jeudi 28 mai 2009

セルゲイ・メタルニコフという科学者 Serge Metalnikoff


Serge Metalnikoff (1870-1946)



イリヤ・メチニコフ(Ilya Metchnikov, 1845-1916; prix Nobel 1908)はロシア出身の科学者で、後年パリにあるパスツール研究所に迎えられ、終世そこで研究生活を送った。昨年、彼がノーベル賞を受賞して100年になる記念のシンポジウムがパスツール研究所で開かれたことは昨年触れた(「メチニコフの遺産・2008年」)。ところで、彼のロシア時代にパブロフの犬で有名なイワン・パブロフ(Ivan Pavlov, 1849-1936; prix Nobel 1904)の師に当たるイワン・セッチェノフ(Ivan Setchenoff)と関係があったことを知る。この方はリベラルな考えの持ち主で、コスモポリタンにして唯物論者であったという。

彼の影響でメチニコフは免疫系が外界との適応に重要であると考えており、抗原投与後の貪食細胞の増大を一種の条件反射として見ていた節がある。この研究テーマを引き継いだのが、同じくロシア出身のセルゲイ・メタルニコフ(Serge Metalnikoff, 1870-1946)である。

彼はサンクトペテルブルク大学で動物学を修めた後、1897-1899年にはハイデルベルグとナポリで研究する。それから1年間をパスツール研究所のメチニコフの研究室で過ごし、ロシアに戻って生物学研究所を率いる。1919年にはパリに亡命し、パスツール研究所のベスレッカ (Alexandre Besredka) の研究室に加わり、亡くなるまで研究を続けた。

彼は、動物を免疫することはその神経系を免疫することであると考えていた。その仮説を証明するための無脊椎動物を用いた実験では、神経節の破壊により抗体産生が消失することを示している。また、抗原投与後に種々の刺激(例えば、耳を温める、脇腹を引っ掻くなど)を加えるなどして条件反射と抗体産生の関係も解析し、ばらつきがあったがそれらしい結果も得られたという。ロシアではネオ・ラマルク主義(獲得形質の遺伝)の傾向が留まることを知らず、抗体産生や貪食はパブロフ流の反射機構に依存するという考えのもとに仕事が進められた。

しかし、後年のメタルニコフの研究は真剣に受け入れられたとは言い難く、例えば音楽による免疫の条件付けの研究などは失笑を買うものであった。その結果、研究費の支援を得ることが難しくなり、研究も完成に至ることはなかった。研究所を辞めた後、ひっそりと亡くなったという。

彼は、免疫という現象が進化の中にあり、獲得形質が遺伝する興味深い領域であると考えていた。同時に免疫は自然の創造性を表すもので、生物学的な現象は常に移り変わるもので再現されることがないと考えていた。古代ギリシャのヘラクレイトス(Héraclite d'Éphèse)を思わせる考え方である。しかし、これは自然の中に法則を見つけようとする科学の流れに反するものであった。ただ、彼の視線が免疫現象というものを全体としてどう捉えるのかに向かっており、その上で立てた仮説に基づいて実験を組み立てるという方向性を貫いていた点には注目したい。同時に、ある時点で仮説を捨てる勇気も必要になることを教えているようでもある。


Aucun commentaire: