mercredi 1 avril 2009

JBS ホールデンに触れる "What I Require from Life" by J.B.S. Haldane



Near lake Winona, Madison, Wisconsin (1963)
J.B.S. Haldane, FRS (5 November 1892 – 1 December 1964)


今日届いたこの新刊書を摘み読みする。

"What I Require from Life: Writings on Science and Life from J.B.S. Haldane" (Oxford UP)

この科学者との最初の出会いは、わずか数年前でしかない。それは神田の古本屋で彼の伝記(日本語訳)を読み、その激しくも充ちた生き様に接した時である。その本のタイトルはどこかに控えているが、今すぐには思い出さない。おそらく、Ronald Clark 著の "JBS: The Life and Work of J.B.S. Haldane" (1968) ではないかと思う。いずれ触れ直す機会があるだろうと思い、その時は仕入れずに店を出た。そして今回、科学雑誌の書評欄で彼の本が紹介されているのを見て読むことにした。

この本は弟子にあたる方(ヒューストンをベースにしているが、パリ大学の客員教授にもなっている)が師の文章を編んだもので、マルクス主義者の時代(1937-1950)とインド時代(1957-1964)に分けられている。その中から前期の文章をいくつか読んでみた。ひとつは「科学の普及のための文章をいかに書くか」、もう一つはこの本のタイトルにもなっている「この人生に何を求めるのか」というもので、いずれも難しい言い回しを避けながらもスパイスの効いた文章となっていて興味深かった。人生と向き合っている様子が伝わってくる。

前者で印象に残ったのは、遺伝学の文章にダンテの神曲から7つの引用をして批判されたことを挙げ、人間の思想の連続性を示すことの大切さを説いているところである。科学の普及のためには普段教えられていない人間の知や営みの統合を強調することが必要になり、そこに真の価値があるとしている。これは私がここ数年感じてきた、科学をする場合に使う頭の領域が余りにも小さく、それだけで終わることに対する違和感とも共通するものでもある。

それから「人生に何を求めるのか」では、次の4つを挙げている。一つは、仕事。アリストテレスが幸福を喜びの総和ではなく、止むことのない活動と定義していることを引いている。二つ目は、自由。書き、話す自由。三つ目は、健康。そして最後は、友情。同じ平面に立ち、相互に批判できるような関係。これらは誰もが求めることだろう。しかし、彼はこれに冒険を加えている。危険のない人生はマスタードのない牛肉だと言っている。これはこちらに来てわかるようになった比喩になるだろう。

  "Life without danger would be like beef without mustard."

さらに、求めるのではないが望むものとして、本のある部屋、良質の煙草、自動車、毎日の風呂、庭、プール、近くにある海岸か川を挙げている。しかし、これらがなくても十分に満足して生活できるようだ。彼自身は求めるものを得ていると考えているが、仲間も同じように幸福を感じていなければ自分も満足できないという人間のようである。これは口だけではないということが伝わってくる。

最後に、この人生に求めるものとして死の条件について語っている。記録が残っている人間の最後として、次の三つの理由を挙げ、ソクラテスの死を最も羨むべきものと考えている。まず、自らの信念に基づいて死を選んだこと。それから、自らの求めるところをやり遂げ、しかもまだしっかりした状態(おそらく70歳くらい)で亡くなっていること。そして、最後は冗談を言い、笑って死んだことである。彼自身はすべてを満たすことは難しいと考えているが、もし二つを十分にやり遂げることができれば、友人は嘆きこそすれ、憐れむことはないだろうと結んでいる。



Lecturing at University College London in the 1950s



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