dimanche 18 mai 2014

人文・社会科学は医学教育にどう関わるのか (3)

Dr. Vinh-Kim Nguyen (Paris & Montréal), Dr. François Villa (Paaris)


まとめの最後に、お二人のお話を簡単に紹介したい

一人目は、フランスと北米、特にカナダの経験をお持ちのヴァン・キム・グエンさん

大西洋を挟んだ相違点と類似点を紹介していた

まず、フランスの医療が民間保険によるのに対し、カナダは公的負担で賄われている

医学部の学生は、フランスが均質であるのに対し、北米は大学を終えてから入るので多様性がある

北米の学生は普通22歳で医学部に入るので、それまでの経歴に幅が出てくる

さらに、人種的にも多様であり、社会の構成に対応するためには望ましいと考えられている

教育にかかるお金は、フランスではないのに対し、北米では年に5万ドルは普通である


 SHSの視点から見ると、これまでに次のような変化があったという

80年代から技術的に高度な医療が盛んになり、人間が蔑にされる傾向が出てきた

エイズや社会の辺縁に生きる患者への対応が問題になってきた

それから、疲労、悲しみ、痛みなどの科学的には曖昧な問題が扱われ始めた

最近では、学部の1年目から生身の患者さんに触れる機会が増えている

そのため、これまでの科学としての医学に留まらない学際化が始まるようになってきた

そこにSHSが関与できる余地が現れた

MD-PhDプログラムにおいて、最初からSHSを教えるべきという考えが出ている

90年代からは cultural competency として、どのように他者を扱うのかについて教えるようになった

他者の中には、異なる宗教に属する人、ベジタリアン、同性愛者などなど

その過程で、人類学や文学が積極的に取り入れられるようになっている

昨年取り上げたコロンビア大学のリタ・シャロンさんによる narrative medicine もこの中に入るだろう

教育におけるパラダイムを大きく分けると、次の三つになるという

「意味」を扱う人文科学、政治・経済学的見方(マルクスとフーコーの流れがある)、そして社会学的視点である


これはメモになるが、アメリカでは疫学は教えるが、公衆衛生は医学部の対象外になっているという

それから卒後レジデントをする病院を決めるための The Match と言われるシステムがある

これは医者と病院側が希望を出し、それをコンピュータ処理でマッチングをするというもの

プロセスがブラインドなので、3月の第3金曜日のMatch Dayを緊張して待つという

相当のストレスで、これが終わるとヴァカンスのような気分になるとのお話であった


Dr. Orkideh Behrouzan (Londres)


二人目は、テヘラン大学医学部を卒業した後、人類学を修めているオーキデー・ベルーザンさん

テキサス大学で教えた後、現在はロンドンのキングス・カレッジで教鞭を取っている

問題意識は、医学と医学の外、患者と医者の間にある緊張関係にどう対処するのかということ

特に、語りに焦点を合わせてこの問題を考えてきたようだ

すべての語りは社会的・政治的状況の影響下にある

イランではイラン革命を経験しているので、それが生の形で顔を出していたという

彼女が22歳の時、白血病の少女が骨髄移植、化学療法を受けた後、脳転移で亡くなるという経験をした

大きな衝撃を受けた彼女が上司に相談したところ、患者に近すぎると言われたという

詩人になるか、医者になるかを決断しなければならないというわけである


語りにおいて、人類学は何を教えることができるのか

narrative medicine の具体的なやり方が見えないとも言っていた

そして、誰のための語りなのかと問う

最後に登壇したフランソワ・ヴィラさんも言っていた

医療の側は、どのように患者さんに接するのかという問いを出す

しかし、患者の側から見れば、どのように医者に接するのかということである

つまり、対象は患者の側だと思っている自分は、実は対象になっているということ

この双方向性を忘れがちになる

医療の側が自分たちこそ対象になっているという視点を得ることにより、全く違う景色が見えてくるだろう

語りにおいて重要になるのは、まさにこの点ではないか

そんなところに落ち着きそうである




samedi 17 mai 2014

人文・社会科学は医学教育にどう関わるのか (2)


