samedi 24 octobre 2015

「フランス語、そして科学から哲学へ」 ---- 再び

8 novembre 2007
 


私は運命論者らしい。ある事に至った時、その元にあるものを探る癖がある。今回の元はおそらく2001年春ではないかと疑っている。その日私は花粉症に悩まされ、自宅のソファで横になっていた。朦朧とした意識の中で、20年以上前に滞在していたニューヨークで買ったフランス語のカセットのことをなぜか思い出 したのだ。それは雑誌 New Yorker の縦長の広告を見て注文したものだが、当時は英語に忙しくほとんど触れることもなく忘れ去られていたのである。早速探してみると出てきたので横になりなが ら、あるいは通勤時に20個ほどあるカセットをその音を楽しみながら聞き始めた。ただ聞いている、それだけであった。これが今回の事の発端になったフランス語との出会いである。

それからフランス文化との付き合いが始まった。その昔アメリカに渡り4年が経過したある夏の日の午後、英語が右から左に抜けるようにわかるようになる(私の中では)という経験をした。フランス語ではそれは無理だろうから、少なくとも4年間という 時間を自由に使ってフランス文化に浸ってみてはどうだろうかという考えの下、これまでいろいろとやっていたようだ。何かのためにやるというのでは全くな く、ただフランス語の音や文化の中に身を晒し、そこでの出会いに快感を感じながらこれまで続けてきたように思う。ひょっとすると、こんなことは今までの私には起こらなかったことかもしれない。

今更述べる必要などないだろうが、異なる文化に触れるとこれまで慣れ親しんだものとは異なる発想の中に身を置くことになり、自分の中の全く別のところが刺激され、しばしば目を開かされる。私の購読している Le Point という週刊誌(アメリカの Time や Newsweek に当たるようなものか)にはほとんど毎週のように哲学者 (philosophe) が出てくる。そのことに先ず新鮮な驚きを感じた。それから文化欄には哲学・思想と題する項があり、現役の哲学者や思想家が自らの経験を2-3ページに亘っ て語るのを読むことができる。その内容は哲学研究などではなく、自らの人生をどのように生きたのかを自らの思索を通して自らの言葉で語るというもので、そこにこれまでには感じたことのない、ある種の感動を覚えることになった。時には雑誌全体の特集としてニーチェ、ショーペンハウアー、スピノザ、モンテーニュなどの哲学者が10ページほども割いて取り上げられることもある。これらは私にさらなる驚きを与えた。

最近、フ ランス大統領選挙で勝ったサルコジの政権に、対立する社会党の影の内閣の大臣が参加するという現象が起こった。この現象に対して、表層的な、あるいは裏話的な分析に終始するのではなく、哲学者が出てきてそもそも裏切りとはどういうことなのかを分析したり、精神医学者が裏切りを生む精神状況を語ったりと物事へのアプローチが重層的で、事の本質に迫ろうとする精神を感じ、私にとっては大いに刺激的であった。このような小さな経験を積み重ねているうちに、私の中 の何かが変容して行ったようだ。フランス語の « ouvrir votre esprit » という表現を「あなたの精神を開く」と直訳した時、私の経験していたことはまさにこれだと感じた。

2005年春、パリにあるパスツール研究所の友人が私の研究室を訪ねてきた。彼は東京の街がマスクをしている人で溢れていることに驚いていたが、そこから会話がある方向に向かった。私が花粉症であること、花粉症のお陰でフランスとの出会いが生れたこと、病気がなくならないのは病気自体に存在意義があるからで、私にとっての花粉症はまさにフランスへの想いを呼び覚ますためにあったと考えている、というような他愛もないことである。そこで彼は、病気の意味などに興味が あるのであればこの人を読んでみては、と言って「ジョルジュ・カンギレム」という名前を出し、« Georges Canguilhem » と綴ってくれた。それを見た時に実に不思議な感覚が襲ってきた。何と形容してよいのかわからないが、今まで全く知らなかった世界への鍵がそこにあるかのよ うな、未知への扉がこれから開かれようとしているかのような感覚だろうか。それから彼の著作を取り寄せたり、関連する本に目を通すようになっていた。その 結果、このような領域が科学哲学、フランス語では épistémologie (la philosophie des sciences) と呼ばれていることを初めて知ることになる。今から僅か2年ほど前のことでしかない。

