mardi 16 octobre 2012

理性的に 「こと」 を振り返る時、完全な自由が訪れる


何か「こと」があった後、カフェに落ち着く

そして、その「こと」を振り返る時、至福の時が訪れる

それはなぜなのか、不思議に思っていた

ヘーゲルさんはこんなことを言っている
「精神の自分自身への帰還が、精神の最高の、絶対的目標だ。・・・このことによってのみ精神は自分の自由を獲得する。・・・思惟のうち以外の如何なるものにおいても、精神はこの自由に達しない。例えば直観の中、感情の中では、わたしは規定された自分を見出すのみであって、私は自由ではない。私が自由であるのは、私がこのわたしの感覚に関して、やはり意識を持つ場合である。・・・ただ思惟においてのみ、あらゆる外的なものが透明となって消え失せるのである。精神は、ここで絶対的自由である。理念の関心、即ち哲学の関心は、この表現によって言いつくされている」 

わたしなりに言い換えると、こうなるだろうか

外から情報が入ってくる

それに直ちに反応するのが感情である

それに対する感覚的に生まれる考えのようなものは直観と言えるだろう

そこに留まる限り、人は自由ではありえない

それはその状況に制限されているからである

外からの刺激に対して感じたものを理性的に振り返ることにより意識が生まれる

この作業は思惟と言えるもので、この思惟がなければ意識は生まれない

生の現実から得られた情報をリフレクションすることを思惟と言っている

この過程によって初めて現実の制限から逃れることができ、自由に達することができる

それこそが哲学の本質である


 カフェでの時間は、まさにこのリフレクションの時間に当たることになる

気付いてはいなかったが、これが自由の感覚を呼び込んでいたのかもしれない

それこそが至福の感情を生んでいたのかもしれない


そんな想いが湧いてきた相変わらずの曇りが続く朝のバルコン




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