mardi 16 juillet 2013

第6回 「サイファイ・カフェ SHE」 のお知らせ


The Sixth Sci-Phi Cafe SHE (Science & Human Existence)   

テーマ: 「腸内細菌を哲学する」   

 2013年9月10日(火)、11日(水) 18:20-20:00 

いずれも同じ内容です  


SHEの趣旨と今回の内容
この世界を理解するために、人類は古くから神話、宗教、日常の常識などを用いて きました。しかし、それとは一線を画す方法として科学を編み出し ました。この試みでは、長い歴史を持つ科学の中で人類が何を考え、何を行ってきたのかについて、毎回一つのテーマに絞り、振り返ります。そこでは、目に見える科学の成果だけではな く、その背後にどのような歴史や哲学があるのかという点にも注目し、新しい視点を模索します。このような 営みを積み上げることにより、最終的に人間という存在の理解に繋がることを目指すスパンの 長い歩みをイメージしています。
今回は、われわれと共に存在し、進化の過程を共にしてきた微生物について考えま す。最近の研究から、われわれの中に存在する体の細胞の10倍の数の微生物は、消化・ 吸収、代謝、免疫のみならず精神活動などの生理機能に不可欠な役割を担ってい ることが明らかにされつつあります。この結果は、われわれは閉じた自律的存在ではなく、外に開かれたエコシステムであることを示唆しています。「彼ら」の存在は、「われわれ人間 」、「生物学的個体」、「オーガニズム」の意味するところを改めて問い掛 けてきます。これらの問題を考え始めるための枠組みについて講師が30分ほど話した後、約 1 時間に亘って意見交換 していただき、懇親会においても継続する予定です。
会 場
カルフールC会議室

東京都渋谷区恵比寿4-6-1 
恵比寿MFビルB1 
電話: 03-3445-5223
   
参 加 費  
一般の方: 1,500円 (コーヒー/紅茶が付きます) 
大学生: 無料(飲み物代は別になります)   

終了後、参加者の更なる意見交換の場として懇親会を開く予定です。 

参加をご希望の方は、希望日と懇親会参加の有無を添えて 
she.yakura@gmail.comまでお知らせいただければ幸いです。




dimanche 14 juillet 2013

パリから見えるこの世界 (6) 「クラーク精神から近代科学の受容の背後にあるものを考える」



雑誌 「医学のあゆみ」 に連載中の 「パリから見えるこの世界」 の第6回エッセイを紹介いたします



医学のあゆみ (2012.7.14) 242 (2): 213-216, 2012

 ご一読、ご批判いただければ幸いです




jeudi 11 juillet 2013

科学における哲学教育をどう考えるのか


今朝、科学から哲学に入り、そのインターフェースにいる者としての素直な気持ちとともに目覚める

その目覚めには、前回の記事での問題提起が関係しているはずである

それと、この領域での議論をこれだけのスケールで初めて聴いたことである
 
その結果、次第に固まりつつある考えは、あくまでもインターフェースに留まるということ

専門家になることを避けること

狭い領域での語りに終わることを避けることである

その上で、科学あるいは科学の外に向けて、哲学の有用性、有効性を語ること

その方が自分のような立場の人間には向いているのではないか

そんな決意とも思える考えとともに、朝はいた


Prof. Michael Ruse (1940-; Florida State Univ.)


