jeudi 7 février 2013

ハインツ・ヴィスマンさんによる文明と文化



ハインツ・ヴィスマン(Heinz Wismann, 1935-)というドイツ出身の文献学者で哲学者がいる

ファースト・ネームはフランス語では、「アインツ」

昨年気になるタイトルの本を出しているが、まだ手にしていない

Penser entre les langues (Albin Michel, 2012)


今回は、この方も編者になっている La Science en jeu (Actes Sud, 2010)にある一編を読んでみた

フランス語では、「文明の衝突」(le choc des civilisations)、「文化の対話」(un dialogue des cultures)と言うらしい

「文明の対話」とは言わないのはなぜなのかという疑問から始まり、文明と文化の違いを探っている

日本語では必ずしもそこまで厳密には使われていないように見えるが、、、


これまでは、例えばエドガール・モラン(Edgar Morin, 1921-)さんの以下の定義を基に考えていた

文化とは、ある特定の社会に特有な価値感や信仰などの総体

文明とは、技術、知識、科学、経済などの総体で、ある社会から別の社会への伝達が可能なもの

今回、新たなニュアンスが加わるのだろうか


  文化(culture)の語源はラテン語の colere で、「気を配る、大切にする、世話をする」という意味がある

歴史的に見ると、最初の文化は農業(agricultura

それからメタファーで神聖なるものにも当て嵌められ、culturacultus が同じように使われる

カルト(culte)という言葉は、文化の第二の意味に由来することになる

紀元前1世紀、キケロ(Cicero, 106 BC-43 BC)が使った cultura animi (魂の手入れ)により、三番目の意味が加わる

それから長い間神聖なものが中心だったが、ルネサンスになると人間が書いたものがイタリアに入ってくる

そこで、ユマニストたちは土や神や魂ではなく、より人間的なものを文化という言葉に込めるようになる

それが言語的な文化であった

その典型がダンテ(Dante Alighieri, 1265-1321)

彼は、すでに書かれたものを繰り返すのではなく、言いたいことを言わなければならないと主張した

トスカーナ地方の生き生きとした方言を使い、ラテン語の文法を少し加味した傑作が 『神曲

神ではなく人間が書いた作品

これが言葉と知識により人間を表現する文化の源流となった


ルソー(Jean-Jacques Rousseau, 1712-1778)は自然の名の下に文化を中傷するようになる

なぜ文化の人ルソーがそうなったのか?

彼がジュネーヴからフランスに行った時、フランス人の洗練された動きに違和感を覚える

厳しい躾け、洗練された作法について考えた末、文化によって自発性の破壊が齎されるとの結論に至る

そして 『エミール』 において、自発性が自律的に育まれるような教育を提唱する

厳しい躾けとしての文化、外から押し付けられるもの、そして規則の厳守は彼の目にはカトリック的に映ったのである

それとは反対に、自己の真の表現を彼は主張する


この過激な考えに危機感を持ったミラボー(Honoré-Gabriel de Riquetti, Comte de Mirabeau, 1749-1791)が本を書く

