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mardi 18 février 2014

ドキュメンタリー "Death by Design" を観る



1995年のドキュメンタリー "Death by Design" を観る

テーマは、タイトルから想像されるようにプログラム細胞死(programmed cell death: PCD)

この分野の中心人物が出ているが、皆さん本当にお若い

20年ほど前の作品になるので知識を得るというより、このテーマがどのように語られているのかに興味があった


全体が芸術的な仕上がりになっていて、好感を持った

最後の方に出てきたリータ・レーヴィ・モンタルチーニ(1909-2012)さんの話が印象に残った

最初に神経細胞の細胞死を観察したのが大戦中で、トリノの自宅寝室に作った実験室でのことだったという

ユダヤ人は大学から排斥されていたからである

その細胞死を補う物質として神経成長因子を発見し、1986年にノーベル賞を受賞している

当時は戦争中だったので、細胞死が兵士の死とも重なったようである

科学的というよりは、芸術的に仕事をしてきたようである

そして、科学と芸術で重要になるのが直観であるとも言っている

2012年末に103歳で亡くなっているが、まだ生存中にエッセイで少しだけ取り上げたことがあった

エルンスト・マイヤーとシーウォル・ライトというセンテナリアン、あるいは100歳からものを観る」 
医学のあゆみ(2012.11.10) 243 (6): 551-554, 2012

 上のリンクからご覧いただければ幸いである


もう一つ興味深かったのが、マーティン・ラフ(Martin Raff, 1938-)さんの次の観察である

イギリスでは科学は軽蔑されている

イギリス人は音楽を聴き、劇場に行き、哲学的な問題を考えたりするのが立派な人間の証であると考えている

したがって、科学に疎いだけではなく、科学を理解しようとさえしない

多くの政策決定には科学の知識が重要になるので、喫緊の問題である

この時からすでに20年が経過しているが、事態は改善しているのだろうか


他の出演者は、以下の通り

2002年にノーベル賞を貰うことになるボブ・ホロヴィッツ(Robert Horviz, 1947-)氏

danger theory の提唱者ポリー・マッツィンガー(Polly Matzinger, 1947-)氏

この場でも取り上げた細胞死の専門家ピエール・ゴルシュタイン(Pierre Golstein)氏、他

リタさんの双子の相方で芸術家のパオラさんが一緒のところを見ることができたのは幸いであった





jeudi 27 juin 2013

リチャード・ドーキンス博士 "Greatest Show on Earth" を語る




ドーキンス氏の本のプロモーションにお付き合いするようだが、仏訳を持っているので取り上げてみた

こちらに来てから、英語の本もフランス語で読むことが多くなっている

普通のリブレリーで英語の本を探すことはほとんど不可能なので致し方ない

ドーキンス氏の主張の大枠は、大体頭に入りつつある

イギリス人らしいというべきなのか、ドーキンスさんらしいというべきなのか、端正できりりとした話し方である

われわれのふわーっとした話し方とは違い、正確を期そうとして決然と言葉を発しているのがわかるようだ




lundi 22 novembre 2010

チャード・ルウォンティン 「三重らせん」 を読む "Triple Helix" by Richard Lewontin



今年の春に読んだこの本を振り返ってみたい。 Richard Lewontin の "The Triple Helix" 「三重らせん」を振り返ってみたい。著者のチャード・ルウォンティンさんスティーヴン・ジェイ・グールドさんと共著で 「サンマルコ大聖堂のスパンドレルとパングロス風パラダイム:適応主義者のプログラムの批判」(Proc. R. Soc. Lond. B 205, 581-598, 1979) という進化生物学の有名な論文を書いている。この論文は適応主義万能の考えを徹底的に批判したもので、この世界は可能な限りの最善な状態にあると言い張る善良なパングロス博士(ヴォルテールのカンディードに出てくる)の論理の批判とも通じるため、論文のタイトルに使われている。

パングロスの立場は、鼻は眼鏡をするために、足はズボンをはくためにあるだと考えるもので、適応主義者は今あるものすべてに本来の役割があるはずだと考える。しかし、ルウォンティンさんはベニスにあるサンマルコ大聖堂の穹隅を例に取り、穹隅は丸天井を造る時にアーチにより結ばれる柱の上にできるもので、それ自体に本来の役割があるわけではないのと同様に、すべてのものに本来の役割があると考える立場を批判した。

ところで、 「三重らせん」 では遺伝子、生物、環境のそれぞれの関連がテーマになっている。生物のあり様は遺伝子だけではなく、その環境により決められている。同様に、それまで独立してあると考えられていた環境も、その中に存在する生物の影響を受けていることなどが書かれてある。細胞や臓器、ひいては生物の個体を決めているのは生まれつき持っている遺伝子だとする遺伝子絶対主義があるが、後天的に環境の変化により遺伝子が化学的修飾を受けることによっても生物のあり様が変化する。このエピジェネティクスと言われる機構の関与が強調されている。少し幅広く生物現象を見ようとする視点がそこにある。

17世紀に起源を持つ還元主義の成功を未だに引き摺っている現代科学だが、その成果から考えると致し方ないところもある。ここでは個々の部分に分けて解析するが、部分と言うからにはそれを取りだした全体があるはずである。そこで問題になるのが、どのレベルをそれぞれの全体にするのかという点になる。その選び方により、全体像が変わってくる可能性がある。そもそも全体に分割可能な線が引かれているわけではない。例えば、臓器別に考える場合でも臓器間には目には見えない繋がりがあるはずである。この問題は生物だけではなく、学問をどう見るのかを考える時にも大切になるだろう。部分の切り取り方により、学問全体の見え方が変わってくることが予想され、普段あまり意識されていないが、考え始めると大きな問題になる。

この本の中に興味深い話が出ていた。それは原因(cause)と "agency" (何かが起こるために及ぼされる作用のようなものか) との違いに関わるもので、医学においてその混同が著しいと言っている。その例として、人間の死因が取り上げられている。死因の必要条件と十分条件について、こう書いている。人の死因としてがんや心臓病などがあるが、がんや心臓病に罹ったからと言って必ずしも死を意味しない。逆に病気がないからと言って永遠に生きるわけでもない。病気を治し、根絶することを目指している医学だが、人は死から免れることはできない。せいぜい少しだけ命が延びるだけだ。もしそうであれば、これらの病気は agency とでも言うべきもので、死の真の原因は体を構成する成分の摩耗など、病気とは別にあるのではないかと考えている。

19世紀のヨーロッパでは感染症が人の命を奪っていた。死因は感染症だったと言われている。今では当時のように感染症で亡くなる人は減っているが、これは医学の進歩のせいだろうかと問い掛ける。病原体が分かったからだろうか。しかし、ロベルト・コッホが病気は病原体によると発表した後でも感染症で亡くなる人は減っていない。抗生物質のせいだろうか。そうではなさそうだ。なぜなら、第二次大戦後に本格的に抗生物質が使用される前に感染症は90%以上減少していたからである。それでは公衆衛生状況の改善だろうか。しかし、ほとんどが空気感染であることを考えると、必ずしも当たっていないだろう。

