呼び、大学や学会での講演で話してきました。まだ萌芽の段階ですが、その概略を特にサイファイ・カフェSHEでの営みとの関連でお話してご批判を仰ぎたいと思います。
この考えは、もともとはこれまでの試みでも触れたことのある19世紀フランスの哲学者オーギュスト・コント(Auguste Comte, 1798-1857)の人間精神発達の3段階法則を発展させたものになります。彼は社会学の創始者、あるいは最初の科学哲学者などと言われ、現代科学が採用した哲学である実証主義(positivisme)を提唱しました。また、アカデミアではなく、終生在野で活動した人物でもありました。
コントが提唱した人間精神の発展は次の3つの段階を経ることになります。第1段階は神学的(théologique)で虚構的な世界で、外界にある物体には超自然的な力、あるいは神的な性質が宿るとする呪物崇拝(fétishisme)から始まり、多神教(polythéisme)を経て一神教(monothéisme)に至る過程です。第2段階は形而上学的(métaphysique)で抽象的な世界で、次の段階に至る過渡的なものになります。そして、最後に来るのが実証的(positive)で科学的な段階で、人間の精神が辿り着く最高の状態であるとしています。最終段階のpositiveな状態に対するnegativeな段階とはその前の形而上学的段階を指しており、それを乗り越えて実証的段階に向かうとコントは考えました。それから、第一段階を幼児期、第二段階を青年期、最終段階を成熟期とも捉えており、人類の精神の発展過程が個人の精神の発達過程にも当て嵌まると考えていました。すなわち、前者を系統発生とすれば、個体発生にもこの法則が有効であると考えていたことになります。
人間精神が到達する最高の段階を体現する哲学は、実証主義(positivisme)と言われます。この実証主義は、経験から得られたものを論理的、数学的に処理したものだけがすべての有効な情報の基になり、省察や直観から得られる形而上学的な知を拒否する立場です。現代科学はこの哲学的立場を取り込むことにより発展してきました。つまり、形而上学、所謂哲学は現代科学の対極にある相容れない存在として捨て去られたのです。捨てなければ最高の状態には達しえないとコントは考えたわけですが、現代のほとんどの科学者もそう考えていると思います。わたし自身も現役の時には形而上学はおろか哲学という言葉さえ頭に上ることがありませんでした。その結果、科学が内包する価値や意味について科学は考える必要がなくなっただけではなく、それに言及することは科学的でないとされるようになりました。ハイデッガー(Martin Heidegger, 1889-1976)が看破したように、科学は考えなくなったのです。
科学の現場から距離を取り、哲学の領域から科学の状況を眺めるようになる過程で、わたしの考えが次第に変容していることに気付きました。コントの考え方の中には過去の考え方をすべて捨て去り、前に進むという進歩の思想が組み込まれているように見えます。しかし、過去にあった考えをすべて捨て去ることで多くのものを失っているのではないかと考えるようになったのです。それは、人間が本来持っている頭の使い方としては貧弱なものにしか齎さないのではないかという疑念に繋がりました。つまり、現代科学が採っているものの見方だけで人間の持つ思考の豊かさを十全に発揮できるだろうか、と自らに問い掛けることになったわけです。
それは、コントの言う第三段階の後に新たな段階を迎えなければならないという考えに結晶化しました。新しい第四段階となるその状態とは、第1段階の神学的なもの、第2段階の形而上学的なものをも科学的な第3段階の現在に引き上げ、人類の辿ってきた思考方法のすべてを取り込んで観察し考える世界をイメージしています。「科学の神学・形而上学化」とでもいうべきもので、フランス語で形容するとすれば、théologico-métaphysicalisation de la science(英語では、theologico-metaphysico-scientificな見方の動員)による新しい知の構築です。つまり、最高の知とされる科学知を事実の記載に留めるのではなく、科学知について人類が経験した思考方法のすべてを動員して考え直すという態度を導入することを意味しています。知識で終わる世界ではなく、知識から始まる世界を目指すことになります。
 「科学の形而上学化」などと言うと、そもそも対極にあるものを融合するような印象を与え、時代を逆行するのかという批判も聞こえそうですが、これは科学の現場に形而上学を持ち込むことではありません。現状では科学の営みと哲学などによる科学についての思索との関係がほぼ完全に遮断されていますが、そこに風穴を開け、両者が繋がることを当面の目標にしています。今は全くの真空状態にある科学を取り巻く環境に哲学的視点からこの世界を見ることの意義を注入することにより、科学者の意識をより重層的にこの世界を理解しようとする新しい知に開くことをその第一歩としています。
この試みでも何度か触れているデカルト(René Descartes, 1596-1650)の「哲学の樹」を基にこの問題を考えてみますと、次のようなイメージが浮かんできます。デカルトはすべての知(当時のphilosophie)の根に形而上学(現代の哲学)があり、幹が物理学で、そこから出る枝が医学や工学などの個別の科学であるとしました。しかし、個別の科学は形而上学から出た枝であるにもかかわらず、成長の過程でその根を切り離し、今ではほぼ完全に忘れ去った状態にあります。そのため、思考することのなくなった科学は自らを取り巻く問題に対応できないだけではなく、新たな社会問題をも生み出すことになりました。これからも生まれ続けると予想されるこれらの問題を解決するためには、「デカルトの樹」の逆転が必要になるのではないでしょうか。その世界では、忘れ去られた哲学がすべての学問を上から照らすものとして蘇り、科学者の意識に新たに上ることになります。つまり、個別の知識で終わる世界ではなく、集められた知識を批判的な視線の下に組み合わせ、関連付けながら統合するという精神運動による新しい知の確立を目指す世界になります。そのためには、専門に埋没する中で哲学に対して閉じている科学者や医学者の意識を哲学の側が新しい知のエティックへと開くように働きかけることが求められます。
この問題に関連させながらサイファイ・カフェSHEが目指す知について、わたし自身の経験を絡めて考えてみたいと思います。その経験とは、日本が行う仏検とフランスが行うDALFというフランス語の語学試験になります。結論から言いますと、仏検ではフランス語の知識が問われるのに対して、DALFではフランス語を使った思考が問われているように感じました。すなわち、仏検では単線的な対応(例えば、動詞の名詞化、穴埋め、書き取り=書き写しなど)が求められる答えが一つの世界で、知識を問う目的には叶っているのかもしれませんが思考の必要はなく、何處までも小手先の作業に終始します。これまでの比喩で言えば、事実で終わる世界です。
 一方のDALFでは「もの・こと」の関連付けや動的な思考が要求され、自らがその結果を紡ぎだす必要があります。答えは一つではありません。休眠中だったわたしの脳は、そこで展開される自由な精神運動に初めてのような喜びを感じていたことを鮮明に思い出すことができます。いろいろな事実が平面上に何の関連もなく並べられた世界ではなく、一つひとつの事実から始まり、それらが有機的に繋がりながら垂直方向に立ちあがっていくイメージを持つ新たな世界がそこにはありました。それほど大きな違いを体感していたことになります。仏検の世界をこれまでの知の状態だとすれば、SHEが目指すのはそこに留まるのではなく、DALF的なダイナミックな思考を動員した新たな次元の知を構築する世界とも言えるものです。少し大きく言えば、それこそが日本がこれから採るべき思考様式ではないかと考えています。
 第5回サイファイ・カフェSHEでの発表から


