lundi 23 avril 2012

大阪大学で現代科学を考え、大阪医大で過去と戯れる



今日は午前中、大阪大学微生物病研究所で講演する。主な対象は大学院生だが、オープンな講演会であった。会場に詰めかけた方が予想以上に多く、追加の椅子を準備するため開始時間が遅れる。話し始めて会場を見回すと昨年よりも多く、嬉しい驚きであった。

話は1時間ほどで終え、質疑に入る。出足は悪かったが、予定の30分に達する。終わった後にも何人かの方が話を聞くために来られた。個人的な質問としてよくあるのは、なぜ科学から哲学だったのか。そして、英米ではなく、なぜフランスだったのかだが、今回これになぜ日本でなかったのかが加わった。この説明には最近書いた 「医学のあゆみ」 2月11日号がよいのだが、紹介するのを忘れていた。

もう一つ印象に残った質問があった。それはオーギュスト・コント(Auguste Comte, 1798-1857)の3段階法則について。コントの唱える三段階とは、幼児期ともいえる虚構的な神学的段階、それから青年期の抽象的な形而上学的段階を経て、最終的に成熟期に当たる科学的な実証的段階に至るというもの。科学的な段階をその前段階のネガティブな状態に対してポジティブと称し、形而上学的な省察や直感から得られる知を拒否する実証主義 positivisme である。

質問は、わたしの立場はこの実証主義に前段階の形而上学的要素を加えているように見えるので、実証的段階の先に成熟期の上に当たるき融合の段階とでも言うべきものがあるのでは ないか、あるいはそうわたしが考えているのではないかという鋭いものであった。話を聞いていてそう理解していたとすれば、わたしの意図はよく伝わっている。その問いを聞きながら、実は神学的段階までも含めて、コントの言う3段階をひとつの平面に置くように意識しているのではないかと考えていた。

この質問に関連して、現代科学の状況を憂うるコメントが続いた。それは、実証主義が行き過ぎて、論文のディスカッション・セクションにおいてさえ、想像を含んだ議論を許さない窮屈な空気があり、中堅の研究者に見えたコメントの主は、この状態を変えるように働きかけてほしいというニュアンスのことまで言われ た。現状に息苦しさを感じているのである。

現代科学はアングロ・サクソンのどこかから出される「世界基準」に従う形で行われている(と想像される)。日本は他の国と同じように、その基準に従い、そこをクリアすることで満足しているように見える。基準そのものに自分の考えを向け、議論するということをしない。哲学的ではないのである。ひょっとすると、例の最初から諦めて考えないという無意識の選択をしているのかもしれない。

現状を変えるひとつの方向性として、日本が考える科学としてあるべき内容、公表の様式などについて、アングロ・サクソンとは違う哲学の確立があるだろう。 それは固定化されたものではなく、常に検証し、変容するダイナミックなものであることが求められる。そして、日本の科学のやり方を現実のものにするために、それぞれの学会が持っているジャーナルを新しい科学の発信基地にするのである。その実現を生存に追われている現場の科学者だけに委ねるのは相当に難しそうである。その成功は、このような営みを支えるエネルギーと意志がどれだけあるかにかかっている。コメントを聞きながら、そんな妄想が浮かんでいた。


 科学と哲学などというテーマにこれほど興味を示す人がいることは驚きである。
現代科学の中にどこか満たされないものを感じている証なのだろうか。
出された発言から見えてくるものは、それを否定できるものではない。

今の科学が完全な姿であるはずはない。
もしそうだとすれば、これからも検証し、改良し続けていかなければならないだろう。
その過程で、わたしの言う哲学的な視点が有効なものになると確認していた。
 
このような思索の機会を与えていただいたホストの菊谷仁氏に改めて感謝したい。




午後からは、2月の発見の検証に大阪医科大学歴史資料館に出かける。
その詳細は以下の記事にある。

 
わたしの持っている本に書かれてある志賀貴洋史という署名が、赤痢菌発見者の志賀潔博士(1871-1957) のものであるのか。資料館に入り、係の方に2階の資料室に案内していただく。そこに至るまでの雰囲気が実に素晴らしいのだ。写真でその雰囲気が出ているかどうかわからないが、清楚な佇まいと懐かしさがそこにある。伺うと、ウィリアム・メレル・ヴォーリズ(1880-1964)というアメリカ人建築家の作だという。日本人女性と結婚し、1961年には帰化している。