それでは19世紀の人の死因は何だったのか。それはいかなる医学的な努力も叶わなかったもの、すなわち、社会的な要因であった。19世紀から20世紀にかけて見られた賃金の上昇、栄養状態の改善、さらに労働時間の短縮により、人々は死ななくなった。十分な栄養と休息を取り、ストレスの少ない生活環境が感染症によるとされる死を減少させたと考えている。すなわち、感染症は死因ではなく、単なる "agency" にしか過ぎなかったと結論している。19世紀のヨーロッパの死因であった栄養障害と過剰労働は今でも第三世界の死因として生きている。agency だけではなく、真の原因を探すことが人間の条件を改善する上で大切であるというメッセージを送っているように見える。


vendredi 12 novembre 2010

遠い昔の出会い


Science 328: 680, 2010


Il y a du Néandertal en nous
(われわれの中にはネアンデルタール人がいる)


これは今年5月7日のル・モンドにあった記事のタイトルである。
同じ週のScience誌の記事と併せて思い出してみたい。

ル・モンドでは、上の文章の後に、少なくともアフリカ人でなければ、と続く。その意味は後で明らかになる。もしアフリカ人でなければ、DNAの1-4%はネアンデルタール人 (Homo neanderthalensis) 由来だという。Science誌に発表されたのは、クロアチアの洞窟から出た4万年ほど前の3人の女性ネアンデルタール人の骨の解析結果である。

この研究は、ライプチッヒにあるマックス・プランク進化人類学研究所のスヴァンテ・パーボ (Svante Pääbo) 博士が中心となり行われた。実は、パーボ博士はすでに現代人とネアンデルタール人との間に交わりはなかったと発表している。今回の結果は以前のものと矛盾することになる。

彼らはまず、今回のクロアチアの材料をスペイン、ドイツ、ロシアから見つかっているネアンデルタール人のDNAを比較して、それがネアンデルタール人に特徴なものであることを確かめている、それからチンパンジーのDNAとも比較し、どこがより古い遺伝子の変化であるのかを調べている。

古い材料を扱う時に問題になるのは、取り出された遺伝子の95%以上を占める微生物由来の夾雑物。それから現代人のDNAも混じっていたという。これはコンピュータ解析の方法を工夫することにより解決。それから、対照群としてどの現代人を採用するのかという問題がある。今回は、進化的にネアンデルタール人とは異なるとされているフランス人、中国人、パプア・ニューギニア人、南アフリカと西アフリカの2人の計5人を選び、解析した。結果は冒頭に示したように、 2人のアフリカ人を除いた現代人のDNAには1-4%ほどネアンデルタール人由来のものが見られる。絶滅した彼らから受け継いだDNA子がわれわれの中に入っていることが明らかにされた。

これまでの有力なシナリオはわれわれの祖先はアフリカの特定の場所で生まれ、そこから中東やヨーロッパに移動する過程で交わることもほとんどなくネアンデルタール人を絶滅していったというもの。さらに多くのアフリカ人が調べられ、両者の接触がなかったことが確実になれば、現代人の祖先がアフリカを出て、ヨーロッパやアジアに向かう前に交わったことになる。イスラエルのカルメル山の洞窟に現代人が10万年ほど前から住んでいて、おそらく8万年前には寒波に襲われたヨーロッパを逃れてネアンデルタール人がこの地に下りてきたと推定されている。今回の結果は、このような場所で両者が交わった可能性を想像させる。

進化の過程で、ネアンデルタール人とわれわれは27~44万年前のどこかで別の道を歩み始めたとされている。人間を特徴付けている遺伝子があるとすれば、両者の遺伝子を比較すれば何らかのヒントが得られるかもしれない。今回の研究では、調べた30億塩基の中で78塩基に置換が見られたというから、その割合は非常に小さい。しかし、その遺伝子の役割は重要であることが想像される。

例えば、創傷治癒、精子の鞭毛運動、皮膚・汗腺・毛根、さらに骨格形成などに関わる遺伝子に差が認められたり、2型糖尿病にも関連する遺伝子領域や認識に関わる遺伝子(人間で変異が見られるとダウン症候群、統合失調症、自閉症などになる)にも差異が認められたという。ただ、ここで明らかにされた変異が実際にどのような変化をもたらすのか、そしてその遺伝子の生理的な役割は現在のところ不明である。


このような背景を頭に入れて上の写真を見直すと、心躍るものがある。
このおじさんはその時一体どういう態度を示したのか。
その出会いの場に自分も立つことができれば・・・などという妄想が湧いていた。

vendredi 2 juillet 2010

ニール・シュービンさんの話を聞く Neil Shubin



Neil Shubin, Univ. Chicago (born December 22, 1960)
American paleontologist, evolutionary biologist and popular science writer

Lab Homepage

対談の中で印象に残ったことをいくつか。

一つは創造性をどう見るのか、どのような時に創造性が現れるのかとの問に、それまでの見方から自由になった時、それまで目の前にあった膜が取れ新しい姿が現れた時というような答えをしていた。視点の転換が創造性を生み出すということだろう。これは哲学の営み、「今・ここ」を離れて「ここ」を改めて見るという作業に似ている。これに関連して、専門を下から支えるもの、さらに言えば、人間として在る状態を下から支えるものとしてのリベラル・アーツの重要性を強調している。

それから人間をこの世界の他の生命との関連で見る視点の重要性を説いている。自らの対象から離れ、その対象を広い関係性の中に置き直すという作業になるが、全体の理解に向かうためには必須の方向性になる。これらの発言は説教調にならず、アメリカ人特有の軽快さで語られている。






この講演会で印象に残ったことを一つだけ。

科学という営みの特徴として、一つの発見からさらに強力な質問を出すことをあげている。数年前とは違う疑問を抱いて現在は研究しているのが科学になる。ただ、これは哲学でも同様かもしれない。基礎にある大きな疑問は一つでもそこに至る具体的な道(問)を改めながら進むことができれば素晴らしいだろう。


Neil Shubin, "Your Inner Fish: A Journey into the 3.5-Billion-Year History of the Human Body" (2009)

Evolutionary developmental biology (Evo-Devo)

mardi 2 février 2010

エルンスト・ヘッケルの歩みを読み始める




Robert J. Richards

エルンスト・ヘッケル(1834年2月16日 ポツダム - 1919年8月8日 イェーナ)の伝記を読み始める。読み終わった最初の章には、どのような姿勢で幅広い領域で活躍したこの複雑な人物に迫ろうとしたのかが語られている。ヘッケルと言えば、ドイツにおけるダーウィン主義の普及に大きな役割を担い、その解釈がナチに繋がったとも言われている生物学者で、個体発生は系統発生を繰り返す、という有名な言葉を残している。また、エコロジーの概念を確立した人とされている。

この本で著者は、ヘッケルがなぜダーウィン主義をまるで信仰のように受け入れたのかに答えを出そうとしている。そのためには科学的な視点だけではなく、それを生みだした人間の深奥に迫るという方法を取るようだ。そこには本書のタイトルにもなっているヘッケルの人生に対する悲劇的な見方があったのではないか。そこから逃れるために、超越性へと向かったのではないか、というような結論が語られるようだ。そこに至るまでに500ページが準備されている。

このようなアプローチを取ったものとして、Thomas Söderqvist 氏によるニールス・イェルネの伝記 Science as Autobiography: The Troubled Life of Niels Jerne (Yale Univ Press, 2003) を読んだことを思い出す(10 juin 2008)。イェルネが科学の上で生み出したものは、彼の内奥に潜む人間を表現したものであったという捉え方である。科学と人間を分けて扱うのが謂わば科学的な伝記の書き方であるような印象を持っていたが、この二つは不可分に結びついているとするこれらの流れは私には興味深いものがある。


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(21 novembre 2010)



Prof. Robert J. Richards (Univ. of Chicago)


