lundi 20 juin 2011

近代科学の受容をクラーク精神から考える


William Smith Clark (1826-1886)
Source: Hokkaido University Library


今年の3月11日、日本を揺るがす地震・津波・放射能汚染の被害が東北地方を中心に広がった。まさに黙示録(アポカリプス)の世界とも言われるこの災害により、自然の驚異的な力に改めて畏怖の念を覚えただけではなく、科学技術を用いる際のわれわれの考え方に大きな問題があることも見えてきた。アポカリプスとはカタストロフィーではなく、それまで隠れていたことが顕わになることを意味している。それは科学を具体化する人たちの精神の荒廃であり、われわれ自身が持っていなければならない科学精神の衰弱をも意味しているように見える。

2010年10月のある夜、日本語を読みたくなった私はその前年日本の古本屋で手に入れた渡辺正雄著『日本人と近代科学』(岩波新書、1967年)を読んでいた(この本については2010年10月27日にここで取り上げている)。日本で科学をやった後フランスで科学哲学を学ぶ中、日本の科学は技術を優先し、それができれば事足れりとするところがあり、科学の精神面での理解が欠落しているのではないかと感じるようになっていた。この本を手に取ったのは、その問に何らかのヒントが得られるかもしれないという期待があったからかもしれない。

著者の渡辺氏は、西洋の近代科学を見る場合の軸として忘れてならないのはキリスト教であることを強調している。西洋の伝統的な世界観は神を基本とし、神が創造した自然の中に現れているだろう法則を見つけ出すのが科学(者)の仕事であったと考えている。その上で、明治期の日本が西洋の学術を摂取する際、それを生み出した思想的・文化的基盤に思いを致すことなく、技術的な導入・模倣に終始したこと、そして学術の諸分野の相互の関連を考慮することもなく、細分化された専門分野を個別に学び取ってきたその状態が継続したことが現在の問題を引き起こす原因になっていると見立てている。そして、しばらくするとこのような文章が現れ、目から鱗が落ちることになった。
「それだけに、同じ時代のこの日本の一部にキリスト教的観点を最重要視したキリスト教主導の教育(女子教育も含む)が開始されていたこと、またW.S.クラークを初代教頭に迎えた札幌農学校のように、国立でありながらキリスト教と近代科学の両面に重きを置いた教育機関が存在していたことの意義は無視してならないところである」

つまり、北海道大学の前身には科学を技術的側面だけではなく、その文化的・思想的背景を含めて学ぶことが可能な環境が揃っていたことが見えてくる。著者はこの本のテーマの外にあるとして、この問題に深入りしていない。このような指摘を読むのはこの時が初めだったので、当時の状況を調べてみた。



内村鑑三(1861-1930)
Source: Hokkaido University Library


札幌農学校では第一期生からキリスト教精神としての理想主義、道徳教育、博愛精神などが教育の基本に置かれ、英語で教育が行われていた。一期生には後の農学校長で、東北帝国大学農科大学長や北海道帝国大学初代総長を務めた佐藤昌介、二期生には新渡戸稲造、内村鑑三などの日本、そして世界をリードする人材がいたことはあまりにも有名である。しかし、時代とともに当初の理想が忘れられ、内村鑑三は1926年5月14日に開かれた大学創基50周年の折に次のような言葉を北海タイムス紙(現在の北海道新聞)に発表し、式典への招待を断っている。

「明治の初年において、私どもが北海道についていだいた理想は、はなはだ高いものでありました。その第一は北海道を浄化せんとすることでありました。
 ・・・ここ札幌を日本第一の収穫地ならびに精神の修養地となさんことでありました。
 しかしながら今日にいたって事実如何と観察すれば、理想はいずれも裏切られたのであります。北海道は日本を浄化するどころか、かえって内地の俗化するところとなりました。いまや日本中で北海道ほど俗人のばっこするところはないと思います。
  ・・・
 札幌が出したものは多数の従順なる官僚、利欲にたけたる実業家、又は温良の紳士であります。しかれども正義に燃え、真理を熱愛し、社会人類のために犠牲たらんとする人物は一人も出しません。積極的の大人物でありません。進んで善事を及ぼさんといたしません。主として消極的の人間であります。
 私はクラーク先生の精神は、札幌に残っているとは思いません。残っているのは先生の名であります。そして今度先生の銅像ができたとのことであります。しかしそれだけのことであります。先生の自由の精神、キリストの信仰、それは今は札幌にありません。札幌は先生のボーイズ・ビー・アンビシャスの広い意味においてこれを知りません」
(蝦名賢造著 『札幌農学校・北海道大学百二十五年―クラーク精神の継承と北大中興の祖・杉野目晴貞』p.64-65; 西田書店、2003年)

