vendredi 28 novembre 2014

第8回サイファイ・カフェ SHE のまとめ

2014年11月27日(木)に参加の皆様


第8回サイファイ・カフェ SHE の初日

いつものように直前まで準備に追われ、消化不足の感が拭えなかった

テーマはインテリジェント・デザイン(ID) で、科学の領域にいる時には頭に浮かぶこともなかった

そのため、他の科学者も同様なのかと想像していた

しかし、テーマの提示の後に続いたディスカッションは中身が濃く、しかも途切れることがなかった

参加された皆様の興味と意識が高いことに驚いた

あるいは、それだからこそ参加されたということでもあるのだろうが、、

この流れは懇親会でも変わらず、3時間にも及ぶ意見交換が続いた

哲学をどう見るのか、日本における哲学の現状は?というような広い問題についても語られていた

わたし自身も語る中で、自分の考えを再確認していた

他には、日本社会にこのような意見交換の場が非常に少ないという声が聞こえた

また、若い人の参加を如何に増やすかにも注意を払った方が良いのではないかという意見もあった

会の中での議論は深まりを見せているが、特に若い層への働きかけの工夫が必要になるのかもしれない


 2014年11月28日(金)に参加の皆様


第8回サイファイ・カフェSHEの2日目

この日もディスカッションは密な繋がりを見せ、懇親会でもそれが続いていた
 
しかし、昨日との違いにも気が付いた

それは、同じ材料を提示した後に立ち上がるディスカッションの内容の違いであった

参加者によって全く別の世界が広がるという、考えれば当たり前のことに感動したのである

昨日は統計や確率などが飛び出し、科学の方法論を中心とした科学的な内容が多かったような印象がある

今日は宗教(仏教やキリスト教)や生命の誕生の説明に関連する話が多かったように記憶している

それ以外の話も出ていたが、最初の印象が記憶の前面に残ったためかもしれないのだが、、、


わたしの役割は、事実を提示すること

それを広げ、深めるのは参加者の役割

参加者が「考える」という作業を担当しているとも言える

この関係はわたしの理想とするもので、少しずつそこに向かっているようでもある
 
今回も話題になった進化は、そもそも偶然が支配するopen-endedな過程と考えられている

その時点での条件に向き合うことを続けている先に、何が出てくるのか分からない

それが生命の持つ創造性にも繋がるのだろう

この会も生き物のようなもの

方向性を持たない進化の道を辿ることで良いのだと思う

 これは、理想に向かっているとする上の感想と一見矛盾するようにも見える


こう考えれば、問題はなさそうだ

上の理想は行き先そのものではなく、そこへの行き方に関わるものである

歩き方は覚えつつあるが、それはどこに向かうのかを決めることとは関係はない

しっかり歩くことを続けているうちに、思いもよらないところに辿り着く

そのイメージでよいのではないか

それが面白そうである

それこそが、この生き物を十全に生かす道になるのではないか


帰り道、原宿・渋谷間で人が線路に飛び出し、30分ほど足止めを食らった後にこんな考えが巡っていた


年末のお忙しいところ、参加された皆様に感謝いたします

次回は、来年の夏以降になる予定です

ご理解のほど、よろしくお願いいたします




dimanche 23 novembre 2014

第2回 PAWL のまとめ


11月21日(金)、第2回の PAWL を開催した

この会では、生き方の哲学を考え、その哲学を生きた哲学者を取り上げ、語り合うことにしている

今回取り上げた哲学者は、古代ギリシャの幸福の哲学者とも言われるエピクロス

エピキュリアンという言葉は若い方には馴染みがないかもしれない

 しかし、われわれの世代では今でも使われているのではないだろうか

少なくとも、わたしは若い頃からお前はエピキュリアンではないかと言われた記憶がある

また、フランス語を始めてからも、フランス人に名指しされたことがある

彼らが、どのような意味で言ったのかはわからない

本来のエピキュリアンは一般に浸透している快楽主義者でない

今回、その誤解が解けたという方もおられた

最近では、本来の意味でわたしはエピキュリアンではないかと思うようになっているのだが、、、
  

ディスカッションはこれまでになくリラックスした雰囲気の中で行われた印象がある

懇親会でも実り多い話が進んでいたようである

今日は急遽欠席になった方が数名おられた

年末のお忙しいところを参加していただいた皆様には改めて感謝いたします

次回は来年の夏以降を予定しております

これからもご理解のほど、よろしくお願いいたします



 第2回 PAWL のまとめ