それが 『女性の友』 (L'Ami des femmes)で、その副題が「文明論」(Traité de la civilisation

文化とは、野蛮な人間を社会の一員(civis)に変えるために使うもの

社会で快適に暮らすためには、人間は磨かれなければならないとミラボーは考える

ここで、文化(culture)よりは文明(civilisation)が市民を作るという意味で適切な言葉となる

磨くというところから文明は polis と繋がる

磨きをかけること(polissage)、礼儀正しさ(politesse)の意味において

このようにして、文明には圧力をかけて社会的人間を作ること、文化には人間性の自然な発露というニュアンスが生まれる

フランス人にとっての文明は、自然を超える普遍的なもので、複数の文明はない

全人類が原始的な状態から抜け出して文明化される方向への運動なのである

したがって、植民地に対しても一つの文明を押し付けることになる

それに対して、イギリス人は土着の文化をそのままにし、彼らに統治させるという態度をとる

フランス人とは異なり、文明を複数のものと考えているからである

イギリス人の文明には文化のニュアンスがあることになる

この違いは庭の作り方にも表れている

フランスの庭園は文明化のイデオロギーのように幾何学的に作られる

フランスは自分の国でさえ六角形(L'Hexagone)と言うのである

一方のイギリス庭園は、木を刈り込むことをしないのである


文化の対話という場合、二つのオプションがある

一つは、相互に争い、最も強いものが他のすべてを飲み込むもので、ドイツが犯した過ちがそれである

あるいは、フランスが植民地でやったように、すべての人に個別の文化を捨てさせるものである

いずれの場合にも、一つの文明しかないので対話が成立しない

アングロ・サクソンのように文明に文化の意味合いを込めた場合は別であるが、、

つまり、対話は文化の間にしか成り立たないのである


ここで、一つの言語の中における対話について触れてみたい

それは、専門化が進んだことによる使用語彙の多元化である

専門が異なると対話が成り立たなくなるという問題に繋がる

それから、母国語の能力を身に付ける以前に国際語と称せられる英語を教えようとする動きがある

その場合、目の前に広がる現実、文化を語るに十分な母国語を鍛えることが蔑にされる

技術的・専門的には優れているが教養を欠いた人間を作ることが可能になるのである

一般の言語と科学で使われる言語との間にも興味深い違いがある

一般の言語では、一つの言葉に込める意味をどんどん増やしていく傾向がある

それに対して科学では、誰もが誤解なく理解するために言葉の意味を限定していく


紀元前千年、地中海に二つの宗教的な感情が生まれた

一つはギリシャ的なもので、もう一つはヘブライ的なものである

ギリシャの宗教心とは、観察するすべてに神が宿るという内在性 l'immanence が特徴になる

神が自ら創造したものの中に存在するという意味になる

古代ギリシャ語の theos は、そこにある現実という意味であった

つまり、神性は現実にどれだけ近いかが決め手になる

これに対してヘブライでは、現実に存在しないほど神聖なものと考えられていた

ギリシャとは反対に、超越性 la transcendance が決め手になったのである


ギリシャの知の基本は、現実にあるものだけではなく、目に見えないものもあるものにすることであった

それはイデーを生み出すことにより可能になった

ギリシャで生まれた哲学は、瞑想により前に広がる全体を統合する満足を求めたのである

一方のヘブライの伝統では、見えないものを見えるようにすることは神性を剥奪することになる

絶対の神が言いたいことは理解することが難しく、翻訳する人が必要になる

その声は知に関することではなく、道徳的行動に関することである

ギリシャの知は論理であったが、こちらはテキストの解読が中心になる


ギリシャ的な宗教性とユダヤ的な宗教性を止揚することからキリスト教が生まれた

神はここに存在するに対して、神はここには存在しない

この世界はずっと存在していたのか、無から創造されたのか

文化の目的は瞑想の中に至福を見出すことなのか、目的を達するなどと言い張ることなく実践を続けることなのか

この二つの対立の調和がキリスト教に課された課題であった

あるいは、神を人間にすることにより、この調和に成功したのがキリスト教だった

その秘密が三位一体 (la Trinité)