またその頃から、ぼんやりと自らの退官のことが頭に浮かんでいた。それまでは研究生活が永遠に続くと無意識のうちに思い、呑気に研究をしていた。そもそも基礎研究を始めた当初の思いは、何か美しいものを見てみたい、あるいは大きな原理のようなものに触れてみたいというものであった。そのためには、自らの興味に従い求めを続け、その結果見つかってきたことをもとに、さらに問いかけるということを続けていけば、いずれ私の思いが満たされるのではないかと考えていた。これは意識的に考えた というよりも、直感的にそう思っていただけである、と今では言わざるを得ない。この考えは、研究生活が永遠に続くという前提の下で初めて自らを納得させることができるのではないか、と思い始めていた。そんな折も折、アインシュタインの次の言葉に出会ったのだ。
「概念と観察の間には橋渡しできないほどの溝があります。観察結果をつなぎ合わせることだけで、概念を作り出すことができると考えるのは全くの間違いです。あらゆる概念的なものは構成されたものであり、論理的方法によって直接的な経験から導き出すことはできません。つまり、私たちは原則として、世界を記 述する時に基礎とする基本概念をも、全く自由に選べるのです。」
この言葉を見た時、ひょっとして私はスタートから間違っていたのではない か、という疑念が湧いていた。と同時に、これまで如何に自分の対象となっているも のの本質を考えないで研究をしていたのかということを痛感させられていた。これから同じようなことを続けていて果たして自分は満たされて終ることができるのだろうか、さらに突き詰めると、これからを如何に生きるべきなのか、という究極の問が生れて初めて私の前に現れた。

この問に対して、自分に一番しっくり来る道、この道を行けば悔いを残さないと思われる道は何なのかを探ることにした。研究を続ける、大学で教える、新しい分 野に入る、悠々自適を決め込む、などの可能性について、実際にその環境に身を置いて自分の反応を確かめるという方法で検討していった。試行錯誤を繰り返し た結果、最終的にはパリ第一大学の大学院で科学哲学を学ぶことになった。ここに至る道は、パリ大学の先生が私のような門外漢に許可を与えたことも含めて、 不思議の糸に導かれているとしか言いようのないものであった。

2年程前、言葉に慣れるために拙いながらフランス語でブログを始めた。先日、そこに書いたフランスで哲学をやることになったという記事に対して、A4にすると2ページにも及ぶ私の心を打つコメントが届いた。そのコメントの主は、大学で哲学を修め哲学教師をした後、フランスが自らの歴史を蔑ろにしている現状に危機感を覚え、現在政治の世界を目指しているという方である。要約すると次のようなことが綴られていた。
「今あなたの決心を知ったところです。それは非常に崇高な (noble) もので、あなたにとって重要な生命科学とフランス語の分野を発見しようとする意思の表れです。心から真摯な激励を贈りたいと思います。先日、私の『友人』 と言ってもよいガストン・バシュラール (Gaston Bachelard) について話しましたが、科学哲学を学ぶことは素晴らしい旅になるでしょう。私はあなたが単なる目撃者 (le témoin) としてだけではなく、その当事者 (l'acteur) として積極的に働きかけることを願っております。そうすることにより、常に霊感を与えるような活力(すなわち目覚め)が得られるでしょう。あなたを取り巻 き、そして呼び覚ますものによってあなたが外に開かれるようになり、人間としての勤めを追求しようと冷静に結論を出されたことに心からの喜びを感じていま す。しかもあなた自身のものの考え方、すなわち尊厳をもって生きるという考え方を失うことなく。」
最近、こういうはっきりした言葉との触れ合いに心から満足を感じるようになっている。数年前では想像もできない変化である。このような精神状態でこれからの数年をこちらで暮らしながら、人類の蓄積を掘り起こし、自らも考えていくという選択をしたことになる。いつの日か、その営みの跡を語ることができれば素晴らしいだろう、などという考えを弄んでいる。



