jeudi 20 mai 2010

フィリップ・クリルスキー著 「利他主義のとき」 " Le Temps de l'altruisme " de Philippe Kourilsky



昨年末に仕入れ、序を読んだままになっていた本がある。免疫学者でパスツール研究所の所長もしていた現コレージュ・ド・フランス教授のフィリップ・クリルスキーさんが書いた 「利他主義のとき」。 

    " Le Temps de l'altruisme " de Philippe Kourilsky

その序文は日本でも有名なノーベル賞学者のアマルティア・センさんが書いている。その概略をしばらくご無沙汰していたブログ 「パスツールからのメッセージ」 に改めてまとめてみた。以下にその記事を転載したい。


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センさんの主張の底を流れているのは、エピステモロジーとエティックの対比だろうか。認識論、あるいは知識論と訳されるものと倫理との対比になるが、科学と哲学との対比と置換できるだろう。この点は私も考えていることなので、興味深く読んだ。彼は次のようなことを言っている。

この本は、世界の対象を理解する時に見られる限界が方法、省察の不足、注意の欠落に由来することを示している。この障害を乗り越えるためには専心と決意が求められる。科学知は解析の厳密さとコンセンサスの追求に依るところが大であるが、われわれを取り巻く社会や世界の理解には双方向のアンガジュマンが求められる。この態度が世界を悲惨から救うために必要になる。

クリルスキー氏は、科学知と日常の事物の理解の関係を日常の事物として科学の対象を捉えるように主張し、社会的、政治的、経済的コンテクストに入れて考えることの重要性を説いている。そのためには科学者が自らの守られた場所から出なければならない。これを読みながら、マンハッタン計画の主導者であったロバート・オッペンハイマーの次の言葉を思い出していた。

    「技術的に魅力的なことに出会った時、前に進み、それを実現する。
     それで何ができるのかは技術が達成された時に議論するのだ」

後に彼はこの態度を悔いることになる。事後 (ex post) の論理は科学の特徴である予測や全的な評価には劣るのである。

クリルスキー氏は、責任という考えが世界を正確でより広い視点から理解することと如何に深く結び付いているのかを示す。しかし、この考え方はエピステモロジーとエティックを厳密に分けることを主張する人には受け入れられない。クリルスキー氏の言う 「エティックの動員」 は、単なる知の探求とは一線を画するもので、世界のより良い理解には倫理の視点に必然的に依存することを明確に示している。その上で、現実の理解から責任の認識、そして利他主義の必要性へと進んでいく。

ほとんどの人は世界の悲惨な状況を示す統計に触れても何もなかったように平穏な生活を続けている。世界が改善されないことを無知には押しつけられない。知りながら立ち上がろうとしないわれわれの状況をクリルスキー氏は分析している。ここで重要になるのが、上に述べたエピステモロロジーとエティックの関係になる。世界を観察することと現実を理解することは別物である。これはT・S・エリオットが "Burnt Norton" と題した詩の中で次のように指摘した古い問題になる。

    「人間というものは、過剰な現実には耐えられないものだ」

クリルスキー氏はこの運命論的視点から距離を取る。現実の理解、われわれの行動と生活の倫理を推し進める道を示している。そこでは科学が貢献できることがあると同時に、分断された今の科学が得るものも大きいだろう。この本は、エピステモロジーという広大な領域とエティックの底辺を流れる規範を理解し、評価するための格好の材料を提供している。

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この本の構成は以下のようになっている。

緒言

第一部 現実の性質について
 第1章 科学の対象
 第2章 一般的な対象
 第3章 一般的対象の知
 第4章 まとめ

第二部 人間の責任について
 第5章 倫理の動員
 第6章 自らを探求すること、他者を探求すること
 第7章 個人責任の理論
 第8章 集団責任の理論

第三部 理論から実践へ
 第9章 理性の限界
 第10章 経済と利他主義
 第11章 地球規模の問題の解決
 第12章 利他主義と政治:利他主義的自由主義へ?

結論

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この本の出版に合わせた彼のインタビューが Canal Académie (7 mars 2010) のサイトにあるのを見つける。興味ある方は、こちらから。

その中で、危機や人間の不幸・悲惨に対処する安定したシステム構築について質問され、親切心と利他主義の違いについて論じている。

難しい問題だがと断った上で、彼はアマルティア・センさんの概念としての(絶対的な)自由 La liberté と個々の自由 Les libertés の違いと同様に考えたいとしている。親切心とは、個人の自由の範囲の中での態度になり、親切な行いが成されることもあるし、そうでないこともある。個人の自由に任されている。善意という言葉で表わされるものと重なりそうだ。それに対して利他主義は義務の色彩が強くなる。人間に課せられた考え方として捉えなければならないとしている。

したがって、システムを人の親切心に委ねた場合には不安定なものにしかならず、時として背後にある悲惨を覆い隠す役割 (cache-misère) さえ果たすことになる。安定したシステムを維持しようとした場合には、利他主義が必要になると彼は考えている。それはわれわれに考え方の大きな変更を迫るものになるだろう。

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