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vendredi 2 juillet 2010

ニール・シュービンさんの話を聞く Neil Shubin



Neil Shubin, Univ. Chicago (born December 22, 1960)
American paleontologist, evolutionary biologist and popular science writer

Lab Homepage

対談の中で印象に残ったことをいくつか。

一つは創造性をどう見るのか、どのような時に創造性が現れるのかとの問に、それまでの見方から自由になった時、それまで目の前にあった膜が取れ新しい姿が現れた時というような答えをしていた。視点の転換が創造性を生み出すということだろう。これは哲学の営み、「今・ここ」を離れて「ここ」を改めて見るという作業に似ている。これに関連して、専門を下から支えるもの、さらに言えば、人間として在る状態を下から支えるものとしてのリベラル・アーツの重要性を強調している。

それから人間をこの世界の他の生命との関連で見る視点の重要性を説いている。自らの対象から離れ、その対象を広い関係性の中に置き直すという作業になるが、全体の理解に向かうためには必須の方向性になる。これらの発言は説教調にならず、アメリカ人特有の軽快さで語られている。






この講演会で印象に残ったことを一つだけ。

科学という営みの特徴として、一つの発見からさらに強力な質問を出すことをあげている。数年前とは違う疑問を抱いて現在は研究しているのが科学になる。ただ、これは哲学でも同様かもしれない。基礎にある大きな疑問は一つでもそこに至る具体的な道(問)を改めながら進むことができれば素晴らしいだろう。


Neil Shubin, "Your Inner Fish: A Journey into the 3.5-Billion-Year History of the Human Body" (2009)

Evolutionary developmental biology (Evo-Devo)

mardi 2 février 2010

エルンスト・ヘッケルの歩みを読み始める




Robert J. Richards

エルンスト・ヘッケル(1834年2月16日 ポツダム - 1919年8月8日 イェーナ)の伝記を読み始める。読み終わった最初の章には、どのような姿勢で幅広い領域で活躍したこの複雑な人物に迫ろうとしたのかが語られている。ヘッケルと言えば、ドイツにおけるダーウィン主義の普及に大きな役割を担い、その解釈がナチに繋がったとも言われている生物学者で、個体発生は系統発生を繰り返す、という有名な言葉を残している。また、エコロジーの概念を確立した人とされている。

この本で著者は、ヘッケルがなぜダーウィン主義をまるで信仰のように受け入れたのかに答えを出そうとしている。そのためには科学的な視点だけではなく、それを生みだした人間の深奥に迫るという方法を取るようだ。そこには本書のタイトルにもなっているヘッケルの人生に対する悲劇的な見方があったのではないか。そこから逃れるために、超越性へと向かったのではないか、というような結論が語られるようだ。そこに至るまでに500ページが準備されている。

このようなアプローチを取ったものとして、Thomas Söderqvist 氏によるニールス・イェルネの伝記 Science as Autobiography: The Troubled Life of Niels Jerne (Yale Univ Press, 2003) を読んだことを思い出す(10 juin 2008)。イェルネが科学の上で生み出したものは、彼の内奥に潜む人間を表現したものであったという捉え方である。科学と人間を分けて扱うのが謂わば科学的な伝記の書き方であるような印象を持っていたが、この二つは不可分に結びついているとするこれらの流れは私には興味深いものがある。


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(21 novembre 2010)



Prof. Robert J. Richards (Univ. of Chicago)


上のお話のその後になる。今年の10月上旬、カナダのロンドンで開かれた科学の歴史と哲学に関する会議で著者のロバート・リチャーズさんにお会いし、この本の感想についてお伝えした。話し振りは非常に快活で、論旨がしっかりしている。お話した印象は柔らかいものであったが、ナンセンスなものは受け付けないという強いところがあるように感じた。


jeudi 7 janvier 2010

栄光の6年 Les Six Glorieuses


ある本の中で、アカデミー・フランセーズ会員だったジョン・ベルナール(Jean Bernard)さん(né le 26 mai 1907 à Paris et décédé le 17 avril 2006 à Paris)のこの言葉に出会う。1859年から1865年までの6年間を " Les Six Glorieuses "(栄光の輝かしき6年)と呼んでいる。ダーウィンの「種の起源」が出版された1859年から始まるこの期間には、パスツールが自然発生説を否定して微生物学を確立した。1865年にはクロード・ベルナールが「実験医学序説」を書いて近代生理学を創り、同じ年にはモラビアの修道僧グレゴール・メンデルがスィートピーを掛け合わせ、遺伝の法則を発見した。

