vendredi 13 juin 2008

ハーバート・スペンサーと社会進化論


Herbert Spencer
(April 27, 1820 – December 8, 1903)


イギリスの哲学者、社会学者にしてダー ウィンの進化論の擁護者で、適者生存("survival of the fittest", "sélection des plus aptes")の造語者。ダーウィンの進化論が生物界を対象としているのに対して、彼は特に自然選択の考えを哲学、心理学、社会学の領域へ適用しようとし た。後に、彼の思想は社会進化論("social Darwinism", "Darwinisme social")と呼ばれたが、基本的な点でダーウィンとは一線を画している。第一に、ダーウィンの進化が全くの偶然の結果で、最終的には"open- ended" であるのに対し、彼の進化論は最後にはある目的に叶う理想的な平衡状態("end-point")に落ち着くと考えていた(Progress, therefore, is not an accident, but a necessity.)。また、ダーウィンの最終的な立場とは異なり、彼は獲得形質(例えば、よく使ったものが発達し、そうでないものは退化するが、それ)は遺伝するとしたラマルクの信奉者であった。これらの考えが社会の発展を見る時に重要であると彼は考えていた。

歴史の不幸になるのか、本来は自由主義に基づく彼の考え方が選民による大衆(より適応していないとされた)の支配、例えば植民地主義、優生学、さらにはナチズムによってその科学的根拠を与えるものとされた。その流れは現代でも一部で受け継がれている。

大部分の(哲)学者の書は専門外では読まれないものだが、彼の生存中に100万部を超える書が売れている。1860年から1903年までの間に、アメリカ だけで37万部弱という本国イギリスと同じ売り上げを記録。海賊版を入れると相当数になるだろうと言われている。想像力を喚起する彼のスタイルや自己啓発的な要素も加わり、専門職の人だけではなく一般の人にも受けたのではないだろうか。そのためかどうかわからないが、専門の哲学者たちからは批判もあったようである。生涯独身を通した彼は亡くなるまで書き続け(最後は口述筆記)、ノーベル文学賞の候補にもあがっていたようだ。

彼の宗教的立場は不可知論で、神の存在は知りえないとするもの。神学を拒絶したが、科学を根拠に宗教を転覆させようとしたのではなく、科学と宗教を融和しようとした。また、戦争や帝国主義に抗し、国家の役割を最小限にする(国内外の安全保障に限る)という思想 "minarchisme" の擁護者でもあった。


スペンサーとダーウィンの考えを読みながら自らを振り返っていた。ある目的に向かって歩む、あるいは予定調和を思わせるスペンサー的考え方とは相容れない 生き方、まさにダーウィンの偶然に身を委ねる "open-ended" の思想に近い生き方にしか魅力を感じなかったようだ。今回こちらに来ることになったのも、そう考えると理解しやすい。この一事からこれまでを見ると、私は真の意味での(ダーウィン的)進化論の信奉者だったのかもしれない。

最後に彼の言葉から。日頃よく耳にする考えが彼に由来することがわかる。

● "Every man may claim the fullest liberty to exercise his faculties compatible with the possession of like liberties by every other man."

● "Every man is free to do that which he wills, provided he infringes not the equal freedom of any other man."

 いずれも他人の自由を認め、その自由を侵さない限りにおいて、人は自らの自由を行使できるという考え方。


● "No one can be perfectly free till all are free; no one can be perfectly moral till all are moral; no one can be perfectly happy till all are happy."

 すべての人が自由で、道徳をわきまえ、幸福にならなければ、人は自由でも道徳的でも幸福でもない。その方向に社会が進化する(べきだ)と考えていた。

● "Opinion is ultimately determined by the feelings, and not by the intellect."

 意見(世論に通ずる)は最終的には知性ではなく感情で決まる。日頃の出来事を見ていると、19世紀の彼の観察眼の確かさに肯かざるを得ない。






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