神(父)が地上に降りたのがキリスト(子)、それが聖霊の形で神に戻ったものの三位が一つであるとする

これがキリスト教の基本的な考え方である


ここで中世まで貫く新たな問題が現れる

神が地上に降りたとするならば、聖書とは別に解読すべきテキストを残していなかったのか

この問いを最初に明確な形で出したのがアウグスティヌス(354-430)であった

信者としては、神がその善意の痕跡をこの世界に残していないとは考えられない

そのテキストを聖書とは別に解読するのがわれわれの務めだとしたのである

その上で、さらにこう問いかけた

神が残した暗号とも言えるテキストは、別の言語と考えるべきなのか

あるいは、物理的創造の基礎にある暗号の理解は、聖書の解釈から得られる啓示によるのか

 アウグスティヌスは、創造について分析、解釈、理解できるなどと考えるべきではないとした

そこで問題が出てくる

それは、物理的創造の中に投げ込まれたテキストは、一体どんな言語で書かれているのかという疑問である

キリスト教徒は最初、ギリシャ的な態度とユダヤ的態度との間を揺れ動いた

ギリシャ的態度は、テキストの解釈から離れ、砂漠に引き籠もり、神の存在を感じようとする

一方のユダヤ的態度は、現象を解釈できるように研究を深めていく

そして13世紀に至り、この問題に対する公式の見方が出される



神が人間に残したものは何だったのか

それはローマから伝わる法であった

もし自然の中に何かを探すとすれば、法則を見つけることが論理的な帰結であった

物理学者は目に見えるものの中に目には見えない神聖なものがあるという考えに憑りつかれるようになる

例えば、ガリレオは物理的な物質の中に神が残したであろう何かがあると考えた

創造の暗号であり、永遠の法則である

それがどの言葉で書かれているのかと言えば、もちろん数学の言語ということになる

石が落ちるのではなく、石を落としているのはその中に潜む神聖なる法則であると考えたのである

内在性と超越性とが一つの概念にまとめられたのである

これにより、見えているものについて瞑想するだけでは不充分になり

そこに隠れているものを発見することが知の基本となった


これ以降、文化には二つの態度が共存することになる

一つは、言葉にいろいろな意味を取り込み、空間に広がる世界を理解する能力を高めていくやり方

もう一つは、言葉の意味を制限し、目には見えない法則を発見しやすくするやり方である

本来的に対立する二つの文化から一つの共通する文化を作ることはできるのだろうか


エルンスト・カッシーラー(Ernst Cassirer, 1874-1945)という新カント派に属するドイツの哲学者がいる

彼は文化は一つしかなく、二つの異なる文化があることを心配する必要はないと考えていた

人間と現実(実在)との間で維持されている関係がどのように進化したのか

それを省察することにより、それぞれをはっきりとさせるべきだと考えていたのである


そのために、彼は人間進化に3段階あることを提唱した

最初はアニミズム、神話の段階で、現実が自らに影響を与え、すべてがすべてに影響を与える

人間が木になったり、鳥が人間の中に住んだりする

融合の時代である


二番目は言語の段階で、人間と対象との間に距離が生まれてくる

自分自身を対象と混同せずに語ることができるようになる

現実を目の前に置いた状態になったのである

そのため融合の悦びが失われ、そのノスタルジアを処理しなければならなくなる

この状態における文化とはどういうものだろうか

それは、以前の状態に対するノスタルジアを解消すること

文化とは、今に照らしながら過去を作り直すことになったのである


三番目は数学、幾何学等々の科学知の言語を問題にする表象の段階である

表象の問題とは、現実と新たな距離が生まれること、これまで以上の分離を経験することを意味している

前段階の言語の段階では目に見えていたものが、ここに来て目には見えなくなる

論理による言語で対象を捉えなければならなくなったからである


カッシーラーさんはそこからこう考える

文化の名に値する文化とは、伝統的なものを維持するだけのものではない

文化が生きたものになるためには、文化を生き返らせる必要がある

つまり、文化の仕事とは科学で見出されたものを翻訳する仕事なのである

この統合が行われなければ、文化は生きてこない

科学知が新しくなる度に、一般的な文化と科学的文化は関係を作り直す

ヘブライの宗教性の伝統である目には見えない暗号の解読により明らかになる現実の新しい見方

科学知が明らかにする目に見えない法則が現実の中に登録されているのを見るというキリスト教的欲求

 この両者の間に橋を架けることにより、一般的な文化と科学的文化の関係が作り直されるのである


神を信じようが信じまいが、われわれは文化的にキリスト教的である

 われわれは常に存在と不在、内在性と超越性を和解させるように努めるのである





Aucun commentaire: