vendredi 16 mars 2012

免疫という言葉の意味から考える

今週のセミナーから印象を書いてみたい
演者は米国はニュージャージ州立ラトガース大学のエド・コーエンさん
演題は、If immunity doesn't exist is it still real? or, a vital paradox

お話によると、ご自身が数度の手術、自己免疫病(クローン病)などを経験されている
非科学者が自らの経験から免疫に興味を持ち、今ではそれを専門にしている
科学者としてではなく、あくまでも哲学者の視点から免疫という現象について考えている
最初は免疫という言葉の使われ方から入り、その不思議さに気付いたようだ

免疫(immunity)とは、そもそも生物学的な概念ではない
古代ローマに始まる法的、政治的な概念である
防御・防衛(defense)という言葉も元々は政治的概念である
今から350年ほど前、トマス・ホッブスさん(1588–1679)が自衛を第一の自然権として定義したのが最初になる

「防御としての免疫」(immunity-as-defense)という考え方がある
免疫と言えば、このように一般には受け入れられている
これは19世紀終わりにイリヤ・メチニコフさん(1845-1916)によって導入された
ここで初めて免疫と防御という概念が繋ぎ合わされた上、生物に応用されたことになる

immunity はラテン語の immunitas に由来し、納税などの公的負担や義務の免除を意味した
例えば、古代ローマの運動選手などは市民の義務を免除され、競技に専念できた
immunitas を得ると自動的に外の影響から守られることになる
つまり、defense の必要がなくなるのだ

コーエンさんはご自身の3つの疑問を提示した
ひとつは、なぜ生物現象に免疫という政治的な概念が使われたのか
ふたつ目は、なぜ免疫と防御という相矛盾する言葉が繋ぎ合わされたのか
三つ目は、防御という概念とは何か

これから先の議論は、政治哲学などの背景を知っていなければ付いて行くのが大変である
ご本人は、この研究が科学者のリサーチ・プログラムにも寄与できないかと考えているようであった
しかし、科学者の興味を惹くのはなかなか大変ではないかというのが第一印象である
ここでは出てきた名前を控えるだけにしておきたい
プラトン、ヘーゲル、ジルベール・シモンドン(Gilbert Simondon, 1924-1989)、

トマス・ホッブス、ベルナール・スティグレール(Bernard Stiegler, 1952-)、

アンリ・ベルグソン(1859-1941)、ミシェル・フーコー(1926-1984)、

ロベルト・エスポジト(Roberto Esposito, 1950-)、など


コーエンさんは2009年に A Body Worth Defending (Duke UP)を出版している

今回のお話を理解するには、この本に当たる必要がありそうだ



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