午前中のセッションは、朝の気分にぴったりの「生物学の哲学と教育」であった


この本の出版に合わせて、執筆者が語るラウンド・テーブルである

序を書いた生物学の哲学の領域では大御所になるマイケル・ルース教授がどっしりと控えている

 大部分の方が、哲学の中の何を教えるべきなのかを議論していた

やや専門的なのである

ひとつ面白いと思った意見があった

それは、科学における細かい考え方を教えるより、3人の科学者について語ると科学の営みが分かるというもの

その3人とは、ダーウィンアインシュタインチョムスキーであった


科学の教師からは、何をではなく、どのように教えるべきかの議論が有用ではないかとの指摘があった

 ミネソタ大学のアラン・ラヴ(Alan Love)さんからは、次のようなコメントがあった

大学の早い時期に科学の中での統合だけではなく、人文科学、哲学などを絡めたプログラムが必要になる

 しかし、明確な意識がなければこのようなプログラムをカリキュラムに入れる余地がないほど厳しい状態である

おそらく、日本の状況も変わらないと想像される

昔は医学の専門教育が始まる前の2年間は教養課程であったが、今は専門の講義が侵食していると聞いている

一つの意識を持つに至るまでの省察の時間がないためだろう

そのため、大きな流れに身を任せるしかなかった結果なのだろう


 このような状況を変えるには、どうすればよいのだろうか

大前提として、なぜこのような教養課程や統合プログラムが必要になるのかについての考えを深めることだろう

その上で、そのような理解が拡がり、コンセンサスになる必要がある

どれだけ説得力のある考えが出てくるのかにもよるだろうが、相当に時間がかかりそうである



 わたしは、この領域に入ってから気になっていることについて皆さんのご意見を訊いてみた

 その根底には、哲学・歴史の蓄積に触れていれば、もっと豊かな研究者生活になったのではないかとの思いがある

そのため、科学者に哲学を語ることの重要性を認識しているつもりである

そこで知りたかったのは、科学者の教育をどう考えるのか、そのための妙案はあるのか、である

この点に関して、哲学者の方々は意外と諦めムードの印象があった

より正確には、自らの専門に忙しく、学生の教育の方が喫緊の問題であるのか、あまり考えていないようであった

ラヴさんは、将来を見越して、科学者になる前の若い世代の教育を充実すべきとのお考えであった

 終了後、ラヴさんとお話した結論は、自らが考えて妙案を捻り出すしかないというところに落ち着いた


今日の印象は、以下のようになるだろう

科学者への語り掛けは、意外に哲学の盲点になっているのではないか

哲学とのインターフェースから科学に向けて働きかけることは、わたしにとって最も自然で適切な道なのかもしれない


そんな感触とともに会場を後にした



mardi 9 juillet 2013

何のために、誰のために哲学するのかを考えよ


7月7日から12日まで南仏はモンペリエで開かれている会議 "ISHPSSB 2013" に参加している

International Society for History, Philosophy and Social Studies of Biology が隔年に開いている会である