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samedi 24 octobre 2015


今日から折に触れて8年前に始まったフランスでの道行で浮かんできた思いを読み直すことにした

今回の記事では、この旅の始まりに当たってのこころの状態が綴られている

事の始まりに関しては、その後いろいろな場所に書いている

当時の心積もりは数年の予定で、ここまでの長きに亘るとは想像もしていなかったことが分かる

今の段階では、それでよかったと思っている

落ち着いた精神状態になるには、8年の時が必要だったということになる


わたしのフランスへの興味は、全くの偶然で始めたフランス語から芽生えた

そのことがこの記事に書かれてある

若き日のアメリカでの経験と違うのは、言葉に対する態度であった

アメリカ時代には言葉の習得を第一の目的にしていたようなところがある

つまり、あらゆる機会を捕まえて言葉を学んでいたのである

しかし、学びや反復の中にいると思考が疎かになることに当時は気付いていなかった

そのことに気付いたのは、こちらに渡る数年前のことであった

その時、思考の欠如が自らの仕事にも大きな影響を及ぼしていたことに気付き、驚いたのである

この気付きから、フランスでは言葉の習得を意識的にはやらないことにした

あくまでも読み、書き、考えることを中心にして、口語表現や発音を後回しにしたのである

そのため、後者は未だに酷いものだが、それでよかったと思っている

なぜなら、思考をどのように深めて行けばよいのかということが、少しだけ見えてきたからである

それこそが、今回の滞在の目的だったからである

10年前に、フランスからコメントが届いたことも書かれてある

その主が言っていた「傍観者としてではなく当事者として」の生活はできたであろうか

マスターでは大学生活に追われていたが、ドクターでは隠遁者を決め込んでいた

その意味では、後半は実生活の中に積極的に入ることはなかった

しかし、その中においても精神的には当事者としてやっていたのではないかと思う

この12月にはテーズの審査が行われる

大学生活の締めとしては忸怩たるものはある

しかし、何事にも終りはあり、それが今回振り返ることに向かわせたのは間違いない










dimanche 11 octobre 2015

パリから見えるこの世界 (33) 目的論は本当に科学の厄介者なのか、あるいは目的は最後に現れる



雑誌 「医学のあゆみ」 に連載中の 『パリから見えるこの世界』 第33回エッセイを紹介いたします

医学のあゆみ (2014.10.11) 251(2): 199-202, 2014

ご一読いただければ幸いです  






mardi 22 septembre 2015

フリーマン・ダイソンさんの大学観からサイファイ研へ



最近、日本では国立大学の文系学部の廃止が話題になっていると聞く。激しい批判の矢面に立たされた文科省は、「廃止」という強い言葉を使ったのは真意ではなかったという言い訳をしているようだが、方向性には変わりはないのだろう。すべての出来事には原因がある。このような状況になったのは、大学文系の方にも問題があるという指摘には一理ある。科学から文系に入り最初に気付いたことは、誤解を恐れずに言えば、「こと」が日本国内のヒエラルキーの下に動いているように見え、論文も外国語で書かれることは少なく、学問が持っている普遍的な判断の下に自らを置いていないのではないかということであった。以前、哲学科の先生が自らの存在意義を問われ、答えに窮する場面を見たことがある。今のような状況では、それも当然なのではないかという思いも湧いてくる。

知性や教養に対する蔑視が言われて久しい。これも常に指摘されているが、テレビなども惨憺たる有様で、刺激に反応するだけの空間が展開していて、思考が誘発 されることは稀である。なぜそうなったのか。もう7年前になるが、参考になると思った一つの見方をウィキに見つけた。その主はイギリス生まれのアメリカ人 理論物理学者フリーマン・ダイソンさん(1923- )で、イギリスの大学について次のような見方を表明している。
「ケンブリッジ大学に溢れる憂鬱な悲観論は、イギリスの階級制度の結果であるというのがわたしの見方である。イギリスにはこれまで二つの激しく対立する中流階級があった。一つはアカデミックな(大学人、学問を重視する)中流であり、他方はコマーシャルな(商業中心の)中流である。19世紀にはアカデミックな中流が権力と地位を勝ち得ていた。わたしはアカデミックな中流階級の子供として、コマーシャルな中流階級を嫌悪と軽蔑をもって見ることを覚えた。それからマーガレット・サッチャーが権力を得たが、これはコマーシャル中流階級の復讐でもあった。大学人はその力と威信を失い、商業人がその地位を奪い取った。大学人はサッチャーを決して許すことはなかったし、それ以来大学人は悲観的になったのである」

同様のことが日本でも起こり、大学が経済に敗れたと言えそうである。最早、その根は深いところまで張っている。大学法人化が行われようとした時、大学人の反応は極めて鈍かった。何かの出来事が起こった時、そこに忠実に向き合い、その本質を明らかにしようとして論じ合うという態度にわれわれは乏しい。これからはそのシステムで育った人間が多数を占めるようになる。そうなれば、さらなる先鋭化の道を選択する可能性もある。今回の動きも多くの人はそれほどの違和感を持たずに受け止めているのかもしれない。本来は自由人であるべき大学人が事務官のような頭の使い方しかできなくなっているとすれば、多くを期待できないだろう。

ただ、人文知がなくなるわけではない。それはいつでも手に入るところにある。もし大学にその場がなくなるのであれば、われわれが自らやればよいだけの話である。サイファイ研の活動をそのような枠組みで捉えると、結構面白いものになりそうである。




mardi 15 septembre 2015

パリから見えるこの世界 (32) 国境の町リールで、「科学の形而上学化」について再考する



雑誌 「医学のあゆみ」 に連載中の 『パリから見えるこの世界』 第32回エッセイを紹介いたします

« Un regard de Paris sur ce monde »


