mercredi 4 mars 2009
クロード・ベルナールに 「実験医学研究序説」 という本がある。日本にいる時に本棚にはあったが、結局読むところまで行かなかった。字体や文体が古く魅力を感じなかったことと、仕事に忙しく余裕もなかったためだと思っているが、今のような状況に置かれたとしても読んだかどうかは疑わしい。科学の奥にあるものの考え方や見方、哲学的な視点への興味なしには読むところまでいかなかったのではないだろうか。実際、この本をこちらに持ってこようという気にはならなかった。
そんな状況がフランスに来て少し余裕が出てきたためか、一変している。この手の本に対する感受性が非常に高くなってきたのだ。フランスということもあり、この分野の人のベルナールに対する関心は高い。必ず論じられる人になっている。日本のこの分野の状況を知らないので何とも言えないが、日本の科学者では誰がベルナールに当たるのだろうかと考えているが、まだ思いついていない。
今日、改めて Introduction à l'étude de la médecine expérimentale (1865) を手に取ってみたが、最初からよく入ってくる。今では当り前だろうが、医学は生理学、病理学、治療学からなり、これからはそれぞれが別々にあるのではなく相互に関連を持っていかなければならないという考えが述べられている。ただ、この本は江戸末期に出された本であることと考えると、驚かざるを得ない。彼の観察 l'observation と実験 l'expérience の定義は以下のようになっている。観察とは前もって考えることなく、あくまでも偶然に身を任せる受け身の行為であるのに対し、実験とはある考えを持って、意図してある現象の背後に潜む原因を探ろうとする能動的な行為であるとしている。
これを読みながら、さらに考えが進んでいた。それは、実験をすることなく科学に貢献することができるのだろうか、ということについてである。現在のような状況では実験をして新しい結果を導き出すことも、そこから仮説を出しさらに先に進むこともできない。そのような状況で科学に対して何ができるだろうかという問題になる。まだ漠然としており、それが実現可能かどうかもわからないが、ポジティブな貢献が可能な道筋はあると今の段階では考えている。
その方向性とは、哲学者の瞑想によるのではなく、すでに出されている実験データをもとに統合する作業を行い、新しいものの見方や概念を提唱することができないかというものである。最終的にそこから何かを導き出すことができないことになったにしても、この方向性しかやりようがないように見える。さらに重要なことは、この視点は現役の科学者にとっても有用なものではないかという点である。この視点こそ、哲学的視点と言ってもよいだろう。時間と自由を持っている人がやらなければならないのかもしれない。
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vendredi 10 décembre 2010
lundi 25 janvier 2010
クロード・ベルナール 「医者はそれぞれ実験者である」 "Chaque médecin est un expérimentateur"

クロード・ベルナールは近代生理学の生みの親と言われ、医学を科学にしようとした。また、正常と異常の間は連続していることを初めて説いた一人でもある。2010年1月22日のル・モンドの「世界を変えた本」シリーズに、クロード・ベルナールの「実験医学序説」(1865年)が取り上げられていた。そこで、コレージュ・ド・フランスの実験医学教授であるピエール・コルヴォル(Pierre Corvol)さんがベルナールについて語っているので紹介したい。
150年前に実験医学教授であったベルナールの現代性について:
私は、1990年、偉大な医学者であったジャン・ドセーの後の教授就任講演で、クロード・ベルナールを引用しました。
「医学は病院では終わらず、そこから始まる。科学において認められようとする医者は病院を出て、実験室に行かなければならない。患者さんで観察したことを理解するために動物実験をするのはそこなのである」
ベルナールが求めたこのやり方や医学と研究との関係についての彼の省察は、いつも私に霊感を与えてきました。1958年の大学病院センタ―(CHU : Centres Hospitaliers Universitaires)創設にはロベール・ドゥブレやドセーの強い影響がありますが、そこで研究が不可分の要素として組み込まれることになったのです。したがって、ベルナールの今日的意味は CHU になります。病院改革に伴い、管理が前面で語られ、医学、さらには研究の位置がどんどん落ちている状況に不安を感じています。