jeudi 13 janvier 2011

アンリ・アトラン著 「試験管の中の哲学」に見る科学と神話 " La philosophie dans l'éprouvette " de Henri Atlan


La philosophie dans l'éprouvette

de Henri Atlan (né le 27 décembre 1931 en Algérie)


今日手に取ったのは、昨年10月に出てすぐに手に入れたアンリ・アトランさん(79歳)の「試験管の中の哲学」という対談本。その第一章「神話、過去と未来: タルムードからポストヒューマンへ」をゆっくり読む。生物学・医学だけではなく哲学もやってきた方なので、参考になるところが多い。アトランさんのご意見を拝聴したい。

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まず、生物学者であり、哲学者でもあることについて、それは可能であるし、時に望ましいことでさえある。人によっては哲学をやってから科学に入ったり、逆に科学から哲学に入る場合があるが、私の場合は科学と哲学を同時並行で続けてきた。高校の終わり頃からヘブライ語を始め、伝統的な文章を読むうちに自らの実存に関わる問題を考えるようになった。そこからプラトン、カント、ニーチェ、ベルグソンや現代の哲学者を読むようになり、哲学史において特別の位置を占めるスピノザに出会った。そして、長い時間の後、問の性質と解の性質との間にある違いに気付いた。それは、問が哲学的で理性に訴えるのに対し、解の方はしばしば神話に向かうということである。

高校時代から生物学に興味を持っていたので、医学を学ぶのは自然の流れであった。ただ、医学校が終わって気付いたことは、その知識が如何にも表面的だということ。そこで、物理学、生物学、さらに生物物理学を学ぶことにした。医学部で生物物理学教授をしていた最後の方では、幸いなことに実験研究をやりながら社会科学高等研究院EHESS)で哲学研究の指導を依頼された。

新しい人類、あるいはポストヒューマンの時代を向かえていると言われるが、人類の誕生以来、人類は人類で変わらない。もちろん、これからテロや中近東の紛争に触発された核爆発はあるかもしれないし、進化はするだろう。しかし、私が興味を持っているのは、20世紀という僅か100年で起こった人間の状態の変化である。それは二つしかない。一つは洗濯機で、もう一つは避妊薬。これが人類の半分を占める女性の人生を完全に変え、その結果男性も変わったのである。それでも問題になるのは、同じ人類の問題。100年前の戦争の時代の勇気、連帯、祖国愛などは、今は別の領域で発揮されるようになっている。古代の哲学者を調べても現代に通じる問題が扱われている。そこに古典を学ぶ意味がある。

人間は気候変動、汚染、戦争などの自らの未来に関わる問題について決断をしなければならないと言われる。しかし、ここで言う人間とは一体誰のことになるのか。一人の孤立した個人にはその選択の余地はない。抽象的な人間という概念は歴史的に作られたもので、ミシェル・フーコーが言うように、砂浜の絵が波に洗われるように消えてゆくだろう。

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途中から80年代にコルドバで開かれた現代科学と古代の伝統に関する会議の話に変わり、科学と神話の関係が問題になってくる。その話が面白い。

会に参加した一流の科学者の大部分にとっての唯一の理性は科学的理性で、他のすべては寓話であり妄想であるという状況の中で、量子物理学者の何人かは、科学の理性が変わり、奇跡的に古代の伝統と統合されるという考えに共感していたという。アトランさんは、理性は一つだけではなく、神話の中でも他の理性が存在するが、両者を混同しないこと、科学や神話だけですべてを説明できると考えないことが重要だと考えている。

