samedi 28 septembre 2013

「サイファイ研究所 I for SHE」 を設立、それは何の原因になるのだろうか


帰国の度に、科学の成果に哲学的考察を加える「サイファイ・カフェSHE」を開いている

今回パリに戻り、この姉妹店を出してはどうかというアイディアが固まってきた

科学からではなく、哲学の蓄積から人間存在を考える「カフェフィロ・ポール(PAWL)」と名付ける予定の場である

PAWLは、ピエール・アドーさんの『生き方としての哲学』 の英訳 Philosophy As a Way of Life の頭文字

この機会に二つのカフェをまとめる場として、「サイファイ研究所 I for SHE」 を設けることにした

I for SHE は Institute for Science & Human Existence の略だが、「彼女のためのわたし」という意味にもなる

この研究所で取り上げる科学、医学、哲学、歴史、宗教、さらに人間存在まで、フランスではすべて女性

「こと」 の初めとしては、すべてがストーンと落ちたという印象がある

ご批判、ご理解、ご協力をいただければ幸いである



振り返ると、2年前の夏にサイファイ・カフェSHEの前身「科学から人間を考える」試みを始めることにした

これも日本からパリに戻って1-2週間の一瞬のことであった

その理由はわからないが、今のところ次のように考えている

日本の様子を観、いろいろな方と接触する過程で感じ取ったすべてのもの

それが無意識のうちにわたしのどこかに働きかけていたのではないか

その「どこか」とは、それまでわたしが感じ、考えていたもの溜まっていたはずのところである

そこにほんの少しの力が加わり、一つの形として流れ出したのではないかと想像される


この週末、8年前の記録を読み直していたところ、今回の萌芽と思われる記述が見つかった

ただ、当時のアイディアはまだ熟していないと感じていたことも分かった

それが実を結ぶまで、8年の蓄積が必要だったことになる

決定論の立場から言い直すと、今回の結果の原因は8年前に蒔かれていたことになる

そして、ある「こと」が起こっている時には、それがいつどのような結果を齎すのかは分からない

8年前に現在の状況など想像さえできなかったことでもよく分かる

今回の「こと」が、一体どのような「こと」の原因になるのだろうか

これから注意深く観察を続けたい



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(dimanche 29 septembre 2013)

この週末、Institute for Science & Human Existence と同じ名前の組織があるか検索してみた

わたしがやった範囲では、なさそうである

もしそうならば、世界初の研究所ということになる

それが名前だけに終わらないようにしたいものである





mardi 24 septembre 2013

やはり、科学は哲学に行き着くのではないか


昨日、NHK特集 「神の数式」 の2日分(第1回第2回)を見る

ミクロの世界とマクロの世界を理解するための数式を発見しようとしてきた科学者の物語である

 それを観ながら再び浮かび上がってきたのが、昨年雑誌 「医学のあゆみ」 で問い掛けた言葉だった


ミクロの世界の完全な理解が可能になり、この宇宙がどこから来たのかが明らかになったとする

その時、われわれを取り巻く世界やわれわれの存在に対する科学的な理解は得られるだろう

それがこの世界はわれわれの直観を超えたものであることを教えてくれるだろう

その成果をもとに、この世界の新しい見方を構築できるだろう

しかし、科学的理解により人間が問うべき問題に対する解は得られるだろうか

例えば、この生は生きるに値するのか 、われわれは如何に生きるべきなのかというような問いに対して

そこに至るには、科学的な理解を元にしながらも、そこから別の次元へと思索を羽ばたかせなければならなくなる

それこそが、哲学的思考と言えるのではないだろうか

それは、科学の出発点にあった哲学が、科学の行く先にもなければならないことを意味している

わたしが昨年書いた 「科学は哲学に行き着くのか」 という問い掛けは、次第に確信に変わりつつある

それは、わたしの唱える 「デカルトの 『哲学の樹』 の逆転」の世界が待たれることをも意味している




vendredi 20 septembre 2013

西研教授の 「現象学的明証性とエビデンスをめぐって」 を読んで


今回の日本滞在では、東京医科大学のファカルティ・ディベロプメントでお話しする機会があった

その会場には哲学科の西研教授がおられ、多くの示唆に富むコメントをいただいた

講演終了後に届いたメールの中で、エビデンスと現象学についての対談を紹介された

ご本人のHPの冒頭から数行下のところにある 「現象学的明証性とエビデンスをめぐって」 である

 現象学と言えば、もう7年前になるが一つの出来事があった

イメージ、時間、現象学 L'IMAGE, LE TEMPS, LA PHENOMENOLOGIE (2006-04-28)