上のお話のその後になる。今年の10月上旬、カナダのロンドンで開かれた科学の歴史と哲学に関する会議で著者のロバート・リチャーズさんにお会いし、この本の感想についてお伝えした。話し振りは非常に快活で、論旨がしっかりしている。お話した印象は柔らかいものであったが、ナンセンスなものは受け付けないという強いところがあるように感じた。


jeudi 28 janvier 2010

システムとしての解析は可能か (II) シドニー・ブレナーさんの場合 (1)


先日、この問題について免疫学での考え方を少し紹介した際に、システム生物学に批判的な立場を取る学者としてシドニー・ブレナーさんの名前を出した。彼の考え方を検討する前に、2000年にキーストンで聞いた講演の印象記が残っているので振り返ってみたい。

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Keynote Address に立ったSydney Brenner(Molecular Sciences Institute)は "From Genes to Organisms" と題して、スライドなしで一時間、ゆったりと噛み締めるように、時にはユーモアたっぷりに、また時には若い人への助言も交えながら話した。彼の話を聞いていると、考えることが如何に重要であり、また楽しいことであるのかと言うことがその全身から伝わってくる。そこにはあくせくとした経済至上主義的な科学のやり方とは無縁のものが漂って いて、西洋の科学の歴史と伝統というようなものをどうしても感じてしまう。

彼の話題は、現在ゲノムプロジェクトが花盛りであるが、遺伝子の構造が明らかにされた後の問題、すなわち塩基配列から遺伝子の機能、さらには個体の在り様が予測できるか、genotypeからphenotypeをcomputeできないかという根本的な問題についてであった。その骨子は、最近の論文にも述べられているので参照されたい(The end of the beginning. Science 287: 2173-2174, 2000)。

遺伝子情報から細胞、個体がどのように機能するか、どのような形になるのかをコンピュータで予測することについては、現段階では否定的であった。一つには、 細胞の中は、溶液の中に多数の分子が浮いていて、ランダムにぶつかり合っているようなものであり、あるプログラムで動いているというような代物ではないこと。生物現象はマスターコントロールなどされないランダムな出来事によっており、その中である分子が本来持っている機能を発揮できる相手と特定の場所、時間に出会った場合のみ作用するという程度のものでしかないこと(中心、マスターによる作為がないという意味では、宗教、神の存在とは相容れないもの)。したがって、遺伝子産物を作らせて、試験管や細胞内でそのやるべきことをやらせて、それを測定すること "measurements" によってのみ機能がわかるという。その意味で、これから重要になるのは今忘れられつつある定量的な解析 "quantitative analysis" である。ある分子が何個細胞にあり、その1個がどのような分子と相互作用しているのかということを明らかにすること。また、 "regulation" もこれからのキーワードになってくるだろう。biochemistry は死んだと言われるが、これからその再生が必要であり、事実細胞周期やシグナル伝達の研究などから "information transfer" を扱う新しいbiochemistry が生まれつつある。

彼は、ヒトの遺伝子を今予想されているよりは少ない5万弱ではないかと推定している。ゲノムの解明が終わった後は、その一つ一つの機能を明らかにしていくことが重要になるが、このことは5万人の生化学の教授を必要としていることを意味しているという。余談であるが、Arabidopsis のゲノムプロジェクトに関与している Elliot Meyerowitz (Cal Tech)によると、yeast は6,000、C. elegans は9,000、Drosophilaは14,000の遺伝子を持つのに対して、彼の扱っている植物は25,000と意外に多くの遺伝子を持っているという。一つには、外界の状況を感知するシステム(例えば、レセプター型セリンスレオニンキナーゼ遺伝子が100くらいはあり、それに伴うシグナル伝達系も発達していると想定される)と同時に、それに対応した毒素や酵素を作るための機構に用いられているようである。

若い人への助言として話していたのは、何かを始めようとする時にこれから扱おうとする対象がどのようなものであるのかについて、論理的な構造(logical structure) を把握しておかなければならない。これが弱くなっているのではないかという。また、教科書にあるようなドグマチックなモデルに囚われることなく(例えば、 細胞の中で、ある分子が線で引かれた道を動くというようなことはない)、実際に起こっていることを想像することが重要だということも指摘していた。心したい点である。
(2000年4月21日)

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このシンポジウムの2年後にブレナーさんはノーベル賞をもらっている。その時からかなりの時間が経過したが、最近の考え方を以下のインタビューで語っている。1927年1月13日生まれの御年83だが、全く衰えを知らず素晴らしいとしか言いようがない。
  • An interview with... Sydney Brenner. Interview by Errol C. Friedberg. Nat Rev Mol Cell Biol. 9: 8-9, 2008.
  • Interview with Sydney Brenner by Soraya de Chadarevian. Stud Hist Philos Biol Biomed Sci. 40: 65-71, 2009.
基本的な主張は、いわゆるシステム生物学の批判、ヒトを対象とした科学の推進、全体の理解に至る基本レベルとしての細胞などで、教育の問題点についても触れている。お話全体に哲学的雰囲気を感じることができ、私にとっては痛快な読みの時間ともなった。いくつかのテーマについて考えてみたい。


なぜシステム生物学は成功しないか

全体を理解しようとするのは大切である。しかし、システム生物学がやろうとしているのはデータを大量に集め、そこからモデルを作ろうとする逆問題inverse problem)を扱っており、成功しないだろう。マイクロアレイで限られた時点で膨大なサンプルの測定をし、それをまとめてモデルを作り、最終的には理論にもっていくとしている。それは、部屋の中にドラムがあり、それにつながったコードから得られる情報を基にドラムがどういうものかを明らかにしようとするようなもので、ドラムそのものを触ることはしない。そして、正確な測定が難しい。それ以上に、進化の問題を抱えた生物の現象は常に揺れる可能性がある。

私が提唱する分子生物学のやり方は、実際の構成成分を扱い、それがどのように振舞うのかを解析した後に、全体の状態をコンピュータ解析するもので、これをこれからも進めることが重要である。

創発(emergence)について

そこでは 「全体は部分の総和より大きい」 と言われるが、正確には「全体は『分離して解析された』部分の総和より大きい」 となる。部分の総和より大きい全体などあり得ない。全体をcompute するのは部分の相互作用である。2万もの遺伝子をどのように扱って全体を解明するのかは生物学が解決すべき問題になる。しかし、生物学は多くの問題を解決できない。

分子生物学の仕事は、部分が何をしているか、何と相互作用しているかを方程式に入れることである。それは膨大な数の部分が反応し、動き回っているというシステムではない。そんなシステムはナンセンス。もしそうであれば、われわれは存在していないだろう。そこで生物学が見るべき単位は細胞であり、遺伝子や分子ではない。つまり、全体を細胞のネットワークとして見ること、つまりコミュニケーションの分野になる。全体の解明のためにはシステム生物学でも top-down、bottom-up でもない、middle-out とでも言うべきやり方が必要で、それは細胞から出発して生体に行き、細胞から分子に向かうものである。

(つづきます)

mardi 22 décembre 2009

理解する研究


理論免疫学者メルヴィン・コーン(Melvin Cohn)博士の20年前のエッセイを読む。まず目につくのは、免疫系を理論化する場合、常に進化の光を当てていることだろう。当然と言えば当然だが、徹底している。それから実験により事実の断片を集めるのではなく、全体を理解したいという願望、さらに言うと強い意志を感じる。ある世界を見る時にひとつの原理のような枠組みを何とかして掴みたいという意志である。そこに向けて正確で妥協しない強靭な思考を心がけている様子がよくわかる。そのため上位の論理に適合しない思考には厳しい言葉を吐いている。時にユーモアも交えながら。そして、その枠組みがない免疫学の何と無駄が多いことかと嘆き、彼の論理ではあり得ないイェルネ博士によるイディオタイプ・ネットワーク説に基づいて発表された数千の論文を見るだけで十分だろうとしている。

