dimanche 28 décembre 2014

プラトン的な世界からアリストテレス的な世界へ?


昨日の外出前、出口横にある本棚にあった九鬼周造の 『「いき」の構造』 に手が伸びる

僅かな間なのだが、いつも貴重なヒントが出てくる場所と時間になっている

この本はこちらに来て初めて読んだが、今回読み始めてすぐ、先日浮かんだ考えが蘇ってきた

しかし、読み進むうちにその考えが何だったのかが消えて行った

これはよくあることなので、すぐに控えるか、その時点でその考えを弄ぶことを義務付けている

しかし、今回は高を括っていた

それを思い出すために最初に戻り、前の状態を再現しようとするができない

さらに読み進みながら思い出そうと暫くやっていると、やっと出てきてくれた

それは次のようなことである


これまでの長い間、頭の中はこうあるべきだという思考で埋め尽くされていた

理想を求め、未来を語ることに執着していた

そこでは理想が対象になっているため、いつまで経ってもそこには辿り着かない

そのため、現実の中に入って行くことなく、いつも待っているのである

理想を繰り返しているだけなので、思考も怠惰になる

それがこちらに来てから変わってきているのではないか

 そう思ったのが、先日のことであった


それは、日常的に過去のものを読むようになったことと関係があるのかもしれない

理想ではなく、現在あるいはこれまでの在るが儘の姿はどうなのか、どうだったのか

どうあるべきかという視点から、この問いに関心が移ってきたのである

今を否定してどこかに向かうという視点から、今を受け入れるという姿勢への変化とも言える

われわれが遂げ得る変容は、目に見えないほど微小なものであることにやっと気付いたからかもしれない

そうであるならば、この世界の全体をその儘理解しようとすることの方が余程有用になるだろう

この世界を変えようというよりは、この世界のすべてを視野に入れ、そこに分析の手を加えるという方向性

未来や理想を語る前に、過去から現在に至る姿に目を向けよ、という命令

その命令を目の前にすると、怠惰に陥る暇がなくなる

これまでのふわふわした状態から、地に足が付いたような安定感を覚えるようにもなってくる

目指すところだけを見ると、プラトン的な世界からアリストテレス的な世界への変容と言えるのだろうか

いずれにせよ、これが昨日引き出すことができた先日の考えの中身である




dimanche 21 décembre 2014

マルセル・コンシュさんによる哲学、人生、真理

 Marcel Conche (1922-) 
© Dailymotion


マルセル・コンシュさんのビデオを観る

もう92歳になっているが、これは何年前のものだろうか

91歳の時にビデオが作られているので、そのボーナス映像ならば同じ時になる

 Marcel Conche : La nature d'un philosophe (Christian Girier)

コンシュさんについては最初のブログから取り上げている

おそらく、フランス語を始めるようになり、最初に知った哲学者になるだろう

最近では、今年の2月にこの場に書いている

マルセル・コンシュさんによるエピクロスの哲学 (2014-2-18)


このビデオでは、かなり重要なことが語られている

特に心を打ったのは、探究の末に絶対的な真理に到達したという言葉

そして、そこに至るには自由が決め手になるということであった

彼の語りの簡単なまとめを以下に

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まず、天職について

早い時期から人生を哲学に捧げることを決めており、それ以外のすべてを犠牲にしてきた

その中には愛情も入っている

結婚して妻を愛してはいたが、愛情に溢れていたわけではなかった

愛情に溢れることによる幸福を求めたが、それを一度も味わうことはなかった

しかし、そのことに後悔は全くない

その理由は、自分が味わうことができなかったその内容を知らないからである

そして、それは自分が選択した道ではなかったからでもある

愛情生活は素晴らしいが、いろいろなことを一緒にやらなければならないので時間を奪われる

そのことには24歳の時から注意していた

愛する人と共にいることと愛情生活は別である

愛情生活と思考による喜びも別物である


わたしは幸福を求めはしない

わたしに必要なものは、幸福ではなく真理に近づくこと、すなわち哲学である

 幸福とは、真理に近づくべく探究するそのことの中に表れているとも言える

 わたしの見方をニーチェが書いている

 « La vraie vie ne veut pas le bonheur. Elle se détourne du bonheur. » 

「真の生活は幸福を欲しない。真の生活は幸福から離れて行くのである」


わたしには嫉妬も羨望の感情も全くない

そこには何の利点もないだろう


この年になり真理を発見したと思うかと訊かれれば、答えは非常に簡単で、「ウィ」である

わたしがやっている形而上学で重要になるのは、証明ではなく、力強い議論である

それを決めるのは、論者の自由である

ここで言う真理は、わたしの真理と言うよりは絶対的真理である


神は文化的な存在で、個人の判断を超えた客観的な存在ではない

自然の根源的な意味について、科学はある段階までは参考になる

しかし、科学が形而上学を代替することはできない

形而上学が全体を扱うのに対して、科学はそうではないからである

ビッグバンから始まる世界がすべてだという人がいるが、それは「もの・こと」の全体ではない

エピクロスが言った無限の世界がそこにある

有限のわれわれが無限を理解することができるのか

無限とは神が与える想像の世界にだけあるのではなく、われわれが生きている自然の中にある

その意味で、スピノザは正しかった

われわれは無限の中に在ることを知り、そのことを祝福して生きることが大切である







dimanche 14 décembre 2014

パリから見えるこの世界 (23) イスラエルでラマルクと進化を考える

"My Socrates for A Friend" (1993) 
Alexander Polzin (b. 1972, East Berlin)
@ Tel Aviv Univ.


雑誌 「医学のあゆみ」 に連載中の 「パリから見えるこの世界」 第23回エッセイを紹介いたします

« Un regard de Paris sur ce monde »


医学のあゆみ (2013.12.14) 247 (11): 1193-1197, 2013


ご一読、ご批判いただければ幸いです