事に当たる時、自らの精神の中に入り、自らを振り返ることの大切さを農学校開校当時の教育者は教え、学生もその哲学の下に研鑽に励んでいた。知識(だけ)ではなく、その知識を支えるべき精神的基盤を重視する教育であった。しかし、その精神が次第に風化し、内村の痛烈な批判を受けることになる。

わたしは経験を積み重ねる中で、教育についてこのように考えるようになった。それは、行動の基に哲学的思索を置き、その哲学を生きることにより世界を変えることができることを次世代に伝えることに尽きるのではないかというものだ。背後にある精神を忘れたまま、技術に偏った片肺飛行を続ける日本の現状を目にする時、ウィリアム・クラーク博士の精神性溢れる教育に想いを致し、その精神を蘇らせることが今求められているのではないだろうか。



新渡戸稲造(1862-1933)
Ⓒ 2004 National Diet Library, Japan


ここで、クラーク精神という言葉からさらに想像を羽ばたかせてみたい。この精神の基本にはキリスト教の理想主義や博愛精神があったとされるが、それを可能にするためにはものを考える時に省みる姿勢、自らに戻る精神運動がなければならないだろう。自らを対象にすることもその一つだが、自らの行っている仕事や研究、自らの属する社会(家庭から国家まで)も対象になり得るし、すべきだろう。それならほとんどの人がやっていると答えるかもしれない。しかし、ここで言う「考える、省みる」とは、仕事や研究の中の細かい事柄、家の中の具体的なやりくりを対象にしているのではない。仕事をするということ、仕事が対象としているもの、仕事と他のこととの関係など、仕事そのもののについて考えることを意味している。ここで言う仕事はあらゆることに置換できる。例えば、医者はいろいろな病気の発症メカニズム、診断法、治療法については詳しく知っているが、そもそも病気とは何なのかについて考えているとは限らないという状況と似ている。つまり、専門の中で考えるのではなく、それを超えた知を求める姿勢、専門を上から見て考える姿勢とでも換言できるかもしれない。

哲学の定義は人様々だろう。わたしは上で述べたような姿勢で対象に当たるのが哲学的態度だと考えている。そうすると、遠くから眺める日本の空間にはこの姿勢が著しく乏しいように見える。そして、おそらくそのことが原因ではないかと想像されるが、日本が一人の大人としてこの世界に生きているという姿が見えてこない。日本人の知性が見えてこないのだ。上で述べたような意味での哲学を一人ひとりが実践することがなければ、いつまでもこの状況は変わらないだろう。生き生きとした空間には変貌しないだろう。その基礎ができて初めて日本の科学のみならず国としての再生が静かに始まるような気がしている。ユートピアンの遥かな夢だろうか。



lundi 13 juin 2011

レフ・シェストフ、あるいはギュンター・アンダースという哲学者、そして理性の後に来るもの


Léon Chestov (1866-1938)
un philosophe russe juif


昨日のこと、哲学雑誌のページを何気なく開け、この言葉に出遭う。

「理性が勝利を収めるに従い、現実の空間がどんどん小さくなる」

この言葉はレフ・シェストフLéon Chestov ; Lev Shestov, 1866-1938) というキエフで生まれパリで亡くなったユダヤ人哲学者のもの。一体どういう意味だろうか。記事ではこう説明されている。


4世紀ほど前にガリレオ (1564 - 1642) とデカルト (1596 - 1650) は自然を数学の言葉に置き換えることにより世界の理解が進むという科学的な理性 (ガリレオ的理性) を確立した。確かにその後の展開を見れば、自然の理解は大きく進んだのは間違いない。そのやり方は便利な生活を営むことができるようになるかわりに、自然の破壊も進めることになった。

1911年、アーネスト・ラザフォード (Ernest Rutherford, 1871-1937) が原子核を発見した。その発見は、物質は安定した素子、分割不能な原子からなるのではなく、常に動いている微粒子からなることを示した。この発見が広島、長崎、チェルノブイリ、福島に導くことになった。

核の世紀になる20世紀前半、エトムント・フッサールEdmund Husserl, 1859–1938) はシェストフの批判を知り、足元が崩れていくのを感じた。ナチズムから自己破壊に至る過程で責任を問うべきは、国家でも知識人でもなく、ガリレオ的理性の概念であるとフッサールは考える。

しかし、それは理性を敵に回すことではない。理性に至る新たな道、新たな理性を探り出すのが哲学に課せられた問題なのだとフッサールは考える。その回答は、良心、人間の身体、真の歴史、倫理的生活、地球という唯一の土地、これらに繋がること。そして、感受性、愛情、道徳を豊かにすることにより、技術的な理性を使うだけではカタストロフになる運命を見通すことができるようになる。

