ハイデッガーはいつもわたしにとって主要な哲学者でした。ヘーゲルから読み始め、マルクスに行き、1951年か1952年からハイデッガーを読み始めました。それからもう覚えていませんが、1953年か1952年にニーチェを読みました。ハイデッガーを読んだ時にとった山ほどのノートはまだここにあります。それはヘーゲルやマルクスについてのノートより重要なものです。わたしの哲学的な歩みのすべてはハイデッガーを読んだことによって決定されました。しかし、そこに導いたのはニーチェであることは認識しています。ハイデッガーを十分に知りませんし、「存在と時間」も最近のものについてもほとんど理解していません。ハイデッガーよりはニーチェの方をよく知っています。にもかかわらず、この二人の哲学者との出会いは根源的なものでした。もしハイデッガーを読んでいなかったとすれば、ニーチェを読むようにならなかったかもしれません。50年代にニーチェを読もうとしたのですが、ニーチェ単独では全く興味を引きませんでした。ニーチェとハイデッガーに関する限り、それは哲学的な衝撃でした。しかし、わたしはハイデッガーについて書いたことは一度もありませんし、ニーチェについてもほんの短い一編の論文しか書いていません。しかし、この二人はわたしが最も読んだ著者なのです。共に考え、共に仕事をするけれども彼らについては書かない一握りの著者を持つことは重要だと思っています。いつの日か彼らについて書くことがあるかもしれません。しかし、その時は彼らは最早わたしの思索の道具ではなくなっています。最後になりますが、わたしにとって哲学者は3つに分類されます。わたしが知らない哲学者、知っていて、そのことについて語る哲学者、そして知っているけれでもそれを語らない哲学者です。
Michel Foucault, Le retour de la morale, 1984
(entretien avec G. Barbedette et A. Scala)
mardi 27 mars 2012
ミシェル・フーコーにとってのニーチェとハイデッガー、そして3種類の哲学者
dimanche 25 mars 2012
"The Day After Trinity" を観る
ロバート・オッペンハイマーに関する映画 The Day After Trinity (1980) を観る。西欧の考え方、日米のものの観方の隔たり、科学技術に対する科学者の態度、政治と科学、状況の中の科学者など、考えさせることの多い1時間半だ。
以前に観たものと合わせると、この科学者の立体的な姿も浮かび上がってくる。残念ながら以前のものはすでに期限切れになっている。
ロバート・オッペンハイマーの人生を観る Robert Oppenheimer (2011-9-24)
もしナチが勝利すれば西洋文明は滅び、千年の暗黒時代を迎えるという危機感。さらに「アメリカの力を全く理解しない狂気の国」によるパール・ハーバーが加わり、アメリカを一つに結びつける。ノーベル賞学者と若者が共に一つの目標に向かったマンハッタン・プロジェクト。彼らはこの計画を楽しみながら進めていた。それを可能にしたのがオッペンハイマーで、彼以外にはできなかっただろうと言われる。
結局、ナチは原爆開発には至らず、1945年5月8日ヨーロッパで勝利を収める(VE Day)。ロバートの弟で物理学者のフランクが指摘するように、ここで計画を止めるのが最善だったのかもしれない。確かに、当初の目的はなくなったのである。それでも計画が進行したのはなぜなのか。
ロバート・ウィルソンさんは言う。論理的には止めるのが当然なのだが、そのことを言う人は一人もいなかった。フリーマン・ダイソンさんは指摘する。膨大なものをつぎ込んだプロジェクトは一度始まると途中で止めることができない。オッペンハイマー自身も国連ができる前に原子爆弾という技術が可能であることを示そうとした。そして1945年7月16日、Trinity で最初の爆弾が爆発する。ロバート・ウィルソンさんは、その日から以前のわたしではなくなったと証言している。
この成功で爆弾の実戦での使用が問題になる。フリーマン・ダイソンさんは繰り返す。行政が準備した流れができ上がり、そこに向かうのは必然であった。その時に "NO!" という勇気を持った人は一人もおらず、オッペンハイマーは実質的了解を与えていたのである。
そして広島で爆発する。彼らの最初の反応はやり遂げたという昂揚感、そして鬱が続くことになる。人間を物として扱ったという罪悪感のためだろうか、精神を病む人が出てくる。ロバート・ウィルソンさんもその一人だ。日本の降伏がなければ、3発目を使う可能性も検討されていたという。
オッペンハイマーは戦後、原爆を国際協力で封じ込めようとする。他の武器と同じように使ってはいけないと考えたからだ。しかし、共産主義の脅威が迫り、安全保障の面から政府はそうは考えない。1952年11月1日、最初の水爆が爆発。マッカーシーによる赤狩りも始まる。