また、現代の科学では知の断片の収集が過大な評価を受け、理論的な枠組みを提供する仕事は過小評価、あるいは無視されている。この事実に対する彼の深い怒りのようなものが感じられる。本当の発見は両者の合作のはずだからだ。この点には全面的に同意する。そして、あるものの全体を理解したいという思いが強くなっている私は、コーン博士を遥か前を行くランナーのような目で見ていた。以下に、彼の言葉を。

"This leads me to generalize my point by asking, What are we teaching in these institutions, which dominate worldwide the thinking of the immunological community? Not the search for principles of generality; the institutional environment does not appreciate such effort, much less reward it. Education rather seems to fix forever the direction of students' efforts so that their sole goal is to demonstrate that what they have been taught is scripture even when it is popery. It is little wonder that we have come to prize purely technical over conceptual achievement in spite of their interdependence, in par this is due to a loss of asceticism, in part to a lack of training and confidence in our ability to evaluate Socratic thinking, in part to the so-called practical values imposed by our promotion, grant, and prize awarding committees. The tragedy is that we no longer worship understanding as the goal of science. Having totally lost respect for rational skepticism, we allow quantity rather than quality, charisma rather than scholarship, and the desire to be accepted rather than the need to question, to influence and, in the end, determine our judgment."

Forward to Rodney E. Langman's "The Immune System"
"Clippings from one immunologist's journal" (1989)

dimanche 13 décembre 2009

「哲学なき科学、あるいは科学は哲学から何を学ぶことができるか」


「意心帰」 安田侃
 (2006年)
"Shape of mind" by Kan Yasuda (1945-)


12月2日、大阪で開かれた第39回日本免疫学会の関連分野セミナーとして 「哲学なき科学、あるいは科学は哲学から何を学ぶことができるか」 (Science without philosophy, or what science can benefit from philosophy) と題したお話をした。その後、内容についての問い合わせがあったので、この機会にその内容を公表することにした。内容は初歩的なものだが、これを契機に意見交換の機会が増えるとすればこれに勝る悦びはない。PDFのダウンロードはこちらからお願いいたします。


vendredi 9 octobre 2009

エドワード・ウイルソンさんの講演を聞く


昨日の就寝前、Edward O. Wilson さんによる進化と地球の未来についての講演を聞く。

  "Evolution and the Future of the Earth"


どこにいても先端のユーモアに溢れるお話を味わうことができる。
講演は今年4月にワシントンDCで行われたもの。
ウィルソンさんは1929年のお生まれなので、御歳80。
まだまだしっかりしておられる。

dimanche 4 octobre 2009

エリー・ウォルマン記念シンポジウムより ― 「ウイルスは生きている」



昨年亡くなったエリー・ウォルマン(Elie Wollman, 1917-2008)を記念するシンポジウムに先週参加した。パトリック・フォルテールさんPatrick Forterre; パスツール研究所、パリ第11大学)がウイルスの定義、生命の起源に関係するお話をしていた。

彼の視点はいつもできるだけ広くものを見ようとするところが特徴だろう。今回の講演の前に、1961年に Scientific American (204:93-107)に発表されたフランソワ・ジャコブとエリー・ウォルマンのエッセイ "Viruses and genes" を読んでみたという。彼らの精神の中にも、自らの細菌遺伝学の成果を他の領域、特に癌の発生と結びつけるという統合的な視点が見られることを指摘している。現在の傾向はこれに逆行するもので、本来は一緒に考えなければならないウイルス、プラスミド、ファージなどの研究がそれぞれの分野に固まってしまい、ミーティングもどんどん細分化していると警告を発している。そんなこともあってか、来年6月には細菌とウイルスをまとめて考えるシンポジウムを計画しているようだ。




人の遺伝子の40%(~80%)はレトロウイルス由来であることが明らかになっている。ウイルスが人から遺伝子を盗んでいると考えられていたが、実は人の方がウイルスから遺伝子を盗んでいることになる。ウイルスやプラスミドが新しい遺伝子や機能の貯蔵庫の役割を担っており、細胞に創造性を与える元になっている。最近、真核細胞の核、細胞壁、ミトコンドリアの複製、転写などはウイルス由来で、胎盤、合胞体 (syncytium)などはレトロウイルス由来とする報告が出され、哺乳類の起源にも関与している可能性が高い。

また、人間とチンパンジーはおよそ600万年前に共通の祖先から分かれて進化したが、その遺伝子は96%~99%共有されている。両者に差があるのはレトロウイルスの組み込みの程度だという。ある意味ではウイルスが人間らしさを生み出していると言えなくもない。

フォルテールさんが強調したかったのは、ウイルスをどう捉えるかという点にある。ウイルスとは、という問になる。第一の問題(ドグマと言ってもよいだろう)は、ウイルスをウイルス粒子 (virion)と考えていることである。ウイルスをその生活環の中で見ると、細胞内にある時期は細胞をウイルス生産工場に変えることができる。しかし、これはウイルスは細胞をウイルス粒子生産工場に変えると改めなければならないだろう。

前の記事でも取り上げた巨大なミミウイルスを古細菌に感染すると、宿主の遺伝子は変性し、そこにあるのはウイルス・ゲノムだけになるという観察をしている。つまり、この古細菌はウイルスの遺伝子を持った細胞になる。彼は、ウイルスとは感染した細胞である、ウイルスは細胞生物であると提唱したいようだ。つまり、ウイルスは細胞であるので生きているとの結論になる。




さらに、生物の世界をリボソームとカプシドを持つ二つに分けるように提唱している。つまり、生命の世界は細胞とウイルスの二つに分かれるというものだ。興味深いお話である。最後にこう付け加えていた。この二つの世界(細胞とウイルス)は進化の過程で大戦争をしてきた。その戦争が進化のモーターであった。最近、この両者は相互に折り合いをつけるように進化してきたという、謂わば甘い考えも出されているが、彼は理由ははっきり語っていなかったがその立場は取らない。大部分の科学者は戦争を嫌うので、細胞とウイルスの戦争を過小評価する傾向があるのではないかと推測している。政治的には正しくないかもしれないが、戦争こそ新しいものを生み出す大きな力があると考えている。ジャコブとウォルマンのエッセイにも 「ウイルス感染の全過程は、一国が他国を占領するのに比することができる」 と書いている、と結んでいた。


vendredi 2 octobre 2009

Mimivirus


Figure 1. Mimivirus branching in the Tree of Life. None of the genes used to generate this tree exhibited evidence of recent lateral transfer.

GiantVirus.org から

jeudi 1 octobre 2009

ウイルスは生きているか? Les virus, vivants ?


Le Mimivirus, ou "virus imitant un microbe", dépasse en taille certaines bactéries.
(微生物類似のウイルス、ミミウイルス。細菌より大きいものがある)

今年の2月20日のル・モンドの記事から。

Les manuels scolaires l'assènent volontiers : les virus n'ont pas le privilège de la vie. Certes, ils disposent d'un génome. Mais, à la différence des organismes cellulaires (plantes, bactéries, animaux, etc.), ils sont incapables de le répliquer hors de la cellule qu'ils infectent. Ce "parasitisme absolu" les exclurait de la vie, les confinerait au statut d'"entités biologiques", minuscules sacs de gènes agrégés au hasard des hôtes rencontrés... Mais, depuis peu, les découvertes s'accumulent qui semblent faire aux virus - au moins à certains d'entre eux - une place à part entière sur l'arbre du vivant.