ハンナ・アーレント
Hannah Arendt, 1906-1975) や彼女の夫でもあったギュンター・アンダースGünther Anders, 1902-1992) などのフッサールの後継者たちは、非理性に堕することなく、ガリレオ的理性の独占が齎す危険性をわれわれに伝えてくれた。



Günther Anders (1902-1992)
un philosophe juif


一夜明けて、同意するところの多いシェストフ、フッサール、ギュンター・アンダース御三方の方向性を振り返る。

理性が勝つと問題なので理性を捨てるべきだ、あるいは、今回の福島でも明らかになったように、科学は間違いを起こし頼りにならないので科学的思考を否定すべきだ、という議論が出ることがある。しかし、この考え方には与しない。それに代わる優れた考え方が今あるだろうか。

あくまでも理性的な、科学的な考え方を突き詰めてみること。それを徹底的に進めた上で、その考え方ではどうしても理解できないことがこの世界にはあるということを体で感じ取ることができなければ、その後の歩みも覚束ないものになるだろう。科学に対する強烈な批判が生れてきたのが西欧だったという事実は、そこにわれわれの想像を超える徹底した理性の壁があったからではないだろうか。

理性的な思考をベースに据えながら、同時にその独占を許さないようにすること。独占を許すと、見える世界が限られてくるからである。そして、それが存在するもののすべてであるかのような錯覚に陥り、そのことにも気付かなくなる。これこそ、シェストフさんが言った 「現実の空間が小さくなる」 の意味ではないだろうか。

そこから逃れるためには、科学を超えた知に関する理解がなければならないだろう。それが倫理を含めた哲学であり、歴史であり、文学であり、人間としての反応になる。そして何よりも、その思考過程を自由に表明し、論を戦わせる姿勢とそれを由とする社会の空気が不可欠になるだろう。



Edmund Husserl (1859–1938)
un philosophe allemand, fondateur de la phénoménologie


最後に、今回登場した方々について一言だけ。

シェストフさんは今回初めて知ることになった。しかし、彼の作品は60-70年代に13巻の選集として日本に紹介されていたようだ。当時は理性一直線で、興味の外だったのかもしれない。

ギュンター・アンダースさんのテーマは、テクノロジーの時代の哲学。特に、われわれの倫理や存在に与えるマスメディアの影響、核の脅威、ユダヤ人虐殺、哲学者であることの意味に焦点を合わせていたとのこと。しばしば、哲学者と言われることを忌避したという。彼のテーマには興味が重なり合うところが多い。

そして、フッサールさんだが、5年前にいただいた御宣託がある。それはフッサールやハイデッガーを味わうために生れてきたというもの。これまでも何度かこのことに触れたことがある。常に気になる存在だったのだが、今一つピンとこなかった。しかし、今回はその意味がわかりつつあるというところだろうか。

イメージ、時間、現象学 L'IMAGE, LE TEMPS, LA PHENOMENOLOGIE (2006-04-28)



mardi 7 juin 2011

自らとのランデブー、そして愛が行動を導くのか


Danse
de Jean-Louis Raina


先日、エドガール・モランさんとパトリック・ヴィヴレさんの 『危機の時代にいかに生きるか?』 という本を取り上げ、モランさんのお話に触発されるように書いた。

Comment vivre en temps de crise ? (2010) 
Edgar Morin et Patrick Viveret

ここでは今回初めて読むことになったヴィヴレさんの考えについて。最初のブログ 「ハンモック」 では書かれたものを忠実に訳すことをやっていたが、こちらに来てからはある文章に触れた時に自分の中に広がる混沌とした想いを言葉に置き換えることに重点が移ってきたように見える。ヴィヴレさんとの遭遇はどのような結果になるだろうか。遠くから様子を眺めてみたい。


危機になり人々に不安が広がると、モランさんも言うところの 「希望の原理」 (le principe d'espérence) を見出すことが重要になる。この問題を考える時に重要になる3つのことがある。その第一は 「起こり得ないということ」 (l'improbable)、第二は 「創造の可能性」 (la possibilité créatrice)、そして第三が 「変容」 (la métamorphose)になる。