オッペンハイマーは共産主義に共鳴した過去から取り調べられる。この過程は以前の映画に詳しく描かれていた。その結果、危険人物と見做され、13年に亘る監視下に置かれる。そして、彼が再び国の政策に関与することはなかった。国のために全力を尽くして仕事をやり遂げたオッペンハイマーがその国に捨てられたのである。この仕打ちは彼を完全に破壊し、実質的な死の宣告を意味した。計画は Trinity の後に (the day after Trinity) 止めるべきだったと語る晩年のオッペンハイマー。
無限の可能性を秘めた技術を目の前にした時、科学者はそれを使ってみたい誘惑にかられる。フリーマン・ダイソンさんの言う "technical arrogance" (技術に対する傲慢さ) に目を眩まされるのである。現代の問題は多かれ少なかれそこから生まれているのかもしれない。後戻りできない歩みもそこから始まったと言えるだろう。
Libellés :
history of science,
physics,
society
dimanche 18 mars 2012
ジュリアン・バーバーという科学者、あるいは時間とは
わたしの理想とする研究生活を送って来られた科学者がいることを知る
その名はジュリアン・バーバーさん(Julian Barbour, 1937-)
今年75歳になる理論物理学者だ(ホームページはこちらから)
1999年のインタビュー "The End of Time" を読んでみる
バーバーさん独特の世界観と人生観が見えてくる
インタビューの時点で35年の研究成果は、この世界には今考えられているような過去も未来もなく、あるのは現在だけというもの
リー・スモーリンさん(Lee Smolin, 1955-)は、彼こそ真の科学者にして哲学者だと言っている
研究スタイルもユニークである
大学をイギリス、大学院をケルンで終えた後、インディペンデントな立場で研究を続けて来られた
アカデミアに入り、コンスタントに論文を書くというタイプではなかったことが理由とのこと
自分の中から出てくるアイディアについて、どこからのプレッシャーも感じることなく研究をしたかったのだという
同じくイギリス人のダーウィンが30代にしてケント州ダウンに引き籠り、研究に打ち込んだ姿を思い出す
ダーウィンには財産があったが、バーバーさんの場合はロシア語の翻訳で生計を立ててきた
一人で研究できる領域にいたならば、わたしもそういう道を模索したかもしれない
彼の興味は、宇宙とは何であり、それはどのように動いているのかという根源的な問である
古典的物理学と量子力学との関連を探る中から辿り着いたという
その中で、特に時間について考えることにしたようだ
彼の話を聴いてみたい
その名はジュリアン・バーバーさん(Julian Barbour, 1937-)
今年75歳になる理論物理学者だ(ホームページはこちらから)
1999年のインタビュー "The End of Time" を読んでみる
バーバーさん独特の世界観と人生観が見えてくる
インタビューの時点で35年の研究成果は、この世界には今考えられているような過去も未来もなく、あるのは現在だけというもの
リー・スモーリンさん(Lee Smolin, 1955-)は、彼こそ真の科学者にして哲学者だと言っている
研究スタイルもユニークである
大学をイギリス、大学院をケルンで終えた後、インディペンデントな立場で研究を続けて来られた
アカデミアに入り、コンスタントに論文を書くというタイプではなかったことが理由とのこと
自分の中から出てくるアイディアについて、どこからのプレッシャーも感じることなく研究をしたかったのだという
同じくイギリス人のダーウィンが30代にしてケント州ダウンに引き籠り、研究に打ち込んだ姿を思い出す
ダーウィンには財産があったが、バーバーさんの場合はロシア語の翻訳で生計を立ててきた
一人で研究できる領域にいたならば、わたしもそういう道を模索したかもしれない
彼の興味は、宇宙とは何であり、それはどのように動いているのかという根源的な問である
古典的物理学と量子力学との関連を探る中から辿り着いたという
その中で、特に時間について考えることにしたようだ
彼の話を聴いてみたい
このビデオで言われていることのすべてを理解できたとは思わない
ただ、ぼんやりと見えてくるその主張にはそれほどの違和感は抱かなかった
そして何よりも、ジュリアン・バーバーという存在の明晰さ、快活さ、軽快さに目を開かされた
時間には、直線的に周囲とは関係なく過去から未来に向かって規則正しく流れるニュートンの絶対的時間とアインシュタインの相対性理論が唱える時間と空間が一体となり、空間の影響を受ける相対的時間があり、量子力学の世界ではニュートン的な時間が流れているという。ミクロの世界で有効な量子力学の理論とマ クロの世界で有効なアインシュタインの相対性理論を統合する理論を求める営みがされているが、そこで問題になるのが時間で、時間の消失が統合の一つの解決になる。バーバーさんも時間は存在しないという立場を採っている。