ベルナールさんは、この6年間が戦争や革命が社会を変えた以上に人間の運命を変えたと評価している。

dimanche 13 décembre 2009

「哲学なき科学、あるいは科学は哲学から何を学ぶことができるか」


「意心帰」 安田侃
 (2006年)
"Shape of mind" by Kan Yasuda (1945-)


12月2日、大阪で開かれた第39回日本免疫学会の関連分野セミナーとして 「哲学なき科学、あるいは科学は哲学から何を学ぶことができるか」 (Science without philosophy, or what science can benefit from philosophy) と題したお話をした。その後、内容についての問い合わせがあったので、この機会にその内容を公表することにした。内容は初歩的なものだが、これを契機に意見交換の機会が増えるとすればこれに勝る悦びはない。PDFのダウンロードはこちらからお願いいたします。


vendredi 9 octobre 2009

エドワード・ウイルソンさんの講演を聞く


昨日の就寝前、Edward O. Wilson さんによる進化と地球の未来についての講演を聞く。

  "Evolution and the Future of the Earth"


どこにいても先端のユーモアに溢れるお話を味わうことができる。
講演は今年4月にワシントンDCで行われたもの。
ウィルソンさんは1929年のお生まれなので、御歳80。
まだまだしっかりしておられる。

mardi 14 juillet 2009

ダーウィン生誕200年祭 “Darwin 2009” で21世紀の科学を想う


Nothing in biology makes sense except in the light of evolution.
(Theodosius Dobzhansky)

水平のつながりの中で今と格闘している時、そこを垂直に貫いている時の流れが意識から消え去る。しかし、その流れに気付く時、われわれの世界観に大きな影響を及ぼしてきた人々がそこから蘇ってくる。ニュートンやアインシュタインにも比肩され、自らも生物学におけるニュートンを目指したダーウィンなくして、進化に照らすことなく生命現象を理解することの無意味さを説いたドブジャンスキーの言葉も生まれなかったであろう。ダーウィンがケンブリッジ大学で神学を修めた後、ビーグル号で世界一周するチャンスが転がり込んでくる。船酔いに苦しみながらの5年に及ぶ航海が彼の一生を決めることになる。まさに人生の大事は計画によるのではなく、どこからか落ちてくることがわかる。航海から戻って6年後、彼は思索と執筆の生活を決意しケント州ダウンに引き籠り、病を抱えながらも真に独立した環境で40年に渡って進化について考え続けた。その一つの成果として、共通祖先に由来する漸進的で目的のない自然選択による進化を説いた「種の起源」(“On the Origin of Species”) が出版された。1859年のことである。

今年はその150周年であるのみならず、ダーウィン生誕200年という生物学にとっては記念すべき年に当たる。この機会に世界中でいろいろな催しが行われているが、私は夏休みを利用してダーウィンの母校ケンブリッジ大学で開かれた生誕200年祭 “Darwin 2009”(2009年7月5日-10日)に参加する幸運に恵まれた。このシンポジウムには、彼の影響がわれわれの営みのあらゆるところに及んでいることを示すように、生物学だけではなく哲学、歴史学、社会学、心理学、人類学、情報科学、経済学、神学、芸術など幅広い領域の専門家が集っていた。因みに科学の分野からは、ハロルド・ヴァーマス(メモリアル・スローン・ケタリング癌センター、1989年ノーベル賞受賞者)、ポール・ナース(ロックフェラー大学、2001年ノーベル賞受賞者)、ジョン・サルストン(マンチェスター大学、2002年ノーベル賞受賞者)、ランドルフ・ネシー(ミシガン大学)、エヴァ・ヤブロンカ(テルアビブ大学)などが、また科学哲学関連ではリチャード・ドーキンス(オックスフォード大学)、ダニエル・デネット(タフツ大学)、エリオット・ソーバー(ウィスコンシン大学)、フィリップ・キッチャー(コロンビア大学)、エヴリン・フォックス・ケラー(MIT)などが参加した。会の構成は、午前が共通セッション、午後は3-4つのセッション、そして夜は音楽、文学、演劇、映画などの催し物となっていた。ここでは午前中のセッションから印象に残った話題を紹介したい。