それ以来、いつかはと思いながらも未だ手付かずの現象学

 今回の滞在では時間がとれなかったので、パリに落ち着いた今朝、目を通してみた


科学的なエビデンスとの比較で、哲学的エビデンスについて現象学での可能性を探っている

現象学におけるエビデンスは、「明証性」 と訳されている

科学におけるエビデンスは、知覚事実とその数学的処理により得られるとしている

それに対して、現象学における 「明証性」 はどのように確保されるのだろうか

フッサールによれば、わたしにとっては疑うことができない 「事柄それ自身の現前」 として捉えられる

そこにはまだ、誰とでも共有できる性質が備わっていない


フッサールは 『デカルト的省察』 で、知覚事実とより厳密なエビデンスになる反省による内在的体験を分けているという

その上で、知覚事実については疑えるが、それについて反省していることは疑えないと考えた

まさに、デカルトの Je pense donc je suis である

対象は多様でも、そこに向かう態度には誰にでも共通する構図があり、フッサールはそれを本質と呼んだ

 さらに、その本質を引き出すことを 「本質観取」 と呼び、内的世界のあり方の構造を捉えようとしたという

西教授は反省的明証性を意味する "reflexive evidence" という言葉を当てている



 これは意識に存在するとされる二つの段階と対応しているように見える

すなわち、一つは外界の受容で、もう一つがその一段上にある外界の受容についての省察である

 第二段階に行かなければ、意識があることにはならず、目覚めていない状態と何ら変わらない

ヘーゲルが言う 「思惟」 とそれは対応するものだろう

彼は次のように言っている

 「哲学の目的は真理である。・・・

真理は直接的な知覚や直観においては認識されない。

それは外面的感性的直観においても、また知的直観においても同様である。

ただ思惟の努力によってのみ真理は認識される」



20世紀に入り、人文系の科学も自然科学的であろうとする流れが現れた

この対談では心理学からの例が引かれている

主観的な要素を極力排除しようとして、数学的、統計学的処理へと向かう流れである

内的世界を完全に無視する行動主義などは、その代表例になるのだろうか

確かに、科学の中にいる時には、そのような切り捨てが小気味よく見えることがある

科学はそうでなければならないと考えがちになる

そして、それが科学者に熱狂をもって迎えられ、勢いある流れとなる

しかし、時が経ち、冷静が戻って来ると、多くのものが見落とされていたことに気付くのである

同様のことは、他の分野でも起こっているだろう


今回、現象学におけるエビデンスの求め方を知ることができた

それは誰もが反省することにより共通の理解に達することができる基盤のようなものと言えるだろう

わたし自身は、科学におけるエビデンスについても同様の省察が必要であると考えている

科学においてエビデンスとなる事実をそのままにしておいたのでは、その意味が見えてこないからだ

そのため、それぞれのエビデンスを関連付け、謂わば 「現象学的」 エビデンスへと高める必要があると考えている

わたしが提唱している 「科学の形而上学化」 ということは、まさにこの営みに当たるだろう

「21 世紀の科学,あるいは新しい 『知のエティック』」 医学のあゆみ(2013.2.9) 244: 572-576, 2013
神経心理学を哲学する」 神経心理学 29: 35-43, 2013

 そして、わたしが帰国の度に開いているサイファイ・カフェSHEでやろうとしていることもそのための一つの試みと言えるだろう



今回、このような省察に導いてくれた対談を紹介していただいた西教授に感謝いたします




samedi 14 septembre 2013

パリから見えるこの世界 (8) 「フランソワ・ジャコブという存在、あるいは科学は哲学に行き着くのか」



雑誌 「医学のあゆみ」 に連載中の 「パリから見えるこの世界」 の第8回エッセイを紹介いたします

今年4月、92歳で亡くなられたジャコブ博士から広がった科学の世界について触れています

 ご一読、ご批判いただければ幸いです



医学のあゆみ(2012.9.8) 242 (10): 832-836, 2012