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samedi 16 octobre 2010

「水の記憶」その後、モンタニエさんの試み



以前に別ブログで「『水の記憶』の科学者たち」と題した記事を書いた。その後、経過を追うでもなく放置していたが、先日ある方からリュック・モンタニエさんがこの問題を新たに解析されていることを紹介されたのでざっと目を通してみることにした。

Electromagnetic signals are produced by aqueous nanostructures derived from bacterial DNA sequences. Interdiscip Sci Comput Life Sci 1: 81–90, 2009

この研究を始める前に以下のことがわかっていたようだ。

1)マイコプラズマ(Mycoplasma pirum)に感染したヒトのリンパ球培養上清を100nMのフィルターと20nMのフィルターで濾過し、無菌状態にしたものをそれぞれマイコプラズマに感染していないリンパ球と培養すると後者で再び感染が見られる。

2)これらの濾過した培養上清を水で希釈していくと、電磁波の発生を観察できる。これは感染していない細胞の培養上清の濾過液では見られない。

この論文では電磁波シグナル(electromagnetic signals: EMSと略す)の発生する条件やEMSの性状を明らかにしようとしている。材料として、マイコプラズマと大腸菌(E. coli)、ヒトTリンパ球とTリンパ球の腫瘍細胞を用い、電磁波測定装置で培養上清のEMSを測定している。この装置についてはよくわからないので、報告されている観察結果に基づいて紹介したい。

1)マイコプラズマの場合、濾過液の希釈が少ない場合にはEMSは発生しないが、1/10*5から1/10*8、あるいは1/10*12希釈で発生し、それ以上薄めるとEMSは見られなくなる。100nMの濾過液より、20nMの濾過液の方がEMSが強い。

2)大腸菌の場合、100nMの濾過液(無菌であることを確認)では1/10*8から1/10*12の希釈でEMSが観察された。フィルターを通さない液ではEMSが見られなかったので、濾過の過程がEMS発生に重要な意味を持っていると考えられる。マイコプラズマと違い、20nMの濾過液ではEMSが見られない。

3)なぜ低濃度に希釈した方がEMSが発生するのかについて、希釈の少ないものと多いものを混合して調べたところ、EMSを出していた低濃度のサンプルからEMSが見られなくなったので、高濃度の状態にはEMS発生を抑制する効果がある可能性がある。

4)興味深いことに、高濃度のものと低濃度のものを別の試験管に入れて1日室温で隣り合わせに置いただけで、低濃度の試験管からEMS発生が抑制される。二つの試験管の間にシールドを入れるとこの現象が見られなくなる。

5)この現象は大腸菌と同じ濃度で他の細菌でも見られた(Streptococcus BStaphylococcus aureusPseudomonas aeroginosaProteus mirabilisBacillus subtilisClostridium perfringensなど)。ただし、これは100nMの濾過液に限り、しかも二つの試験管に同じ細菌が入っている時だけになる。

6)驚くべきことに、最初の細菌数に関係なく(10個であろうが10*9個であろうが)、それを希釈した時に同じようにEMSが見られる。

7)EMSの発生にはDNAが必要であるが、DNAそのものからというよりは、DNAによって誘導される微小構造(nanostructureと言っている)による可能性がある。

8)DNAを幅広い間隔で切断する酵素処理ではEMSの抑制は起こらないので、短いDNA配列か稀な配列が関与しているのではないか。

9)EMSを発生する細菌は病原性を持つものが多く、生体によい効果を及ぼすとされるラクトバシラスなどはEMSを発生しない。

病原性のある細菌のDNA配列による電磁波は、例えば細菌と宿主細胞との間の接着を強め、病原性の発現に関与している可能性も考えられる。生物学だけの素養では俄かに信じられない現象が観察されているが、現段階では現象論に留まっているように見える。これから物理学の視点などを加え、EMSに関わる分子レベルでの実態が明らかにされればこの現象の見方も変わってくるかもしれない。新しい領域になるので、今後の研究の進展を見守りたい。


jeudi 5 février 2009

モンタニエ氏語る Luc Montagnier parle de la médecine d'aujourd'hui


2008年 04月 19日


モンタニエ氏のインタビュー記事 (Enjeux-les-Echos) から。以下のタイトルで、医学、科学の現状を語っているので聞いてみたい。

" La médecine du XXe siècle a épuisé ses ressources"
「20世紀の医学はその蓄えを使い果たした」

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われわれの平均寿命は、まだ毎年3ヶ月の伸びを見せている。しかし、ガン、白血病、心血管系、神経系の原因不明の病に侵されている。老化にしても同様である。今日、長生きする人は増えているが、骨や関節の問題、ガン、アルツハイマー病、パーキンソン病などで老後が必ずしも豊かなものにならない場合がある。 入院期間が延び、効果のない高価な治療を続けることになり、健康保険も赤字に陥っている。