古代ギリシャの哲学者が神話を用いていたように、中世のユダヤの哲学者も聖書や神話のテキストに当たっていた。ここで言う神話を非理性的と理解しないこと。そして、神話には一つの世界の見方が潜んでいて、それは科学とは全く異なるが、科学を補完する理性とも言えるものでもある。現代医学や生物学が生み出した問題、例えば生命倫理などは医学では解決できず、哲学や人文科学、さらに古代の伝統に委ねられる。彼の場合には、これまで研究してきたタルムード(特に、その法的部分)がこれらの問題を考える上で有用であるという。

聖書やタルムード、ミドラーシュカバラ(la kabbale)の解釈の方法に興味を持ち、最も深い意味に到達するには、文字、単語、文字や単語の数的意味、単語の意味の変化などを研究する必要があることを学ぶ。それは「神の言葉」だと間違って言われている聖書を無神論者の書、すなわち著者がいない書として読まなければならないことを悟ることになる。聖書を「神の言葉」として読むことは、ある意味では冒涜に当たると彼は考えている。

また、宗教的かどうかを聞かれ、信仰が神秘的な経験によるものだとすれば、宗教的ではないと答えている。彼の場合には、ユダヤの伝統との繋がりを古代の哲学者の日常の中に見出しているようである。哲学とはできる限り厳密に考えることであるが、知に開かれていること、そして実行に移すこと、すなわち自分の考えを日常生活の中で形あるものにすることでもある。アトランさんの場合には、その過程で伝統的な書の研究や解釈が霊感を与えているようだ。


lundi 15 novembre 2010

梅原猛編 「脳死は、死ではない。」、そしてこの生の価値


梅原猛編 「
脳死は、死ではない。」 (1992年)


この話題は当時横目で見ていて、少数意見が併記された異例の政府臨調報告になったことを覚えている程度だった。この本には、その少数意見を出した方々が集まり対談した内容と梅原氏の講演、最後に臨調の報告書が添えられている。古本だったので、おまけに当時の新聞切り抜きがいくつか挟まっていた。このお話を読みながら、いろいろな思いが巡っていた。

彼ら少数派はどうしても脳死は人の死とは認められないとし、臓器移植推進派と激しく渡り合った様子が語られている。結論から言うと、この臨調はあくまでも臓器移植を進めるために必要だった儀式ではなかったのかという疑い(よりは確信に近いもの)が梅原氏の中に生まれる。脳死を死として臓器の確保を容易にしようとする動きだったと結論している。その過程で、彼ら少数派は臓器移植とは一体どういうことなのか、死をどのように捉えればよいのかという根本的な、言ってみれば哲学的な問を仕掛けるが、医学の側を含む推進派はそれを無視することが多かった。それは医の側が医学を取り巻く根本的な問題をほとんど考えてこなかったからではではないかと疑っている。この点に関して言えば、医学にはこのような問題を考える能力がないので、医学教育の中に哲学、倫理、その他の全人的な要素を取り込む必要があると主張している人もいたが、全く同感である。

それと同質の出来事を思い出す。それはもう15年ほど前になるだろうか。がんの根治療法の是非について慶応大学の近藤誠氏とがん外科医との間で激しく行われた討論のことである。近藤医師は「患者よ、がんと闘うな」などの著書でもわかるように、がんになった後の根治治療には否定的で、亡くなるまでの間の生活の質を大切にする立場をとっている。同じような考えを持っている医者もいたとは思うが、はっきりとした形で発言したのは彼が最初ではないだろうか。いずれにせよ、根治療法を主張する側の論拠は、がんの治療法は手術と放射線と薬であり、患者を見つけたらがんを徹底的にやつけるのが医者の務めだというもので、あくまでも自らの専門の枠内での論理に終始していた。がん治療をより広いコンテクストに入れて考えることができず、自らの考えの中にないものは拒否するだけの苦しい議論になっていた。

脳死の場合もこれと同様に、自らの領域に閉じ籠り、その中の考えを当然のものとして受け止め、それを理解できないのは科学的でないとして退けるという態度に徹していた。自らの営みから出て、自らの頭で考えるという哲学的態度が欠如している証左だろう。これは医学の領域に限らず、あらゆるところに見られる現象ではないだろうか。哲学が可能になる条件として、個人の自立・自律が必要になる。これができていないとどうしても身内の論理に無批判に従うことになり、しかもそのことにさえ気付かなくなる。ルドヴィク・フレックの言う Denkkollective (ある考え方を共有した研究者の集団で、しばしば集団が内に閉じている) の中に安住し、そのために過ちを犯す可能性が出てくる。これは常に注意しておかなければならない点だろう。

日本の審議会は議論をするための場ではなく、指名を受けた専門家が全会一致の了承をするためにありがたく出向くところになっている(可能性がある)。ある脳死臨調委員は少数意見を述べるのに勇気を要したと書いている。日本の一級のインテリとされる方の発言である。本当に自立・自律が問われているようだ。

ここで何度も繰り返しているが、哲学は役に立つのかという問をいつまでも出している段階ではないだろう。それはわれわれの生活に必要不可欠なもので、多くの方がそれを実践しなければならないはずのものである。その欠如が多くの問題を生み出しているように私には見える。脳死の議論を読みながら、ここにもその一例があるのを見る思いであった。