2週間ほど前に庵からの脱出を目的に参加を決めた

今日で3日目が終わったところだが、いろいろな再会や貴重な会話があり、参加して正解であった


先ほど終わったラウンド・テーブルで、一考に値する問題が指摘されていた

下の本が3月に出たことを受けて、執筆者がそれぞれの主張をするという趣向の会であった


その問題は、モントリオール大学の哲学者フレデリック・ブシャール(Frédéric Bouchard)さんから指摘された

上の本の編者でもある

そのポイントは、科学者ではない哲学者がどういう立場で哲学するのかを明確にしなければならないということ

逆に言うと、一つの問題を論じる時に、その立場が自ずと明らかになるということであった

つまり、生物学に何らかの寄与をしようとして哲学しているのか

生物学の現場とは関係なく、自らの興味に基づいて哲学するのか

生物学を哲学することにより、形而上学への問題提起を探るのか

生物学の哲学の存在意義を考えよということになる


これは、科学の立場にいた者にとっては至極当たり前のことになる

科学者が哲学を敬遠するのは、そこで何が行われているのかわからないということがある

そして、それがわかったとしても、科学に役に立つのかという疑問が付いて回る

哲学など頭になくても科学者としては十分にやっていけるというのが、一般的な受け止め方である

わたし自身もそうであったから、よくわかるのである


自己満足に終わらせないためには、少なくとも自らの対象に対しては常に開いておく必要があるだろう

科学の現場で何が行われ、何が問題になっているのかに敏感でなければならないということだろう

これが意外に難しいのだ

なぜなら、他の領域を知らずに一つの道に入ってしまうと、その中の一般的な考え方に教化されるからである

それ以外は目に入らなくなり、それを基にキャリアを組み立てることになるからである

そこに亀裂を入れることが必要になる

哲学の領域も高度に専門的になっている

今や哲学の領域においても、省察の学としての哲学的思考が求められる所以である




samedi 29 juin 2013

「医学の哲学」 国際セミナーで思考の違いを考える


医学の哲学を研究している若手のための国際会議がパリで開かれた


6月20日から22日までの3日間、パンテオン・センターが会場だった

わたし自身の研究テーマとは直接の関係がないこともあり、会があることは知らなかった

その中に3つのワークショップがあり、シニアとジュニアの二人で座長をすることになっていた

そして、なぜかわたしがジュニアの座長に指名されたのである

専門ではないのでお断りしたが認められず、参加を余儀なくされた

テーマは 「医学における知識と実践」

どんなことになるのかその場で観察するといういつもの危うい考えで、「こと」に臨んだ

それ以外には方法がなかったからでもある


アメリカ、カナダ、イタリア、フランスの若手が参加した会では多くのことを学んだ

まず、大雑把な印象から

アメリカ大陸の方は皆さん声がよく通り、話すのが速い

深く留まるように考えるところはなく、流してどんどん先にいく

そして、情報量が多い

一方、フランスの若手は考えながら言葉を紡ぎ出しているのが手に取るようにわかる話振りであった

知識の量よりは、一つの問題を掘り下げて考えるところがあるように感じた

イタリアの若手は何の衒いもなく、小気味よい論理の展開でどんどん前に進み、好感を持った


少し引いて彼らの話を見直してみると、次のような考えが浮かんできた

第一に、彼らの思考様式がわれわれのもとのかけ離れているように見えること

 また、思考が行われているレベルも違うように感じる

これは、抽象的概念を用いて論理的に考えることをわれわれが苦手としていることと関係がありそうである

その訓練を若い時からやっているのかどうかが、大きな違いとなって表れているのだろう

同年代の日本人の中に、彼らと同じレベルで話ができる人が一体どれだけいるだろうか

そんな疑問が頭を過った


もう一つ感じたことは、言語と思考の関係である

それは、フランスの若手が英語で言う muse しながら語っているような話振りを観ている時に浮かんできた

つまり、言葉が思索の道具として使われているのが見えるように感じたからである

言葉を発する時に単なる記号と堕しているのではなく、それが思考と密に繋がっているような関係が見えたのである

このように言葉を発する人は意外に少ないことに気付く

それは、時間をたっぷり取り、ゆっくり考えるという習慣が生み出すものではないだろうか

今、暇の只中にいる身であればこそ、そのように感じたのかもしれない

 忙しく仕事をしている時には全く逆の印象を持ったのではないか、と想像されるからである



ところで、会が終わった後、オーガナイザーからワークショップのサマリーを求めるメールが届いた

会の前に言ってもらえれば、もう少ししっかりと聴いていたのに、と恨み言でも言いたくなる心境だった

しかし、ここはフランスである

こちらに来てからは苛立つことはなくなっている

乏しいメモをもとに纏めて提出したところである
 
当日討論された内容に興味をお持ちの方は、以下をご覧いただければ幸いです


jeudi 27 juin 2013

リチャード・ドーキンス博士 "Greatest Show on Earth" を語る




ドーキンス氏の本のプロモーションにお付き合いするようだが、仏訳を持っているので取り上げてみた

こちらに来てから、英語の本もフランス語で読むことが多くなっている

普通のリブレリーで英語の本を探すことはほとんど不可能なので致し方ない

ドーキンス氏の主張の大枠は、大体頭に入りつつある

イギリス人らしいというべきなのか、ドーキンスさんらしいというべきなのか、端正できりりとした話し方である

われわれのふわーっとした話し方とは違い、正確を期そうとして決然と言葉を発しているのがわかるようだ




vendredi 21 juin 2013

"American Philosopher" を観る




偶然に行き当たったアメリカの哲学者のインタビュー・フィルムを観る


最終的には、冒頭でリチャード・ローティ(Richard Rorty, 1931-2007)さんが語っていることに尽きるのだろうか

哲学は自己の中に何があるのかを知るということから、新しい人間になるということに変わってきたのではないか

ソクラテスから始まった哲学は、ニーチェによる新しい人間の創造へと移行していったということになる

わたしであれば、自己を探ることによって新しい人間になる、と言いたいところである

つまり、哲学によって生き方が変わるということになる

あるいは、生きることを考えた時、哲学が現れた、と言った方がより正確か

この関係は相互に絡み合っているのだが、、


ローティさんは他にも興味深いことを言っている

例えば、アメリカの哲学というように場所の特徴を示す哲学を規定することは難しいのではないか

なぜなら、哲学は人口の1%程度を占めるコスモポリタンのような人間がやる傾向があるからである

哲学者は他の職業に比べてノマドの傾向が強いといういくつかの発言もある

もちろん、土地の伝統の影響を強く受けている哲学者もいるという別の指摘もあるのだが

 日本の場合はコスモポリタンの傾向は少ないように見えるが、実際にはどうなのだろうか


ローティさんの他の指摘から

大学における師弟関係で哲学を論じる傾向があるが、哲学は常に外から入ってきているのである

哲学者には、社会を変えるために考える人と古代ギリシャからある問題を考える人の二つのタイプがある


ヒラリー・パトナム(Hilary Putnam, 1926-)さんが語ったという優れた哲学の要件

それは、ヴィジョン(洞察力)と議論のフィネス(巧みさ)