学校の教科書ははっきりとウイルスには生命としての特徴がないと言っている。もちろん、ゲノムはある。しかし、植物、細菌、動物のような細胞生物とは異なり、感染した細胞の外では複製ができない。この 「絶対的寄生性」 によってウイルスは生命から除外され、「生物学的存在」、出会った宿主でランダムに凝集する遺伝子の入った小さな袋などと矮小化される。しかし最近、生命樹において少なくともあるウイルスに特別の位置を与えるような発見が積み重なっている。

La première grande remise en question remonte à mars 2003. Des chercheurs français de l'Unité des rickettsies et pathogènes émergents (CNRS, université de la Méditerranée) décrivent alors, dans la revue Science, un virus gigantesque découvert dix ans plus tôt, infectant des amibes, dans le système de climatisation de l'hôpital de Bradford (Royaume-Uni). Entre sa découverte et sa caractérisation, son inventeur, le Britannique Tom Rowbotham, l'avait confondu avec une bactérie, eu égard à ses dimensions imposantes (de l'ordre du micron). D'où son nom de baptême : Mimivirus (Mimicking Microbe Virus, ou "virus imitant un microbe")..

最初にこの問題が問い直されたのは2003年3月に遡る。地中海大学リケッチャ・新興性病原体ユニットのフランス人研究者が10年前にイギリスのブラッドフォードの病院の空調システムで発見されたアメーバに感染する巨大なウイルスについてScience誌に発表した。その発見と解析の間、最初に見つけたイギリス人トム・ローボータンはそのサイズがミクロン単位であったことから細菌と混同していた。そこから微生物を模倣するウイルスという意味 (mimicking microbe virus) のミミウイルスという名前が付けられた。

Un an plus tard, le séquençage du génome de la bestiole jette plus encore le trouble : il se révèle long de plus d'un million de paires de bases, quand la majorité des virus n'en alignent qu'une dizaine de milliers. Non seulement Mimivirus est plus volumineux que bon nombre de bactéries, mais son génome, composé d'un millier de gènes, n'a rien à leur envier. Il possède en outre les neuf gènes communs à tous les gros virus à ADN, attestant l'existence d'un ancêtre unique, ayant sans doute existé il y a plus de trois milliards d'années, à cette famille virale. A bien des égards, la découverte de Mimivirus est si déconcertante que bon nombre de biologistes se posent la question du caractère accidentel de ce virus si inattendu...

一年後、そのゲノムのシークエンスはさらなる問題を投げかける。大部分のウイルスが数万の塩基しか持たないのに、このウイルスは100万以上の塩基対を持っていることが明らかになったからである。ミミウイルスが多数の細菌より大きいだけではなく、そのゲノムも細菌に劣らないのである。その他、ミミウイルスはすべての大型DNAウイルスに共通する9つの遺伝子を持っていることから、30億年以上前に存在していたこのウイルス属の先祖があることを示している。多くの点でミミウイルスの発見は意表を突くもので、多くの生物学者がこのウイルスの予想もしないような特徴について自問している。

La métagénomique, qui consiste à séquencer massivement tout le matériel génétique d'un milieu, leur a donné tort. "Depuis la description de Mimivirus, nous avons découvert en réanalysant les données de métagénomique, que les virus appartenant à sa famille (les mimiviridae) sont extrêmement abondants dans la nature, explique Jean-Michel Claverie, chercheur (CNRS) au laboratoire Information génomique et structurale, coauteur du séquençage de Mimivirus. Il y a environ un million de particules virales dans un millilitre (ml) d'eau de mer - jusqu'à un milliard dans les zones côtières -, dont environ un tiers est sans doute très proche de Mimivirus." C'est, en tout cas, ce que suggère l'abondance de certaines séquences génétiques, caractéristiques des mimiviridae, dans l'océan.

ある環境の中の遺伝物質すべてを大規模に解析するメタゲノミクスによっても誤りが明らかになった。「ミミウイルスが記載されて以来、われわれはメタゲノミクスのデータを解析し直し、ミミウイルス属に属するウイルスが自然には非常に多いことを発見しました。海水1 ml 中には約100万 (沿岸部では10億にまで至る) のウイルス粒子があり、その約3分の1はミミウイルスに非常に近いのです」とミミウイルスの遺伝子配列解析の共著者であるゲノム・構造情報研究室の研究者ジャン・ミシェル・クラヴリー (CNRS) は語る。いずれにせよ、これは大洋にミミウイルス属の特徴を持つ遺伝子配列が溢れていることを示している。

Les virus géants sont donc partout, ou presque. Et ce bien que leur existence même ait été ignorée jusque très récemment. La raison en est simple : "Depuis le milieu du XIXe siècle, on a toujours détecté les virus en les faisant passer par des filtres de plus en plus petits, explique M. Claverie. Les gros virus restaient donc bloqués avec les bactéries et n'étaient pas identifiés." On ne trouve jamais, dit-on, que ce que l'on cherche.

したがって、巨大ウイルスはほとんどあらゆるところに存在しているが、つい最近までその存在さえ知られていなかった。理由は簡単である。「19世紀以来、ウイルスは常にどんどん細かなフィルタを通して検出されていました。したがって、大きなウイルスは細菌とともに除外されたままで、同定には至らなかったのです」 とクラヴリー氏は説明する。この方法では求めるもの以外は決して見つからないのだ。

Tout récemment, dans le système de climatisation des Halles, à Paris, l'équipe de Didier Raoult (unité des rickettsies et pathogènes émergents), l'un des pères de Mimivirus, a trouvé un tout proche cousin du virus géant - plaisamment baptisé Mamavirus. Plus gros encore que son prédécesseur, sa séquence génétique devrait être publiée dans l'année. Mais surtout, avec lui, une découverte publiée fin 2008 dans Nature, qui sème un peu plus le doute sur le caractère présumé inerte de ces "poisons" (virus en latin). Car cette fois, avec l'énorme Mamavirus, les chercheurs identifient un petit virus-satellite, baptisé Spoutnik, qui a cette singularité d'infecter Mamavirus, lorsque celui-ci a lui-même infecté l'amibe qui lui sert d'hôte... comme un emboîtement de poupées russes.

最近、ミミウイルスの父の一人とされるディディエ・ラウール(リケッチャ・新興性病原体ユニット)のグループがパリのレ・アールの空調システムにママウイルスと名付けられるほど巨大なウイルスの仲間を発見した。以前のものよりさらに巨大で、その遺伝子配列は年内に発表されるはずである。しかし、特に2008年末に Nature に発表された発見は、これらの毒 (ウイルスの由来となったラテン語の意味)が無害であるとすることに疑いを差し挟むものである。なぜなら今回巨大なママウイルスとともにスプートニクと名付けられた小型の衛星ウイルスを発見したからである。このウイルスはママウイルスが宿主となるアメーバに感染する時にママウイルスに感染するという特徴を持っている。あたかもマトリョーシカ人形のように。

"Lorsque Mimivirus ou les membres de sa famille infectent une cellule vivante, ils y créent, en exprimant leur génome, une "usine à virus" qui ressemble beaucoup à un noyau secondaire, explique Jean-Michel Claverie. Le fait que ce "noyau secondaire" puisse être à son tour infecté par un autre virus montre à quel point il ressemble à un noyau cellulaire classique !" "Les virus ont longtemps été confondus avec leur virion", renchérit le microbiologiste Patrick Forterre (Institut Pasteur, université Paris-XI), évoquant la particule virale qui pénètre dans la cellule vivante pour y installer le virus proprement dit et lui permettre de s'y répliquer... "Un peu comme si on confondait l'homme avec son spermatozoïde !", décrypte Jean-Michel Claverie, qui va jusqu'à comparer la pénétration du virion dans une cellule pour y exprimer ses gènes, à un cycle sexuel...