午前中のセッションのテーマは「ダーウィンの広範なインパクト」、「社会と健康」、「人間の性質と信仰」、「ダーウィンと現代科学」、「未来は何をもたらすか?」で、ダーウィンの手紙の朗読で始まった。これらのセッションでは、できるだけ多くの人に届くことを願って発せられる言葉の美しさ、力強さ、そしてその底にある信念とユーモアの精神に目を見張っていた。


オープニング・セッションのパネリスト

(左から)ギリアン・べア、リチャード・ドーキンスジョナサン・ホッジエリオット・ソーバー、デーヴィド・リード、パトリック・ベイトソン(Darwin 2009のチェアマン)、リュドミラ・ジョルダノヴァ


オープニング・セッションでは「この人の本を読むと自分が天才のように思われる」とニューヨーク・タイムズ紙が評したというリチャード・ドーキンスが登壇、会場を魅了していた。彼によると、ニュートンやアインシュタインの鋭い閃きは感じないが、人類に最も広範な影響を及ぼし続けているのはダーウィンである。同様のことを考えた人は4人いたが、進化論が確立されるまでに渡らなければならなかった4つの橋(「淘汰」の存在、進化の動力としての自然選択、すべての生命に当てはまる自然選択、そしてこの考えの社会での受容)のすべてを渡ることができたのはダーウィンだけであった。「社会と健康」のセッションでは、進化医学を押し進めているランドルフ・ネシーが、なぜわれわれの体は病という一見望ましくない状態に陥らなければならないのかという進化論からの問をすべての病気について投げ掛けること、さらに医学教育において一般基礎科学の重要性を説くだけではなく、あるいはそれ以上に進化論を取り上げるべきであることなどを提唱していた。

イギリスのサン紙は彼のことを “David Beckham of science” と書いていると紹介されたポール・ナースは、「サンの問題は私がボールを蹴るのを見たことがないことだ」と切り返して会場の爆笑を誘っていた。今回の特徴は、このような全体を包み込むような温かい笑いが至るところに溢れていたことだろうか。ダーウィンの自然選択の考えがバーネットのクローン選択説やがんの発生と遺伝の研究にも影響を及ぼしていること、さらに、すべての生物は一つの共通祖先から生まれたとする「生命の樹(Tree of life)」は、下等生物での研究がヒトに応用可能であるという哲学に繋がっていることを指摘し、自然免疫に関与するtollはまずショウジョウバエで見つかったことやヒトの遺伝子を酵母に導入しても全く問題なく機能する例などをその証左としていた。癌の生物学については「ダーウィンと現代科学」のセッションでハロルド・ヴァーマスが詳細に考察を加えていた。永遠の増殖という細胞にとっては望ましいが生体にとっては不利になるジレンマを抱えた形質が、なぜ進化の過程で選択されたのか。この疑問についての明快な答えはまだ用意されていないようである。



21世紀に警告を発するジョン・サルストン



ポール・ナースがbon vivant の印象を与えるのに対して、ジョン・サルストンは人類の悩みを背負った哲学者の風情がある。「理解から責任へ」と題した話の始めに、彼自身が「種の起源」を読みながらガラパゴスを旅した時、ここでダーウィンがドグマから解放され新しい哲学に進む経験をしたことに想いを馳せたエピソードを語っていた。「自然選択による進化」は最早一つの理論ではなく生命の定義になっている。しかし、それは生命がどのようなものであるのかを教えてはいるが、その保持のためにわれわれが何をしなければならないかについては語ってくれない。それはわれわれ自身が考えなければならない問になる。そこで出てきたキーワードは“global justice”であった。西欧的な自己中心主義、そこから生まれる過度の競争はこの世界やそこに生きる生命を脅かすのではないかという問題提起をし、選ばれた少数のためではなく、全体の発展のために社会的、経済的な目を注ぐ必要があると力強く結んでいた。このメッセージは会場から熱のこもった拍手で迎えられていたが、学問の世界を考える上でも示唆に富む視点ではないだろうか。