ところで、肝心の梅原氏の主張で気になるところがあった。それは、脳死は人の死ではないとしながらも、臓器移植によってしか助からない人がいて、自らの意志で臓器提供をする人が現れた場合、それを認めると考えている。あれほど強硬に主張した前段を覆して、死 んでいない人からの臓器提供を認めることになる。この本には五木寛之氏と梅原氏との対談が載っているが、その中で五木氏は梅原氏の態度を批判しているように見える。五木氏の態度は、人間は結局のところ病気には勝てないので、老いを認め、病を認め、死を迎え入れる思想が必要になると考えている。一つの病気がなくなっても他の病気が出てきて、人間は常に病気と共にあることになる。それぞれの病気の消長はあるが、病気の総数は変わらないという説もある。五木氏はその事実を受け入れた哲学が必要になると考えている。当然移植なども拒否する立場だろう。五木氏が悲観主義と言うこちらの考えの方が矛盾が少ないように見える。生と死を巡る永遠の哲学に向かわなければならないのだろう。この生に横たわる多くの基本的な問について真に哲学することなく終わるのは、生の価値を十全に活かし切っていないように見える。


jeudi 20 mai 2010

フィリップ・クリルスキー著 「利他主義のとき」 " Le Temps de l'altruisme " de Philippe Kourilsky



昨年末に仕入れ、序を読んだままになっていた本がある。免疫学者でパスツール研究所の所長もしていた現コレージュ・ド・フランス教授のフィリップ・クリルスキーさんが書いた 「利他主義のとき」。 

    " Le Temps de l'altruisme " de Philippe Kourilsky

その序文は日本でも有名なノーベル賞学者のアマルティア・センさんが書いている。その概略をしばらくご無沙汰していたブログ 「パスツールからのメッセージ」 に改めてまとめてみた。以下にその記事を転載したい。


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センさんの主張の底を流れているのは、エピステモロジーとエティックの対比だろうか。認識論、あるいは知識論と訳されるものと倫理との対比になるが、科学と哲学との対比と置換できるだろう。この点は私も考えていることなので、興味深く読んだ。彼は次のようなことを言っている。

この本は、世界の対象を理解する時に見られる限界が方法、省察の不足、注意の欠落に由来することを示している。この障害を乗り越えるためには専心と決意が求められる。科学知は解析の厳密さとコンセンサスの追求に依るところが大であるが、われわれを取り巻く社会や世界の理解には双方向のアンガジュマンが求められる。この態度が世界を悲惨から救うために必要になる。

クリルスキー氏は、科学知と日常の事物の理解の関係を日常の事物として科学の対象を捉えるように主張し、社会的、政治的、経済的コンテクストに入れて考えることの重要性を説いている。そのためには科学者が自らの守られた場所から出なければならない。これを読みながら、マンハッタン計画の主導者であったロバート・オッペンハイマーの次の言葉を思い出していた。

    「技術的に魅力的なことに出会った時、前に進み、それを実現する。
     それで何ができるのかは技術が達成された時に議論するのだ」

後に彼はこの態度を悔いることになる。事後 (ex post) の論理は科学の特徴である予測や全的な評価には劣るのである。

クリルスキー氏は、責任という考えが世界を正確でより広い視点から理解することと如何に深く結び付いているのかを示す。しかし、この考え方はエピステモロジーとエティックを厳密に分けることを主張する人には受け入れられない。クリルスキー氏の言う 「エティックの動員」 は、単なる知の探求とは一線を画するもので、世界のより良い理解には倫理の視点に必然的に依存することを明確に示している。その上で、現実の理解から責任の認識、そして利他主義の必要性へと進んでいく。

ほとんどの人は世界の悲惨な状況を示す統計に触れても何もなかったように平穏な生活を続けている。世界が改善されないことを無知には押しつけられない。知りながら立ち上がろうとしないわれわれの状況をクリルスキー氏は分析している。ここで重要になるのが、上に述べたエピステモロロジーとエティックの関係になる。世界を観察することと現実を理解することは別物である。これはT・S・エリオットが "Burnt Norton" と題した詩の中で次のように指摘した古い問題になる。

    「人間というものは、過剰な現実には耐えられないものだ」

クリルスキー氏はこの運命論的視点から距離を取る。現実の理解、われわれの行動と生活の倫理を推し進める道を示している。そこでは科学が貢献できることがあると同時に、分断された今の科学が得るものも大きいだろう。この本は、エピステモロジーという広大な領域とエティックの底辺を流れる規範を理解し、評価するための格好の材料を提供している。

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この本の構成は以下のようになっている。

緒言

第一部 現実の性質について
 第1章 科学の対象
 第2章 一般的な対象
 第3章 一般的対象の知
 第4章 まとめ

第二部 人間の責任について
 第5章 倫理の動員
 第6章 自らを探求すること、他者を探求すること
 第7章 個人責任の理論
 第8章 集団責任の理論

第三部 理論から実践へ
 第9章 理性の限界
 第10章 経済と利他主義
 第11章 地球規模の問題の解決
 第12章 利他主義と政治:利他主義的自由主義へ?

結論

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この本の出版に合わせた彼のインタビューが Canal Académie (7 mars 2010) のサイトにあるのを見つける。興味ある方は、こちらから。

その中で、危機や人間の不幸・悲惨に対処する安定したシステム構築について質問され、親切心と利他主義の違いについて論じている。

難しい問題だがと断った上で、彼はアマルティア・センさんの概念としての(絶対的な)自由 La liberté と個々の自由 Les libertés の違いと同様に考えたいとしている。親切心とは、個人の自由の範囲の中での態度になり、親切な行いが成されることもあるし、そうでないこともある。個人の自由に任されている。善意という言葉で表わされるものと重なりそうだ。それに対して利他主義は義務の色彩が強くなる。人間に課せられた考え方として捉えなければならないとしている。

したがって、システムを人の親切心に委ねた場合には不安定なものにしかならず、時として背後にある悲惨を覆い隠す役割 (cache-misère) さえ果たすことになる。安定したシステムを維持しようとした場合には、利他主義が必要になると彼は考えている。それはわれわれに考え方の大きな変更を迫るものになるだろう。

mercredi 31 mars 2010

Espace Éthique/AP-HP のコロックを聞く



3月29日(月)、保健省で開かれたコロックに参加した。WHOから生命倫理のための協力センターに指定されているエスパス・エティック (Espace Éthique/AP-HP) という組織ができて15年目を迎えるのを記念するコロックであった。WHOの協力センターは世界に5か所(内、ヨーロッパには2か所)ある。そのミッションは、保健の 倫理原則の作成に貢献する、能力開発の活動を行う、専門家の協力体制を作る、保健の倫理の領域におけるプロジェクトに協力するとなっている。午前のテーマ は、今日の倫理の枠組み、倫理への関与について、午後は保健衛生の具体的な危機における倫理からのアプローチになっていた。午前中だけの参加となったが、その印象を簡単にまとめてみたい。



Roselyne Bachelot-Narquin
(ministre de la Santé et des Sports)


コロックは保健省大臣のロズリン・バシュロー・ナルカンさん(写真中央)の挨拶で始まった。司会者のエスパス・エティックの代表者エ マニュエル・ヒルシュさん(パリ第11大学)(写真左)が、彼女の政治家としての信条やこれまで如何にこの分野に理解を示してきたかについて、エスパス・ エティックの歴史に照らしながら淡々と紹介していた。バシュロー大臣は一語一語噛みしめるように話していた。静かに広がりを見せるその世界には、倫理とい うテーマのせいなのか、あるいはフランスというお国柄なのか、哲学的な香りが流れていた。

聞こえてきた鍵になると思われる言葉は、倫理と 責任、共有する価値、正義、不公正に対する戦い、不足に対しての行動、末端から中心へ、専門家を超えて、倫理法の再検討、開かれた精神と討論、科学的真 理、厳密な省察、倫理の低下の拒否、主権国家フランス、国際基準と国際的な省察など。国のミッションは、最良の医療を提供すること。そのためには、主権国 家ではあるが、医療(治療と研究)に関しては国際的な規準に合わせなければならない。その上で倫理的視点を維持していくことが重要であると結んでいた。政治家の微笑みだけとは思えない素敵な笑顔を見せながら、« Je vous souhaite une fructueuse journée. » (実り多い一日になりますように!) という言葉を残して会場を後にしていた。




それから8人の方が自らの考えを発表した。以下順不同で。

倫理は哲学の領域に入るが、あくまでも実践と深く結び付いている。bioéthiqueという言葉は1970年にアメリカのがん研究者だった Van Rensselaer Potter (1911–2001) が初めて使ったとされることが多いが、実は1927年にドイツの神学者Fritz Jahrによってカントの道徳的視点を動物にまで敷衍する形で使われている。

WHOの方の発表によると、世界では未だに医療行為の30%はその内容がはっきり記載されていないという。このことは、今後有効な治療をすることはもちろんだが、それと同時に倫理的にそれが正しいのかを考えることが重要になるだろう。その意味するところを考えるヒントがいろいろなところに転がっていた。

遺伝学の専門家は医療のミッションをこう説明していた。第一に、現在の最高の医療を提供すること。この場合の「提供」だが、一方向の行為ではなく、一緒に働く (travailler ensemble) と捉えるべきもの。第二には、医学を前に進めるイノベーションをすること。治療とイノベーションを念頭に置きながら、看護・治療、研究、教育を一体のものにすることが求められる。この二つのミッションについては多くの方が指摘していたが、当然の目標になるだろう。

そのための教育は、まず学問的知識を吸収すること、どのように人に接するのかを学ぶこと、それから現場から一歩引いて考え、瞑想する機会を持つセミナーを取り入れること、さらに質問に答えるだけではなく、ある状況に対して質問を考え出すことを取り入れ、この両者を絡ませることなどが提唱されていた。

倫理というと過去に眠っている古臭いものと考えられがちだが、実際にはわれわれの生活のあらゆるところの中心にあるアクチュエルなものである。会場から、倫理的な問いかけの中で日常の医療に携わるのが理想だろうが、実際には忙しくそのような時間がなく困っているという質問が出ていた。これに対しては、こう答えていた。倫理を常時頭に入れて行動するのは不可能だろう。ある間隔をおいて、一度引き下がって内省の時間を持つことはできるのではないだろうか。その時に倫理的な修養が生きてくるはずである。

不安という概念や災害という人生の事件に対する時大切になるのが、日常的な意志になる。赤十字は戦争という状況の中で倫理に目覚めたアンリ・デュナンにより始められ、国境なき医師団もその延長線上にある。倫理で重要になるのは、自由な選択と情報を与えられたうえでの選択。一つの方向性を見出すには公開討論という場を活用することが重要になる。そこでは医学、科学、法学、経済、、など領域を超えた出会いがあり、一つの問題を一緒に考えることにより、最終的には新しいものの見方が生まれる可能性がある。そうなるように、この場を運営しなければならない。このような学際的な交わりについては多くの人が取り上げていた。倫理の性格を考えると避けられないキーワードになるだろう。

ただ、アメリカの大学で働いた経験のある方は、フランスの大学は規律が厳格 (disciplinaire)なので、multi-disciplinaire になりにくい特徴があるとやや皮肉を込めて指摘している方がいた。私自身は、現在領域を跨ぐようなプログラムにいるせいか、この点には必ずしも同意できなかったが、アメリカとの比較で言えば、やはりダイナミズムは落ちるのかもしれない。

倫理的な資質として重要な点について、マルティン・ブーバー(Martin Buber, 1878-1965)から3つの要素が引用されていた。

1) 内的生活 (la vie intérieure)
2) 他人の内面を想像しようとする共感 (l'empathie)
3) 科学的知識などの外的世界(l'extérieur)

このことに関連して、連帯感 (solidarité) という言葉も出ていた。

災害の場合には、被害を受けやすい人がいる。それは身体的な条件だけではなく、むしろ社会的・経済的要因によることが多い。この要因を考慮に入れた対応が求められる。予防原則 (principe de précaution) も念頭に置く必要がある。

行政の課題として、分散している保健と研究担当の省をまとめること、同様にいくつかの組織が出している生命科学・医学の研究費を一か所に統合すること、その上で研究責任者に対しては成果に応じた対応がされることなどが出ていた。現在、大学はアメリカ流に学長に権限を集中した自立した組織になったので、大学の運命は各大学に任されている。どのような人をリクルートしようが、どのような報酬を払おうが自由になったのだ。このシステムを通じて世界的な大学になることが求められている。病院も大学と結びついた研究病院にして、イノベーションを高めなければない。

これらの外的条件の整備とともに、あるいはその前に重要になるのは、科学知をもとにした共感や瞑想という個人の内的生活の充実になるのではないだろうか。



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mardi 16 juin 2009

倫理と道徳



パリに来る直前の2007年夏、私の尊敬する先生からお手紙をいただいた。そこにはこれまでの研究を止めることは残念ではあるが、21世紀において重要になるであろう医学倫理について考えを深めようとする決断にエールを送りたいとのメッセージが書かれてあった。当時は倫理の問題について考えようという具体的な目標を持っていたわけではないが、こちらに来てからわが人生を振り返ったり、友人との語らいやこちらの大学での話を反芻するうちに、この問題は避けて通れないということを悟るようになってきた。この問題に哲学者が興味を示さないで一体誰が向かって行くのだろうかと思うようになってきた。という訳で、これから少しずつ調べながら考え始めることにしたい。

若い時から倫理や道徳と言われると、深く考えることもなく拒否反応を示していた。考えていなかったのである。良心にさえなまれることもあったが、その根源を考えようとする所には向かわず、そこから逃げていた。しかし、この問題は私のテーマでもある人間存在の根本に深く関わっている。逃げることはできないだろう。

医学の進歩により、これまでは考える必要のなかったことまで考えざるを得なくなり、生命倫理の問題として取り上げられるようになっている。例えば、臓器移植の領域では脳死の判定や最近では病気腎移植の是非が問題になった。人工授精や代理母の問題も出ている。遺伝子治療やクローンの問題もある。これらの基礎には生命をどのように捉えるのか、人生の意味をどこに置くのか、人間の尊厳とは一体どういうことを言うのかなどの哲学的な問が横たわっている。

さらに、倫理の問題は医学に限ったことではない。例えば、報道における倫理のあり方。情報を捻じ曲げて広めることに倫理的な問題はないのか。それをどのように判断し、修正していくのか。あるいは、どのようなやり方でも経済活動は許されるのか、という経済活動における倫理もある。スポーツにおける薬物使用の問題。教育における教師の倫理など、数え上げると限がない。つまり、倫理の問題を切り離して人間活動を考えることができないということになる。

この問題に入る前に、まず言葉の問題から調べてみたい。倫理は英語では "ethics"、フランス語では "éthique" と言われる。この語源はギリシャ語の "èthos" にある。古代ギリシャではこの言葉をいくつかの意味合いで使っていた。

第一には、ある動物種のこの世界における在り様を意味していた。魚は泳ぎ、鰓で呼吸し、鳥は飛び、さえずる、という具合に。この意味は、現在の生態学、動物行動学にあたる "ethology", "éthologie" の中に生きている。第二には、一人の人間が生物としてこの世にどのように存在しているのか、という意味合いがある。それからその人間がある時代、ある社会においてどのように振舞うのかという、社会の風習、習慣、法律などの下での人間の行動を意味していた。

現代的倫理を意味する "èthikè" は "èthos" の形容詞に相当し、アリストテレスが振る舞いに関する知識を意味する "èthikè théôria" という表現で最初に使っている。この知識に対する態度には大きく二つの方向性が考えられる。一つは、振る舞いの在り様を客観的に事実として調べ記載する方法で、現在科学が使う手法でもある。もう一つは、そこで観察されたことについての価値判断、善悪の判断を加え、ある条件下でどのような行動が望まれるかまで考えようとする態度があり得るだろう。

そこで倫理と道徳との関連になるが、両者の相違については専門家の間でも意見の一致を見ていないようである。この二つの概念は同じものとする人もいるようだが、すべての言葉はある特別な意味を表すために造られたと考えている者にとっては、そこには違いがあるはずだという立場に立ちたい。道徳の語源を調べてみると面白いことがわかってくる。古代ギリシャでは、個人、あるいは集団がある風習や習慣の下に如何に振舞うのかを意味していたが、ローマ時代にキケロが "èthos" をラテン語に訳す際にフランス語の "mœurs"(風習)に当たる "mos" という言葉を選び、その複数形 "mores" から "moralia" という言葉を新たに造った。すなわち、このモラリアという言葉が古代ギリシャの倫理 "èthikè" に当たり、現代における混乱はキケロの造語に由来すると言えそうである。