今回は古代ギリシャの幸福の哲学者と謂われるエピクロスを取り上げた。なぜこの哲学者を選んだのかを振り返ってみると、わたし自身と直接関係する記憶が蘇っ てくる。若き日にエピキュリアンだと言われ、フランス語を始めてからも知り合いになったフランス人と話す中で、あなたはエピキュリアンだと指摘されたこと がある。エピキュリアンと聞くと、酒池肉林を思わせる快楽主義者という漠然としたイメージしか持っていなかったので若干違和感を覚えたが、エピクロスとい う哲学者の考えに当たるところまでは行かなかった。その後、フランスで哲学することになり、エピクロスを源とするエピキュリアンの思想を調べる機会ができ た。そして、45年前にソルボンヌのフランス文明講座に通っていた時には、この哲学者について発表したことも蘇ってきた。
エピクロスは快楽を分析し、自然なものと無益なもの、さらに自然なものを必須なものと不必要なものに分けた。その上で、人生の目的を幸福に繋がる快楽、すな わち自然で必須な快楽の追及に置いた。彼の求める快楽だが、この言葉を聞いて想像するプラスの快ではなく、マイナス(不快)のない状態であった。具体的には、心の悩みや心配事のない状態(ataraxia)、体の苦痛のない状態(aponia) を指し、ある意味では凪の状態とも言える。その状態の中にいると、快にあることに気付き難い。そこからの逸脱があった時にそれ以前が幸福だったと分かると いうことになる。プラスの快は長続きせず、そこから離れると不快が待っている。マイナス(不快)の状態にいて幸福を感じる人は、稀な例外を除いていないだ ろう。同じように快楽の追求を主張する人たち(ヘドニスト)がいる。しかし、彼等がプラスの快を最大にしようとすること、さらに幸福追求という視点が弱い 点でエピキュリアンと異なっている。エピクロスの快楽追求が抑制的で静的なものに見える。ただ、エピキュリアンもプラスの快をすべて拒否するわけではない が、それは必須のことではなく、幸福への条件でもないと考えている。
エピクロスの世界観はデモクリトス(c. 460 BC-370 BC) の影響を受けた唯物論で、存在するすべては原子と空虚から成っており、何物にも支配されることなく原子が空の中を動いていると考えていた。彼の宇宙は無限で目的はなく、その宇宙には無限の世界が存在する。彼は精神も神も物質であるとし、この世界の事象に神は直接関わることのないとする理神論に近い立場を採った。したがって、神は恐れるに足る存在ではないと説いた。また、死は永遠の眠りのようなもので、感覚のない状態であるので恐れるに足りないとした。これらはマイナスの快を取り除く処方箋にもなったのである。
古代ギリシャの主流の哲学者は、人間を政治的動物と捉え、政治に参加してポリスに貢献することを求めた。しかし、エピクロスは家庭を持つことや伝統的な政治に参加することを勧めない。しかし、それは非政治的な考えではなく、友情を基にしたコミュニティを構築し、その中で生活を共有して自らを啓いていくことを勧めている。アリストテレス、プラトン、ソクラテスから何ら霊感を受けることなく、autodidacte を自称していた彼は、35歳の時にアテナイに楽園を作り、そこで考えを共にする人たちと72歳で亡くなるまでの時を過ごすことになる。
『メノイケウス宛ての手紙』 には有名な次の一節がある。
 「若いからと言って哲学することを後回しにしたり、年老いているからと言って哲学することに飽く者が一人もいないことを願う。なぜなら、誰であれ精神の健康を 守るのに早すぎたり遅すぎたりすることはないからだ。そして、哲学する時はまだ訪れていないと言ったり、その時は過ぎ去ったと言う者は、幸福についてその時がまだ来ないとか、最早ここにはないと言う者に似ている」
哲学するのは今だ!として、すべての人を哲学へ誘っている。古代ギリシャの哲学者が「魂の医者」としての役割を強く自覚していたことが分かる。わたし自身は最早「体の医者」になる機会はないが、エピクロスに触れると「魂の医者」を目指し研鑚せよと促されているようにも感じる。魂の癒しは体の癒しにも繋がるだろう。医学(medicine)の語源が「癒しの技術」を意味するラテン語のmedicinaであることを考えれば、その営みは長い科学での生活の後に医学本来の道に入ることを意味しているのかもしれない。



dimanche 9 novembre 2014

パリから見えるこの世界 (22) デン・ハーグでエッシャーを発見、そしてスピノザの世界を想う

Spinoza
@Park Het Loo, Spinozalaan, Voorburg, The Netherlands


雑誌 「医学のあゆみ」 に連載中の 「パリから見えるこの世界」 第22回エッセイを紹介いたします

« Un regard de Paris sur ce monde »

医学のあゆみ (2013.11.9) 247 (6): 577-581, 2013


 ご一読、ご批判いただければ幸いです