今年はC.P. スノーの名著「二つの文化」(“The Two Cultures”)出版50周年にも当たる。そこで問われた文理の乖離の問題は解決されないばかりか、同一分野においても専門が尖鋭化し相互理解が益々難しくなっている。われわれを取り巻く自然とそこで営まれている生命現象により深く迫るには、尖鋭化とは対極にある統合 (synthesis) という作業が求められる。この尖鋭化と統合という両極をどのように調和させていくのか。これはわれわれに課せられた21世紀の大きな問題のように見える。科学の歴史においてトマス・クーンの言うパラダイム・シフトをもたらしたのは、しばしば哲学者や哲学的思索をする科学者であった。自然の中から一つひとつの事実を見つけ出そうとするのではなく、自然全体がどのように動いているのかを理解しようとしたダーウィンの歩みを振り返る時、そこに一つのヒントがあるような気がしている。



自作を朗読するイアン・マキューアン(左)



この問題に関連して興味深いことが二つあった。一つは、夜の催しに作家の対談が組まれていたが、その中でイアン・マキューアン(「アムステルダム」でブッカー賞受賞、他に「贖罪」、「土曜日」など)が芸術と科学の関係に興味を持っていることを知った。物理学者を主人公にしてこのテーマを掘り下げるという次回作の原稿5-6ページをご本人による朗読で聞くという贅沢を味わった。また、会場に出ていたheffersという書店のブースで何冊か購入した時、係の方が手渡してくれたカードには次の言葉が刻まれていた。

If you want to build a ship, don’t drum up the men to gather wood, divide the work and give orders. Instead, teach them to yearn for the vast and endless sea.
(Saint-Exupery)




最終日、「未来は何をもたらすか?」 のセッションのインターミッションに高円宮妃久子様がステージ上でスピーカーの方々と完璧なイギリス英語で言葉を交わされていたのは強い印象を残した。ダーウィンの歩みに始まり、21世紀の科学について想いを巡らせたケンブリッジの一週間であった。


dimanche 1 février 2009

デイヴィッド・アッテンボロー、ダーウィンを語る

今なお矍鑠としている御歳82のデイヴィッド・アッテンボロー (David Attenborough; born 8 May 1926 in London) が、ダーウィンを熱く語っている。

David Attenborough on Darwin, evolution and the Bible (Nature video)




jeudi 29 janvier 2009

ダーウィン生誕200年、「種の起源」出版150年周年



2008年 10月 21日

不思議な感じがしている。この夏に偶然入った書庫で学生時代に読んだダーウィンの伝記を見つけ、パリに戻ってから彼の自伝で貴重な言葉を見つけ、アメリカ時代の恩師EAB先生はダーウィンのような科学者を目指していたことを思い出した。そして大学のマスター2年目のクールはダーウィンを中心に据えた進化についてと遺伝についてで、ダーウィンの占める位置が大きい2つになっている。前期はダーウィンを中心に回りそうである。さらに振り返ってみると、こちらに来る前に読んだエルンスト・マイアの1961年の論文で、 機能的な生物学と進化の視点から見る生物学という分類に触れ、それまでの科学の歩みに抱いていた不全感の理由がはっきりとわかるようになった。すべてダーウィンがらみになる。ある現象の訳を、意味を知りたいと思ったら、進化の目が必要になる。「意味」の中味はいろいろあり一言では論じられないのだが、、。これからしばらくの間、ダーウィンについて触れることになりそうである。ところで、来年はダーウィンの記念すべき年になっている。すべてが絡み合っているようだ。


ケンブリッジ大学の祭典サイト
 "The Festival" Cambridge, 5–10 July 2009




mercredi 28 janvier 2009

Darwin の試みたこと


2008年 09月 19日

来年はダーウィンの「種の起源」が1859年に発表されて150周年の記念の年になる。先日、手に入れたダーウィンの自伝(仏版)を読み始めると、ダーウィンの孫娘、ノラ・バーロー Nora Barlow さんが1958年に書いた序言に行き当たった。その中に私の心に響く言葉があった。それは以下のような言葉である(下線は私による)。

« L'Autobiographie montre comment il en vint à changer le cours entier de la pensée victorienne, non pas en proclamant ses découvertes ou par un iconoclasme soudain, mais plutôt en cherchant à comprendre et à juger avec pondération, ouvrant ainsi un vaste champ à la recherche ultérieure. »