現代における道徳という言葉には倫理とは違った意味合いが含まれていると考える人がいる。彼らの考えでは、道徳には社会的規範、過去から引き継がれた伝統、さらには宗教的な価値観が含まれていて、固定的なニュアンスがある。それを拒絶するのも受け入れるのも個人に任されている。これに対して倫理という場合には、新しい時代に生まれた問題についてどのように対応するのか、という作り上げる道徳、現在進行形の道徳というニュアンスが含まれている。一つの宗教で支配されているような社会ではないので多様な考え方があり、そのために議論の対象として常にわれわれの目前にあるのが倫理ということになる。人種的にも宗教的にも文化的にも異なる人が共に生きていくためには、人間の在り方に関して共通する価値観を見出し、創り上げていくことが求められている。それが倫理に課せられた大きな仕事ということになる。まさに、人間存在に関する深い洞察が求められる仕事になるだろう。



jeudi 1 janvier 2009

ヒポクラテスの誓い Le serment d'Hippocrate


 ヒポクラテス Hippocrate de Cos 
Image conventionnelle de « portrait » romain en buste
(gravure du 19e siècle)


医を医の側から歴史的に考えるとすれば、ここから入るのが自然なのかもしれない。

ヒポクラテス Hippocrate de Cos (vers 460 av. J.-C dans l'île de Cos – vers 370 av. J.-C à Larissa)

医学の父、医聖とも言われる古代ギリシャのこの医者は、魔術・呪術や哲学と一体になっていた医学をそれとは別の知識体系、技術として新たに確立した。実際のところ、彼の人生や思想についてはよくわかっていない。ただ彼のものとされる膨大な著作に残された体系を作り上げ、今回取り上げる誓いという形で倫理を医に持ち込んだ人とされている。この誓いについてもヒポクラテス自らが書いたものかどうかを疑う声があるらしい。

ヒポクラテスの誓いについては、おそらく学生時代に触れているはずであるが、正直なところその記憶は薄れている。当時の日本では医学概論、医学倫理と言われる領域が未だ確立しておらず、専門家も少なかったため年長の教授が講義をしていた。長い間医の領域に直接関与するところから離れ、科学の視点からものを眺めてきたが、この機会に原点に一度立ち返っておくのは意義があるだろう。改めて白紙の状態で触れ直した時に新たなものが見えてくるだろうし、倫理の面でも大きな反省材料を提供してくれると予想されるからだ。

今回はヒポクラテスの原文とされるものを小川鼎三氏が訳したものを以下に掲げる。参考までに仏英訳も添えた。この誓いは時代に合わせて何度か改変されているが、それらについては後ほど触れることにしたい。

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ヒポクラテスの誓い(小川鼎三訳)

医神アポロン、アスクレピオス、ヒギエイア、パナケイアおよびすべての男神と女神に誓う、私の能力と判断にしたがってこの誓いと約束を守ることを。この術を私に教えた人をわが親のごとく敬い、わが財を分かって、その必要あるとき助ける。その子孫を私自身の兄弟のごとくみて、彼らが学ぶことを欲すれば報酬なしにこの術を教える。そして書きものや講義その他あらゆる方法で私の持つ医術の知識をわが息子、わが師の息子、また医の規則にもとづき約束と誓いで結ばれている弟子どもに分かち与え、それ以外の誰にも与えない。

● 私は能力と判断の限り患者に利益すると思う養生法をとり、悪くて有害と知る方法を決してとらない。

● 頼まれても死に導くような薬を与えない。それを覚らせることもしない。同様に婦人を流産に導く道具を与えない。

● 純粋と神聖をもってわが生涯を貫き、わが術を行う。

● 結石を切りだすことは神かけてしない。それを業とするものに委せる。

● いかなる患家を訪れるときもそれはただ病者を利益するためであり、あらゆる勝手な戯れや堕落の行いを避ける。女と男、自由人と奴隷のちがいを考慮しない。

● 医に関すると否とにかかわらず他人の生活について秘密を守る。

● この誓いを守りつづける限り、私は、いつも医術の実施を楽しみつつ生きてすべての人から尊敬されるであろう。もしこの誓いを破るならばその反対の運命をたまわりたい。

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エミール・リトレによる仏訳

Traduction par Émile Littré du serment d'origine


« Je jure par Apollon, médecin, par Esculape, par Hygie et Panacée, par tous les dieux et toutes les déesses, les prenant à témoin que je remplirai, suivant mes forces et ma capacité, le serment et l'engagement suivants :
Je mettrai mon maître de médecine au même rang que les auteurs de mes jours, je partagerai avec lui mon avoir et, le cas échéant, je pourvoirai à ses besoins ; je tiendrai ses enfants pour des frères, et, s'ils désirent apprendre la médecine, je la leur enseignerai sans salaire ni engagement. Je ferai part de mes préceptes, des leçons orales et du reste de l'enseignement à mes fils, à ceux de mon maître et aux disciples liés par engagement et un serment suivant la loi médicale, mais à nul autre. »

« Je dirigerai le régime des malades à leur avantage, suivant mes forces et mon jugement, et je m'abstiendrai de tout mal et de toute injustice. Je ne remettrai à personne du poison, si on m'en demande, ni ne prendrai l'initiative d'une pareille suggestion ; semblablement, je ne remettrai à aucune femme un pessaire abortif. Je passerai ma vie et j'exercerai mon art dans l'innocence et la pureté.

Je ne pratiquerai pas l'opération de la taille.

Dans quelque maison que je rentre, j'y entrerai pour l'utilité des malades, me préservant de tout méfait volontaire et corrupteur, et surtout de la séduction des femmes et des garçons, libres ou esclaves.