今という時間を捉えることができるのかという疑問を出している。マクロの世界では、ある一瞬に大きな変化は見えないので今を捉えているように感じるが、ミクロの世界に入ると原子や分子、細胞に至るまで何一つ留まっているものはない。つまり、今という一瞬を捉えることが極めて難しい。一瞬たりとも同じわたしであることはないのである。今という一瞬は一瞬であると同時に、そこでは何も変わらないという意味で永遠でもある。
一瞬一瞬はそれ自体で完結した世界であるという見方は、どこかに向けて進むモメンタムのないエネルゲイアに繋がるようにも見える(エネルゲイアをわれわれの生に取り込む 、2010-1-2)。一瞬のすべてが同時に存在 しているという点で、量子力学の統計的にしか決めることができない世界、さらに言うと、すべての可能性が同時に起こっている世界とも共通点があるようにも見える。
これを日常の感覚で理解することは大変である。しかし、この地球が自転し、さらに太陽の周りを回っていることを日常感覚で捉えることができますか、と問われれば、ミクロの世界で起こっているとされるものを真っ向から否定することもできない。一瞬一瞬が閉じ込められた多くのスナップショットを示しながら、これらすべてがわたしの宇宙だと説明しているのを聞くと、全く考えられない世界とも思えなかった。
このインタビューからかなり時間が経っている。その後の進展を知りたいものである。
-------------------------------
lundi 19 mars 2012
一夜明け、なぜバーバーさんの時間の考えにあまり違和感を感じなかったのかがわかる記事を書いていたことを思い出す
ひとつは、過去にあったすべての自分を現在に引き上げ、そのすべてとともに生きるというものだ
そこではいわゆる古典的な時間の流れは考えているようだが、それを超えて生きようとする姿がある
丁度、これまでのスナップショットを現在のスナップショットとと一緒にその辺りに並べている印象がある
過去の自分を現在に引き戻す VIVRE AVEC LE MOI DU PASSE (2007-01-30)
これは過去と現在の関係だが、現在と未来との関係についてもこんなことを書いていた
ある日、写真を撮るのは今というよりは未来の自分に向けてのメッセージとしての意味合いがあると気付くことになった
つまり、未来が現在になった時、上のお話と同じように今撮ったスナップショットが並べられることになる
時空を超えたやり取り ECHANGE AVEC MOI DU PASSE OU FUTUR MOI (2006-10-14)
バーバーさんのビデオが写真を撮っているところから始まった時に不思議な感じがしていた
それは、彼の話がそれほど違和感のないものになるのではないかという予感のようなものだろうか
こうしてわたしの過去を現在に引き戻してみると、益々彼の時間の考えに近いことがわかってくる
これまでにも書いてきたが、このように過去が今に蘇る時、微風が頭の中を吹き抜けるのである
lundi 19 mars 2012
一夜明け、なぜバーバーさんの時間の考えにあまり違和感を感じなかったのかがわかる記事を書いていたことを思い出す
ひとつは、過去にあったすべての自分を現在に引き上げ、そのすべてとともに生きるというものだ
そこではいわゆる古典的な時間の流れは考えているようだが、それを超えて生きようとする姿がある
丁度、これまでのスナップショットを現在のスナップショットとと一緒にその辺りに並べている印象がある
過去の自分を現在に引き戻す VIVRE AVEC LE MOI DU PASSE (2007-01-30)
これは過去と現在の関係だが、現在と未来との関係についてもこんなことを書いていた
ある日、写真を撮るのは今というよりは未来の自分に向けてのメッセージとしての意味合いがあると気付くことになった
つまり、未来が現在になった時、上のお話と同じように今撮ったスナップショットが並べられることになる
時空を超えたやり取り ECHANGE AVEC MOI DU PASSE OU FUTUR MOI (2006-10-14)
バーバーさんのビデオが写真を撮っているところから始まった時に不思議な感じがしていた
それは、彼の話がそれほど違和感のないものになるのではないかという予感のようなものだろうか
こうしてわたしの過去を現在に引き戻してみると、益々彼の時間の考えに近いことがわかってくる
これまでにも書いてきたが、このように過去が今に蘇る時、微風が頭の中を吹き抜けるのである
vendredi 16 mars 2012
免疫という言葉の意味から考える
今週のセミナーから印象を書いてみたい
演者は米国はニュージャージ州立ラトガース大学のエド・コーエンさん
演題は、If immunity doesn't exist is it still real? or, a vital paradox
お話によると、ご自身が数度の手術、自己免疫病(クローン病)などを経験されている
