Niels Jerne writing in a church somewhere in Europe
To氏から届いた今年の年賀状に、私の姿がこの方と重なったという言葉が添えられていた。免疫学をやっている人ならば知らない人はいない方である。何とも過分な言葉だったのでこれまでどこかに引っ掛かっていたが、振り返る余裕がなかった。To氏は大学院時代の後輩で、私がアメリカに行く前の1年間一緒に仕事をしていたことがある。その後ニューヨークでも1年ほど時期が重なり、彼がイギリスに移ってからも学会参加の折に訪ねたこともある。彼はイギリスに10年ほどいたのではないだろうか。ヨーロッパの空気を長い間吸っていた彼がどうしてそのような印象を持ったのかはわからない。とにかく、この機会に
ニールス・イェルネという人間について読んでみることにした。
Science as Autobiography: The Troubled Life of Niels Jerne (Yale University Press, 2003)
とにかく、興味深いエピソードに溢れている。とてもすべては紹介できないが、まず各章のタイトルを眺めて驚いた。そこには私の発言ではないかと思われるものがいくつか並んでいたからだ。例えば、こんな具合である。
1. "I have never in my life felt I belonged in the place where I lived"
3. "I wanted to study something that couldn't be used"
4. "I have the feeling that everything around me is enveloped in a mist"
21. "Immunology is for me becoming a mostly philosophical subject"
最後のタイトルは私の願望であったかもしれないが、彼はそれを実現させてしまったということだろう。この本を読んでまず感じるのは、当然のことながらいかにもヨーロッパ的な科学者がそこに描かれているということである。今こうしてパリにいることが、そのことを体で理解させてくれる。デンマークの人であるが、オランダに移り住んだこともあり、デンマーク語、オランダ語、ドイツ語、英語を操るこちらでは稀ではないポリグロットであった。そういうこともあり、第一章の発言になったのかもしれない。
若き日の考え方は"art-for-art's sake"というロマンティックなもので、機械文明を軽蔑していた。重要なことは他にあり、それは考えることであり、感情であり、愛情であった。それも"love for someone"ではなく、"love for love itself"。当然のことながら哲学にも興味を示し、ニーチェ、キェルケゴール、ベルグソンを読み、文学ではジードとプルーストを愛したようだ。
将来の専門を決める時に、彼は役に立たないことをやりたいと考えた。数学が浮かび、文学、歴史にも興味を示したが、結局すべてのことに興味があるのだから哲学をやるべきだと結論する。しかし、物理学のアドバイザーと父親の意向を受け入れ、ライデンで物理学を学ぶことにする。ところが酒に溺れたり、文学や哲学に凝る生活で学業の方は思わしくなく、この間の成果は個人授業で習ったラテン語とギリシャ語だけだとまで言っている。社会な成功を目指す姿勢を示す同僚には軽蔑を覚え、他の人と同じではいやだと考えていたことが紹介されている。それでは一体何をやるべきかという問題に再び直面する。法律、工学、教師の道には興味はなく、残ったのが医学であった。そこでは広い視野が要求され、科学としてだけではなく、哲学、心理学、社会的要素も学ばなければならないところが気に入ったようである。
この著者はイェルネのメモや日記なども見ることを許されていたようで、人間イェルネが至るところに顔を出す。彼の私生活も相当生々しく語られている。基本的には自分が満足する人生を選び取った人で、家庭は顧みなかったと言うのが正確だろう。夫として、あるいは父親としての人生には耐えられなかったかのようだ。画家であった最初の妻はおそらく彼の女性関係が原因で自殺している。二番目の妻はその時の女性らしいが、結局満足できなくなっている。
デンマーク国立血清研究所 (コペンハーゲン、1950-1951年)
左がガンサー・ステント、右端がジム・ワトソン、後ろで立っているのがイェルネ
この本を読むと、後に名を成す科学者の接触がいくつも見られる。例えば、この写真にあるように若き日のジム・ワトソンや
ガンサー・ステントが彼の研究室に滞在している。その後ワトソンはクリックと運命の出会いをするイギリスのキャベンデッシュ研究所へ向かい、ステントはパスツール研究所を訪ねることになる。また後年、アメリカが気に入っていたドイツ人の
