朝9時の便で徳島に飛ぶ。午後1時から徳島大学医学部で科学・医学における哲学についてお話をするためである。主な対象は大学に入って2年目の学生で、「医学概論」 としての講義だが、学生以外の方にもオープンな講演会の形を採るとのことであった。
「医学概論」 の枠で講義を、というお話を受けた時、すぐに思い出したのが学生時代のことである。大阪大学の澤瀉久敬氏 (1904-1995)が 「医学概論」 という学問を進めていることは知っていたが、広く理解されるところまで行っておらず、専門家などいなかったのではないかと思う。事実、講義は年配の教授が 受け持っていたように記憶しているが、どんな内容だったのか全く覚えていない。おそらく、医学の哲学とは似て非なるものではなかったかと想像している。その講義をこの自分がする時が来るなどと一体誰が想像しただろうか。数字だけを見ると年配の教授を凌いでいるが、人生は数字ではない。
今回、学生時代の本棚から澤瀉氏の 「医学概論 第一部科学について」 を取り出し目を通してみた。半分くらいまで読んだ形跡はあるが、おそらく挫折したのだろう。「第二部 生命について」、「第三部 医学について」 まで読もうという気にはならなかったようだ。改めて第一部を読むと科学の哲学の考え方がわかりやすく語られていて、ここ数年の経験のためかよく理解できる 内容であった。
学生に話すのは久しぶりで、どのような内容にするのか最後まで手探りの状態であったが、結局一般の方に話す内容と同じにして、哲学をどう見たらよいのかと いう点が伝わるように、個人的な経験を含めながら話すことにした。つまり、哲学というよりも哲学的態度はわれわれの日常にとって必要不可欠なものであり、 楽しいものであることを伝えようとした。わたしの考えている哲学の姿を伝えることをベースに据えたのである。その意味では、「科学から人間を考える」 試みの考え方と共通する。
会場の講義室に入ると、若さがあたり一面に充満している。久しぶりの感覚だ。最初に驚いたことは、学生さんがカードを壁に押し付けていることだった。学務課の方に伺うと、欠席防止のために出欠を電子管理しているという。哲学してもよさそうなテーマであると感じた。
講義には2時間超の時間が用意されていた。1時間超の準備しかしていなかったので、急遽スライドを追加したり、個人的な経験を膨らませて、できるだけ丁寧 に説明することで何とか責任を果たすことができた。 おそらく、多くの学生さんは心地よい?眠りに入っていたのではないかと想像しているが、中には目を輝かせている人もいた。講義後に届いたメールで、後半に なるとどんどん面白くなり話に惹きこまれ、普段よく考えていないことに気付かされた人もいることがわかった。このような心の変化が起こっていることを表情 から探ることは極めてむずかしい。今回、化学反応が起こっていた人がいることは、拙いながらも話し続けなければならないことを教えてくれる。また、若い時にこのような領域、このような考え方があることに触れておくと、将来何らかの意味を持つ時が来るかもしれない。教育とは、即効性がないものに対しても開かれていなければならないものだろう。
質疑応答で出た一人の学生の発言が気になった。それはある哲学者の 「人ははじめは規範とともに集団にいるが、哲学者になるためには理性を解き放ち、その集団を離れ、固有の存在にならなければならない」 という言葉に対するものであった。社会の規範に沿って生きなければ潰されるという日本社会の圧力を感じている彼は、独自の生き方、考え方を持ちたいのだ が、そうすることにより自分の中で葛藤が生まれるのではないか、もしそうであるならば、そのような希望を最初からないものとして歩んだ方がよいのではない か、という迷いを抱えていたのだ。
日本には個人がないとか、人間の多様性が殺されているということが言われるが、そのことを一番感じ、悩んでいるのは若い世代なのかもしれない。若い時から 自分の中を覗き込み、そこから聞こえる声に従って生きるようとする意欲を削いでしまう環境。その環境における防衛反応として現在の表現型が現れているとす れば、社会の閉塞感の根元にはこの問題があるようにも見える。多くの人間の精神の躍動が抑えられている社会から真の活力が生まれてくるはずはない。そろそろ真面目に考えてもよい一大テーマではないだろうか。
「医学概論」 の枠で講義を、というお話を受けた時、すぐに思い出したのが学生時代のことである。大阪大学の澤瀉久敬氏 (1904-1995)が 「医学概論」 という学問を進めていることは知っていたが、広く理解されるところまで行っておらず、専門家などいなかったのではないかと思う。事実、講義は年配の教授が 受け持っていたように記憶しているが、どんな内容だったのか全く覚えていない。おそらく、医学の哲学とは似て非なるものではなかったかと想像している。その講義をこの自分がする時が来るなどと一体誰が想像しただろうか。数字だけを見ると年配の教授を凌いでいるが、人生は数字ではない。
今回、学生時代の本棚から澤瀉氏の 「医学概論 第一部科学について」 を取り出し目を通してみた。半分くらいまで読んだ形跡はあるが、おそらく挫折したのだろう。「第二部 生命について」、「第三部 医学について」 まで読もうという気にはならなかったようだ。改めて第一部を読むと科学の哲学の考え方がわかりやすく語られていて、ここ数年の経験のためかよく理解できる 内容であった。
学生に話すのは久しぶりで、どのような内容にするのか最後まで手探りの状態であったが、結局一般の方に話す内容と同じにして、哲学をどう見たらよいのかと いう点が伝わるように、個人的な経験を含めながら話すことにした。つまり、哲学というよりも哲学的態度はわれわれの日常にとって必要不可欠なものであり、 楽しいものであることを伝えようとした。わたしの考えている哲学の姿を伝えることをベースに据えたのである。その意味では、「科学から人間を考える」 試みの考え方と共通する。
会場の講義室に入ると、若さがあたり一面に充満している。久しぶりの感覚だ。最初に驚いたことは、学生さんがカードを壁に押し付けていることだった。学務課の方に伺うと、欠席防止のために出欠を電子管理しているという。哲学してもよさそうなテーマであると感じた。
講義には2時間超の時間が用意されていた。1時間超の準備しかしていなかったので、急遽スライドを追加したり、個人的な経験を膨らませて、できるだけ丁寧 に説明することで何とか責任を果たすことができた。 おそらく、多くの学生さんは心地よい?眠りに入っていたのではないかと想像しているが、中には目を輝かせている人もいた。講義後に届いたメールで、後半に なるとどんどん面白くなり話に惹きこまれ、普段よく考えていないことに気付かされた人もいることがわかった。このような心の変化が起こっていることを表情 から探ることは極めてむずかしい。今回、化学反応が起こっていた人がいることは、拙いながらも話し続けなければならないことを教えてくれる。また、若い時にこのような領域、このような考え方があることに触れておくと、将来何らかの意味を持つ時が来るかもしれない。教育とは、即効性がないものに対しても開かれていなければならないものだろう。
質疑応答で出た一人の学生の発言が気になった。それはある哲学者の 「人ははじめは規範とともに集団にいるが、哲学者になるためには理性を解き放ち、その集団を離れ、固有の存在にならなければならない」 という言葉に対するものであった。社会の規範に沿って生きなければ潰されるという日本社会の圧力を感じている彼は、独自の生き方、考え方を持ちたいのだ が、そうすることにより自分の中で葛藤が生まれるのではないか、もしそうであるならば、そのような希望を最初からないものとして歩んだ方がよいのではない か、という迷いを抱えていたのだ。
日本には個人がないとか、人間の多様性が殺されているということが言われるが、そのことを一番感じ、悩んでいるのは若い世代なのかもしれない。若い時から 自分の中を覗き込み、そこから聞こえる声に従って生きるようとする意欲を削いでしまう環境。その環境における防衛反応として現在の表現型が現れているとす れば、社会の閉塞感の根元にはこの問題があるようにも見える。多くの人間の精神の躍動が抑えられている社会から真の活力が生まれてくるはずはない。そろそろ真面目に考えてもよい一大テーマではないだろうか。
夕食会に参加された小迫英尊、笠井道之、高浜洋介の各氏
(小迫氏の高性能カメラにより撮影)
(小迫氏の高性能カメラにより撮影)
ところで、今回の 「科学から人間を考える」
試みのテーマは、この世界の出来事は前もって決められているのか、もしそうだとすれば人間に自由はあるのか、という問題だった。講義終了後、演壇に一人の教員が来られた。その方は偶然に講演会のポスターを見て、演者の名前がご自分の下の名前と同じであること(漢字は違う)に気付き、参加されたという。写真
左の小迫英尊氏である。彼の口からお話の決定論に関係しているかもしれませんね、というような言葉が漏れていたように記憶している。ただ、この席でお話し
たことは写真中央の品のせいか、今はほとんど思い出せない。将来、何かの切っ掛けでその一部が蘇ることがあるかもしれない。その時、この時間が原因だった
ことがわかるだろう。
翌朝、大阪に向かうべく徳島駅に向かった。
駅前で自らの楽団が5月に行う演奏会のパンフットを配布中の若者と出会う。しばらく話をしているうちに、写真左の学生が、ここで出会ったことが将来何かの意味を持つことがあるかもしれませんね、というようなことを言い出す。今週は徳島に来てまで決定論の世界が広がっている。不思議と驚きの一週間である。本
当にそうなるかもしれないので、記録としてここに残しておくことにした。
このような時間を提供していただいたホストの高浜氏には改めて感謝したい。
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