新しい Philomag にフランソワーズ・ダステュール(Françoise Dastur, 1942-)という方のインタビューを見つける
タイトルは、「わたしは哲学がポピュラーになることはないと思います」
以下に、そのお話から
ソルボンヌで25年講師をやり、50代になってからベルギーの大学にテーズを出した
61歳で早めの退職をして、今は田舎に住んでいる
ご自身は、自分の学説を広める哲学の専門家というよりは、問いにより人を目覚めさせる哲学教師と考えている
大学の哲学はテクストの厳密な解釈に閉じ籠り、死に掛かっている
一つの問いへと開いていくことをしないのだ
今、自分の村で50人くらいの人を集めて哲学を教えているのは、新しい道を探るためである
今、自分の村で50人くらいの人を集めて哲学を教えているのは、新しい道を探るためである
ご本人はフランス現象学の専門家で、現象学についても語っている
現象学はプラトン主義の世界観に抗する
われわれに見えている「もの」の背後にあるものを探してはいけないという強い確信がある
そして、すでにそこにある「もの」、現れている「もの」、前提条件が観ることを妨げる「もの」を明らかにしようとする
doxa、共通意見、先入見を排除するのだ
このようなやり方を採るのが現象学だが、それは哲学の元々の姿でもある
われわれはしばしば、周りにあるものに名前を付けるが、そのものを観ることをしない
フッサールによれば、「もの」そのもの至るには、言葉を排しなければならない
隠れている初めの経験に戻らなければならない
これは西田の「純粋経験」の世界のようでもある
死を意識できるのは人間だけである
死を意識することだけが、「いま・ここ」を生かす道を開くのである
この点が動物と違うところだと考えている
ご主人がインド人とのことで、インドの思想に興味を持っているようだ
「視点」 とか 「ものの観方」 という意味で、「知への愛」 という哲学を語らない
これはピエール・アドー(Pierre Hadot, 1922–2010)さんやベルグソンの哲学の見方と通じるところがある
ピエール・アドー PIERRE HADOT " LA PHILOSOPHIE COMME MANIERE DE VIVRE " (2007-01-03)
ピエール・アドー PIERRE HADOT " LA PHILOSOPHIE COMME MANIERE DE VIVRE " (2007-01-03)
西洋だけではなく、東洋の見方にも興味をお持ちのようである