どちらか一方が欠けても駄目だという

その他、最近ここでも取り上げた分析哲学と大陸哲学についての分析も出ていて、実に興味深いものであった


お話に出てきたアメリカの哲学者から

ジョナサン・エドワーズ(Jonathan Edwards, 1703-1758): アメリカ初の哲学者と言われる

ラルフ・ワルド・エマーソン(Ralph Waldo Emerson, 1803-1882)

チャールズ・サンダース・パース(Charles Sanders Peirce, 1839-1914)

ウィリアム・ジェームズ(William James, 1842-1910)

ジョン・デューイ(John Dewey, 1859-1952)

ジェーン・アダムズ(Jane Addams, 1860-1935): ソーシャルワークの先駆者

コーネル・ウェスト(Cornel Ronald West, 1953-)


進歩の議論の時に出てきた Meliorism




vendredi 14 juin 2013

ピエール・ゴルシュタインさんの科学研究


昨日、マルセイユの免疫学者ピエール・ゴルシュタインさんのセミナーを聴く

Pierre Golstein (Centre d'Immunologie de Marseille-Luminy)

T細胞による殺傷機構や細胞死について長い間研究されている

研究領域が違うこともあり、直接お話を聴くのは初めてになる

タマホコリカビ Dictyostelium discoideum)を使って、発生、細胞死、免疫などについて解析していた


イントロでは、研究を始めることだけではなく、研究所を創る過程についても話をされていた

マルセイユの研究所の創設に関わっただけではなく、今はインドの研究所の立ち上げにも関わっているからだろう

それから、研究のモデルを選ぶということについて話題にされた

まさに、モデルを選ぶということを哲学する、という風情であった

この地上には真核生物だけでも1000万に及ぶ種が存在しているという

それにもかかわらず、主要な研究対象は10種程度である

つまり、研究者が研究対象を選ぶ時に、考えていないという主張である

あるいは、そもそも研究モデルを選ぶという発想自体が頭にないということである

研究を始めた研究室で偶然に使われていた動植物をモデルにしているだけではないかというのである

わたしが言うとすれば、ヒラリー卿よろしく、「そこに・・・があったから」 に過ぎないことになる

研究者が意識的にモデルを選ぶとすれば独立した時であるが、モデルを変えることはほどんどない

モデルの選択ということを考えていないこともあるが、変えることには危険が伴うと直観的に感じていることもあるだろう

ご自身は、長い間マウスを使っていたが、考えて今のモデルに切り替えたという

細胞死にはアポトーシスネクローシス以外にもいろいろな型があるはずだと考えているからだろう


お話を聴きながら感じていたこと

まず、言葉を正確に使おうとしていること

それは、思考を正確にしようということである

事実を語るだけではなく、常に考えるためのクッションが置かれているとでも言うべき精神の状態を観ることができる

こちらに来た当時の身で聴いたと想像してみると、日本では見たことがない科学者だという感想を抱いただろう

「フランス的な」 科学者などと言うことには問題があるのだろうが、そう言いたくなる衝動に駆られる

哲学的だ、とは言えそうだが

上滑りなところは微塵もなく、どこまでも落ち着いている

別の言い方をすれば、大人に見えるのである

フランス、あるいはヨーロッパの科学の歴史が滲み込んでいることを感じさせる

普段は1時間半のセミナーだがこの日は3時間にも及び、流石のフランス人も終わりの時間を確認していた

研究成果そのものよりも研究や科学をどのように考えるのかについて、多くのことを考えさせられる時間となった





dimanche 9 juin 2013

パリから見えるこの世界: 第5回 「フィリップ・クリルスキー教授とともに専門と責任の関係を考える」


雑誌 「医学のあゆみ」 に連載中の 「パリから見えるこの世界」 の第5回エッセイを紹介いたします。

  医学のあゆみ (2012.6.9) 241 (10): 802-805, 2012
 
 ご一読、ご批判いただければ幸いです。
よろしくお願いいたします。





samedi 8 juin 2013

ダニエル・デネットさんによる自由意志を聴く




アメリカの哲学者ダニエル・デネット(Daniel Dennett, 1942-)さんの自由意志についての話を聴く

2007年、エディンバラ大学での講演から