Quoi que je voie ou entende dans la société pendant, ou même hors de l'exercice de ma profession, je tairai ce qui n'a jamais besoin d'être divulgué, regardant la discrétion comme un devoir en pareil cas. »

« Si je remplis ce serment sans l'enfreindre, qu'il me soit donné de jouir heureusement de la vie et de ma profession, honoré à jamais des hommes ; si je le viole et que je me parjure, puissè-je avoir un sort contraire. »

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“I swear by Apollo, Asclepius, Hygieia, and Panacea, and I take to witness all the gods, all the goddesses, to keep according to my ability and my judgment, the following Oath.

To consider dear to me, as my parents, him who taught me this art; to live in common with him and, if necessary, to share my goods with him; To look upon his children as my own brothers, to teach them this art.

I will prescribe regimens for the good of my patients according to my ability and my judgment and never do harm to anyone.

I will not give a lethal drug to anyone if I am asked, nor will I advise such a plan; and similarly I will not give a woman a pessary to cause an abortion.

But I will preserve the purity of my life and my arts.

I will not cut for stone, even for patients in whom the disease is manifest; I will leave this operation to be performed by practitioners, specialists in this art.

In every house where I come I will enter only for the good of my patients, keeping myself far from all intentional ill-doing and all seduction and especially from the pleasures of love with women or with men, be they free or slaves.

All that may come to my knowledge in the exercise of my profession or in daily commerce with men, which ought not to be spread abroad, I will keep secret and will never reveal.

If I keep this oath faithfully, may I enjoy my life and practice my art, respected by all men and in all times; but if I swerve from it or violate it, may the reverse be my lot.

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lundi 24 mars 2008

フィリップ・キッチャー氏による科学、宗教、倫理

Prof. Philip Kitcher (1947-), Columbia Univ. 


フィリップ・キッチャー氏のお話、"Ethics after Darwin" と "Living with Darwin" を聴いた時のメモから広がるものを気の赴くままに書いてみたい。

マルクスは宗教は阿片だと言った。ウィキによれば、キリスト教約20億人(33%)、イスラム教約11億9000万人(20%)、ヒンドゥー教約8億 1000万人(13%)、仏教約3億6000万人(6%)、ユダヤ教約1400万人(0.2%)、その他の宗教約9億1000万人(15%)で、この地球 上の90%近くの人が、何らかの神を信じていることになる。宗教はなぜなくならないのか。

キッチャー氏は、アメリカのような超競争社会には宗教が必要なのではないかと考えている。このような人たちに精神的な安定を与える有効な手段が他にあればよい が、それがないとしたならば宗教の必要性が出てくる。宗教は社会的な面でもよい効果を及ぼす可能性があるとしている。この論で行けば、無神論者は社会的な 強者である可能性もある。 もちろん、無神論者はいてもよいが、ダニエル・デネットやリチャード・ドーキンスのようにセンセーショナルなやり方で宗教の否定を訴えるのには抵抗がある ようだ。

アメリカでは進化論に 対する強い反対がある。彼は進化論は科学としてではなく、歴史や比較宗教学、あるいは比較社会学の中で教えるべきだと考えている。naturalism (科学や理性)とsupernaturalism (fundamentalism) のどちらが勝つのかわからない。破壊の可能性が少なくないだろう。破壊のテクニックが高度に進化しているからだ。そこに向かわないためには、知的な議論が 可能なできるだけ開かれた環境を確保する必要がある。

神と科学は両立するのか。パスツールにおいては両立していた。現代の科学者でも、例えば The Language of God を書いたフランシス・コリンズのように両者は compatible だと主張する人がいる。科学者には無神論者が多いという話を聞いたことはあるが、優れた科学者の中にも神を信じている人は稀ではない。日本ではあまり問題 にされないが、考えてみる必要はありそうだ。つまり、これだけ広がっている信者を前にした時、彼らがどのような考えを持っているのかを知ることは、科学と の関係を考える以前に必須のことになるのではないか。

聖書、特に創世記は科学的に書かれているわけではない。詩的な要素も加わっていると思われるので、すべてが科学的真実で埋まっていると考える必要はない。イ ンテリジェント・デザイン(ID)は科学ではない。進化論を否定した科学はない。IDを全面的に受け入れる教会のやり方は信じられないし、愚かである。神 が存在するのか、しないのか。その結論はオープンでありたい。なぜなら、われわれが求めているのは真理であるからだ。そうキッチャー氏は考えている。

倫理の問題は一生考え続けなければならない問題で、終わりがないものとして捉えている。また、倫理を取り巻く哲学的問題は、歴史の光の下で理解されると考え ている。もともと倫理と隣り合わせの利他主義は、人間同士が向き合うことになった5万年前にはすでに生まれていたが、それはその社会を維持するために必要 なものだったからである。つまり、倫理は人間社会の破綻の危機に反応するために保持されてきたのではないかと考えている。

倫理に纏わる問題は、ある原理のようなものに基づいて、例えば人はこうすべきであるとか、こうあるべきだというように大上段から振りかざすものではなく、歴 史をじっくり観察しながら考えを深めていく対象ではないかという考えの持ち主と見受けた。すべてを受け入れた上で何が見えてくるのかという柔軟で、しかも それをやり続けるという執拗な姿勢をそこに見た。このような視点からなのか、遺伝子の選択により人間の行動が進化してきたとするのダーウィニズムに基づく 社会生物学 sociobiology の硬直した思想を批判的に捉えている。