「この自伝には、彼がヴィクトリア朝の思想の流れ全体を変えるためにどのように取り組んだかが書かれてある。それは発見を誇示したり急激に偶像破壊したりするのではなく、理解しようとし、冷静に判断しようとすることによって行われた」

ダーウィンがやったこのことこそ("chercher à comprendre et à juger avec pondération")すべての科学者に求められているのだろう。ある意味ではこれこそ哲学的な営みであり、これからの私にも大きな勇気を与えてくれる言葉である。

原文を調べると以下のようになっている。

“The Autobiography shows how it was that he altered the whole course of Victorian thought, not by blazoning his discoveries nor by sudden iconoclasm, but rather through searching insight and pondered judgments opening up vast fields for further research.”

この原文を最初に読んでいたら、今の私であれば読み過ごしていたかもしれない。フランス語で触発されるところ大なのである。



lundi 26 janvier 2009

ダーウィンの生涯


駒井卓著 「ダーウィン ―その生涯と業績―」 
(培風館) 昭和34年初版


2008年 09月 07日

学生時代に読んでいたこの本からの引用をいくつか。

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「自分の生活は時計仕掛けのようなものだ。固定されたところで終わりになるだろう」と自分で言ったとおり、彼の日課は、全く判で押したようなものであった。
  朝は早起きで、冬などは夜の明け切らない間に近所を一まわりする。帰って七時四十五分ごろひとりで朝食を取って、終るとすぐに仕事を始める。八時から九時半までが、一番元気のある、仕事のよくできる時間である。九時半になると、客間へ出て来て手紙を見る。もし親族などからの手紙があると、音読してもらって、長椅子の上で聞く。そんなにして十時半ごろになると、また書斎に戻って仕事をはじめ、十二時か十五分過ぎまで続ける。それで一日の仕事は終ったつもりになり、「よく仕事ができた」と満足げにいう。それから晴雨にかかわらず散歩に出かける。
・・・
 午後三時ごろ、手紙が済むと二階の寝室に入って長椅子に横になり、巻きタバコを吸ったり、小説や科学以外の本を人に読ませて聞く。・・・四時半から一時間ほど仕事をする。そのあとで客間へ出て 来てしばらく何もせずにいて、六時にまた寝室に入って、小説を読んでもらったりたばこをすったりする。
・・・
 夜はひどく疲れて十時ごろには客間を退き、十時半床に就く。しかしなかなか寝つかれないで、数時間も不眠に悩むことが多い。

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 書物などもいっこう体裁をかまわず、大きすぎて持ちにくいと、勝手に真ん中から半分に割ったり、論文などは不要の個所を破り捨てたりする。つまり彼の考えでは書物を道具の一種だと思ったのである。
  自分の仕事の参考に読むべきものは、あらかじめ一まとめにして棚の上に積み上げておき、読むにしたがってほかの棚に移してゆく。そうしながらいつまでも読めないものの多いことをよくこぼした。読み終わったものがたくさん積み上げられると、それからいちいち内容の書き抜きにかかる。そしてそれらを整理して紙鋏みの中に分類してしまっておいて、いつでも出せるようにした。
・・・
 参考書からの書き抜きは、著書の中に自在に引用される。彼の書物を書くときのやり方は、いつもだいたいきまっている。書きはじめる時、かなり骨を折って全体の骨組みを作る。まず二、三ページに要領を書いて、つぎにそれを数ページまたは十数ページに広げ、さらに広げるというやり方である。それからいよいよ本式に書きはじめると、一気呵成に文章などかまわず書き流す。この時はたいてい古い原稿や校正刷の裏に乱暴に書く。それをさらに好い紙に一行あきに書き直し、存分に訂正を加えたうえで、人に写し取らせ、印刷所へ送る原稿 にする。

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「もし父の労作生活の特性を知ろうとならば・・・」
息子のフランシスは、父の追悼文の終わりにこう書いた。
  「かれが病弱のうちに勉強したことをつねに心に留めなくてはならぬ。それも自分で病苦を訴えることなくじっとこらえていたので、子供さえどれほど父が悩みとおしたかを知らないほどだった。・・・じっさい、母のほか、父の堪え忍んだ苦悩の全部と、その驚くべき忍耐の全部を知るものは、だれもいない。」