今、世界で問題になっているのは、一つの世界の終りである。マルクス主義者のアントニオ・グラムシ (1891-1937) は、危機についてこんなことを言っている。古い世界がなかなか消え去らず、新しい世界が生れるのに時間がかかっている時、魔物が出現する可能性がある。その時は危機であると同時に新しい機会の到来でもある。それから黙示録のヨハネ (le saint Jean de l'Apocalypse) は、アポカリプスとはカタストロフではなく、それまで隠れていたものが姿を現すことであると言っている。ヴィヴレさんはヨハネの黙示録の意味において、われわれはアポカリプスの時代に入っているのではないかと見ている。カタストロフではなく新しい姿が現れる啓示の時代、人類が自分自身に出遭い (rendez-vous) 本質的な問に向き合う時代に。そこには3つの変化が見られる。

一つは、DCDモデル (dérégulation-competition-délocalisation : 規制緩和、過度の競争、地方分散) と言われるものの持続が難しくなっていること。DCDモデルに見られることは、節度のなさと生き難さからくる不満である。第二の変化は、西欧近代の終わり、経済による救済 (le salut par l'économie) の終わりである。どのようにしてそこから抜け出すことができるのだろうか。ひとつは、上からモデルを押し付けるのではなく、自然との関係、われわれの存在意義、社会との繋がりという問題について異なる文明の間で真に開かれた厳しい対話をし、できるだけ普遍的なものを打ち建てること。それこそが人類が自らに向き合う (rendez-vous) ことの意味になる。その過程ではマージド・ラーネマさん (Majid Rahnema、1924- ) の言う 「内的時間の破壊」 を克服しなければならないだろう。そして、第三の変化は歴史的に見た時代の大転換である。そこでもエコロジーの挑戦 (air)、土地・領土 (空気・水・エネルギーの他、バーチャルな世界)の激変 (aire)、工業化社会から情報化社会への時代の転換 (ère) という3つの変化が見られる。

工業化社会では 「人生において何をするのか」 が問われたが、今は 「人生について何をするのか」 が問われている。われわれの地球、われわれの種、そしてわれわれの生について何をするのかが問題になってきた。何を持つかではなく、どうあるのかという本質的な問が目の前に現れているのだ。このようなわれわれ自身との出遭い (rendez-vous) においては、われわれの存在を十全に生かすための智慧が重要になる。マーティン・ルーサー・キング (1929–1968) によれば知性は愛の問題に行き着くという。ここでの知性はパスカルが言った心の理性と関係づけて捉えるべきもので、すべての感情を含んだ知性、心の知性とでも言うべきものである。

今の人間からさらに崇高な人間へと変わることができるだろうか。そのためには内なる野蛮の問題と向き合わなければならないというのがヴィヴレさんの考えになる。ホロコーストを持ち出すまでもなく、野蛮人、外国人、異端者という異質なものにどう対するのか。問題はわれわれの内に隠れているので、それを外に出し白日のもとに晒さなければならない。そして、こう問わなければならないだろう。「どうしてこのような野蛮が文明の只中で起き得たのだろうか」 と。

ヴィヴレさんはさらに問う。どうしたら節度ある幸せを手に入れることができるのか。どうしたら異文化との厳しい開かれた対話が可能になり、他者を受け入れることのできる寛容と多元主義の場を作ることができるのか。どうしたら人類は他者との関係において知性と良心を調和させて働かせることができるのか。他者との関係という時、根本的にはそれは愛との関係に帰着する。どれだけよく愛することができるのかの問題に帰着する。この気付きが人間を崇高へと導くと彼は考えている。

ギリシャの愛にはエロスアガペーだけではなくフィリアがあり、源にはポルネイア (pornéia) がある。このポルネイアの元々の意味は大食いへの愛で、過度の食への依存、吸収や融合とも関連する言葉だという。大部分の人間関係における問題は、他者を受け入れないことからくるという意味で、ポルネイアの問題とも言える。これは政治や経済の問題についても当て嵌まる。

ヴィヴレさんは言う。他者の存在、違いや特異なものの存在は寛容さを以って受け入れなければならないとするところから、むしろわたしにとって必要なのだという視点の転換が必要になる。そして、それは生きることそのものに関係してくる。節度のなさからくる興奮と抑鬱という回路から抜け出て、集中と静謐という生をより鮮明に感じることのできる回路へと移行しなければならない。それこそが生きる悦びであり、それはまさしく政治的問題なのである。人間らしく生きるということはひとつの仕事であり、それ故お互いに助け合わなければならないのだ。個人の変容と社会の変容を対立させることなく進めなければならない。そうしなければ人類は目の前の巨大な挑戦を受けて立つことはできないだろう。




この本は去年出ている。このようなことは前から言われているのだろう。しかし、何事もないように見える日常の中でその声は掻き消されてしまう。今回のようなことが起こっても、表層を触るだけの反応しか生れていないように見えるのだから。危機の時代には、自身との真のランデブーによって隠れている本質的なものを引き出す必要があるはずなのだが、、、