非科学者が自らの経験から免疫に興味を持ち、今ではそれを専門にしている
科学者としてではなく、あくまでも哲学者の視点から免疫という現象について考えている
最初は免疫という言葉の使われ方から入り、その不思議さに気付いたようだ
免疫(immunity)とは、そもそも生物学的な概念ではない
古代ローマに始まる法的、政治的な概念である
防御・防衛(defense)という言葉も元々は政治的概念である
今から350年ほど前、トマス・ホッブスさん(1588–1679)が自衛を第一の自然権として定義したのが最初になる
「防御としての免疫」(immunity-as-defense)という考え方がある
免疫と言えば、このように一般には受け入れられている
これは19世紀終わりにイリヤ・メチニコフさん(1845-1916)によって導入された
ここで初めて免疫と防御という概念が繋ぎ合わされた上、生物に応用されたことになる
immunity はラテン語の immunitas に由来し、納税などの公的負担や義務の免除を意味した
例えば、古代ローマの運動選手などは市民の義務を免除され、競技に専念できた
immunitas を得ると自動的に外の影響から守られることになる
つまり、defense の必要がなくなるのだ
コーエンさんはご自身の3つの疑問を提示した
ひとつは、なぜ生物現象に免疫という政治的な概念が使われたのか
ふたつ目は、なぜ免疫と防御という相矛盾する言葉が繋ぎ合わされたのか
三つ目は、防御という概念とは何か
これから先の議論は、政治哲学などの背景を知っていなければ付いて行くのが大変である
ご本人は、この研究が科学者のリサーチ・プログラムにも寄与できないかと考えているようであった
しかし、科学者の興味を惹くのはなかなか大変ではないかというのが第一印象である
ここでは出てきた名前を控えるだけにしておきたい
コーエンさんは2009年に A Body Worth Defending (Duke UP)を出版している
今回のお話を理解するには、この本に当たる必要がありそうだ
演者は米国はニュージャージ州立ラトガース大学のエド・コーエンさん
演題は、If immunity doesn't exist is it still real? or, a vital paradox
お話によると、ご自身が数度の手術、自己免疫病(クローン病)などを経験されている
非科学者が自らの経験から免疫に興味を持ち、今ではそれを専門にしている
科学者としてではなく、あくまでも哲学者の視点から免疫という現象について考えている
最初は免疫という言葉の使われ方から入り、その不思議さに気付いたようだ
免疫(immunity)とは、そもそも生物学的な概念ではない
古代ローマに始まる法的、政治的な概念である
防御・防衛(defense)という言葉も元々は政治的概念である
今から350年ほど前、トマス・ホッブスさん(1588–1679)が自衛を第一の自然権として定義したのが最初になる
「防御としての免疫」(immunity-as-defense)という考え方がある
免疫と言えば、このように一般には受け入れられている
これは19世紀終わりにイリヤ・メチニコフさん(1845-1916)によって導入された
ここで初めて免疫と防御という概念が繋ぎ合わされた上、生物に応用されたことになる
immunity はラテン語の immunitas に由来し、納税などの公的負担や義務の免除を意味した
例えば、古代ローマの運動選手などは市民の義務を免除され、競技に専念できた
immunitas を得ると自動的に外の影響から守られることになる
つまり、defense の必要がなくなるのだ
コーエンさんはご自身の3つの疑問を提示した
ひとつは、なぜ生物現象に免疫という政治的な概念が使われたのか
ふたつ目は、なぜ免疫と防御という相矛盾する言葉が繋ぎ合わされたのか
三つ目は、防御という概念とは何か
これから先の議論は、政治哲学などの背景を知っていなければ付いて行くのが大変である
ご本人は、この研究が科学者のリサーチ・プログラムにも寄与できないかと考えているようであった
しかし、科学者の興味を惹くのはなかなか大変ではないかというのが第一印象である
ここでは出てきた名前を控えるだけにしておきたい
プラトン、ヘーゲル、ジルベール・シモンドン(Gilbert Simondon, 1924-1989)、
トマス・ホッブス、ベルナール・スティグレール(Bernard Stiegler, 1952-)、
アンリ・ベルグソン(1859-1941)、ミシェル・フーコー(1926-1984)、
ロベルト・エスポジト(Roberto Esposito, 1950-)、など
コーエンさんは2009年に A Body Worth Defending (Duke UP)を出版している
今回のお話を理解するには、この本に当たる必要がありそうだ
Inscription à :
Articles (Atom)