「ミミウイルスやその仲間が生細胞に感染すると、自らの遺伝子を発現してそこに第二の核のように見えるウイルス工場を作ります。この第二の核が他のウイルスに感染され得るということは、それが古典的な核にそれほど似ていることを意味しています」 と語るのはジャン・ミシェル・クラヴリー。「ウイルスは長い間ウイルス粒子(ビリオン)と混同されてきたのです」と強調するのは微生物学者のパトリック・フォルテール(パスツール研究所、パリ第11大学)。「丁度人間と精子を混同するのに少し似ています」とはジャン・ミシェル・クラヴリー。彼は遺伝子を発現するためにウイルス粒子が細胞に侵入することは性周期にも喩えられるとまで言う。

Un virus infecté par un autre virus. Il est tentant de résumer cette étrangeté par une formule : "Puisqu'ils peuvent être malades, c'est donc que les virus sont vivants." La découverte de Spoutnik replace surtout les virus dans un nouveau schéma d'évolution. "Ils ont toujours été conçus comme étant seulement sélectionnés par leurs proies alors que les "organismes vivants" sont sélectionnés par leur proie et leur prédateur, dit Didier Raoult. L'existence de Spoutnik montre que les virus peuvent, eux aussi, être pris entre la proie qu'ils exploitent et le virus qui les attaque..."

他のウイルスに感染されるウイルス。この奇妙さをこうまとめたくなる。「病気になり得るのだから、ウイルスは生きている」。スプートニクの発見により、ウイルスを進化の新たなスキームに入れ直すことになる。ディディエ・ラオールは語る。「ウイルスはこれまでその獲物によってのみ淘汰され、生物はその獲物と外敵により淘汰されると看做されてきた。スプートニクの存在は、ウイルスもまた獲物とウイルスを攻撃するウイルスの間にあることを示している」

Les virus sont-ils vivants ? Pour répondre, il faut en passer par une autre question : qu'est ce que la vie ? Pour Didier Raoult, "ce n'est pas une question de biologie, mais plutôt de sémantique ou de théologie". D'autant, ajoute-t-il en substance, que les progrès de la métagénomique nous donnent la mesure de notre ignorance : la majorité des gènes identifiés dans la nature ne se rattachent à rien de décrit. "Comment définir un champ dont on ignore encore toute l'étendue ?", interroge M. Raoult. Patrick Forterre propose une définition simple : "On peut commencer à parler de vie lorsque les mécanismes de la sélection darwinienne s'appliquent." Or, rappelle-t-il, "les virus y sont soumis..."

ウイルスは生きているのか。この問に答えるためには、生命とは何か、というもう一つの疑問を通過しなければならない。ディディエ・ラオールは 「それは生物学の問ではない。むしろ、意味論や神学の問になる」 と考えている。メタゲノミクスの進歩によりわれわれの無知がどの程度のものかが明らかにされた。自然界で同定されている遺伝子の大部分は解明されていない。「その全貌を知らない領域についてどのように定義するのでしょうか」 とラオール氏は問いかける。パトリック・フォルテールは単純な定義を提唱する。「ダーウィンの選択機構が働く時に生命と言うことができるのではないか。そしてウイルスはその機構のもとにある・・・」

Stéphane Foucart

LE MONDE | 20.02.09 | 16h20 • Mis à jour le 20.02.09 | 19h51

mardi 14 juillet 2009

ダーウィン生誕200年祭 “Darwin 2009” で21世紀の科学を想う


Nothing in biology makes sense except in the light of evolution.
(Theodosius Dobzhansky)

水平のつながりの中で今と格闘している時、そこを垂直に貫いている時の流れが意識から消え去る。しかし、その流れに気付く時、われわれの世界観に大きな影響を及ぼしてきた人々がそこから蘇ってくる。ニュートンやアインシュタインにも比肩され、自らも生物学におけるニュートンを目指したダーウィンなくして、進化に照らすことなく生命現象を理解することの無意味さを説いたドブジャンスキーの言葉も生まれなかったであろう。ダーウィンがケンブリッジ大学で神学を修めた後、ビーグル号で世界一周するチャンスが転がり込んでくる。船酔いに苦しみながらの5年に及ぶ航海が彼の一生を決めることになる。まさに人生の大事は計画によるのではなく、どこからか落ちてくることがわかる。航海から戻って6年後、彼は思索と執筆の生活を決意しケント州ダウンに引き籠り、病を抱えながらも真に独立した環境で40年に渡って進化について考え続けた。その一つの成果として、共通祖先に由来する漸進的で目的のない自然選択による進化を説いた「種の起源」(“On the Origin of Species”) が出版された。1859年のことである。

今年はその150周年であるのみならず、ダーウィン生誕200年という生物学にとっては記念すべき年に当たる。この機会に世界中でいろいろな催しが行われているが、私は夏休みを利用してダーウィンの母校ケンブリッジ大学で開かれた生誕200年祭 “Darwin 2009”(2009年7月5日-10日)に参加する幸運に恵まれた。このシンポジウムには、彼の影響がわれわれの営みのあらゆるところに及んでいることを示すように、生物学だけではなく哲学、歴史学、社会学、心理学、人類学、情報科学、経済学、神学、芸術など幅広い領域の専門家が集っていた。因みに科学の分野からは、ハロルド・ヴァーマス(メモリアル・スローン・ケタリング癌センター、1989年ノーベル賞受賞者)、ポール・ナース(ロックフェラー大学、2001年ノーベル賞受賞者)、ジョン・サルストン(マンチェスター大学、2002年ノーベル賞受賞者)、ランドルフ・ネシー(ミシガン大学)、エヴァ・ヤブロンカ(テルアビブ大学)などが、また科学哲学関連ではリチャード・ドーキンス(オックスフォード大学)、ダニエル・デネット(タフツ大学)、エリオット・ソーバー(ウィスコンシン大学)、フィリップ・キッチャー(コロンビア大学)、エヴリン・フォックス・ケラー(MIT)などが参加した。会の構成は、午前が共通セッション、午後は3-4つのセッション、そして夜は音楽、文学、演劇、映画などの催し物となっていた。ここでは午前中のセッションから印象に残った話題を紹介したい。

午前中のセッションのテーマは「ダーウィンの広範なインパクト」、「社会と健康」、「人間の性質と信仰」、「ダーウィンと現代科学」、「未来は何をもたらすか?」で、ダーウィンの手紙の朗読で始まった。これらのセッションでは、できるだけ多くの人に届くことを願って発せられる言葉の美しさ、力強さ、そしてその底にある信念とユーモアの精神に目を見張っていた。


オープニング・セッションのパネリスト

(左から)ギリアン・べア、リチャード・ドーキンスジョナサン・ホッジエリオット・ソーバー、デーヴィド・リード、パトリック・ベイトソン(Darwin 2009のチェアマン)、リュドミラ・ジョルダノヴァ