「とにかく私はここに繰り返していう。父はほとんど四十年の間、一日として常の人の健康を味わったことはなく、彼の生涯は、疲労と病苦に対する長期戦であったということが、その全部を特徴付けるものである。」

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「私には、例えばハクスレーのような賢い人にいちじるしい、事物をすばやく把握する能力も機知もない。それで私は批評家としてはだめである。人の論文や著書を読むと、初めはたいてい敬服する。よほど考えた後でないと、その弱点がわかってこない。私には長い純抽象的思索をやってゆく力はいたって乏しい。それだから哲学や数学をやっても、とても成功はおぼつかなかったと思う。」
「総決算して良い方の部に入るのは、注意を逃れやすいような事物に気がつき、それをこくめいに観察することにおいて、一般の人にまさっていると思う。また事実を観察蒐集するために勉強することは、ほとんど極度に達した。さらにずっと重要なのは、私の自然科学に対する愛好心が変わらず、しかも熱烈であったことである。」

「この単なる愛好心は同学の生物学者にほめられたいという野心でたいぶ助長された。わたしは少年時代から自分の観た事を何によらず理解したい、あるいは説明したい、すなわちすべての物をある一般法則の下に概括したいという強い願望をもってきた。」

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 ハクスレーは、ダーウィンの逝去を聞くとすぐに、つぎのような弔辞を『ネーチュア』に寄せた。

「ダー ウィンと対話するとソクラテスを思い出さずにおられなかった。どちらにも、だれでも自分より賢明な人を見出したいという願いがあり、道理の勝利を信ずる心があり、かつ、つねにユーモアを解する余裕があり、他人の身上や行いについて、関心をもった。ところがこの現代の賢哲は、自然界の問題を、理解の道がないとして捨ててしまうかわりに、ヘラクリツス(Heraclitus)やデモクリツス(Democritus)の精神をもって、これを研究することに生涯を 捧げ尽くし、その報酬として、予想が事実の影であったことを知りえたのである。」

「チャールズ・ダーウィンほどよく闘ったものはない。また、君ほど幸運であったものもない。君は偉大な真理がふみにじられ、狂信者から悪くいわれ、全世界から嘲られることを経験したが、幸いにもおもに君自身の力によって、その真理が科学界に動かない地位を得、人類の常識の一部になり、ただ少数のものが嫌い恐れ非難しても、実際には何事もないえないまでになったのを、その生前に見たのである。人としてこれ以上の望みがありうるだろうか。」
「ここまで思いをめぐらせてくる時、再びソクラテスの面影が期せずして現われ、その尊い『アポロジー』”Apology” にある終わりのことばが、ちょうどチャールズ・ダーウィンの決別の辞でもあるように、われらの耳に響くのである。
『去るべき時は来た、われらはわれらの道を行く。われは死し、なんじらは生くべく。どちらがよいか、知るは神のみ。』」





dimanche 13 avril 2008

ダーウィンの言葉からリチャード・ドーキンスへ


ダーウィンのこの言葉に出会った。
"I sometimes think that general and popular Treatises are almost as important for the progress of science as original work."
Charles Darwin in a 1865 letter to Thomas Henry Huxley
 (Edited by F. Burkhardt, et al., The Correspondence of Charles Darwin: Vol. 13, 1865, Cambridge UP)

この言葉はリチャード・ドーキンス(1941-)博士の次の言葉と完全に重なり、今、科学の外にいる者にとって大きな意味を以って迫ってくる。

「私は科学とその 『普及』とを明確に分離しないほうがよいと思っている。これまでは専門的な文献の中にしかでてこなかったアイディアを、くわしく解説するのは、むずかしい 仕事である。それには洞察にあふれた新しいことばのひねりとか、啓示に富んだたとえを必要とする。もし、ことばやたとえの新奇さを十分に追求するならば、 ついには新しい見方に到達するだろう。そして、新しい見方というものは、私が今さっき論じたように、それ自体として科学に対する独創的な貢献となりう る」 
リチャード・ドーキンス 「利己的な遺伝子」  1989年版へのまえがき