なぜ慢性の病気をなくすことができないのか。一つには、その原因が単一ではなく複数絡み合っているからだろう。それから一つのもの、例えば酸化ストレスと呼ばれる現象はDNAに変異を起こし、脂質や蛋白を変化させ、われわれの免疫系を弱めるという複数の効果を持つ。またある種の病原体は免疫系と折り合いをつけ、われわれの中の留まり続けるということも起こっている。

私は、エイズは老化が急速に起こるようなもので、老化はエイズがゆっくり進行するようなものであると言っている。老化に伴い免疫系をコントロールしている胸腺はほとんどなくなるが、エイズの場合はそれが急速に起こる。胸腺の退縮は生物学的にプログラムされている。それは食料が限られていた太古に老人が退場することが種の保存に必須だったという厳しい自然選択の結果である。しかし、その後の文明、文化の発達に伴い、今やそれは存在理由がなくなっている。

医学もその自然選択に抗する役割を果たしてきた。それは本来早く亡くなるべき人たちを救っているからである。そのことにより、遺伝的欠陥を後世に引き継ぐことになるだろう。これは事実で、これから遺伝病が増えるということを考慮に入れて、われわれはこの新たな状況に対処しなければならない。

したがって、遺伝子治療に関しては賛成である。ただし、自然がわれわれの体に生殖細胞と体細胞を分けて与えていることの意味を考えなければならないだろう。体細胞の遺伝子を操作することには問題を感じないが、われわれの遺伝子構成を変えることになるような操作には相当の慎重さが求められるだろう。幹細胞ですべてが解決するという立場にも私は慎重である。

私は常に理性的であり偏見も持たない。植物エキスを治療に使ったわれわれの祖先の智慧をまだ科学的に検討できていないのだ。分子生物学は多くの成果を上げたが、ほぼ限界に来ていて、すべてを説明することにはなっていない。ホメオパシーはまだ謎のままである。

パスツールは微生物には何の意味もなく、その場がすべてだと言っている。われわれの体は常に細菌と接触している。免疫系が働いていれば、微生物の増殖は抑えることができる。ある種の植物エキスは酸化ストレスへの効果で免疫系を活性化する。エイズウイルスに感染している人の5%は発症しない。細菌やウイルスが ガンに関与しているとすれば、例えば、弱い化学療法と抗生物質による治療の併用などのアプローチを取ることができるだろう。免疫系の賦活化による治療が発展することを願っている。人間は120歳まで生きるようにプログラムされているのだから。

酸化ストレスが老化などに関与している。植物に由来する薬剤の有効性を試すのがこれからの目的である。祖先の経験を拒否するのではなく、現代医学と結びつける試みが大切だろう。

フランスの研究は、第二次大戦と占領でイギリスやアメリカの科学と隔絶してしまった。ドゴール大統領はこのことに気づき、若い研究者をアメリカやイギリスに送り出した。それは、特に分子生物学において重要な役割を果たした。しかしそれ以来、その方法と概念を用いることに満足してしまった。エイズウイルスの発見は、すでに知られていた手法を単に用いた基礎研究によるものであった。その後多くの優秀な研究者が研究を進めているが、大きな技術革新を生み出すには至っていない。国による研究システムの整備が全くされていない。それからソ連崩壊後に優秀な研究者を呼び寄せることに失敗した。彼らはアメリカに流れてしまった。

さらに研究費も不十分である。日本は国内総生産の3%を研究に当てている。それから中国やインドも続いている。このままの状態でいると、世界におけるわれわれの占める位置は縮小していくだろう。この状況を抜け出すためには、突破口となる技術革新と概念の転換が必須になるだろう。フランスの経済的な発展と国民の安寧は偏にこの点にかかっている。