 
 


そして、目的の資料室に入るとこの額が現れた。持参した本と見比べる。係の方に見ていただいたが、専門ではないとのことで言を濁される。わたしには酷似して見えた。いずれどなたかに鑑定をしていただきたいものである。

わたしがこの建物を気に入っていることを知った係の方は、さらに案内を続けてくれた。ひとつは講堂。ただ、高いドーム状の天井はエアコンと蛍光灯が付けられた低い天井で隠されていた。係の方は、時代ですかね、とのことだったが、わたしはオリジナルの天井を見てみたいと思っていた。

それから階段教室が現れた。
 我が学生時代を思い出させる実に懐かしい空間だ。
暫し教室内を歩き回り、過去を現在に引き戻しながら想像を羽ばたかせていた。



想像さえしていなかった空想の時間と空間が隠れている資料館であった。
突然の訪問にも拘らず、案内の労をとっていただいた係の方に感謝したい。


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jeudi 26 avril 2012

本日、大阪大学の講演会でお世話になった事務局の堀田様からメールが届いた。
いつも丁寧に対応していただいているが、今回も当日の様子が書かれてあった。

今回の会場は定員が50名。
そこに立ち見を入れて90名以上の方が聴講され、内2/3が学生だったという。
多くの方が参加されているとは思っていたが、これ程だとは思わなかった。
しかも、若い方が多かったことは何かを物語っているのかもしれない。

ホストの菊谷氏からは、もし次回があればディスカッションの時間を増やしたいとのこと。
そうなれば、パリの哲学セミナーの雰囲気にも近くなる。
ひょっとすると、哲学の再興は科学の現場から起こってくるのかもしれない。
いずれにせよ、多くのことを考えさせてくれる時間であった。




vendredi 20 avril 2012

日本の現状が垣間見え、決定論漂う徳島の一日



朝9時の便で徳島に飛ぶ。午後1時から徳島大学医学部で科学・医学における哲学についてお話をするためである。主な対象は大学に入って2年目の学生で、「医学概論」 としての講義だが、学生以外の方にもオープンな講演会の形を採るとのことであった。

「医学概論」 の枠で講義を、というお話を受けた時、すぐに思い出したのが学生時代のことである。大阪大学の澤瀉久敬氏 (1904-1995)が 「医学概論」 という学問を進めていることは知っていたが、広く理解されるところまで行っておらず、専門家などいなかったのではないかと思う。事実、講義は年配の教授が 受け持っていたように記憶しているが、どんな内容だったのか全く覚えていない。おそらく、医学の哲学とは似て非なるものではなかったかと想像している。その講義をこの自分がする時が来るなどと一体誰が想像しただろうか。数字だけを見ると年配の教授を凌いでいるが、人生は数字ではない。

今回、学生時代の本棚から澤瀉氏の 「医学概論 第一部科学について」 を取り出し目を通してみた。半分くらいまで読んだ形跡はあるが、おそらく挫折したのだろう。「第二部 生命について」、「第三部 医学について」 まで読もうという気にはならなかったようだ。改めて第一部を読むと科学の哲学の考え方がわかりやすく語られていて、ここ数年の経験のためかよく理解できる 内容であった。

学生に話すのは久しぶりで、どのような内容にするのか最後まで手探りの状態であったが、結局一般の方に話す内容と同じにして、哲学をどう見たらよいのかと いう点が伝わるように、個人的な経験を含めながら話すことにした。つまり、哲学というよりも哲学的態度はわれわれの日常にとって必要不可欠なものであり、 楽しいものであることを伝えようとした。わたしの考えている哲学の姿を伝えることをベースに据えたのである。その意味では、「科学から人間を考える」 試みの考え方と共通する。

会場の講義室に入ると、若さがあたり一面に充満している。久しぶりの感覚だ。最初に驚いたことは、学生さんがカードを壁に押し付けていることだった。学務課の方に伺うと、欠席防止のために出欠を電子管理しているという。哲学してもよさそうなテーマであると感じた。

