「私は、大学の哲学講座はどんな事情のもとでも必要だと思っています。というのは、そうした哲学講座が設けられていて、少なくともその担任者が、将来哲学する人間がその講座を通じて再び広範な影響を及ぼすことができるように、その講座を維持しておくことが必要だからです。しかし講座担任者はどんな種類の人であるか、だれが講座担任者であるか、ということが問題です。これについて私は、今日では、哲学講座への招聘にあたっては、これまで一般的にそうだったように、つまらない経歴、つまり大学卒業試験、哲学の学位、大学教授資格の獲得、大学教授といった経歴に拘泥すべきではないと思います。そうではなくて、哲学するようになった人間が、学問の世界や実人生のどこにいるか、また、いまや偉大な哲学の伝承と結びつきながら、自分が思索したり経験したりしたことを、大学の哲学講座を通じて伝達しようという心がまえをもつようになった人間が、学問の世界や実人生のどこにいるかを探し求めるべきだと思います」 (武藤光朗訳)
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