マックス・デルブリュックの誘いでカリフォルニア工科大学を訪ねることになるが、その時の様子はまさにヨーロッパの科学者が砂漠の中で迷っているように見える。そして再びヨーロッパに戻り、かけがえのないもの、とてつもなく重要なものに帰ってきたことを悟る。それは数千年に及ぶヨーロッパの歴史であり、ヨーロッパ精神であり、素晴らしい活力であり、想像力であった。またカリフォルニアでは助手がいないので実験ができないとこぼしている。彼は実際のウサギも見たことがないのではないかという話も紹介されている。机に向かい考えるだけの理論家としての面目躍如というところか。
彼の考え出した自然選択説は、われわれの体を守る抗体がどのようにして出来上がるのかという問題についての新しい仮説である。それまで支配的であった考え方は、外から入ってきた抗原が抗体を作る指令を出すというもので鋳型説とか指令説と言われていた。しかし、彼は抗原には何ら積極的役割はないと考えた。そうでなければしっくり来ないと思えたようだ。ある種の直感、美的センスというものだろう。しかし、この説は20世紀初頭に唱えられ忘れられていたポール・エーリッヒの
側鎖説の単なる焼き直しで、その仕事を引用しないのは不当ではないのかという批判が出された(
以前に少し触れている)。彼がそれを知っていて触れなかったのか、あるいは知らなかったのか、わからない。ただ、このことについて悩んでいた記録が残っているようだが、結局彼はエーリッヒに言及することはなかった。その説も最初はワトソンから"stinks!"と言われたり、"baloney!"などとの評価しか受けなかったようだが、次第に認められるようになる過程も興味深いものがあった。
この他にも興味深い話が満載されている。これからも閑を見て摘み読みしてみたい。役に立つ研究が声高に語られるようになり、科学者が技術者になっていく状況の中、私の中での一つの理想にも見える研究生活を最後まで貫いた人生だったように感じる。
自らの姿は自分では見ることができない。それを知るためには、どうしても他の人の目が必要になる。イェルネと比較することなどおこがましいが、To氏の言葉によってイェルネの世界の見方の中に自らと共通する要素を見ることができたことは事実である。それは薄々感じてはいたもののはっきりとは意識されていなかったもので、この本の中の声に刺激され浮かび上がってきたようである。ただ、To氏が私の中にどのイェルネを見ていたのかは今もってわからない。
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(10 juin 2008)
この本の著者
Thomas Söderqvist博士から、すでに日本語訳「
免疫学の巨人イエルネ」が出ていることを知らせるメールが届いた。
その中に彼のブログが紹介されてあり、日本語訳のタイトルを見る限り彼の意図が失われている、さらに言うと意図に反する訳になっていると書かれてある。この本で彼がやろうとしたことは、「巨人」というような言葉を使う偉人崇拝ではなく、原題にもあるように、イェルネの理論的な仕事は自らを理解しようとする試みだったことを示そうとするケース・スタディであり、科学者の内面を構成する科学知に向かう感情的・実存的な側面が社会・文化的なものと同様に重要であるというメッセージであった。
先日、メチニコフのシンポジウムでお会いしたボストンのフレッド・タウバー氏の書評ではそのメッセージが伝わっていたが、日本語訳では完全に失われている(lost in translation)。イェルネを巨人と考えている免疫学者もいるかもしれないが、少なくとも彼はそうは描かなかったし、彼の意図ではなかったとある。
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(21 juin 2008)
この記事に出てくるガンサー・ステント博士が6月12日に亡くなっていたことを知る。
ニューヨークタイムズの追悼記事は
こちらです。
この記事の英語版
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(10 octobre 2009)
本日、偶然にも Thomas Söderqvist 博士のサイトを訪問、この本が彼の手元に届いたことを知る。以前に、この本のタイトルの真意が翻訳の過程で失われていることを書いていたが、改めてそのこ とに触れ、その上で日本語版の完成を喜んでいる様子が伝わってきた。詳細は、ブログ "Representing Individuality in Biomedicine" で。
'Science as Autobiography' lost in translation -- 免疫学の巨人イェルネ