講義には2時間超の時間が用意されていた。1時間超の準備しかしていなかったので、急遽スライドを追加したり、個人的な経験を膨らませて、できるだけ丁寧 に説明することで何とか責任を果たすことができた。 おそらく、多くの学生さんは心地よい?眠りに入っていたのではないかと想像しているが、中には目を輝かせている人もいた。講義後に届いたメールで、後半に なるとどんどん面白くなり話に惹きこまれ、普段よく考えていないことに気付かされた人もいることがわかった。このような心の変化が起こっていることを表情 から探ることは極めてむずかしい。今回、化学反応が起こっていた人がいることは、拙いながらも話し続けなければならないことを教えてくれる。また、若い時にこのような領域、このような考え方があることに触れておくと、将来何らかの意味を持つ時が来るかもしれない。教育とは、即効性がないものに対しても開かれていなければならないものだろう。

質疑応答で出た一人の学生の発言が気になった。それはある哲学者の 「人ははじめは規範とともに集団にいるが、哲学者になるためには理性を解き放ち、その集団を離れ、固有の存在にならなければならない」 という言葉に対するものであった。社会の規範に沿って生きなければ潰されるという日本社会の圧力を感じている彼は、独自の生き方、考え方を持ちたいのだ が、そうすることにより自分の中で葛藤が生まれるのではないか、もしそうであるならば、そのような希望を最初からないものとして歩んだ方がよいのではない か、という迷いを抱えていたのだ。

日本には個人がないとか、人間の多様性が殺されているということが言われるが、そのことを一番感じ、悩んでいるのは若い世代なのかもしれない。若い時から 自分の中を覗き込み、そこから聞こえる声に従って生きるようとする意欲を削いでしまう環境。その環境における防衛反応として現在の表現型が現れているとす れば、社会の閉塞感の根元にはこの問題があるようにも見える。多くの人間の精神の躍動が抑えられている社会から真の活力が生まれてくるはずはない。そろそろ真面目に考えてもよい一大テーマではないだろうか。

夕食会に参加された小迫英尊、笠井道之、高浜洋介の各氏
(小迫氏の高性能カメラにより撮影)


ところで、今回の 「科学から人間を考える」 試みのテーマは、この世界の出来事は前もって決められているのか、もしそうだとすれば人間に自由はあるのか、という問題だった。講義終了後、演壇に一人の教員が来られた。その方は偶然に講演会のポスターを見て、演者の名前がご自分の下の名前と同じであること(漢字は違う)に気付き、参加されたという。写真 左の小迫英尊氏である。彼の口からお話の決定論に関係しているかもしれませんね、というような言葉が漏れていたように記憶している。ただ、この席でお話し たことは写真中央の品のせいか、今はほとんど思い出せない。将来、何かの切っ掛けでその一部が蘇ることがあるかもしれない。その時、この時間が原因だった ことがわかるだろう。


演奏会パンフレットを配布中の徳島大学交響楽団メンバー


翌朝、大阪に向かうべく徳島駅に向かった。 駅前で自らの楽団が5月に行う演奏会のパンフットを配布中の若者と出会う。しばらく話をしているうちに、写真左の学生が、ここで出会ったことが将来何かの意味を持つことがあるかもしれませんね、というようなことを言い出す。今週は徳島に来てまで決定論の世界が広がっている。不思議と驚きの一週間である。本 当にそうなるかもしれないので、記録としてここに残しておくことにした。


このような時間を提供していただいたホストの高浜氏には改めて感謝したい。




dimanche 1 avril 2012

第2回 「科学から人間を考える」 試みのお知らせ (2)

Le Voyage (1958)
Yves Elléouët (1932-1975)


再びのお知らせになります
4月17日(火)、18日(水)の両日、第2回 「科学から人間を考える」 試みを開く予定です
今回は、「決定論と自由」をテーマに取り上げることにしました
詳細はこちらをご覧ください

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この世界はある法則により決定されているのか、カオティックなのか
決定論の世界に人間の自由意志は存在するのか
もし存在しないとすれば、人間は責任を取ることができるのか
最近の科学の成果はこの問題にどのような示唆を与えるのだろうか
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科学と哲学が交差するこの問題の背景を紹介した後、1時間ほど自由討論をする予定です
更なる意見交換のための懇親会も準備しています
このテーマに興味をお持ちの方の参加をお待ちしております


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mardi 24 avril 2012


会の趣旨に賛同いただいた皆様の参加を得て、好評のうちに終了いたしました
会のまとめはこちらになります。

参加申し込みされ、叶わなかった皆様には改めてお詫び申し上げます
これからもこの営みは変容を続けながら継続していく予定です
ご理解、ご批判をいただければ幸いです
 よろしくお願いいたします