同時代人のパスツールによる自然発生説に否定に匹敵するベルナールの業績について:
当時は病気と健康は2つの異なる状態だと考えられていました。" Le Retour du Dr. Knock " (2000) の中でもベルナールを以下のように引用しました。
「昔の医者が信じ、今でも信じる医者がいるように、健康と病気が本質的に二つの異なる状態であるとは言えない。現実に両者の間にあるのは、程度の差でしかない」
これこそ19世紀半ばに確立された正常と病理の間の連続性で、ベルナールの実験医学の賜物でした。パスツールが感染による外からの脅威について明らかにしたのに対して、ベルナールは内的な生理的反応の異常を示しました。フランスにおいて、生理病理学の概念を確立しました。彼のアプローチは内的な平衡(ホメオスターシス)を維持するように段階的に起こる反応を説明するものでした。そして、正常と病理の境界が重なるようにありました。
ベルナールが形作った科学に基づく医学研究(観察、仮説の提唱、その検証のための実験、そして結果の解析へと続く)について:
彼は、技術や経験としての医学を批判しました。彼にとって医学とは観察の科学ではなかったのです。もちろん、仮説を立てるために観察結果を集めることは重視しましたが、一人ひとりの医者は実験者であると考えていました。医者が毎回患者を観察して診断の仮説を押し進め、その仮説を検証するために治療を施すのはよいことであるとしていました。彼は研究という言葉を使っていましたが、1992年、パリの公立病院臨床研究センターの検討により、「臨床研究」(recherche clinique)という言葉は患者さんをモルモットにしているという印象を与えるので、使用しないことになりました。
ベルナールの実験医学に関する新しい考え方の当時の受容について:
公立病院では無視されました。私も20年ほどコレージュ・ド・フランスで講義をしていますが、医者はわずかです。血管新生についての講義を10年前に始めました時、大学の医学部にはこの講座はありませんでした。治療薬も出始めていましたが、その使用はおかしなものでした。科学的な医学は大学では生まれず、その周辺から生まれるのです。ベルナールは前任者のフランソワ・マジャンディーとともに、医学講座を中心にコレージュ・ド・フランス学派を作ったのです。「実験医学講座」の名前ができたのはその後のことです。ベルナールと後任のシャルル・エドアール・ブラウン・セカール(Charles-Édouard Brown-Séquard)が内分泌学を打ち立てたのです。
彼の同時代の医学研究者との関係について:
当時のフランスはドイツとともに先端を行っていて、パリには100以上の研究室がありました。同時代人の中には、1858年に病理の細胞説を唱えたドイツのルドルフ・ウィルヒョウ、結核菌、コレラ菌の発見者ロベルト・コッホなどがいます。フランスでは、ベルナールの前にザヴィエ・ビシャー(Xavier Bichat)が解剖学を進歩させましたが、生体の内的調節機構の重要性には気付いていませんでした。
現代の科学でベルナールが惹かれそうな研究分野について:
システム生物学などは彼の興味を引くのではないでしょうか。これはあるシステムのある部分(例えば、細胞、核、臓器など)ではなく、システムを全体として理解しようとする学問です。ベルナールは還元主義的視点を持っていましたが、全体の機能を再構築しようとしていました。「生きた機械」についても語っていました。
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jeudi 7 janvier 2010
栄光の6年 Les Six Glorieuses
ある本の中で、アカデミー・フランセーズ会員だったジョン・ベルナール(Jean Bernard)さん(né le 26 mai 1907 à Paris et décédé le 17 avril 2006 à Paris)のこの言葉に出会う。1859年から1865年までの6年間を " Les Six Glorieuses "(栄光の輝かしき6年)と呼んでいる。ダーウィンの「種の起源」が出版された1859年から始まるこの期間には、パスツールが自然発生説を否定して微生物学を確立した。1865年にはクロード・ベルナールが「実験医学序説」を書いて近代生理学を創り、同じ年にはモラビアの修道僧グレゴール・メンデルがスィートピーを掛け合わせ、遺伝の法則を発見した。
ベルナールさんは、この6年間が戦争や革命が社会を変えた以上に人間の運命を変えたと評価している。
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