オープニング・セッションでは「この人の本を読むと自分が天才のように思われる」とニューヨーク・タイムズ紙が評したというリチャード・ドーキンスが登壇、会場を魅了していた。彼によると、ニュートンやアインシュタインの鋭い閃きは感じないが、人類に最も広範な影響を及ぼし続けているのはダーウィンである。同様のことを考えた人は4人いたが、進化論が確立されるまでに渡らなければならなかった4つの橋(「淘汰」の存在、進化の動力としての自然選択、すべての生命に当てはまる自然選択、そしてこの考えの社会での受容)のすべてを渡ることができたのはダーウィンだけであった。「社会と健康」のセッションでは、進化医学を押し進めているランドルフ・ネシーが、なぜわれわれの体は病という一見望ましくない状態に陥らなければならないのかという進化論からの問をすべての病気について投げ掛けること、さらに医学教育において一般基礎科学の重要性を説くだけではなく、あるいはそれ以上に進化論を取り上げるべきであることなどを提唱していた。

イギリスのサン紙は彼のことを “David Beckham of science” と書いていると紹介されたポール・ナースは、「サンの問題は私がボールを蹴るのを見たことがないことだ」と切り返して会場の爆笑を誘っていた。今回の特徴は、このような全体を包み込むような温かい笑いが至るところに溢れていたことだろうか。ダーウィンの自然選択の考えがバーネットのクローン選択説やがんの発生と遺伝の研究にも影響を及ぼしていること、さらに、すべての生物は一つの共通祖先から生まれたとする「生命の樹(Tree of life)」は、下等生物での研究がヒトに応用可能であるという哲学に繋がっていることを指摘し、自然免疫に関与するtollはまずショウジョウバエで見つかったことやヒトの遺伝子を酵母に導入しても全く問題なく機能する例などをその証左としていた。癌の生物学については「ダーウィンと現代科学」のセッションでハロルド・ヴァーマスが詳細に考察を加えていた。永遠の増殖という細胞にとっては望ましいが生体にとっては不利になるジレンマを抱えた形質が、なぜ進化の過程で選択されたのか。この疑問についての明快な答えはまだ用意されていないようである。



21世紀に警告を発するジョン・サルストン



ポール・ナースがbon vivant の印象を与えるのに対して、ジョン・サルストンは人類の悩みを背負った哲学者の風情がある。「理解から責任へ」と題した話の始めに、彼自身が「種の起源」を読みながらガラパゴスを旅した時、ここでダーウィンがドグマから解放され新しい哲学に進む経験をしたことに想いを馳せたエピソードを語っていた。「自然選択による進化」は最早一つの理論ではなく生命の定義になっている。しかし、それは生命がどのようなものであるのかを教えてはいるが、その保持のためにわれわれが何をしなければならないかについては語ってくれない。それはわれわれ自身が考えなければならない問になる。そこで出てきたキーワードは“global justice”であった。西欧的な自己中心主義、そこから生まれる過度の競争はこの世界やそこに生きる生命を脅かすのではないかという問題提起をし、選ばれた少数のためではなく、全体の発展のために社会的、経済的な目を注ぐ必要があると力強く結んでいた。このメッセージは会場から熱のこもった拍手で迎えられていたが、学問の世界を考える上でも示唆に富む視点ではないだろうか。

今年はC.P. スノーの名著「二つの文化」(“The Two Cultures”)出版50周年にも当たる。そこで問われた文理の乖離の問題は解決されないばかりか、同一分野においても専門が尖鋭化し相互理解が益々難しくなっている。われわれを取り巻く自然とそこで営まれている生命現象により深く迫るには、尖鋭化とは対極にある統合 (synthesis) という作業が求められる。この尖鋭化と統合という両極をどのように調和させていくのか。これはわれわれに課せられた21世紀の大きな問題のように見える。科学の歴史においてトマス・クーンの言うパラダイム・シフトをもたらしたのは、しばしば哲学者や哲学的思索をする科学者であった。自然の中から一つひとつの事実を見つけ出そうとするのではなく、自然全体がどのように動いているのかを理解しようとしたダーウィンの歩みを振り返る時、そこに一つのヒントがあるような気がしている。



自作を朗読するイアン・マキューアン(左)



この問題に関連して興味深いことが二つあった。一つは、夜の催しに作家の対談が組まれていたが、その中でイアン・マキューアン(「アムステルダム」でブッカー賞受賞、他に「贖罪」、「土曜日」など)が芸術と科学の関係に興味を持っていることを知った。物理学者を主人公にしてこのテーマを掘り下げるという次回作の原稿5-6ページをご本人による朗読で聞くという贅沢を味わった。また、会場に出ていたheffersという書店のブースで何冊か購入した時、係の方が手渡してくれたカードには次の言葉が刻まれていた。

If you want to build a ship, don’t drum up the men to gather wood, divide the work and give orders. Instead, teach them to yearn for the vast and endless sea.
(Saint-Exupery)




最終日、「未来は何をもたらすか?」 のセッションのインターミッションに高円宮妃久子様がステージ上でスピーカーの方々と完璧なイギリス英語で言葉を交わされていたのは強い印象を残した。ダーウィンの歩みに始まり、21世紀の科学について想いを巡らせたケンブリッジの一週間であった。


mardi 2 juin 2009

ジョージ・C・ウィリアムズという進化学者、あるいは統合への精神運動 George C. Williams, ou l'esprit synthétique


George Christopher Williams
(b. May 12, 1926)


最近、ナイルズ・エルドレッジ (Niles Eldredge, b. 1943) がこの方について語っているのを読む機会があった。エルドレッジは1972年にスティーヴン・ジェイ・グールド (Stephen Jay Gould, 1941-2002) とともに進化は漸進的に進むのではなく変化のない平衡状態に挟まれるようにしてある急激な変化の時期を経て起こるものとする断続平衡説 (Punctuated equilibrium; Équilibre ponctué) を提唱した古生物学者である。

エルドレッジ氏の話によると、イギリスの進化遺伝学者のジョン・メイナード・スミス (John Maynard Smith, 1920–2004) がウィリアムズがアメリカの科学アカデミー会員にもなっていないことに驚きを持っていたという(1993年には会員になったが)。エルドレッジ氏自身が1980年代にウィリアムズを訪ねた時には研究費が当たらないことを嘆いていて、信じられない思いを抱いたという。進化がグループにではなく個人、さらにはその遺伝子に対する選択を介して行われるという考えの持ち主で、リチャード・ドーキンス (Richard Dawkins, b. 1941) にも大きな影響を与え、性選択や老化に関しても重要な仕事をし、進化医学の理論的基盤も築いている。このように進化生物学に大きな足跡を残したウィリアムズへの評価の低さは驚くべきであるとしている。彼は照れ屋ではあるが、細心の注意をもって深く思索する人間であると正当に評価している。

これを読んだ時、いろいろな思いが巡っていた。これは私がアメリカにいた時のことになるが、彼が研究生活を送っているストーニー・ブルックには就職先の一つとしてインタビューに行ったことがあり、親しみとともに懐かしさが蘇っていた。それから生物学分野での理論的な仕事に対する評価の低さはアメリカでもあるのか、という思いが湧いていた。生物学と言えば実利に結びつく成果が求められ、それ故にそのような仕事がまず評価されるのは洋の東西を問わないのかも知れない。これに関連して思い出すのは、免疫応答の理論的基盤になっている "two-signal model" を1970年に提唱し、それを今も改変し続けているメルヴィン・コーン氏 (Melvin Cohn, b. 1922) が理論的な仕事に対する理解が低いことを漏らしていたことである。これらのことを目の前にして、統合に向かう精神運動に対する評価を考え直さなければならないのではないか、と考えていた。


dimanche 15 mars 2009

シーウォル・ライトという遺伝学者 Sewall Wright


Sewall Wright
(December 21, 1889 – March 3, 1988)