ディドロ大学、ジョルジュ・カンギレムセンター責任者のセリーヌ・ルフェーヴさんのお話から

まず、なぜ SHS を教えなければならないのかという問いとともに、フランスの状況を説明していた

 医学教育が記憶中心になるのは世界共通で、フランスでも考え、省察する時間がないことに変わりはない

科学に基づく技術と実践が中心になる医療においては、暴力的なことも行われている

しかし、その場から離れた視点がなければそのことに気付かない

その意味でも、歴史的、倫理的、哲学的、科学的な省察の時間が必須になる


そのために映画を用いたコースを持っているという

学部3年目で20時間

患者さんを手当することの意味と難しさ、する方とされる側の体験、両者の関係とその限界など

定義し、記載し、検討する

そこでの最終目的は、「患者を聴く」 ということになる


そのためになぜ映画やフィクションが必要になるのか

それは病人が生きているということの複雑さを再現していること

そのため、病気を前にした病人の生と価値観の特殊性を掴むのに向いていること

 患者を取り巻く倫理的な問題を具体的に扱うことができることなどの理由が挙げられる

それらすべてが、視点の中心を医療の側から患者の側へ移すことに繋がる

治療という行為が双方向のものであり、そこでの選択が社会の規範や倫理に叶うものであることを学ぶことになる


 用いている映画の紹介があったが、その中に黒澤明監督の 『生きる』と『赤ひげ』 が入っていた

それぞれ、死の宣告と苦しみの経験と治療することを学ぶということの意味を描いた作品として

その他には、以下の映画が取り上げられていた

People Will TalkBringing out the DeadN'oublie que tu vas mourirGattacaLes maîtres fou 













vendredi 16 mai 2014

人文・社会科学は医学教育にどう関わるのか

(左から) Vinh-Kim Nguyen (Paris & Montréal), François Villa (Paris),
Céline Lefève (Paris), Orkideh Behrouzan (Londres)の各氏


 昨日は朝から国立東洋言語文化研究所INALCO) へ

Institut national des langues et civilisations orientales

初めての場所で医学教育における人文・社会科学(SHS)をどう考えるかの一日とするために

Sicneces Humaines et Sociales

現代医学は統計学に基づく「真理」に寄りかかり、集団に当て嵌まる真理を基に個人に対処する

しかし、病気が一つひとつ違うように、病人も一人一人違う

医療の現場は、科学としての医学と社会の中にある人間が交わる場所であることは今でも変わらない

それを統計的な知を基に対処して良いのか


Former les professionnels de santé à la responsabilité et à la décision

このコロックの問題意識は、そこにSHSの役割があるのではないか

もしあるとすれば、それはどのようなものなのか、ということになるだろうか


Dr. Dick Willems (Amsterdam), Dr. Carine Vassy (Paris)


まず、アムステルダム大学で医学倫理について研究されているDick Willems さんのお話を紹介したい
 
Dick さんのテーマは、証拠に基づいた医療の時代における人文科学教育について

EBM:  Evidence-based Medicine

まず、オランダにおけるSHS教育の内容を4つに分けて紹介していた

一つは、医学が置かれている哲学的コンテクスト

その中には、意味を与える主体としての個人、個人差、自律とアイデンティティ、因果性、診断、予防などがある

二つ目は医学倫理の基礎で、安楽死、遺伝子治療、移植、新技術の導入などに関わる問題が扱われる:

三つ目は、科学と非科学の知について

そこでは、量的科学と質的科学、代替医療とその評価、実証的哲学と科学の社会学などが論じられる

特に、盲目の実証主義の危険性について注意を促しているという

そして第四は、医学、科学の歴史で、重要な発見や健康と病気の定義の変遷などが扱われる


その上で、医学にSHSを導入することにより良い医者が生まれるのかという問いを出し、検討していた

結論から言うと、次のような理解を助けるのでイエスであった

人間という存在の状況、文化的、社会的な相違や多様性、医学知を補完する知を理解するようになる

そのことにより、医療に携わる者としての責任を理解できるようになるという理由であった


こんなことを言った人がいるという

「科学に凝り固まった医者は、想像力を欠く詰まらない人間になる

一方、科学を無視して芸術家を気取る医者は、無駄におしゃべりをする人間にしかならない」

 つまり、良い医者になるためには、科学と芸術の両方が必要になる


SHSでは「意味」に重点が置かれるので、物語、映画、芸術作品などを教育に採用する

小グループでのディスカッションも有効になる

現象の背後にある意味やコンテクストについての洞察、理解が求められる

それは科学では避けられる曖昧さや複雑さを伴うものである


EBMの優れた点は認めた上で、Dickさんは価値に基づく医療(VBM: Value-based Medicine)への変換を訴えていた

ところで、Dickさんは何語で話しますか、オランダ語でもいいですよ、と冗談を言ってから話し始めていた

結局、何の不自由さも感じさせないフランス語でやっていた

羨ましい限りだが、もう驚かなくなっている








lundi 12 mai 2014

パリから見えるこの世界 (16) 修道僧にして哲学者、科学者のジョルダーノ・ブルーノ、その壮大な宇宙

ルーチョ・フォンターナ (1899-1968)

雑誌 「医学のあゆみ」 に連載中の 「パリから見えるこの世界」 の第16回エッセイを紹介いたします
ご一読、ご批判いただければ幸いです

« Un regard de Paris sur ce monde »

医学のあゆみ (2013.5.11) 245 (6): 541-545, 2013