医学のあゆみ (2014.9.13) 250(11): 1063-1068, 2014

ご一読いただければ幸いです





mercredi 9 septembre 2015

「哲学とは言葉の意味を体得することである」



2008年、癌のために亡くなったアイルランドの作家がいる

ヌアラ・オファオレイン Nuala O'Faolain
(1er mars 1940 à Dublin - 9 mai 2008 à Dublin)

彼女は脳腫瘍とその転移の治療を拒否して、68歳で逝った

癌と最後まで戦ったスーザン・ソンタグSusan Sontag, 1933-2004) とは対照的である

 亡くなる前のインタビュー記事はこちらで、肉声はこちらから聞くことができる

注意を惹いたところを以下に少しだけ紹介したい


彼女はその6週間前まで幸せな生活を送っていたという

その時、右足に異常を感じニューヨークの病院で診断を受けた

その結果は、脳に2つの腫瘍があり、他にも広がっている転移性の癌であった

不治であると告げられた時、ショックと恐怖と治療のことが頭に浮かんだ

治療をどうするのか

治療で感じるだろう自らの無力さ、恐怖、その結果得られる生の質などを考え、治療を断念する


マンハッタンで手に入れたばかりの素晴らしいアパートも全く意味のないものになった

どんな芸術作品に触れても、それまで感じたマジックは消 え失せていた

死後の世界も神も信じることもできない

すべてが全く意味のないものに変わっていた

辛いのは、この世界から拒絶されたような孤独感である

その彼女にとって人生で大切なもの、それは健康とreflectivenessだと答えている



これから先に大きな希望をもって生活していた時だったため、尚更絶望を強く感じたのだろう

彼女の言葉に 「人生で大切なものは、健康とreflectiveness」 というのがある

本質を突いた深い分析に見える

7年前のわたしは、reflectivenessを思慮深さとか熟考しようとすることと訳している

しかし、思慮深さとはどういうことを言うのか、熟考するとは何を言うのか

そのことを理解していたとは言い難い

その後の7年余りの生活で reflection という営みの意味を体得したと感じているからだ

その経験からreflectivenessを日本語に変換するとすれば、次のようになるだろう

第一に自らを振り返ること、そこから進んで自らを取り巻く世界について振り返ること

そのような状態であり、その状態を齎すことができる能力をも含めたい


それでは、振り返るという作業を何を言うのか

それは、一つのテーマについて自らの記憶、人類の記憶を動員して大きな繋がりを見つけ出すこと

そして、紡ぎ出すこと、テーマの周りに関連するものを大きな塊として作り出すことである

振り返るという作業、考えるという作業は、思い出すということを意識した営みなのである

こちらでの8年の生活の中で体得したことの一つが、このことであった

こちらに来る前には想像もしていなかった収穫である
 
このことから「哲学とは言葉の意味を体得することである」 というフォルミュールを提出しておきたい


 この視点から今の世の中を見ると、reflectivenessが著しく減弱しているように映る

本当に世の中が変わったのか、あるいは見る者の視点が変わっただけなのか

それは分からない

ただ、少なくとも今のわたしからは、この世が深みのない、何とも貧しい世界に見えるようになった

そのことだけは言えそうである


ところで、ヌアラさんについてのドキュメンタリー映画"Nuala"が2011年に発表されている

トレーラーを以下に





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jeudi 10 septembre 2015


上の記事に、今の世は深みのない貧しい世界であると書いた

それは一見豊かさを増しているかに見える物理的な世界のことを想定してのことだったのだろうか

そこに生息している人の動きも含めてそう感じたのだろうか


それではすべてを含めた世界には豊かさはないのだろうか

あるいは、豊かさに至る道はどこにあるのだろうか

そう問い直してみると、ヌアラさんが指摘したreflectivenessに行き着く

reflectivenessが齎してくれるものの中にこそ、深みや真の豊かさがあるのではないだろうか

 残念ながら、reflectivenessに至るためには、時間と訓練が必要になる

時間をかけてトレーニングをしてきたと想像される人の話には心を動かされることが多い






dimanche 16 août 2015

パリから見えるこの世界 (31) 倫理と道徳、そして医学教育における人文・社会科学を考える


 
雑誌 「医学のあゆみ」 に連載中の 『パリから見えるこの世界』 第31回エッセイを紹介いたします

« Un regard de Paris sur ce monde »


医学のあゆみ(2014.8.16) 250(6,7): 529-533, 2014


ご一読いただければ幸いです





lundi 3 août 2015

映画 "Examined Life - Philosophy in the Streets" を観る


哲学に関するドキュメンタリー映画 Examined Life (2008)を見つける

出てくる哲学者は以下の通り

コーネル・ウェストCornel West, 1953-)

アヴィタル・ロネル(Avital Ronell,1952-)

ピーター・シンガーPeter Singer, 1946-)

クワメ・アンソニー・アピア(Kwame Anthony Appiah, 1954-)

マーサ・ヌスバウムMartha Nussbaum, 1947-)

マイケル・ハートMichael Hardt, 1960-)

スラヴォイ・ジジェク(Slavoj Žižek, 1949-)

ジュディス・バトラーJudith Butler, 1956-)


それそれの哲学観が語られていて、参考になる

いずれも現代の問題と深く関わっている姿が見えてくる

庵暮らしの今のわたしには少々騒々しく映る

しかし、哲学の生々しい営みを知る上では実に興味深い









jeudi 23 juillet 2015

リチャード・ローティさんによる哲学、および哲学の創造性

 


現代アメリカの哲学者リチャード・ローティ(1931-2007)さんが考える哲学における創造性とは?

 それは、古くからある問いに解を与えることではない

そうではなく、これまでの問いの枠組みを取り払い、全く新しい組み合わせを作り出すこと

全く新しい問いを出すこと、新しい方向性を示すこととも言えるのだろうか

哲学の仕事は「こと」を解説することではなく、概念を出すことであり、提案することだと言う人もいる


さらに、ローティさんは20世紀を代表する哲学者として次の3人を挙げ、人々を驚かせた

Philosophy and the Mirror of Nature (Princeton University Press, 1980) の中でのことであった

野家啓一監訳 『哲学と自然の鏡』(産業図書, 1993年)


人々が驚ろいたのは、相対主義者とも批判されたデューイがその中に入っていたからである

その人物をアメリカ分析哲学を代表すると思われていた哲学者が挙げたからである

分析哲学の手法で明らかにできる世界には限界があると考えていたのか

哲学には道徳的な視点が欠かせないということなのか


哲学とデモクラシーについて、ローティさんはこうも言っている

それは民主主義の哲学的基盤を問うことではなく、哲学からどのように民主主義に貢献するのかを問うこと

これを人間に置き換えれば、哲学の役割をこう捉えているのだろうか

人間の本質を問うところから、どのような人間に成るのかに重点を置くべきではないか

 彼は、哲学が科学的であろうとする流れにも異論を持っていたようである

 その意味ではマルセル・コンシュさんとも繋がり、わたしの考えにも近いものがある



いずれもが哲学から始め、その中で仕事に集中した人たちではなかった

パースは科学者であり、論理学、数学、論理学、記号論などにも興味を示し、そこから哲学を生み出した

ジェームズも絵画に始まり、医学(解剖、生理学)、心理学などから哲学に至った

その背景が豊かな哲学を生み出したのではないかと指摘する人もいる



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25 juillet 2015

この記事の基になったビデオについて以前に触れたように思ったが、書いた時には見つからなかった

 本日、その記事を見つけたので、以下に貼り付けておきたい

 "American Philosopher" を観る (2013年6月21日)






dimanche 19 juillet 2015

25年前のアフリカのエイズ視察が蘇る



このところ、別ブログで7年前の記事を同時進行で読み直す作業をやっている

その7年前の昨日の記事にマグナムが撮った世界のAIDSが取り上げられていた


それを読んでいる時、平成元年12月のアフリカの旅が思い出された

彼の地のエイズ、特に母子感染についての状況を視察するために派遣されたのである

総勢5名であったが、そのうちのお一方はすでに鬼籍に入られている

当時の状況を蘇らせるため、わたしが担当した面談記録の報告書を読み直すことにした



アフリカ国内の飛行機の機内は破損しているものが殆ど

帰国のため英国航空機に乗り込んだ時には異次元の世界に舞い戻るような感覚であった

アフリカ旅行について語ると長くなりそうなので、またの機会にしたい






lundi 13 juillet 2015

パリから見えるこの世界 (30) アトピーと哲学、そしてモンテーニュが試みたこと



雑誌 「医学のあゆみ」 に連載中の 『パリから見えるこの世界』 第30回エッセイを紹介いたします

« Un regard de Paris sur ce monde »

医学のあゆみ (2014.7.12) 250(2): 165-169, 2014


ご一読、ご批判いただければ幸いです