mercredi 8 décembre 2010

デカルトの人生 La vie de Descartes


ルネ・デカルトRené Descartes
(la Haye, 31 mars 1596 - Stockholm, 11 février 1650)


デカルトについて簡単な印象を書いていたことを思い出したので、以下に転載したい。

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物理学者、数学者にして最も知られたフランスの哲学者。数学に霊感を受けた理性、論理の力 (l'esprit cartésien) を明らかにした近代哲学の父。理性を中心に据えるこの男の底には、想像力、直感を重視するところもあった。その中味については、いずれ触れることにして、 今日は彼の人生を振り返ってみたい。

16世紀終わりにラ・エに生を受け、8歳から16歳までイエズス会の学校でよりよい人生を歩むために知への強い欲求を持ちながら勉学に励む。しかし、そこ で行われている哲学、科学に対しては失望と懐疑の念を抱き続ける。その中で、数学に対する興味と宗教への熱い思い、教会への敬意を覚える。

1618年 (デカルト22歳の時)、軍隊に入り、オランダ、デンマーク、ドイツに駐留。この間、論理学 (la logique)、幾何学 (la géométrie)、代数学 (l'algèbre) の統合を通して、すべての科学、すべての哲学の刷新を目指す。そして、1619年11月10日、3つの夢を見る。この神秘的な出来事を、自分の使命は哲学 に打ち込むことであると解釈し、軍隊を辞める。1620年から28年まで (24歳から32歳にあたる) ヨーロッパを広く旅し、偏見を捨て、経験を積み上げ、彼の方法論を深めた。

1628年、オランダに落ち着き、その後20年に渡って住まいを変えながら静寂の中で自らの哲学完成に全精力を傾ける。哲学者には孤独が必要なのだ (La philosophe a besoin de solitude)。彼の座右銘はラテン語で "Larvatus prodeo" (Je m'avance masqué) 「私は仮面をして前進する」。その大きな成果 「方法序説」 "Discours de la Méthode" が1637年に出版される。デカルト41歳の時である。

「方法序説」 の原題は、
"Discours de la méthode pour bien conduire sa raison, et chercher la verité dans les sciences"
『みずからの理性を正しく導き、諸科学における真理を探究するための方法序説』

となっており、屈折光学・気象学・幾何学 (La Dioptrique, Les Météores, La Géométrie) についての科学論文の序文として書かれたもの。当時の本として特異なところは、専門家向けのラテン語ではなくフランス語で書かれていることである。ごく普 通の人々に語り掛けたいという彼の意思を感じる。当時ガリレオが教会と衝突していた原因が、科学と宗教の間の誤解ではないかと考え、その和解を願うような ところがあったのかもしれない。

1641年 (45歳)、「省察」 "Méditations métaphysiques" (ラテン語からの直訳は、Méditations sur la philosophie première)、1644年 (48歳) には 「哲学原理」 (ラテン語からの訳は、Les Principes de la philosophie) を発表。この時期に、オランダに亡命していたボヘミアのエリザベート王女に出会い、文通を始める。この交流の中で自身の思想を深め、「情念論」 "Les Passions de l'âme" (1649年) にまとめる。



Descartes et la reine Christine



その名声がスウェーデン女王クリスチーヌの耳にも届き、1649年2月に招待される。躊躇した彼だが、9月にはスウェーデンに向かう。そこでは毎朝5時か ら女王にご進講。さらに、新しい環境、冬の厳しさ、知識人の嫉妬などで、その滞在は不愉快なものになった。そして翌年2月には風邪をこじらせ、肺炎により ストックホルムで亡くなる。享年53。

机に向かうだけの哲学者ではなく、世界中を旅し、心を開き、孤独の中で自らの思索を進め深めていった彼の生き方には惹かれるものを感じる。

(2007年1月21日記)
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