遺伝的浮動などの研究でダーウィン後の進化論の発展に重要な役割を果たしたシーウォル・ライトという遺伝学者がいる。まず、99歳までしっかり生きた人であることに感動する。凍った道で滑り、骨盤骨折の合併症で亡くなっている。普通の人であれば、亡くなったことは残念だが99歳なのでおめでたいとも言えるのではないか、となるかもしれないが、彼の場合には目こそ弱っていたが知力の方に衰えはなく、夏にある国際学会を楽しみにし、亡くなる数時間前まで論文のディスカッションをしていたという。彼の4巻からなる2000ページを優に超える大著 "Evolution and the Genetics of Populations" (進化と集団遺伝学) は70歳後半から80歳代にかけて書かれたもの (1968年、1969年、1977年、1978年) で、最後の論文発表は亡くなる2か月前の1988年1月である。冬の散策に出ていなければ、まだまだ活力を保っていたと想像される。

彼の家系はシャルルマーニュ治世の8-9世紀にまで遡ることができることを知ると、遺伝学に興味を持つことになったのも理解できる。マサチューセッツ州メルローズに生まれたが、3歳の時に父親フィリップがイリノイ州のロンバード大学に職を得たので移り住む。まだ学校に行く前の7歳の時には "The Wonders of Nature" というパンフレットを書いている。早熟の少年だったようだ。父親のフィリップも polymath で大学では数学、天文学、経済学、測量学、体育、英作文を教え、詩や音楽を愛していた。そのためか、シーウォルには詩の領域に入るように勧めたが、彼は自然科学を選び父親を落胆させた。それは大学でアメリカの女性で初めて理学博士をシカゴ大学からもらっていたウィルヘルミン・キーという先生の影響が大きいと言われている。

大学卒業後、イリノイ大学でフェローシップをもらい、この間ハーバード大学のウイリアム・キャスルのもとでモルモットの毛の色について研究し、26歳の時に博士号を得る。ここで inbreeding (近親交配) にも研究を進めるが、それは両親がいとこ同士の結婚だったことが原因ではないかと考えている人もいる。それから10年間は同じテーマのもと農務省で、37歳から65歳の定年まではシカゴ大学、さらにその後の5年間はウィスコンシン州立大学で研究を続けた。キャリア後半には哲学にも興味を持ち、生物学についての哲学論文も物しているという。

やはり進化学者で100歳の人生を全うしたエルンスト・マイヤーがいる。こちらの方は定年後に生涯に出した本の半分以上 (14/25) を出版し、200編もの論文を書いているという圧倒的な活力を示している。お二人ともただただ素晴らしいと言う他はない。




samedi 14 mars 2009

マッシモ・ピグリウッチさんのセミナーを聞く Massimo Pigliucci



昨日の午後からニューヨーク州立大学ストーニー・ブルック校のマッシモ・ピグリウッチさんのセミナーがあった。昨年、ウィーン近郊のアルテンベルグにあるコンラート・ローレンツ研究所で開かれた進化論の新たな展開を探る会議で明らかになったことが中心であった。この会議については、昨年Nature誌にも取り上げられていたので興味を持って出かけた。

演題: Evolutionary theory: the view from Altenberg

ダーウィンに始まる進化論を次にように追っていた。

Evolutionary theory 1.0:

(1) common descent
(2) natural selection

ET 1.1:
(1) rejection of Lamarck
(2) separation of soma & germ

中心となった科学者:アルフレッド・ウォレスアウグスト・ヴァイスマン

ET 2.0: beginning of the modern synthesis
(1) compatibility between Mendelism & statistical genetics
(2) theories of selection & random drift: birth of population genetics

中心となった科学者:ロナルド・フィシャーJ.B.S.ホールデンシーウォル・ライト

ET 2.1: mature modern synthesis
(1) variationi in natural populations
(2) species concepts, speciation processes
(3) compatibility of gradualism with paleontology
(4) applicability of Darwinism to variety of mating & genetic systems in plants

中心となった科学者:テオドシウス・ドブジャンスキージュリアン・ハクスレーエルンスト・マイヤージョージ・ゲイロード・シンプソンジョージ・レドヤード・ステビンズ

これから modern synthesis の先をゆくET 3.0 に当たるものが必要になるのかどうか。この点について話し合うためにアルテンベルグに集まり、以下のような問題点について考えたという。

(1) How do we factor in development?
(2) Is evolution always gradual?
(3) Is natural selection the only organizing principle?
(4) What are the targets of selection?
(5) Is there a discontinuity between micro- and macro-evolution?
(6) Is the question of lamarckian inheritance settled?
(7) Where do evolutionary novelties come from?
(8) What about ecology?

この中では最後のエコロジーについて強調していたのが印象に残った。エコロジーが学問としての体裁を成しているのか。エコロジーこそこれから取り込んでいかなければならない領域ではないのか。要は、未だに手つかずで期待が持てる領域であるということになる。

トマス・クーンが物理学と天文学の歴史からパラダイムシフトという概念を導き出したが、生物学ではそれがあるのかどうか。神の存在を唱えたウィリアム・ペイリーからダーウィンにおける展開はその一つだろう。しかし、それ以降の展開はダーウィン進化論の修正、修飾、発展が中心でパラダイムシフトと言えるものはまだ現れていない。これからどのように進行していくのだろうか。その意味では興味深い領域ではある。

この成果は来年MIT Pressから出版されるようだ。最後に、新らたに彼もエディターの一人になって出すことになった open-access online journal "Philosophy & Theory in Biology (P&TB)" の紹介があった。生物学と哲学が離れてあり、時には対立する状態にもなる科学と哲学の関係を打開しようという意図も感じられ、同じ認識を持っている者として共感を持って聞いていた。

Massimo Pigliucci's Evolutionary Ecology Lab site




lundi 2 février 2009

真の自然選択か否か Selection "for" vs. selection "of"


Elliott Sober "The Nature of Selection" (1984, 1993), p. 99


ある形質が選択される時、それが生存や繁殖に適しているからなのか、偶然にそうなったのかを区別することが重要になる。科学哲学の領域でよく出される例に、心臓の機能として血液を送り出すことなのか、雑音を出すことなのかというのがある。心臓が選択されたのは前者の理由によるのか、後者のためなのかという問題である。このことを理解するためには、エリオット・ソーバーがその著書 "The Nature of Selection" の中で説明している例が非常にわかりやすい。この説明のために彼は "selection for properties" と "selection of objects" という概念を使い、上図にあるおもちゃを持ち出して解説している。それによると以下のようになる。

ここではサイズの異なった玉が下に向かうのを選択とする。途中にある次第に小さくなる穴を抜けていくためには、玉のサイズが小さい方が下に行くのには有利である。ここで球には色が付いていて、小さいものほど色が濃くなっている。すべての球を混ぜた後の結果が図になっているが、サイズの小さい、色の濃い玉が一番下まで来ている。ここで選択されたのは色が黒いからなのか、サイズが小さいからなのか。理由は明らかに色ではなくサイズの差にある。ソーバーの言う selection for properties で選択の対象になったのはサイズであり、selection of objects で選択されたのは偶然にも色の濃いものだったということになる。このように選択の対象が真に生存や繁殖に有利だったためなのか、他の選択の結果見られたものなのかの差を印象的に捉えることができる。